衝突(後編)
第9章「衝突」(後編)
“丹羽長秀”様に引き継がれ,織田家の勝利を祝い,“松平元康”様を招いた祝賀は残りの日程を終え,再び信長公の天下取りが幕をあけます。
しかし,信長公と十兵衛様の間に“衝突”が起こり,両者の中に少なからず亀裂が生じたのは明らかでした。
祝賀での失態を問われた十兵衛様でしたが,これまでの功績を称え,自決は避けられます。
急ぎ,備中に向かい,筑前守様の援軍として加わる旨を言い渡され,出陣の準備に追われていました。
ーーー近江 坂本城ーーー
光秀 「此度の祝賀,皆の恩力を無駄とし,失礼致した。が,下した決断に悔いは無し。“天下布武”は親方様にしか成せぬ,それ故親方様は偉大な御方。儂は“天下泰平の世”と“幕府再興”を夢見ておる。一度,三河守殿と末長い幕府の構築を語りおうた。三河守殿は,忍耐強く器の大きな御方,いつかは天下人となる御人と見た次第。三河守殿にはいずれ乱世をまとめて頂く為,無き者とするべからず,“金ヶ崎退却”の御恩も健在,故に御助け致した限り。」
明智秀満 「殿の御決断とあらば致し方無し。家臣一同,殿の御意志に従うのみ。」
斉藤利三 「誠,殿の御意志に従うは家臣の務め,斉藤利三,此より四国に渡り,長曽我部殿と話し会うて参ります。」
光秀 「親方様は御決断されれば,その御意志を曲げぬ御方故,長曽我部殿に折れて頂く他無し。難題を言い渡すは承知,織田家との争い避けれる要,すまぬが利三,長曽我部殿を頼む。」
斉藤利三 「御意」
光秀 「して大和,貴方にもすまぬ事をした。祝賀の御膳,苦労をかけさせたが,申し訳なき事と思い致す。」
“明智秀満”様より事の次第を御聞きしていた私は,十兵衛様の御決断に異を唱える事は出来ませんでした。
見過ごせば出世は確実のはず,見過ごさねば“三河守”様が無き者とされる。
信長公に楯突けば謀反の心得有りと,自決を迫られ御家断絶もあり得る事。
主従の関係に悩み,明智家を御大事にされ,家臣を想う,領土の民と生き,民の心に触れようと努めておられる姿,人故に野心も有り,人を妬み,憎み,嫌う事も有るがこれが“明智十兵衛光秀”様という御方であると感じていました。
ここから私が“十兵衛”様と呼んでいたのを“日向守”様に代えさせて頂きます。
私 「“明智惟任日向守”様の御決断,御見事と心得ております。乱世の世に,まして信長公に刃向かえば,御家断絶,自害は避けれぬ事。“三河守”様御助けの為,謀反の心得有りとした姿,感服致しております。」
光秀 「ハハ,いつか,貴方とも,先の世の事,語りたいわ・・・。」
私 「日向守様・・・。」
光秀 「さて各々方,祝賀の話はこれまで。筑前守殿の援軍要請に応え,明智軍は備中に向かう。出陣の用意にかかられたし。」
家臣一同 「オッーーーッ!!!」
安土城より信長公の使者が到着,日向守様は安土城に出向き,毛利勢攻略と筑前守様の援軍に向かう正式な辞令が下されました。
ーーー安土城ーーー
織田信長 「日向守,筑前守の援軍に出向き,筑前守総代将とし,そのもとで毛利勢攻略を命じる。」
光秀 「御意(明智は羽柴殿のもとにつくべしと・・・,致し方無し。)」
織田信長 「さらに,これまでの領地,“丹波,近江坂本”を没取。新しく,“石見,出雲”を与える。以上。」
光秀 「“丹波,近江坂本”を没取・・・,その上で“石見,出雲”は今だ敵地の領地に・・・。」
織田信長 「日向守,領地は切り取るもの,筑前守のもとで西に進軍し,領地を切り取るべし。」
光秀 「然れど,“丹波,近江坂本”は・・・,」
織田信長 「“石見,出雲”が新たな領地,以上。」
信長公は支配した領地に配下の大名を置き,次の領地が出来ればそこに移す,今でいう会社組織の支店長的存在を配下の大名に求めておられました。(一見,理不尽な領地変えに思えますが,元々名家の出と言われそ真面目ながら誇りの高い光秀が相反する性格の秀吉の元に従軍させるなど不満を持つのは当然と考え,毛利攻めに際し,秀吉は山陽道[今の兵庫県中南西部から岡山県辺り]を光秀に山陰道[兵庫県北部から鳥取,島根県辺り]を攻略するように命じ,信長公は秀吉と光秀に対し,気配りを見せたのではないかと私は思えます。)
此れに対し,日向守様は領地を支配と考えず,当然,国を成り立たす為,領民に“税金”を必要としますが,そこで治水工事を行い,土地を潤す努力など,民の心に触れ,己もこの領地と共に生きようされたのです。
信長公の同じ所に留まらず,開拓して行こうとする御意志がなければ発展は望めません,又,日向守様の領地と領民を大事にする御意志も大切な事。
信長公との考えの違い,残虐な一面が日向守様をさらに苦しめ,悪い事は続きました。
日向守様の重臣,“斉藤利三”様が四国に渡られた時には,“長曽我部元親”様の御耳に“織田軍の四国征伐”決定の一報が入り,服従の姿勢を見せていたがそれも限界に達し,“信長公”と“長曽我部元親”様の両者の対立も避けられぬ事となります・・・。




