序章 2 『動き始める運命』
背の高い木々が並ぶ林の中を2つの影が駆ける。
10代前半程の黒髪に赤い眼をした少年と虎のような形状の魔物が互いに見合い、戦闘へと移行する。
「勇者になって初めての戦闘だ。この剣がどこまでのものか見せてもらおう」
黒髪の少年──クロノは勇者の剣を背中の鞘から引き抜き、魔物に向ける。
「さあ、こい!」
魔物は雄叫びをあげ、走ってきた勢いのまま飛びかかってくる。
クロノはそれを振り向いた勢いを乗せた剣の横薙ぎで振り払う。
魔物は着地すると同時に、地面を蹴って飛びかかってくる。
牙を剥き出しにする恐ろしい顔を見て、クロノは一瞬身がすくむのを感じるが、息を吐いてその気を捨てる。
左肩に剣を軽く乗せ、左足を下げる。
魔獣が眼前に迫った瞬間、クロノは引いた左足に力を込め、右足を踏み出す。対象を捉えきれなかった魔獣がクロノの後方を飛ぶ。
そのまま、着地した右足を踏みしめ、前に進む力を回転する力に変換し、右足を軸として回転する。
──とった。
振るわれた剣の一閃は鈍い音を立てて魔獣の骨肉をぶった斬る。
その瞬間、魔獣は断末魔の叫びを上げた。
クロノは思わず耳を塞ぐ、すると周囲の草がガサガサと音を立てて揺れだし、先程の魔獣の群れが現れた。
「まじかよ……」
その数は6頭、普通なら1人でその数の魔獣の相手をすることは不可能だ。
そう、普通なら。
クロノは自身の胸に手を置き、念じる。
──我が身を強化せよ。
クロノは強化の魔法を唱える。
しかし、クロノの身に降りかかるのは身体中を活力に溢れさせる魔力ではなく、激しい痛みだった。
ドクン、と心臓が波打つ。
「あ、ああ、あぁぁああああ!!」
クロノは自身の心臓を中心に周期的に広がる痛みに叫びをあげる。
剣は手から滑り落ち、クロノは膝をつく。
「ああ、ぁぁあ!! う、ぁぐぉあああ、ぇああ!!」
遂にクロノは地に伏し、その痛みにのたうち回る。
その痛みの強さに、胸に当てていた手は自身の体を引き裂く。
じわり、と血が滲み出てくる。
その匂いに興奮した魔獣達が次々にクロノへ襲いかかる。
「ぇ、あ、やめ……ぁああ!!」
魔獣はクロノへ集まり、いい獲物を見つけた! とばかりにクロノの体に牙を、爪を立てる。
「ああぁあぁあぁあぁあああ!!!」
「切り裂け」
どこからか飛んできた風の刃が魔獣達を肉塊に変化させる。
クロノは赤く染る視界でそれが飛んできた方向を見る。
そこには、自然に溶け込むことは難しいであろう金色の輝きを放つ少女がいた。
「……大丈夫ですか? 勇者クロノ。一体、何があったんですか? この魔獣達にあなたが負けかけるなんて、普通なら有り得ないですよね。危ないところでしたが、私が間に合ってよかったです。にしても……まさか、その程度の力しかないのに私の前に現れたんですか? この戦いが伝説になるって言っていましたよね? そんなこと、笑い話にもなりませんよ。そんなあなたと私なら語る価値もないでしょう」
そんな辛辣なことを言うのは、金糸のような髪を揺らし、瞳には遥かなる大空を映し出す。そして、その声は鈴の音のように綺麗な、1人の少女であった。
「うぅ、あぁ……だれ、だ……?」
クロノは痛みで冴えた頭を動かし、その少女が誰であったのかを考える。考えるが、その答えは見つからない。
そんなクロノの様子に少女は首を傾げる。
「私の名前はウェスタ、あなたの倒すべき敵“魔王”です。そんなことを言っても今のあなたには何も分からないでしょう。ひとまず、この前私が吹き飛ばされた時に受け止めてくれたお礼です。今治癒魔法を施しますのでじっとしていてください」
その少女──ウェスタは、クロノの近くに膝を下ろし、クロノの額に手を当てる。
そこからじんわりと暖かい魔力が流れ込み、クロノの体の傷を癒す。
だが、クロノを苦しめている痛みは変わることなくクロノを苦しめていた。
「どうして……。このままでは危ないかもしれません。近くの町……そうですね、ここからなら旅人の町レベッカが近いでしょう。そこまで飛びますよ」
