鐘を鳴らす者たちは
抉れた荒野には貴族の私軍とファルド軍との衝突の痕が点在し、少し離れた先の岩場には死体が点々と転がっていた。
「おい、あれ、」
「?、第九師団か?」
禁色の黒色が目の前を駆け抜ける。かつてその色を最大の味方としていたエールダー軍の若い兵士は、過ぎ去った黒馬犬の乗り手に、弓を射かける事を躊躇った。
主への忠誠に、ファルド帝国を敵として戦ってきたのだが、想定通りの劣勢となり、自軍は壊滅状態となっている。その中、よろりと戦場で立ち上がった兵士達は、道無き荒れ地を駆け抜ける黒の馬犬と黒服の男に注目した。
「第九師団か?、敵だ!!」
「待て、見ろ、あれは当主、エールダー大将ではないのか?、」
「大将は今、オーラ城にて敵と交戦中だ、こんな所に、居るはずが無い!」
ーー「おかしい、あれはエールダー公では無い!」
「団長!、東方向から、未確認の人馬犬が一騎!」
誰かが指を差した方角には、黒髪に褐色の肌の男が走っている。かつての同胞であるエールダー公家の私軍、ロールダートが率いた第三師団の兵士と斬り結んだのは、ファルド帝国第四師団の騎士団長であるウェルフェリア・ソアル・ディルオート。
「東方向、その道は我が第四の陣、敵の後方支援はあり得ません」
「いえ、それよりも東、山道よりも崖側の方から一騎、どの隊か、隊章が不明です」
「ならば仕留めろ。我らの戦場域に於いて、不審者を素通りさせては連合の者どもに笑われる」
「団長ディルオート!来ました!!」
「!!?、」
ーーガガッ!!!
大きな岩場を弓を躱して飛び降りたのは黒い馬犬、騎乗する者の顔を見て、敵味方関係なく動きを止めた。疾走した者は、その場の誰しもが目にした事のある、自国の英雄とされる男。
「まさか!!」
「オルディオール?、英雄、あれは、オルディオール殿か!?」
「見て下さい!彼の腹部に、前に、あれは、巫女様ではないですか!?」
傍からは双眼鏡を手にした、部下の悲鳴のような叫び声。過ぎ去った男の内側に隠される様にあるものは、黒髪の小さな子供にも見える。
「そんな、」
あちらこちらで敵味方から同じ様な言葉が聞こえる。エールダー、ファルド、両軍にとって〔英雄〕である男の姿を、夢か幻のように見送った戦場では、彼らが通り過ぎた後、誰しもが戦いの手を止めて呆然と立ち尽くした。
ーーガシャアンッ!
二階の大きな窓辺から城内に飛び込んできた黒い馬犬。魔戦士との戦いに傷付き疲弊した者達は、突然窓から侵入してきた黒い陰に驚愕した。黒い馬犬に騎乗する男の姿は、ファルド軍では第九師団の隊色と同じ黒。だが該当するエスク・ユベルヴァールではない見慣れない褐色の肌の男は、相乗りに小さな黒髪の少女を乗せている。
〈・・・・〉
『・・・・』
「あれ、巫女様ではないのか?」
「誰だ、あの男は、どこかで見たことがあるような」
「巫女様は、ご無事なのか?奴に捕らえられているのでは?」
ざわざわと人が集まり馬犬上の人物に注目する。その中の一人が、記憶の正体に気付いて指をさした。
「エールダー公だ、あれは、オルディオール・ランダ・エールダー公だ!!」
王城の広間に飾られる絵姿。エールダー公家の大広間に飾られる絵姿。更には軍から国民に配布された回覧、王立図書館など様々な場所で目にする事が出来る、かつての英雄の転写絵の中のオルディオール。まさにその姿が目の前に佇む。
「英雄オルディオールが、巫女様をお連れになった!」
〈・・・・〉
兵士達を見下ろす金朱の瞳。廊下や階段で未だエールダー公家の私軍と戦う者達も、ざわざわと伝わる言葉に驚き手を止めて口を開ける。
黒い馬犬がゆっくりと歩き近寄ると、自然に兵は道を空けるために人垣は裂けて行く。そして間近で男の顔と少女の顔を確認すると、兵士達は確信にオルディオールと巫女を指さし名を呼んだ。
「オルディオール!英雄オルディオール!」
「英雄!!天上の巫女様!!」
大階段を駆け上がる黒い馬犬。騎乗する英雄と巫女が通り過ぎ、それを歓声で見送る兵士たち。彼らが過ぎた後には、同胞で争う事に意味が無いと言われたように剣は降ろされていく。
建国の誓約により突き動かされたエールダー軍と、それと戦ったファルド帝国だが、今までは自国の良心として存在していたエールダーの、突然の離反に戸惑う者が殆どだったのだ。
