天の眼(2)
「これはエスクランザ国の神官さま、遠いところを我が教会に、ご苦労さまです。今日は久しぶりに軍と反乱組織の衝突が少なくて、皆買い物に出てまして、そういえば、エスティー方面で大きな音がしましたが、何かありましたか?」
「貴族の車だろ?物凄い速さで走ってたよ。でも通りの向こうだったからな。珍しいだろ?奴ら、いつもだらだらとのんびり走らせてるのによ。だから気になったんだ」
「ええ、見ましたよ。エスティー通りから飛び出てきて、あの角で、子供が轢かれそうになって、びっくりしたんですよ」
「覚えてますよ!忘れませんね!、黒い立派な箱車です!後ろに荷が積める、最近よく見かける形の中型の、どこかの家の紋章か、なんだったかな、あの家は、」
「すいません、この子が轢かれそうになって、あたしはその事で、もういっぱいいっぱいで、この道を真っ直ぐ行ったことくらいしか、」
「僕おぼえてる!黒いとびらに、るべるせいぶん!」
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アピーが導いた大通り、買い物に出歩く貴族男に黒い車を見たかと訪ねると、北方の奴隷が話し掛けるなと凄まれた。それを殴打し気絶させ、供の者を脅すと直ぐに車の行き先を指差した。
「あ、あっちです、でも見かけたのは、ここより先の、エール地区の中央線で、」
エール地区に辿り着くと、大きな通りに教会を持つ天教院の信者を使い、周囲を聞き込みさせて見失った後を追う。入り組んだ見知らぬ大都市の道、信者の集めた情報で、エールの通りから駐留する騎士団を避けるように、裏道に入り込んだ不審な貴族の箱車を見かけた者がいた。
行商人の男が見掛けたのは、通りの向こうを高速で駆け抜ける不審な箱車。そこから更に進んで、車に轢かれそうになった親子と出会ったが、その親子が示した先には、再び人と箱車が増えた大通りが現れた。
「銀色の獅子」
会釈をして去る親子から目を逸らし、貴族の箱車が走り出た大通りを眺めてみる。人が増え、同じ様な貴族の箱車が増えた大通り。既に過ぎ去った刻に苛立ちは募るが、通りに紛れた貴族の車をどう捉えるか、トラーは周囲を見渡した。
(またこの近くの教会を使うか、)
辺りを見回し信者を探す。ファルドでは下手に通行人に尋ねると、人種の違いに無駄に刻を費やすことになるのだと学んだ。だがこの付近に教会は見当たらなく、目の前を歩く華美に着飾らない女の肩を掴もうとしたところで、背後から声が掛かった。
「巫女」
[!?]
振り返った先には、往来を不自然に立ち止まって、こちらを見ている学生がいる。故意に自分を振り返らせた、その意図にトラーは素早く近寄り袖から出した小刀を首筋に突き付けた。
「主の名を問う」
「お、俺は天の使いさ、主なんて、うっ!!」
刃先が皮膚にめり込んだ。その痛みに身を引こうとするが、目の前の神官の殺気に気圧されて、身動ぎ出来ずに青年は苦痛を堪えて立ち竦む。周囲からは神官が学生の肩に手を掛けて、何かを話し込んでいるようにしか見えず、気にも掛けずに通行人は過ぎ去った。
「俺は、ライド家のもんだ、」
「覚えが無い。なぜ巫女様の事を知っている?」
会話のたびに刃先が沈む。苦痛に呻き声を漏らした青年は、渋々「シオルの関係だ」と漏らした。
「ソーラウド殿の使いか」
「正しくは、そうじゃねえ、」
数冊の本と紙袋を手にした利発そうな青年は、目線を手元の封筒に落とす。ソーラウドの名と共に仕舞われた刃先の代わりに、手にした封筒を押し付けた。
「エスティー方面から出た貴族の箱車は三つ」
[!?]