ウェスタはクロノを魔法で浮かせ、近くの町──旅人の町レベッカへと急いだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……知らない天井だ」
クロノは見知らぬ部屋で目を覚ました。
寝かされているのは簡素なベッドだ。部屋自体もただ寝るための部屋というようであった。
クロノは痛みが消えていることに気が付く。
伸ばした手を開閉し、体の感覚が正常なことを確認する。
「ん?」
起き上がったクロノの額から濡れたタオルが落ちてきて、布団を濡らした。
クロノはそれを拾い上げる。
「まだ冷たい……てことは誰かが看病してくれたのかな? その人に会ったらお礼しないと」
トントンと扉がノックされ、一拍置いて扉が開かれる。
空いた扉から抜け出る空気が金色の風を立てる。
「あ……勇者クロノ、ようやく目覚めましたか」
入ってきたのはウェスタだった。ウェスタは、微かに嬉しそうな、安心したような表情を浮かべ、手に持っていた水桶を簡素な机に置いた。
「君が……俺を看病してくれたのか、ありがとう。本当に助かったよ」
クロノはにこやかにお礼を述べる。
ウェスタは目を逸らし答える。
「借りを返したまでです。その様子だと私のことを覚えていないようですね。私の名前はウェスタ。まあ、簡単に言えばあなたの敵です」
再びクロノの方へ向けたウェスタの顔には寂しさが宿っていた。
「……? 敵なら、どうして俺を助けたんだ?」
「さっきも言ったでしょう。借りを返したまで、と。それに、私はただの親切心であなたを助けた訳ではありません。あなたが私の目的のために必要だからそうしたまでです。勘違いしないでくださいね」
ウェスタは再びそっぽを向く。
「でも、君は俺を助けてくれた。なら俺もウェスタの行動になにか返したい。協力出来ることがあればなんでも言ってくれ」
そのクロノの発言にウェスタは、はぁ……と嘆息し、期待を込めずに言う。
「……まあ、ものは試しです。ひとまず聞いてみますか。……竜王という言葉に聞き覚えがありますか?」
「龍王? どっかで聞いたな……」
その言葉を聞いてウェスタの顔が明るくなった。
「本当ですか!?」
クロノはそれに軽く頷いて応える。
「ああ、そうだ。東の龍の伝説っていう話の中に出てきたはずだ。君も知っているのか?」
その期待外れの答えにウェスタは肩を落とした。
「東の龍の伝説……? それはよく分からないですが、私の想像していたものとは違いますね。そうですね、昼食でもとりながら全てをお話しましょうか」
2人で昼食を食べながら、ウェスタはクロノにこれまでの経緯を説明した。
「──なるほど。俺とウェスタは勇者と魔王で敵同士、戦い始めた瞬間に竜王と名乗る第三者の介入があり、戦いは中断、共闘した。そして気付けばこの時代、つまりは過去にいた。それで自分と同じように過去に来ている可能性のある竜王を倒すために、同じくその場にいた俺を仲間にしようとしていたわけか」
クロノは机の向かい側に座るウェスタを見ながら、そこまでの話の内容を確認する。
「ええ、恩を売ってあなたに協力させるような形になってしまったのは想定外でしたが、無事にこうして話を聞いてもらえて良かったです。まさか、記憶が無くなっていたとは思いませんでしたね」
ほんとに、残念です。と続ける
「ああ、それは申し訳ない。俺にも原因が分からないんだ。許してくれ」
残念そうな寂しそうな表情をするウェスタにクロノは軽く手を合わせて詫びた。
それにウェスタは、いいですよ。と返す。
「それで、あの時は一体何があったんですか?」
ウェスタはクロノと会った時の異様な様子について切り出す。
「あの時、俺は自分に魔法を使おうとした。本で見たからできると思ったんだ。胸に手を当てて、念じた。我が身を強化せよ、と。その直後俺の心臓を中心に激痛が広がった。それは体全部を侵食し、蝕んだ」
クロノは自分の胸の辺りを触り、その時の様子を再現する。
「どうしてそんなことが……」
「……暴発、とかか?」
