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願い  作者: 大和
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大役(前編)

第4章「大役」(前編)


 “明智十兵衛光秀”は,天正3年(1575年),信長公の働きかけで朝廷より“惟任(これとう)”に任ぜられ“日向守(ひゅうがのかみ)”を授かり,“惟任日向守”の官位を賜ったそうです。

 信長公は天下を治める為,家臣達に官位賜らせ,日向とは九州の宮崎を指し,まだ統治できていない九州の名族達に睨みをきかす目的があったのではないかと言われています。

 この物語では“明智十兵衛光秀”から“十兵衛”,“日向守”,“明智光秀”,“キンカン”と呼び名を使わせて頂きます。 


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 時は天正7年(1579年)6月,私は明智軍に加わり4カ月が過ぎようとしていました。

 平成ではどのくらいの時間(とき)が過ぎたのかなど考えながら,ここは戦国(かこ)であり,常に命の張り合いが求められます。

 明智軍に従軍し,少しづつ信頼を勝ち取る他に生き残る方法はありませんでした・・・。


光秀 「大和,貴方は我が軍に従いわずかながら武功を立て家臣達も認めつつある。しかし,まだ素性のわからぬ貴方を儂も含め疑う者もおる。そこで1つ,大役を頼みたい!!」


私  「承知仕ります。してその大役とは!?」


ーーー同時期,丹波八上城ーーー


 籠城(ろうじょう)を始めて半年が過ぎ,すでに兵糧(ひょうろう)も底を尽き,餓死者が出始める中,城兵や避難民達は草木や牛馬を食べなんとか餓えを凌ぐ状態で,もはや波多野軍に勝ち目はありません。

 耐えかねた数人の兵が城から打って出ますが,当然のごとく明智軍に討ち取られる有り様でした・・・。


ーーー明智軍ーーー


光秀 「皆,承知の通りすでに波多野の兵達は餓えに耐えかねておる。しかし,なかなか八上城は落ちぬ,そこでこちらから打って出る!!」 


家臣 「ハッ!!してその為の策はいかがなさるのですか?」


光秀 「ウム,ここに八上城より捕らえた兵が数人おる。この兵達の中に大和を紛れこませ,波多野のもとへ送り込むのだ。」


私  「私ですか・・・。」


光秀 「左様,貴方はこれより波多野の兵に紛れ,城内で反乱を起こさせるのだ。中の城兵を味方につけ,“秀治・秀尚”をこちらに渡すよう仕向けよ!!」


 なかなかの難題です。

 断れば首をはねられ,敵の中で疑われると殺されます・・・。

 どちらに転んでも殺されますが,今は十兵衛様に従うしか勝路はありません。 

  

私  「空腹で極限状態にある彼らに芝居は通じないだろう・・・。」

 

 私は決心して波多野軍の兵に紛れ,八上城へと進入しました。  

 

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