別離(前編)
最終章「別離」(前編)
時は天正10年(1582年) 5月末
季節は雨が降り注ぐ梅雨の時期に入ろうとしています。
ーーー羽柴秀吉 陣地ーーー
京よりの報せを受け取った筑前守様は急ぎ“備中高松城”を陥落させる為の策を練っておられました。
黒田官兵衛 「“備中高松城”は田や沼に囲まれた湿地帯で要害の地。然れど近くを流れる足守川に堤を築き,水を流し込めば城の周りは湖となりましょう。さすれば,城の孤立は必須。“水攻め”で攻めるのは如何かと。」
秀吉 「軍師,官兵衛の策か。湿地帯であるが故,足をとられ攻めきれずにおった。その利を逆手にとり攻める・・・,誠,奇策よ。足守川に堤を築く。金や食糧に糸目はつけぬ故,急ぎ堤を築けと兵に伝えい!!」
黒田官兵衛 「御意」
筑前守様の行動は早く,足守川に築いた堤はおよそ10日間程で完成,季節は6月に入り,梅雨の時期を迎え川は増水,流し込まれた水により周囲は湖となり,“備中高松城”は水に浮かぶ孤城となりました。
ーーー備中高松城ーーー
家臣1 「申し上げます。羽柴軍,川に堤を築き,我が城の周りに水を流し込んだ模様。このままでは,城が孤立する次第。」
清水宗治 「我らに利を持つ湿地帯を逆手にとったか・・・。羽柴筑前守秀吉殿,恐れ致した。恐らく,軍師官兵衛殿の策と御見受け致す。然れど我らも毛利の軍,容易に城は渡さぬ。我らは籠城にて徹底抗戦を構える!!」
家臣2 「恐れながら,羽柴軍の使者が殿に御目通りを願い,降伏を促しております。返答は如何なさりますか?」
清水宗治 「兵の事を思わば,確かに羽柴軍相手の籠城で勝路はなき事・・・然れど。使者に伝えよ。降伏はせぬと。」
家臣2 「承知」
家臣3 「失礼仕ります。殿,吉報に。“毛利輝元”様,御出陣。約4万の兵を率いて援軍に来られる御様子。」
清水宗治 「誠か。毛利総大将自ら御出陣とは・・・。皆の者,羽柴軍との戦,耐え抜くのみと心得よ!!」
“水攻め”により陥落を余儀なくされたかに見えた“備中高松城”ですが,兵の士気は今だ高く,さらに総大将“毛利輝元”様の援軍来たる報せを受け,羽柴軍に対し“清水宗治”様は徹底抗戦の姿勢を貫かれていました。
ーーー羽柴秀吉 陣地ーーー
秀吉 「らちが明かぬ。急ぎ京に戻らねばならん故に官兵衛,毛利の援軍が来る前に高松城内に噂を流す。“織田信長”公,数万の軍を率いて播磨国に到着,備中に参られるは間もなくである。急ぎ降伏されたし。と」
官兵衛 「承知。毛利の援軍がまだ来ていない今が好機。急ぎ使者を城に使わせ,間もなく“織田信長”公,数万の軍勢で備中に到着,高松城を攻め滅ぼす御意志との噂を流し致す。」
筑前守様の判断が毛利勢の援軍到達より先に手を打った事で,高松城内は混乱に陥り,又、毛利勢の援軍到着するも周りを湖とかした状況に補給路を絶たれ,いよいよ“備中高松城”は陥落へと突き進みました。
焦る気持ちを抑え,筑前守様は羽柴軍軍師の“黒田官兵衛様”を毛利方の軍僧“安国寺恵瓊”様との交渉に向かわせます。
筑前守様は高松城の城主“清水宗治”様の降伏と毛利領五国(備中,備後,美作,伯耆,出雲国)の割譲で条件を提示。
急ぎ決着をつける為,あえて救援不可能な状況である毛利方に“清水宗治”様の説得に向かわせ,状況を聞きいれた宗治様が返答されます。
清水宗治 「あいわかった。降伏はせぬ。己の命をけじめとし,この戦は終わりと致す。城兵の命は確保し毛利の名を汚さぬよう御願い申し上げる。」
申し出を聞き,割譲を五国から三国(備中,美作,伯耆国)とし,羽柴軍と毛利方での和睦が成立。
翌日,“備中高松城”の周り湖に浮かぶ小さな小舟を羽柴軍と毛利方の大勢が見守っています。
『浮世をば今こそ渡れ武士の名を高松の苔に残して』
小舟にて辞世の歌を残し,曲舞を舞った“清水宗治”様は潔く自決。
ここに“備中高松城”は陥落,そして筑前守様率いる羽柴軍は急ぎ京に戻る為,“中国大返し”を行う事になります。