「暴発、魔力回路に上限以上の魔力を流し込んだ時に起こる現象ですね。あまりの負荷に体は耐えきれず爆散するとか言われていますよね。ですが、あなたの体は無傷ですし、それとは違う気がします。まあ、原因がわからない以上迂闊に魔法を使うのはよしたほうがいいですね。あなたに倒れられては私が困りますからね」
「そうだな。……? もしかしてついてくるつもりなのか?」
「そのつもりだったんですが、ダメでしたか?」
「いや、ダメってわけじゃないしウェスタが来てくれるなら心強いけど……いいのか?」
「私はあなたを利用するだけなので、あなたが構わないというのなら喜んでついて行きますよ。いいのであれば次の目的地を指定していいですか?」
「ああ、構わない。むしろ大歓迎だ」
「ありがとうございます。次の目的地はマゴニア王国です」
「マゴニア王国?初めて聞くな」
「あなたは今記憶が無いんですから当たり前でしょう。……その国の周辺でドラゴンの目撃報告があったそうです。ドラゴンは希少な種族ですから、竜王かもしれません」
「なるほど、じゃあ今日はしっかり旅支度をして明日出発しよう」
「ではそれで行きましょう」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
2人は町の市場に来ていた。
道の至る所に出店が出ていて賑わっている。
野菜屋、果物屋、雑貨屋なんでも揃っている。中には武器屋なんてものもあった。
「そういえば、あなたは冒険しているという自覚はあるんですか? 防具の類いを一切持ち合わせていないようですが」
ウェスタは少し呆れ気味にクロノを見回してそう口にした。
「俺だって好きでこんな格好でいるんじゃない。装備を買うお金が無いんだ」
王からの餞別は無し、家は自給自足でやっとの暮らし、母を困らせるわけにはいかないという意志の元、装備もお金も無しで飛び出していってしまったクロノはそう答える。
「なら、貸しひとつです。あなたになにか1つ防具を買ってあげましょう。まあ、新たな旅立ちへの私からの餞別だと思ってくれて構いませんよ」
ウェスタは自身の財布の中に金貨が数枚入っているのを確認し、得意げに言い放つ。
「いいのか? ありがとうウェスタ。この借りはいつか必ず」
それを聞いたクロノは嬉しくてたまらなくなり、飛び出して行ってしまった。
「ええ、私も適当に見て回っているので声をかけてください」
ウェスタはそんなクロノの子供らしい背中を見ながら、魔王城での事を思い出していた。
自分を受け止めてくれた大きく、逞しい手、こちらを見る優しい瞳。この人なら──。
「ウェスタ!」
そんなウェスタの思考をクロノの声が掻き消す。
「ああ、クロノ決まりましたか?」
こっちだ。ということでウェスタはクロノについて行く。
たどり着いた防具店でクロノが持ってきたのは、不思議な色をした重厚そうな胸当てだった。
その胸当ては、その重厚な見た目とは裏腹にとても軽く、丈夫さはその見た目通りといった優れものであった。
「ウェスタ、これ大丈夫か?」
その値段にウェスタはうーんと頭を悩ませるが
「まあ、竜王退治のための投資と思えば安いものです」
そう言ってその胸当てをクロノに買ってあげた。
「ありがとうウェスタ」
ウェスタの支払ったその金貨はクロノの笑顔へ変わっていた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「なあ、ほんとに同じベッドでいいのか? 俺は下で寝てもいいんだぞ」
2人はクロノがベッドで寝るか、床で寝るか、ということで少し揉めていた。ウェスタがベッドで寝るのは決定事項である。
2人が宿泊している部屋にはベッドが1つだけ、それ以外の部屋は空いておらず、ほかの宿も全て埋まっていたようだ。
「ダメです。そんな所で寝たら汚いじゃないですか、それにあなたが目覚めるまでの3日間はずっとそうしてきたんです。だから何も問題はないじゃないですか」
「そうなの? じゃあ問題は無いな。なんてなるか? 普通」
