序章 1 『そして少年は剣を抜く』
戻り、戻り、戻る。
終わりの来ないものが無いように、際限なく続いていた世界の巻き戻しも不意に終わりを迎えた。
……………………
………………
…………。
「……?? ここは……」
永遠にも思えた逆行から解放された頭には開放感は無く、重く鈍いズシンというような痛みが頭の回転を妨げる。
やがて不鮮明だった視覚や聴覚が冴え渡り、自分がどこにいるのかを心が自覚する。
「……家?」
懐かしい。そんな妙な気配にここがどこかを察する。
同時に抑えられた記憶の蓋が破裂するような感覚がして、頭が痛む。
「っ! 痛ッ!」
急な頭痛に頭を抱えていると不意に扉がノックされた。
「クロノ、起きてる?」
そう言ってノックの返事も聞かずに部屋に入ってきたのは1人の麗しい女性だった。
その女性は肩甲骨の辺りまで伸ばした綺麗な黒髪で、瞳の色は黒だ。
「あの……どちら様ですか?」
「変な夢でも見たの? もう朝ごはんの支度は出来てるから早く降りてきなさい。今日はあなたにとって人生で1番大事な日なんだから」
女性はクロノの発言を軽くあしらい、上機嫌で部屋を出ようとする。
「え……っと。俺、記憶がないんです。だから……あなたのことが本当に分からなくて」
クロノは自身の欠けた記憶に戸惑いつつも女性を呼び止める。
「クロノ、本気で言ってるの……?」
女性からは先程までの上機嫌な様子はどこかに消え、心配そうにクロノの顔を覗き込む。
「はい」
「……ゆっくりでいいから話を聞かせて? ここじゃあなんだから下に行きましょう」
クロノは頷き、ベッドから出ると、先に部屋を出た女性の後を追いかけた。
その日の朝食は卵を焼いたものと、小麦から作られるこの世界の主食“パン”だ。
それを頬張りながら2人は状況を整理する。
「クロノはどこまで覚えてるの?」
「何も覚えていないです」
「じゃあ今日がなんの日かも覚えてないのよね」
「今日……ですか?」
「そう、今日は抜剣の儀なの。あなたが勇者として正式にお国に認めてもらう日なの」
「抜剣の儀……? 勇者……。あ、俺、自分が勇者だって事は覚えています。なぜか? って言われると難しいですが、なにかそう、使命……なんだと思います」
「そうだったの。ああそうだ、記憶喪失なら自己紹介しなきゃだね。私はあなたの母親のルシア、そしてここは私たちの家、どこに属しているかって話ならここはルーディア村よ」
ルシアはクロノの話の中に少しの違和感を感じつつも、勇者ということだけは覚えてくれていて安堵する。
「なるほど……なら、母さん。抜剣の儀ってどこでやるの?」
「それはこの村から少し離れた王都レグステリアっていうこの世界の中心の国でやるの。そうそう、もう出るまであまり時間がないから出かけられるように顔を洗ったり、持っていきたいものがあれば鞄に詰めておいてね」
そう言うとルシアは食事に使用した食器を持って台所へと向かった。
クロノは出かける支度をするために1度先程の部屋へ戻った。
「見覚えは無いけど、俺のものだったんだな」
クロノは部屋にある様々なものを見てそう呟いた。
長剣を模した木剣、赤い革表紙の古びた本、色んな物が部屋に散乱している。
クロノはその中から赤い革表紙の古びた本を拾い上げ、読み始めた。
「……東の龍の伝説? どんな話なんだろう。とりあえず読んでみるか。
……昔昔、東の大地に1匹の龍が住んでいました。その龍は人を襲い、次々と食べてしまうため、人々から龍王と呼ばれ忌み嫌われていました。
あるとき、西の大地から1人の勇敢な男がやってきて、東の大地の住民に言いました。“私がその龍を退治しよう”
ですが、東の大地の人はやめた方が良いと男を説得しようと試みます。しかし、男は聞く耳を持たず、龍王の元へと出かけてしまうのでした。
龍王と遭遇した男は龍王を遥かに凌ぐ強さで龍王を打ち倒したのですが、なんと龍王は復活しました。龍王は不死身だったのです。
今のままでは男に勝てないと知った龍王は、龍王を倒す方法を知らない男にある提案をしました。
その提案とは、龍王が死んで、復活する度に人間の内で選ばれたものに龍王の力を与え、その代わりに男がその人間達と負けるまで何度も戦うというものでした。
誰にも負けないと自負していた男はその龍王の提案を受諾し、男は故郷である西の大地に城を建て、その人間を待つことにし、一方の龍王は影を潜め、ひっそりと暮らしました。
……どういうことだ?」
クロノが読書に勤しんでいると、再び扉がノックされ、ルシアが現れた。
「今から出発するけど準備は大丈夫?」
その声を聞き、まだ何もしてなかったことを思い出したクロノは、鞄に先程の本と木剣をお守り代わりに入れ、今行く! と返事をしてルシアについて行った。
村を出て半時ほど馬を走らせ、見えてくるのが王都レグステリアだ。
街の周囲の全てが高い塀で囲まれている城壁都市でもあり、4000年ほど前に人間を危機から守るために作られたと言われている。
その危機が何を指すのかは未だわかっていない。
