天の眼(4)
魔戦士が現れたという警報が出て、人の居なくなった町の宿で一泊し、預けた馬犬を連れ出すと次の町へ移動する。隣の小さな村は同じ様に不自然に人が居なかったが、少し離れた村には露店に人が立っていた。
〈ここには美味いもの、何があるかな?〉
〈ここには美味いもの、魚かな?〉
〈そうだな。ここも海に近いから、新鮮な奴が居そうだな〉
大きな集落ではないが、夕暮れ刻にも屋台が出ている。食事の為に立ち寄ると、焼き魚が数本と焼き貝が卓に並んだ。
〈美味いもの、私はこれを使いなさい〉
〈?〉
少女からたまに発せられる命令言葉は、自分自身にも使用される。それを笑うセルドライの目の前で、メイは魚から串を外すと二本を片手で器用に操った。それで皿に乗った魚を骨から解すと、『オハシ』と二本の串に名前を付けて満足そうに微笑んだ。
〈オハシ?ちょっと貸してみろ〉
手を差し出すと乗せられた二本の串。生意気な顔で笑う少女は、『ムリムリ』と恐らくは侮辱を繰り返す。見よう見まねで魚を突いてみたが、突き破られた薄い身を二本の串で挟む事がなかなか出来なかった。
〈うーん、試してみたが、俺には難しい〉
『・・・・、!』
セルドライの言葉をいつも慎重に聞いている。ガーランド言葉を積極的に学習中のメイは、聞き覚えのある言葉に頷き繰り返した。
〈お前を愛を、試しでやする〉
〈・・・・・・・・ああ、〔お前の愛を、試してやる〕って言いたいのか?〉
〈試してやする〉
〈わかったわかった。それはもう、お前からは・・・・、〉
『?』
少女は男との会話に満足して器用に魚の身を摘まむ。何かを思い出したセルドライは宙を見て、それから露店の店主に酒を頼んだ。
ーー〈じゃあ帰ってきたら、指輪をくれる?〉
ーー〈はあ?指輪?〉
ーー〈買ってきたものじゃ嫌よ。お父さんかお母さんから、引き継いだやつ〉
ーー〈・・・・お前こそ、俺が帰って来るまで待てるのか?〉
ーー〈待たせすぎたらどうかしら?ファルドなんて、やっつけるのなんて簡単でしょう?〉
ーー〈当たり前だ。一瞬だ〉
ーー〈そうよね。早くしてね。・・・あんまり長く、待たせないでね〉
ーー〈はは!、お前の愛を、試してやるよ。もちろん待たせない。・・・直ぐに帰ってくるから〉
ーー〈気を付けて、
***ルト。いってらっしゃい〉
記憶に過ぎったのは誰かの求婚。名前も知らない女と、会話をしたのは自分だったかもしれない。朧気な輪郭の女と、直ぐに脳裏から泡のように消えた声。それを追いかけるように酒を流し込んでみたが、匂いに雰囲気を味わうだけで酔うことなど無かった。
〈・・・・・・・・〉
『あ、*ルットニイケタ!、*レナイ、』
無言になったセルドライの横で魚を食べていた少女は、焼いた貝の食べ方が分からず苦戦している。
〈貸してみろ。先ずは押さえてこの貝刺し枝を刺す。ここから中の身を、くるりと引き出す〉
『ああ、ゥカシンミデ、タビタアレ、イテル』
〈・・・・・・・・〉
聞き慣れない少女の言葉は、天上の国のものらしい。思い出せない女の声が完全に消え去ったセルドライは、ぱくりと貝の身を口にしたメイが、弾力に負けていつまでも同じ物を噛み続けている事に笑った。
〈ウルの身は、その歯応えを楽しむんだけどな。お前は負けすぎ〉
『オム、モメァイ』
〈そのまま飲むなよ。貝に負けたら飲まずに出せ。窒息するぞ〉
吐き出せと皿を示してみたが、少女は首を横に振ると暫く格闘していた。だが最終的には貝に負け、噛めなかった身を出して、恥ずかしそうに皿を押しやった。
『ヤクニクヨウショク。・・・チカウカ・・・』
『ヤクニクヨウショク?』
『ジャ、ジャ、ジャクニク』、
〈弱い肉、強い肉〉、
『・・・・オニク?、チカウカ、』
〈・・・天上の言葉か、〉
その日はメイが移動に疲れて村に一泊し、翌朝から隣の村に移動する。エリドートという比較的大きな海町には海賊が蔓延るが、それ以外の土地は穏やかで、王領地とされてからは直ぐに非常事態宣言に管理者は宙に浮いていた。
(エールダーの基盤がしっかりしてたのか、領民は荒れてないな)
東領の管理者を失ったのに、人々は荒まず穏やかに暮らしている。小さな村にも警邏が在中し、破落戸たちの姿も多くは無かった。
〈ここでは昼食を食べて、夜までには次の場所に入る。次の村、確かソメイヤの次は、ゲーレか〉
〈ゲーレ、大きな魚だぞ〉
〈だな。島魚、ファルドでは「海の島」覚えてたか。ここでのゲーレは村の名前だ。きっとその、「海の島」が由来だろうな〉