首元を押さえ青年が憮然と呟いた、話の内容に素早く封筒の中身を取り出すと、三つの透明な魔石には、それぞれ黒の車が写っていた。
「それぞれ行き先も押さえてあるぜ」
(荷台付が二つ、扉には紋章付・・・これだ)、
「銀色の獅子とは、どの家の紋章だ?オーラ一族では無いはずだ」
王城で見た紫花の紋章がオーラ家のものだと知っている。王城内にも主張されていたヴァルヴォアールやエスティオーサなどの紋章は流し見たが、その他の紋章まで把握してはいない。薄茶色のトラーの瞳にたじろいだ青年は、渋々と呟き漏らしたが、途中で自分の言葉に目を見開いた。
「・・・銀色の獅子は、メルビウスだ。騎士団の二番目の奴。え?、まさかメルビウスもこの件に関わってるの?」
「この車の行き先は?」
「これは東門の方に行ったやつだ、あ、おい!まだ言うことが、・・・クソ!知らねえぞ!」
無言で走り出した口当て布の男の背中に、礼を言えと無意味な悪態がぶつかり消える。少し走って辺りを見回したトラーは、店先に停車している箱車の馬犬に手を掛けたが、それを別の声に止められた。
〈こちらを。この場で盗みはいけません〉
通りすがりの親切な貴族の紳士が、突然トラーに自分の馬犬の手綱を差し出した。だがファルド貴族のはずの金髪の紳士は、さらりとガーランド言葉を話す。
〈馬犬の主が直ぐに戻ります。騎士団に煩わされたくはないでしょう?〉
〈鳥か〉
〈東側の帝都入り口は二つあります〉
〈二つ?〉
話の途中で駆け出した。背についてぶつかった学生の悪態には、続きがあったのだと舌打ちする。だがそこで、トラーは信者の証言と符合した銀色の紋章を紳士に告げた。
〈メルビウスの紋章、その車に巫女様は居るはずだ。その家は、この付近には無いのか?帝都を抜けると見せかけて、拠点に向かったかもしれない〉
穏やかそうな紳士だが、トラーの言葉に微笑む口元を歪ませる。そして首を傾げると〈おかしいですね〉と呟いた。
〈騎士団の上位数名は、必ず見張りをつけています。ですが頭からも、メルビウス家に関してはオーラとの繋がりを聞いていません。それに最近まで、この地域はエールダー公家が管理していました。今は軍の管轄ですが、メルビウスの屋敷はありません〉
〈だが確実に、その紋章の家の車が攫った事には間違いない〉
〈だとすれば、メルビウス家の紋章を偽装した可能性も。破落戸がよく使用する手です〉
〈・・・なるほど、〉
苛立ちと焦りに思考が狭くなった。軽く頷き用意された馬犬にトラーが跨がると、鳥と呼ばれた紳士は東正門ではなく、商人が多く通過する東裏門に指を差す。その手首には、貴族の礼装には不似合いな、石繋ぎの腕輪が数本重なっていた。
〈銀色の獅子はあちらです〉
示された方向に馬犬の首を返すと、速度を上げるために鞭を打つ。悲鳴のような嘶きに走り出した馬犬に、何事かと数人の通行人が振り返った。そこには走り去る馬犬と見送っていた男が一人居たのだが、騎乗した不審な北方の男を見上げて目線を戻すと、そこにはもう誰も居なかった。
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「神官さん!」
商人が長い行列をつくる東門に到着すると、並ぶ商人の間をすり抜けて、後ろから走ってきた少年に声を掛けられた。朗らかな笑顔の少年は、ファルドの小さな教会まで誘導してくれた見知った者だった。
「ソーラウド殿の所に居た、イーファだな」
「そうだよ!」
にっこり満面に笑みを浮かべたイーファだが、少し離れた行列から、見る物も無くこちらをじろじろと眺めている商人たちと、更に検問所からは、数が増えて物々しい警備兵たちをトラーの背後に眺め見る。
「ここまで早かったね。これから教えに行こうと思ったのに。まだ一刻半だ、意外と皇帝も頑張ったのかな?」
「何の用だ?急いでいる」
「あのね」、と声を潜めた少年に合わせて背を屈めて耳を傾ける。背後では、列に並ばない新参者の二人を、商人たちは険呑な目で見始めていた。
「まずここで、今日はメルビウス家の黒の箱車が、調べられずに一台通ってる。でね、なんでこんなに兵隊さんが多いかっていうと、更にその後に、黒の馬犬が単騎で無理やり押し通ったんだって」
「?、単騎、」
ソーラウドの組織であるイーファが他人事として話し、鳥の男も何も言っていなかった。トラーの追い求める者を、他に追いかける組織が思い浮かばないが、話の途中で置き去りにした青年を思い出した。
「ライド家と、名乗る組織は?」
「違う違う。皇帝は、軍相手にこんな危ないことしないよ」
「なら、その軍ではないか?ファルドの、」
すると少年は首を振り、「今は違うよ」と否定した。
「クレイオル・オーラは、今はファルド軍じゃないよね?」
「なに?」
「見た目の特徴から間違いないよ。なんかあの人、最近街で目撃されてたからね。箱車に置いて行かれて慌てたのかな?」
[クレイオル・オーラ、・・・・]
王城の庭に忍び込み、木から落ちた主人を抱え込んだ見知らぬ男。更に主の少女から、その男が去り際に残した異様な言葉を聞いた。
ーー〈お前の愛を、受け取った〉
トラーの主に、睦言の様な巫山戯た言葉を置き去りにして、居なくなったクレイオル・オーラはファルド国の敵となった。なのでもう、関わることは無いと、少女への穢れは祓われたものだと思っていた。
[そうか、あの者が、]
「な、神官さん?」
礼儀正しい天教院の神官は、教会ですれ違うと破落戸の少年にも挨拶をしてくれた。そして彼は他の神官とは違い、帯剣する見慣れない神官装は神官騎士という、ファルド帝国には存在しない職種だとも教えてくれた。だが今は、少年の尊敬するソーラウドが怒りに周囲を威圧する刻よりも、神官騎士の纏う空気の方が重く冷たい。
「止まれ!何だ貴様は!ここを通りたければ、列の最後尾に並べ!!」
ーーガッ!!!
「「!!!」」
言葉の終わりにトラーに剣の鞘で殴られた兵士は、一撃に白眼を剥いて昏倒した。首が折れたかと思うほどに横倒しに倒れた兵士を見て、驚愕した警備兵達は不審者を咎める前に後退る。
[退けろ]
馬犬に飛び乗り静かに落とされた異国語に、見ていた商人たちも自然と道を開け、走り出た暴漢が馬犬止めを過ぎた頃に誰かが「止めろ」と我に返った。
「す・げーーーーーーー!!」
その一部始終を見ていた少年は、自分の周囲の者たちとは、違う恐怖を身に纏う者が居るのだと、目を輝かせてそれを見送った。




