シー・レモン
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
さ〜て、お待ちかねの唐揚げが来ましたよっと。ちゃんとレモンもついているな、よしよし。
んじゃまあ、レモン汁による絨毯爆撃始めちゃうぜ? 「ダメだよ〜」という人は先に小皿に隔離しといてくれよ。やるぜ〜。
ふう、3時間食べ放題コースだってのに、1時間でちょっと飛ばしすぎたかね。アルコールと一緒だと、ついつい箸が進んじまう。
みんな〜、だいじょぶか? まだ食えそうか〜? 炭水化物、まだ頼んでねえぞ。
トイレは……まだ空かないか。届いてねえものもちらほらあるしな。
よし、ここはひとつ俺が昔話でもしてやろうか。さっきの唐揚げにもついてきたレモンをめぐる話だ。
近年、唐揚げやサンマとかにレモンを添えることが増えているのは、周知の通りだ。研究が進んで、脂質の代謝に有効だというのが分かってきたそうだが、他にもレモン汁は航海のお供だったという。
数ヶ月寄港しない新しい航路の開発時、多くの船員が壊血病で犠牲になった。乾物や塩漬けの食べ物ばかりで、ビタミンCが足りなくなったことが原因らしい。そこでレモンを試したところ、壊血病による死者が大幅に減ったということだ。
そのレモンが日本の土にうずめられたのは、明治に入って数年後の話だという。静岡県に始まり、和歌山県へ。そして広島へ苗木が届けられたらしい。それまでには実に四半世紀の時間がかかったんだとか。
当時の瀬戸内海では、海難事故が頻発していた。というのも、春先から梅雨にかけて霧がかかりやいのが、この地域の特徴。
その時期の船舶同士の衝突は以前よりたびたび報告されていたんだが、その霧が夏場の数ヶ月をのぞき、年中発生し続けることがあったとのこと。
更に奇怪なのは、その中で消失した思しき舟と船員たちは、本州にも四国にも流れつかず、行方不明になってしまうんだ。
渦潮などの影響で、またたく間に海底へと引きずり込まれたにしても、あまりに多い報告件数に、気味悪さを覚える者も多かった。
それでも現代ほど騒がれずに済まされた要因のひとつは、ひと家族当たりの人数が多いことが挙げられる。
当時は五人、六人と子供を持つことが多い。そのうちのひとりが消えてしまった時、しばらくは必死に捜すものの、やがて「神隠し」として心に区切りをつけることが一般的だったとか。それが家督を継ぐ、長男などでなければなおさら。
お前がいなくても、代わりがいるってわけだ。
いざとなれば、また新しく作ればいい。彼らの犠牲は自然の脅威、ひいては神様の機嫌を損ねないようにすることを知らしめる、人身御供とみなされた。ヘタに身柄が帰って来ないことも、かえってありがたいことと思われたらしい。
そして、レモン栽培が芸予諸島の各地で行われ出した頃。朝方、広島県のとある砂浜に、巨大な生き物の骨が流れ着いた。
中心を成す骨の長さ15メートルを超える。左右への膨らみを帯びた、あばらに近い形状の骨を伴いつつ、S字に湾曲するそれには、頭、足、尻尾などの末端を成す部分がついていない。あくまで身体の一部分の骨だと解釈された。
そして骨はぐずぐずに溶けかけていたんだ。幾重にも昆布たちが巻きついていたため、昆布に食べられてしまったかのようだ、と多くの人がうわさしたらしい。
一応、付近にあった倉の中で保管しようとしたが、一日足らずで姿を消してしまった。置いてあった床の部分に、白く濁る水たまりのみが残っているのみだったという。
この事態は、一度ではおさまらず、日を置いて何度も起こった。
骨の大きさはまちまちだったが、相変わらず、生き物を断定できる箇所に関しては、かけらも届かない。ほとんど溶けてしまっている状態なのも、同じだ。
サメやクジラなど、該当する生き物がいないかが調べられた一方で、夜中に海を見ていた数名から証言が得られる。
その日の真夜中は、潮が大きく引く時間帯だったという。波打ち際ははるか向こうへ遠ざかっていたはずだった。
ところが、不意に沖合で大きな波が立ったのが、陸地からでも見えたという。すわ津波かと思い、村民へ避難を呼びかけようとしたものの、波は瞬く間に水面へと没してしまい、見えなくなってしまう。この間、わずか三秒に足らなかったらしい。
ややあって向かってきた潮は、先ほどまでの遠慮がちな海岸線と違った。高潮線いっぱいにまでその足を伸ばし、崖下までをすっかり覆いつくしてしまったという。
この時間外れの満潮具合は二度三度と続き、存分に浜を濡らした後で、たちまち引いていってしまう。何が起こったのか調べようと、浜へ降りようとした者がいたが、誰もがすぐに断念した。
