第二話「いかにも私があんたの仲間、知らない人とどうするこの間」
「一大事じゃないですか!」
一大事らしい。
「そうは言っても、自覚がないんだよね、いや、記憶がないから当たり前なんだろうけど」
これが、日常生活、つまり地球の日本、あちらで同じようなことが起きたなら、環境の変化──「おいおい、もう最後の一年なんだぜ、そろそろ受験頑張らねーと」、見慣れない技術の進歩──「やっぱフルダイブ型のゲーム機が最高だよな」、周囲の人々の反応──「わっちが思うに~え、この一人称はもう半年前から使ってるだろ」……エトセトラ。ともかく比較すべき、基準点があるのだからこちらも、「受験勉強はじめなきゃ」「操作方法確認しなきゃ」「こいつのテンションに合わせなきゃ」と焦ることもできるのだけれど、そもそもこの異世界において基準点がないのだ。焦りようがない。
唯一のつながりは、このベルという妖精なのだけれども。
「ああ、どうしましょうどうしましょう! まさか昔の戦闘の後遺症? はたまた呪いをかけられた?」
あたふたと空中を縦横無尽に右往左往している彼女を見ていると、余計にこちらは落ち着かなければという気持ちにもなる。
しかし、そうか、確かにこの状況が誰かに作り出されたということもありうる話ではある。
記憶がない俺は、剣も魔法も使える気がしない、戦闘経験もない、交友関係・敵対関係も分からない。本当に一年間俺が活躍したというのならば、その分恨みも相応に買っているだろう、そいう者にとってこれはまたとないチャンス。
「ちょっと、いつまで寝てるの」
コンコン、と扉の叩く音と、声。
まさか、そういう者のお出ましか?
「あのさ、今聞こえた声って」
「ちょっと待ってください! 今妖精界に連絡を」
ベルは頭を抑えてうんうんうなるばかりでどうも応えてくれない。こうなったら出るしかないのか。
ふと、自分が寝間着のままだということに気づく。対峙するにせよ逃げるにせよ、とりあえず着替えてからのほうがいいだろう。幸い先ほど着替え(見慣れない服、おそらくこちらのものだろう、マントなんて初めてだ)を見つけたのでさっさと済まそう。ベルも意識を向けていないことだしと、ズボンを下ろしたその時。
がちゃり。
「まったく、寝坊助なのはいつまで経ってもなおら、な……」
第一印象は太陽のような女の子と思った。日差しのような橙色の長い髪、同じ色で力強くこちらを見つめる瞳、快活そうなセーラー染みた異世界服、なにより……顔が真っ赤で、燃えあがりそうだったので。
「──!!!!!!」
もしかしてこの世界の人々は、総じて声が大きいのだろうか。
で、それから。
「あの、さっきはゴメン……」
「いや、俺の方こそ」
「まったくですよ、ベルのお耳壊れちゃうかと思いました」
ベルの方が大声だった気はする、というのは胸に閉まっておいて。
「さ、さあ! とりあえず食堂行くわよ、そこで今日の予定を」
「分かりました、記憶がないので案内してもらえますか?」
「ええ、とはいっても階段降りるだけだけどね、しかし寝坊じゃなくて記憶がないとはあんたも……記憶がない!?」
天丼は三回もしないでいいだろう。というわけで、食堂。ここは宿屋だったようだ、早急に鍵をきちんとしたものに付け替えてもらいたい。
「じゃ、じゃあ私のことも覚えてないってこと!? そんな……」
「ごめん、っていうのが正確なのかなこういうときって」
「いや、私も分からないけど……なんか変な感じね、受け答えはいつも通りに思えるのに」
どうやら、この一年間で俺は大幅なキャラ変更はしていないようで、安心する。やれやれ、俺様系とかになってなくてよかったぜ。
ついでに目の前のサラダをつまんでみる、まず。
「ど、独特な味だね」
「それ、昨日の夕飯の時も言ってたわ」
どうやらそれがおかしかったようで、険しかった表情も笑顔になる。少々重苦しかった雰囲気も消えたので、思い切ってこちらから聞いてみようか。
「ところで、俺と君ってどういう関係だったのかな?」
交友関係か敵対関係か、いや、これまでの会話で敵対関係ではないというのは分かるのだけれども。正確なところは口に出してもらわなければ、今の所異世界と繋いでくれるのはベルと、目の前の彼女しかいないのだ。
「か、関係!?」
つい力を入れて身を乗り出してしまっていた。まっすぐ、彼女を見つめようとするが、逸らされる。思案しているようだ。
「いや……でも、今なら誰も……けど、記憶がないのに……実質……これはチャンス……」
なにやらぶつぶつとふつふつ気持ちが昂ぶっているようなのだが、何か言いよどむような理由でもあるのだろうか。
よし、と大きく深呼吸をした後、彼女は目を合わせ……いや、やはりやや逸しつつ告げた。
「実は……私、セレメア・キャロルディアとあなたは、恋人──」
「こ、恋人!?」
「のような親友のようなけど親友よりも少し踏み込んだような状態でほぼほ恋人といって差し支えない状態を維持していると言えなくもなかったわ」
「え、セレメアさんとミナトさんって恋人だったんですかぁ!? ベルびっくりです」
「おとなしくしてなさいベル、あたしのパンをあげるから」
「わぁいパンです!」
「ベルは知らなかったみたいだけど」
「それは……そうよ、恋愛なんて当人同士のやり取りだもの! ただ、私ははっきりとあんたをあああ愛あああああああ愛しし愛」
「バグったみたいになってる、落ち着いてくれセレメアさん!」