程なくして王国の正門を通り過ぎたクロノ達を乗せた馬車は、そのまま街の中央部にある王宮の中へと入っていった。
「クロノ、着いたみたい」
ルシアの声に読書を中断し、手荷物をまとめて馬車をおりる。
馬車から降りて、その目の前に広がっていた景色は想像を絶するものだった。
街の他の部分よりも少し高い位置にある王宮からは街の全貌が見渡せた。そのため、街の様子がよくわかる。
街にはいくつか運河が流れており、多くのゴンドラがその運河を使って人を運ぶ。
計算されたように並ぶ家々はそれ自体が街を飾りつける装飾品の様に見えた。
王宮は左右対称で横に長く、大きな建物であり、その至る所に細やかな装飾が施されていた。
「すげぇ……」
言葉を失うとはまさにこの事だ。と言えるほどにクロノの心はその景色に夢中になっていた。
「ほら、クロノ行くよ。……後でこの街を回ろうか」
「いいの……?」
「もしかしたら記憶が戻るキッカケになるかもしれないしね」
「そうだね、戻るといいね俺の記憶」
「うん、じゃあ行こうか」
使用人に案内され、王宮の奥へと入って行く。
やがて見えてきたのは城の立派さに対抗しうるものはこれしかないだろう。と言えるほどに美しい装飾が施された玉座であった。
そしてその玉座には、立派な白い髭を生やした男性が座っていた。
「よく来たな勇者クロノ……12年だ。この日をどれほど待ったことか」
玉座に座っていた男性は王都レグステリアの王だった。
「こ、こちらこそ誠に光栄でございますです……」
クロノは曖昧な記憶を頼りに、不自然な敬語を使う。
「ふん、そう硬くならなくてもよい。これで役者は揃った。さあ、始めよう」
その言葉を合図に、使用人達が玉座の後ろの大きな扉を押し開く。
その先の空間に現れたのは、1本の剣が刺さった台座であった。
「これが勇者の剣だ、綺麗だろう?」
その剣は、青紫色の柄と、白刃の刀身から成り、神々しい光を放っていた。
「綺麗だ」
思わずクロノは見惚れてしまう。
「うむ、それでは今から任命式を始めよう。クロノよ、今から私が言うことを復唱してくれ……では」
国王は胸に手を置き、語り出す。
「我こそは古より続く勇者を継承する者なり」
「我こそは古より続く勇者を継承する者なり」
クロノは国王の真似をする。
「人の世を脅かす魔王を殺す使命を持ち、それを果たす者なり」
「人の世を脅かす魔王を殺す使命を持ち、それを果たす者なり」
クロノの左手が淡く発光し始める。
「今ここに誓印を授かる」
「今ここに誓印を授かる」
言い終えるとクロノの手を纏う光が強まり、少しの痛みをもってその甲に、短針も長針も真上を指した時計盤のような形のアザが浮き出てきた。
「これは……?」
「それは勇者の誓印。それこそが勇者である証拠だ、今回は時計の形か……これが何を意味するものなのか分かりかねるな。だがしかし、おめでとう。君は今正式に資格を受け取り、勇者となる準備が整った。あとはこの剣を引き抜くだけだ」
クロノは無言で頷き台座の前に立つ。
足を軽く肩幅ほどに広げ、腰を落として剣の柄を両手で握る。
ゆっくりと手を上へ引き上げる。
剣は少しの抵抗の後、押し出されるように簡単に剣が抜ける。
台座から露出した刀身は白く澄んでいる。
その刀身は、窓から差し込む陽の光を受けて白く発光し、遠く世界中にその存在を主張する。
クロノはそれを空高く掲げた。
「今ここに新たなる伝説が始まった!!」
国王がいつの間にかその場に来ていた兵士や使用人を煽る。
彼らは煽りにのせられ、うおおお!!と叫び声を上げ、その瞬間に立ち会えた喜びを噛み締めた。
3日後、クロノは出発の時を迎えていた。
「もう出ちゃうの? もっとゆっくりしていっても良かったのに」
ルシアは旅支度を終えたクロノに声をかける。
「うん、母さん。記憶なくしたりいろいろあってなんだかよく分からない時もあったけど、この3日間ありがとう。絶対また帰ってくるよこの家に」
「うん、ずっと待ってるから! 気をつけてね……本当に」
ルシアは涙を堪えきれず、その頬を涙が伝う。
「じゃあ……行ってきます!」
クロノは母と我が家に手を振り、別れを告げる。
再会はいつになるか分からない。
でも、いつか必ず元気な姿で帰ってくると約束して足を踏み出す。
それは決意の足跡だ。
クロノにとっては短い間だけ過ごした母との別れ。
母にとっては最愛の息子との永遠とも言える別れ。
両者の思いは違えど重みは同じ。母と息子の絆は記憶の有無など些細なことに過ぎないのだ。
踏み慣らされた林道を歩く。
程よい硬さの地面と日差しを遮る葉のおかげでしばらくは気持ちの良い旅ができるだろうな。と思いながらクロノは歩く。
どんな出会いが待っているのだろうか、と期待に胸をふくらませて。
「……勇者クロノ」
未来の事に思いを馳せていたクロノは、今誰かに後をつけられているという事など、知る由もなかった。
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