衝突 ~謀反の心得有り~
第9章「衝突」 ~謀反の心得有り~
羽柴秀吉 (「明智殿,松平殿,“金ヶ崎の退き口”双方への御恩,これにて御返し致した。」)
祝賀より前,“丹羽長秀”様より事の次第を賜った十兵衛様は書状を御用意,急ぎ備中の羽柴様にあて使者を使わされます。
幾日も走り続け,敵襲を回避,度重なる死線を凌駕するは容易な事にあらず,羽柴様のおられる陣地に辿り着いた時,書状と十兵衛様の御意志を御伝えした使者は力尽きました。
使者 「失礼仕る,“筑前守”様,“明智惟任日向守”様より急ぎ御伝えする事ありて,参上致した次第。書状,『此度の祝賀,“三河守”様を無き者とせん信長公の御意志有り,故に“日向守光秀”,此れを阻止せんと信長公に謀反の心得有りと致す。筑前守様には芝居打って頂きたく御頼み申す。』と・・・」
羽柴秀吉 「誠の御意志か!?」
使者は力尽き,返答は帰って来ません。
羽柴秀吉 「明智殿,儂は織田家における貴殿の存在,余り良く思うておらなんだ。が明智殿は幕府復興を夢見,邁進しておられた。その姿には感服致す。親方様の“天下布武”こそ全て,しかし儂にも野心有り。明智殿は真面目過ぎる。」
羽柴家臣 「いかがなさるか!?」
羽柴秀吉 「“金ヶ崎退却”,親方様御守りの為,織田軍の殿を引き受けた。儂の軍勢だけでは迫り来る“浅井・朝倉軍”に虫の息は必須。最早,死を覚悟した儂のもとに“明智殿”,“松平殿”は参られた・・・。」
ーーー元亀元年(永禄13年)1570年ーーー
尾張を治め,駿河の“今川義元”を破り,美濃を統治し着実に勢力を拡大した信長公は京に上洛。光秀の働きかけで室町幕府15代将軍“足利義昭”と謁見。落ち延びた存在であった足利義昭にとって再び室町将軍に戻れる事は望む限りであり信長公もまた自身が将軍を立たせる事で絶大な力を持ちそして自らが畿内を統治するべく存在であると見せつける為,各国の大名達に京に上洛せよとの書状を送ります。(当時の天下を治める事は京をはじめ畿内を治めた者であったそうです。)信長公の力を見て上洛する大名達が集う中,新参者に従えるはずが無いと古き名家の大名はこれを拒絶。名家である越前の“朝倉義景”も信長公の再三の上洛を拒み,上洛を拒んだ“朝倉義景”を討つ事を決定。信長公率いる織田軍は越前に進軍を開始。当初,優勢を保っていましたが,織田家と良縁を築いた“浅井長政”の裏切りに会い,南から浅井,北から朝倉,と織田軍は逆に挟み撃ちを狙われ窮地に陥りました。
(詳細はわかりませんが,“浅井長政”は結果裏切った事になるものの,古くより浅井家と朝倉家は深い縁にあり,浅井氏は信長公と良縁を築く中,“朝倉氏への攻撃は控えて頂きたい”と御約束を交わしていた模様。先に御約束を破棄,越前に攻め入った信長公に裏切りを決めたとの見方有り。)
織田家臣1 「親方様,一大事に,“北近江,浅井長政”殿,朝倉氏に寝返った御様子!!」
織田家重臣 「何を申す,浅井家は織田家と同盟関係にあるぞ!!」
織田家臣2 「伝令,浅井氏裏切りの噂有り!!」
織田家重臣 「戯れ言を申すな!!」
織田家臣3 「申し上げます,“北近江,浅井長政”殿,朝倉氏に加担致した御様子,織田軍を挟み撃ちにする次第!!」
織田家重臣 「誠か,・・・親方様,」
織田信長 「長政,裏切りるか。前門の虎に後門の狼,・・・日向守,この次第どう致す!?」
光秀 「浅井氏と朝倉氏は縁が深い中,