片足を砂地の上へつけると、刃物を踏みつけたかのような鋭い痛みが走るんだ。あわてて引き返し、足を見ると、砂に着いた部分の靴底が溶け、肌が真っ赤に腫れているのが分かったという。
その後、改めての満ち潮に乗り、例の骨がたどり着く。この時にはすでに、浜からはあの痛みをもたらす状態から回復していたとのこと。
――波を立てるほどの何かが、日を置いて、空から海へ落ち込んでいる。そいつらが深海に潜んでいた、骨の主たちを食らっている。
村人はそう噂し、船を出すことに消極的になった。
折しも、鉄道の敷設が進んでいた時代。船は島と島の間での連絡用と割り切り、人々は新しい交通手段に、仕事と買い物の可能性を見出していく。
骨が浜に流れつかなくなって、半年が流れた。
海上に春の霧が立ち込める中、ひとりの少女がザルいっぱいのレモンを手に、家への道を歩いている。寒さに弱いレモンだが、昨年から今年にかけて、この瀬戸内が暖冬だったこともあり、冬を越すことができたんだ。
霧と嫌なうわさが立ち込めても、彼女は海を見るのが好きだった。その日もあえて、海を見下ろすことができる道を通っている。
今は満潮の時間帯。霧の中から伸びる波打ち際は、すでに自分の足元近くまで手を伸ばしていた。それに運ばれ、砂上へ取り残される貝殻を眺めるのは、彼女の楽しみのひとつ。でも、その日は都合よくは運ばなかった。
臭い。その日の海は、冬場よりもずっとひどい香りがした。鼻がひん曲がりそう、というのは正にこのようなことを指すのだろう。
鼻腔を通って、その内側がおのずと泡立ち、ぽつぽつと湿疹が浮かんできそうな錯覚を覚える。それほどの脂っこさが、脳内に浮かび上がってしまうんだ。
心なしか、吹き寄せる風も重さを持っているように感じる。もたもたしていると服にも肌にも脂がしみついてしまう気さえした。不穏な気配に足を早める少女だが、すぐにそれは現実のものとして現れる。
いっそう強く、崖にまで打ち寄せた波が、数メートルの高さをあっという間に這い登る。勢いのまま、その場限りの壁となった潮水は、少女を自分の影のうちへと捕らえていく。
彼女が気づいた時には、もう遅かった。ざんぶと頭からもろに波をかぶる、彼女。とっさに息を止めたけど、降り落ちる水圧には勝てず、押し倒されてレモンをザルごと手放してしまう。
来た時と同じように、瞬く間に去っていく波。残されたのはうつぶせに倒れた彼女と、空っぽのザル。レモンはまるごと波にさらわれてしまったんだ。
近くを歩いていた人が気づき、彼女を介抱する。ほどなく彼女は意識を取り戻したけど、レモンがなくなっているのを見て、「お母さんに怒られる」と非常におびえた様子だったとか。
だが、それ以上に。
集まった人々のうち、海を見やった者は、波が引いていく端から、霧も一緒に遠ざかっていくのを見たという。少女が嗅いだ、あの強烈な臭いも、もう漂ってこなかったという。
それからというもの、あのひどい臭いに加えて、満潮時に崖の上にまで届く波が打ち付けることが、しばしば起こった。場所はまちまちで、道路を濡らしても建物までは届かない。
住民は海へ近づかないようになったけど、道路をはさんで反対側。網に囲われたレモン畑のひとつに波の指がかかってしまった時、状況は一変する。
まったく同じ場所へ、同じ高さで、何回も波が降ってきた。他の家屋には、水しぶきひとつ飛ばさないという異様さで。
通りかかった人も、馬も、人力車も、足を止めてしまう中で、囲っていた網を引き倒し、未熟と成熟を問わず、次々にレモンをさらっていく波たち。
それが収まった時、畑にレモンはひとつも残っていなかったという。それからほどなくして、海から漂い続けていた強い臭気は、急激になりを潜めるようになった。
霧に関しても、年内の発生頻度が江戸時代と同程度に落ち着き、あの足裏を溶かすほどの満潮の姿も見られなくなる。
のちに一部の人は語った。
――あの沖合の大きな波。確かになにものかが海へ落ちてきたんだろう。けれども流れついた骨は、そのなにものかが食したものじゃなく、なにものかそのものだったのだろうな。
食らったのは海。きっと腹が減っていたんだな。だからもたれた身を癒すためのものを探す中でレモンに出会い、夢中になったのではないか。
それから数十年。レモンを育てる者の中で、ひときわ出来のいいものはひっそりと海へ捧げることがあったという。
今でも広島県が、国内最大のレモンの産地である理由のひとつだと、聞かされた話だよ。