「あなたは何が不満なんですか? 2人ともベッドで寝れていいじゃないですか。女と寝るのが嫌だ、なんて子供みたいな事は言わないですよね?」
「そ、そんなことは無い。じゃあ問題は無いな、寝よう」
クロノは諦め、しぶしぶベッドに潜り込む。
それを見てウェスタは満足そうに頷き、ベッドに潜り込む。
「おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
『……さい、起きなさい勇者クロノ、起きなさい』
「……なんだ…?」
何者かの声によってクロノは目覚めた。
そのクロノの目の前を小さな光の塊が横切る。
それは、クロノの周りを彷徨いながら声をかけてくる。
『勇者クロノ、あなたには知っておいてもらわなければならない事があります。私に着いてきてください』
光はそう言うと、どういう訳か勝手に開いた扉を通って外に出ていった。
その後をクロノが追いかけてゆく。
「……ん、クロノ……?」
宿を出て、昼間には出店が出ていた通りを抜ける。
そしてたどり着いたのは、町の住宅区より少し離れた所にある風車だった。
『勇者クロノ、この中へ』
その声に従い、風車に入る。
クロノが追いかけていた光の塊はクロノが来たことを確認すると、大きく輝き始めた。
それは段々と人の形になり、1人の女性が現れた。
『よく来てくれましたね勇者クロノ。私はウルド、時の三女神のうちの一人です』
蒼銀髪の女性はウルドと名乗った。
「ウルドさん。俺になんの用ですか?」
クロノはウルドに問いかける。
『あなたの消えた記憶の中で大事なことをお伝えしましょう。あなたの持つ力“巻き戻し”の権能について、です』
「巻き戻し……?」
クロノの疑問をウルドは説明する。
『ええ、あなたの持つその力は私の妹、スクルドが与えた力です。全てをやり直すその力は、人智を越えた力、人間が手にしてはいけない力でした。あなたはその力を使い、8年後の危機から逃げたのです』
「8年……!?」
ウルドから告げられた8年という年月は、1週間以前の記憶が無い少年には途方もなく大きなものに感じられた。
『8年間もの時間を戻すことで、あなたの身体は限界を迎えました。それでも、今こうして生きていられるのはきっとあなたの勇者としての力によるものでしょう。その力を使ったことにより、あなたは記憶の欠落、魔力回路の喪失という2つの代償が課せられたのです』
「そうか、だからあの時…」
クロノは魔物と戦った時のことを思い出した。
あの想像を絶する痛みの元凶はそれだった。
無いことが有り得ない魔力回路の欠落、それを自覚したことによる身体の拒絶反応、吸収した魔力を貯めることも発散することも出来なかったことによる魔力の暴走。それこそが、あの痛みの理由なのだ。
『そして私はあなたに警告するためにここに現れました。上の方から神の座を剥奪された妹の罪の後始末をするのは姉として当然の責務……と言われてしまったので渋々ですがね。あなたには今後その力を絶対に使用しないで欲しいのです。そうしなければ、あなたはいずれ人間性を失い、意思疎通も出来ぬような人形に成り果ててしまいます』
「わかりました。出来るだけ……使いません。でも、大事な人を助けるためなら躊躇いなく使います。そのためならこの身が果てようと構いません」
ウルドの警告にクロノの意思は揺るがない。
『いいでしょう、私は警告しました。後はあなたの自由です。ですが、その力を使い続ければその大事な人のことすらも忘れてしまう可能性があることを覚えていておいてください。それでは私は。……そうだ、そこの貴方。おいでなさい、貴方にも1つ教えてあげましょう』
ウルドは風車の入口を見てそう言った。
クロノがそちらを見ると、そこに立っていたのはウェスタだった。
「ウェスタ?」
反応は無い。クロノの声はウェスタには聞こえていないようだ。
「……なんですか?」
ウェスタはウルドに警戒しながら近付き、クロノの横に来る。
『あなたの感じているその違和感、その真実が知りたければ始まりの地へ行きなさい。そこであなたは全てを理解する時が来るでしょう。それでは私はこれで……。どうか計画的に』
