『Arrive:到達』
2030年8月14日
その日、国際VR技術運用センターは全世界同時中継による記者会見の準備に追われていた。
「技術長、中継の開始まであと10分です。」
ひとりの女性職員が告げる。技術長と呼ばれたその男はよれた白衣に身を包み、無造作に切られた前髪から鋭い切れ目を覗かせ、手にしたスピーチ原稿に目を通しながら、
「はぁ、なんで僕が記者会見なんか…もっと適任な人いたでしょ。だいたい僕は人前に出るのが苦手で…」
と、弱音を吐いていた。するとすかさず女性職員がまくし立てる。
「まったく、技術長のあなたがそんなこと言ってどうするんですか!心配しなくてもあなたの作った物は、必ず世界に認められます。アレはこれから万物の基礎になるでしょう。断言できます!」
ここまで言われると悪い気はしない。
「はいはい、ありがと。」
照れを隠すため、あえて素っ気ない返事をして彼はその場を後にした。
会見の席に着くと、中継までのカウントダウンはあと1分に差し迫っていた。あせあせと白衣の襟を正し、髪をこねくり回す。そして軽く呼吸を整えて、開始を待つ。
彼は元より人前に出るのは得意ではなかったが、その時ばかりは自分の研究が成就し、世界に認められるという幸福感で胸がいっぱいだった。
気がつくと手元のモニターがカウントダウンを始めていた。モニターの数字が10…9…8、と減るたびに彼の胸の高鳴りは一層大きくなる。
そして、
3…2…1…ーーーー
2030年8月14日
その日、世界は1つの区切りを迎えた。仮想現実と現実が歪に混じり合う始まりの日。
会見中の国際VR技術運用センター技術長、桜目 数海の暗殺を皮切りに、混沌は全世界に波及していき、今日までの人類史に多大な影響を及ぼしている。
彼の遺産である『unfinished road』と名付けられたそのシステムは、従来のVR技術に革新をもたらした。今まで不可能とされていた仮想現実での五感への刺激の再現を可能にしたのだ。
これらのシステムを基盤とした様々なサービスが現れ、それらによりスポーツや観光、対人間でのコミュニケーションなどを仮想現実で行う人々が急増し、仮想現実はもはや生活に欠かせない物となった。
その中でもとりわけ、若者を熱狂させていたのは、桜目自身も開発に携わった『OVER WORLD』というVR技術を応用したVRMMO RPGだった。プレイヤーは全世界で8000万人以上にも達し、ゲーム内アイテムは時に巨額なリアルマネーで取り引きされることもある。巨大なギルド間での抗争となると、ネットニュースで取り上げられることも珍しくなかった。
若者達の第2の生活領域といっても過言ではない『OVER WORLD』。そんなゲーム内で、昨今プレイヤー間でまことしやかに囁かれている噂があった。電子の海を漂う、真偽不明な都市伝説ーーー
「桜目 数海が生きている。」ーーー