「と、ともかく、私は好意を持って、あなたも、まんざらではない風の反応だった──よね? 距離を取られたりとか、そういうのはなかったと、思って……」
再びぶつぶつモードに突入してしまい、その発言の真意を図ることはできないが。……一年間でまさかこんな綺麗な恋人ができるとは思ってもみなかった。やるなあ異世界の俺。
発言にはやや怪しい部分もあるが、ここは異世界、異文化である。当然恋人の仲というのも、現代的なものより、やや奥ゆかしく察することが重視されるものなのかもしれない。同じ宿屋に泊まっているのも恋人同士なら──いや、恋人同士の関係に詳しいわけではないが、それなら同じ部屋にならないか? いや、だから奥ゆかしい文化故に別の部屋を……と、そこで別の疑問に気づく。
「なあ、ベルと俺はいったいどういう関係なんだ?」
名付けたのは俺らしいが。
「大変なことになってたベルをミナトさんが救ってくれたんですよ。そんな大事な思い出まで忘れるなんて、よよよ」
大げさとも思える身振り手振り飛び振りで悲しみを表現するベル。そうは言っても覚えてないし、とは言えない、ごめんとパンを差し出せば、ケロッとして食らいついていた。
「ともかくそれからずっとミナトさんと旅をしてます、で、途中でセレメアさんや、クルクスさん、それに」
「待ってくれ、他にも仲間がいるのか?」
「そうですよ? 今他の人は用事でそれぞれ地元とかに帰ってるので、ベルとセレメアさんとミナトさんの三人旅ですけど」
「一年で随分と交友関係を広げたなあ、俺。その中で失った記憶を取り戻せる……魔法とか使える人はいないか?」
「どうでしょう……ベルも魔法が詳しいわけじゃないですけど記憶をどうこうするっていう魔法は聞いたことないですね……一番魔法が得意なのは」
ちらりと、ベルが視線を送ると、いつの間にか復活していたセレメアさんが考え込んでいた。
「私の頭の中の魔導書にも、記憶を奪ったりとか改変したりとか、その逆をする魔法なんていうものはないわね。強いて言うなら性格を捻じ曲げるとか、認識変更魔法とか、そういうのが近しいけれど──それでも一年分の記憶をどうこうするっていうのは難しいわ、ミナトはこの一年間以前の記憶は存在するのよね」
「ああ、人並みに思い出せる」
「魔法で頭をいじるなら、まとめて歪ませるのが基本だからね、やっぱり魔法のセンはない。一年分だけ失うなんてそんな細かいことができるのは神様くらいなもんよ。と、なるとやっぱり怪我とかのショック? でも」
いつの間に取り出したのか、彼女の手には四十センチほどの木の枝、色とりどりの宝石が埋め込まれているものが握られている。彼女がそれを軽く降ってなにかを呟くと俺の身体が柔らかな、蛍火色の光に包まれる。
「今、調べてみたけれど目立った外傷はない。健康体ね、体重も身長も変わってないわ」
体重身長を測る意味があるのかは分からなかったが、どうやら魔法をかけられたようだ。少しテンションが上がる。
「私が医者ならもっと細かい部分でなにかを見つけられるのだろうけど……ごめんミナト、何も分からない」
「セレメアさんのおかげでとりあえず命の危機とかは無いってわかったし、魔法も体験できて十二分だよ。それで、こっからはセレメアさんとベルにお願いなんだけれど」
「ちょっと待って、その、呼び方。私も、呼び捨てでお願いしたいの……別に今のあんたを否定するわけじゃないけれど、その、違和感があって、むず痒いのよね」
「分かったよ、セレメア──恋人なんだもんね」
少し気恥ずかしいが、まあ、ベルも呼び捨てだったし。異世界で俺はグイグイ行くことを覚えたのかな?
「──破壊力やばいわねコレ、あとなんか、胸も痛いわ」
「どうしました? セレメアさん、お胸また凹みましたか?」
「またって何よ!」
「それで、セレメア、ベルにお願いなんだけど、記憶を取り戻す手伝いをしてほしいんだ」
こちらでも同じポーズを取るのか分からないが、頭を下げる。
共に過ごした記憶を失った異世界人。字面にすればより伝わる、とんでもない厄介者だ。ましてや、話している限り、原因は不明で手探り状態。
けれど。
「そんなの、別に頭まで下げることないわよ。あんたが困ってると思ってるなら私達はいつだって助けるわ」
「そうですよ、ベルもセレメアさんも、ミナトさんとはずっと仲間で、色々と乗り越えてきたんですから!」
何を当たり前な、とでも言いたげな顔で二人は返してくれた。
その言葉に、態度に、ここにはいない「ミナト」の姿を感じる。どうやら「ミナト」は一年間、きちんと信頼を、交友を築き上げたのだろう。まだ、自分のことのようには思えないけれど、誇らしいとは思う。さっき口にしたときよりも強く、記憶──「ミナト」を取り戻そうと感じる。優しい二人のためにも。
「ありがとう」
「それに、私とあんたはこここっこ、ここ恋こここっここ……あ」
音飛びからフリーズしたので不安を覚えどうかしたのかと声をかける。
「記憶を取り戻すいろいろをやる前に、まずクエストをやらなきゃいけないわ」
「クエスト?」
「そう、私達はクエスト──仕事を依頼されてここに泊まっていたの」
ごそごそと、腰についた収納から彼女は紙を取り出す。
「ドラゴン退治、終わらせなきゃね」
どうやら戦い方を忘れた俺の異世界での初戦闘はドラゴンらしい。
最悪の場合、失った記憶は走馬灯で思い出すことになるかもしれない。