裏切りも無き事にあらず,此度は撤退すべきかと。」
織田家重臣 「朝倉に優勢を誇る織田軍が撤退など,有り得ぬ事!!」
光秀 「北と南から織田軍は挟み撃ちに会う。浅井氏の寝返りを見て,朝倉氏は息を吹き返したやもしれん。このような僻地で防戦は不可能。」
織田家重臣 「このまま朝倉の本陣をつけばよい事ではないか。」
光秀 「失礼は承知,見方が甘いと心得る。前を倒せど,後ろは脅威。両方同時に戦うのは得策にあらず。撤退も又,戦ではござらぬか。」
織田信長 「日向守に一利有り。此度は撤退と致す。」
秀吉 「親方様,撤退にあたり,“木下藤吉郎秀吉”織田軍の殿を御任せ頂きたい所存。」
織田家重臣 「木下殿,誠を申すか!?殿は落命と心得えての事か!?」
[殿・・・戦にて自軍が撤退を決めた際,敵軍から自軍の大将格を逃がす為,自軍の最後尾を守る囮の役目。誇り高い役目であるが,少数で大軍の敵を相手にするので落命の可能性有り。命をかけた役目となる。]
秀吉 「誠の事と心得ての申し出。殿を務めるは藤吉郎に御任せ頂きたい。」
織田信長 「藤吉郎,殿を任す。敵を食い止めよ。“浅井・朝倉”必ずやを根絶やしにしてくれるわ!!」
秀吉 「親方様,御無事で。」
織田信長 「日向守,生き延びよ。聞きたい事がある!!」
光秀 「御意。(やはり,上様のいらぬはからい故の事)」
[上様(将軍,足利義昭)が信長公を良く思わず,織田軍の内密な越前攻めを“浅井長政”様に密告。此れにより浅井氏は裏切りを決意。と私の独自な見解です。]
ーーー金ヶ崎退き口ーーー
秀吉 「儂の命もここまでか。“木下藤吉郎秀吉”,天下にその名を轟かせたかったが致し方無し・・・。」
家臣 「殿(秀吉),まもなく朝倉の軍勢が参ります。」
秀吉 「あいわかった。皆の者,ここを死に場と心得えよ!!」
家臣 「オッーーーッ!!!」
木下様の軍勢は必死に戦われますが,殿として残った軍勢は僅か。多勢に無勢。しかしそこに,十兵衛様の明智隊と三河守様の松平隊が合流。木ノ下様は急死に一生を得られたのです。
秀吉 「何故,戻られた明智殿。それに松平殿。」
松平元康 「ハハハ,お恥ずかしい。撤退の知らせを聞かず,逃げ遅れたまでの事。木下殿が殿を任されたと耳にし,元康も御味方致す所存。撤退は生き抜く度胸が肝心。命を捨てる覚悟は無用である。」
光秀 「浅井氏の裏切りは上様(足利義昭)の仕組まれた事と心得る,故に木下殿が落命されたとあっては明智の名折れ,親方様に顔向けできん。明智隊も御味方致す。」
木下様の決断,十兵衛様の奇策,松平様の度胸により”金ヶ崎 退き口“にて織田軍は撤退に成功。朝倉軍の猛追撃に一度,明智隊が打撃を受け十兵衛様は瀕死の状態に追い詰められますが三河守様の松平隊による果敢な奮闘で命を救われます。十兵衛様はその時の御恩を深く心に刻まれておりました。その後,信長公は“姉川の戦い”にて“浅井・朝倉軍”を破り,この時の“金ヶ崎の撤退戦”が木下様の名を轟かせる事になります。
話は戻り,ーーー
羽柴秀吉 「明智殿,松平殿とは今一度話がしたいわ。明智殿の謀反の御意志,わかりかねるが芝居を打つ。至急,安土に使者を使わす。“羽柴筑前守秀吉”,毛利勢に押され播磨まで撤退。勢い付いた毛利勢,播磨に攻め寄せる兆し有り。“明智惟任日向守”殿の奇策を願う故,援軍くれたし。」
筑前守様が使わす使者は半月後,安土に到着,事の次第は織田家家臣に引き継がれ,祝賀の間に伝わる事となりました。