その後も数日は各地で食べ歩き、黒い馬犬はのんびり海岸線を通過する。左手に見える山の向こう側はオーラ領となっている。一本内側の山道は、ファルド軍の使用する軍道となっており、今も物資が運ばれているだろう。そこを避けるように遠回りをして、海岸線をのんびり走るセルドライは、一面の蒼い海を見てある昔話を思い出した。
〈遥か昔、空に浮かぶ天の眼は、異界に住まいし六つの柱〉
『?』
〈天から地上を見下ろしものは、この世の全てを識っている〉
〈天から、地上を?〉
何を言ったのかと、つり目の黒目はきょとんと見上げる。それにセルドライは長い腕を海に伸ばして、見えない水平線の先に指を差した。
〈ガキの頃に読んだんだ。あの先の、海の向こう側はぐるっと回って北方に繋がるが、ここ極東と北方大陸の間には、西大陸が存在するって昔話〉
『れれんと?』
〈確か冒険者と戦士の二人組が、西から別の大陸を旅するって内容なんだけど、その場所が西大陸って設定なんだ。あの海の向こう側。俺もプライラと行ったけど、島が何個かあった程度で、海しか無かった。で、もっと飛び続けたら、東諸島とかこの辺の陸の端っこが見えてきて、あ、やべー、国境越えてたわって、バレないうちに引き返した〉
『?』
〈北方より西側、最西が現状の西大陸を示すんだが、実は昔々の大昔には、本当に西大陸があったかも、って話だ〉
『・・・・・・・・』
〈冒険者イオスは地図を描き、エルモが敵と戦った武勇伝。その二人の物語には、西大陸が存在するんだ。ま、読み本としては、ガキの頃は面白かった〉
『アンカイマ、ヒィタコトアゥ・*マエデタ。*ッキータペテルヤツ?』、
〈西大陸、行くぞ?〉
〈・・・・そうだなー。それも面白いかもしれないが、とりあえず、先に寄るところあるからな〉
〈次は、何処の町の名前?〉
頰の傷当て布が口元のみになるが、未だ治りがけの黄味が少し残る。もう全く痛みは無いとメイは笑うが、痕が残らないように薬を毎日塗らせている。そして十九の傷の状態は少女が毎日確認していた。塞がってきた傷口にメイは安堵し、その姿を見て自然に口元が綻んだ。
〈また海の町?〉
〈当ててみな。お前も俺もよく知ってる名前の国〉
〈・・・ファルド帝国〉
少しだけ考えた少女の言葉から、楽しげな響きが消える。尻下がりに出た国の名に、十九も同意を頷き否定を示した。
〈否。・・・・〉
ーー天から地上を見下ろしものは、この世の全てを識っている。
見知らぬ女からの求婚。自分ではない他人の身体と、ここにはない自分の身体。自分に関わる事以外の、ガーランドで学んだ記憶。創作の中の〔天の眼〕は、霞が掛かったそれを、鮮明に解消出来る手段として描かれていた。
物語に出て来る、この世の全てを識っている天の眼は、問われれば全てに答えてくれるという内容だった。だがそんな万能のものに子供の頃は憧れたが、今は興味がなくなった。
(そんな眼があるとしたら、この感情は繋げない)
問われた国に、セルドライと同じ気持ちで落ち込んだ。少女は、目的地が近付く事で、旅の終わりを悲しんだのかもしれない。
(現在を存在ることに、自ら興味を持たなければならない。今は、眼に全ての解答を与えられても、聞いているだけでは、魂をこの地に繋ぐ事は出来ない)
命令に従い、エミーの事だけを考えていた頃は楽だった。だがメイが現れて、魔戦士ではなく、個人の自分に関心を向けられると、エミーの事ではなく、目の前の少女の行動が気になるようになってきた。
(おそらく、俺はエミーの事を愛してはいない。だが今、ここに存在している理由を、明確にしなければならない)
エミー・オーラから、自分が不必要だと宣言されても、この地に留まれるのかを。
『・・・アトワ、』
(天上の巫女。四十五番は今、メイの事を考えてこの世に繋がり、この地に存在しているだろう)
セルドライを心配し、不安そうな顔で傷口を確認する少女。同じ物を食べて笑い、ある場所を思い出して、共に落ち込む同調。
(現在の経験をこの身に刻む。それを魂とこの身体に同調させる)
紫石の首飾りを外して寝ると、魂となって今もこぼれ落ちている事がある。前の身体よりも定着していない事に、セルドライはこの世との繋がりの浅さを考えていた。
(俺は今、エミーではなく、メイから与えられている存在認識によって、この地に繋がっている)
それをより深めるために、セルドライは悩む少女の姿を背後から観察してみた。