砂塵が風に流れて、錆び付いた臭いが通り過ぎる。狂気の熱気が拭い去られた戦場の後には、広大な荒れ地と同じ空虚感だけが残される。
ーーーー・・・・。
「・・・・晩鐘、?」
幻の英雄と初めて目にした天上人、剣を降ろして彼らを見送った兵士たちは、夕暮れの鐘の音がどこからともなく響いてきた事に気が付いた。「また明日」を願い、過ぎ去る現在に別れを告げる。天教院が夕暮れ刻に鳴らす鐘の音が、ぼんやりと立ち尽くす兵士たちの間を静かに通り抜けた。
ーーーー・・・・。
崩れかけたオーラ城、天上の巫女と英雄オルディオールが入城したその夜、兵士たちの心も身体も疲弊させた長い戦いは、遂に幕を閉じた。
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オーラ城陥落。城内で戦う、オーラ軍の主力戦力であった魔戦士部隊と魔法士部隊は壊滅した。ファルド帝国から離反したクルースト、ロールダート、そしてエールダーは敗北し戦死者が多数となる中で、〔幻の英雄〕が通り過ぎた戦場域、戦意を失った者たちは捕虜となり拘束された。
今後は甚大な被害を出したファルド動乱により、帝国内の勢力図が大きく変わる。各国が慌ただしく動き回る中、トライドに駐留するガーランド軍は、戦死したガーランド兵と天竜の祭場とすると主張しオーラ城跡地の空中庭園を占領した。それにより再びファルド帝国とガーランド竜王国の緊張は高まるが、その中、天上の巫女が天へ帰還するという情報が各国を駆け巡る。
「巫女姫がオーラ城にて、統轄団長と共に魔戦士と戦い、反乱軍首謀者のエミー・オーラを討伐したが、重傷を負われた」
ファルド帝国に待機した貴族院。そこでは戦場に行かなかった者たちが、議場で戦後の方針を議論する。挙げられた第一の議題には、全ての国が自国の者だと主張する、小さな黒髪の少女の事だった。
「そもそも、なぜ我が国の巫女姫を、ガーランドが独占しているのですか?」
「厄介なことに、巫女姫をガーランドが独占しているとは、言えない状況なのだ」
「まさか、〔東大陸和平条約〕ですか?」
「そうだ。現在、我が国の巫女姫と共に、統轄団長を始め、重傷者がガーランドの飛行部隊により、トライドに運ばれ治療を受けている。あの国は今は、和平条約により中立国として独立しているのだ」
「だが現状は、ガーランドが軍を配備しているではありませんか!」
「しかもその場には、エスクランザの神官師団も陣を張る」
「だがそれを認めたのは、我が皇帝陛下。そして勧めた者は、当の天上、巫女姫なのだ」
「我が軍の負傷者も治療することにより、あくまで連合軍として中立の立場だと主張しているが、結局はエスクランザ国もガーランドの属国と変わりは無い。その国の大神官が巫女姫の帰還の日取りを、何故取り決めるのだ?」
「しかしこれには我が国の天教院の大神官も、皆が強く賛同しているのです。天上の、天への帰還を妨げてはならないと」
天教院の古い経典には、天上人の空への帰還を妨げると、天の騎士団が群れを成し、地上を攻撃するという章がある。それを各教会の神官は、派閥を越えて巫女の帰還を阻むなと、同じ忠言を議会に上訴している。
「〔ゴード・セブ〕か。第一の晩鐘により地上の人々の三割が死に、第五の晩鐘により害虫の大群が田畑に押し寄せる」
「そして第七の晩鐘により天との誓約は破られて、天上が地上に落ち、この世の全てが死に絶えるのか?、ははは!経典に記された天からの攻撃など、信者用のお伽話、所詮はただの迷信だ」
笑い飛ばした中年の議員。だがそれに、敬虔な天教院の信者でもある議員は眉を顰めて嗜める。
「だが実際に、空から落人は落ちてくる。天上は本当に在るのだ。そして巫女姫も天から来たのだと、ヴァルヴォアール統轄団長が証言しているのだぞ」
「いずれにせよ、巫女姫を取り戻せれば、天上についての情報が得られるのだ。ゴード・セブについては、それから話し合えばよい」
騒然とした天空議場。そこでがたりと立ち上がった男に、議員たちは口を噤んで畏まる。常日頃、年若い皇帝アレウスを宥め賺す、普段は温厚なエスティオーサだが、議員長の立場でその場に強く命令した。
「メルビウス副団長の召喚を!ヴァルヴォアール統轄団長が負傷中の今、一刻も早く巫女姫を我がファルド帝国にお連れするのだ!絶対に、他国に奪われてはならぬ!」