ウルドはウェスタにだけ聞こえるようにそう言うと、最後にクロノへの忠告をして消えて行った。
「違和感、真実……?」
ウェスタはその言葉を反芻し、感じていた違和感を確かめる。
「ウェスタごめん、起こしちゃった?」
クロノはウェスタの顔を見て呑気に言う。
ウェスタは不意に目の前に現れたクロノに驚き、思考を中断する。
「……!? え、ええ、そうですね。そうかもしれません」
ウェスタはクロノの話を聞いてはいなかったため、曖昧に返事をする。
「そうか、悪いな、こんな夜中に起こしちゃって」
それを聞いてウェスタはクロノが何を言っていたのか理解し、弁明する。
「い、いえ! 違いますよ。クロノが起こしたわけじゃありませんよ! すみません」
わたわたと弁明する様子を見てクロノは苦笑する。
「そうか、よかった。じゃ、帰ろうか」
クロノはウェスタに手を伸ばす。
ウェスタはそれを一瞥し、手を取らずに風車の外に出る。
「ほら、帰りますよ。早くしてください」
そんなウェスタにクロノは、分からないなぁ……。と小さく呟く。
「今なにか言いましたか?」
「いや、なんでもないよ」
クロノはウェスタの隣に並んで宿までの道を歩き出す。
明かりのない新月の夜は、とても暗かった。
「暗いな」
「そうですね」
会話が続かない。
不意にウェスタがクロノに近付く。
「暗いので」
と、それだけ言ってクロノの服の裾を掴む。
クロノはあえて何も言わなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
その日は快晴だった。旅立ちにはもってこいの素晴らしい朝だ。
目覚めたクロノは、隣で寝ているウェスタを見てギョッとする。
昨日は宿に戻ると2人ともすぐに寝てしまった、そのまま同じベッドで寝ていたことを思い出し、納得する。
脳裏によぎるのは昨日のウェスタの姿、服の裾を弱々しく掴み、後ろをついてくるウェスタの姿だ。
──ウェスタも、人間らしいところがあるんだな。
クロノはまだベッドで寝ていたウェスタを見る。
魔王だ、敵だ、と名乗っていたウェスタはそこにはいなかった。
そこにいたのはただの女の子だった。
可愛らしい寝息を立て、気持ちよさそうに目を瞑っている様子を見ていると、彼女は人間なのではないか? などと思ってしまう。だが、クロノは彼女は魔王なのだ、魔族なのだ、と線引きをして、踏みとどまる。
そう、クロノにとって彼女は敵なのだ。
いつかは必ず戦うことになるはずの敵、好意的に思ってしまえばきっと別れは辛くなる。
クロノはなぜだか寂しいような気がした。
別れ、というものを想像したからだろうか? 昨日、 一緒に帰った彼女を、自分はいつかは殺すのだと思って身震いする。
そう思っていると、ウェスタが起きた。
「ふぁ〜あ、おはようございます……」
クロノは勘づかれないように体の震えを止める。
「ああ、おはよう。いい朝だな」
「そうですね、旅立ちにはもってこいの素晴らしい朝ですね」
ウェスタは朗らかに答える。
そんな彼女を見ていると、別れなどない気がしてくる。
クロノは思考を止め、近い未来のことを考える。マゴニア王国のこと、竜王のこと、力のこと。
「それでは、行きましょうか」
いつの間にか支度を終えていたウェスタが窓の外を眺めるクロノの横に来る。
「ああ。目指すは日の沈む方向、西の王国マゴニアだ」
「楽しみですね。どんなものが私たちを待っているのでしょう……? 出来ればそれが、良き出会いであるように」
ウェスタは天に祈りを捧げる。
それを終えると、クロノへ向き直り、今度こそ本当に行きますよ。と言って部屋を出た。
クロノもその後に続いて部屋を出る。
ウェスタが借りたと言っていた馬が引く馬車に乗り込む。
「よし、出発!」
馬の蹄が地面を蹴り、心地の良い音を鳴らす。
それはまるで旅立ちを祝っているかのようであった。
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