天の眼(1)
天上人の少女が攫われたという騒然とした現場、裏通りの民家街には複数の軍用馬犬と共に、不釣り合いな高級な箱車が止まっている。その車内に乗り込んだエスクランザの護衛騎士は、叩頭礼に懇願した。
[御身を離れる事を、お許しください]
騎士団や破落戸が混在し、一人の少女の行方を追おうと馬犬が走り去る。車窓から目線を少年騎士に移したアリアは、後頭部よりも上に位置した襟抜きにため息を漏らした。
[許さない]
[アリア皇子!私は巫女様の表の守護騎士なのです!私も!、エグト神官と共に、巫女様をお探しします!!]
許可無く顔を上げて反抗した。それに目を眇めたアリアにテハの身は一度肩が揺れたが、そのまま留まり口を引き結ぶ。その決意から目を逸らして、アリアは再び騒がしく動き回るファルド騎士達を見つめた。
[守護長トラーの信用は無いな。・・・同じ言葉を、二度も言わせないでよね]
[!!、けして、エグト神官の信用を疑うものではありません!、ただ、先ほど第四師団長殿に聞いたのです、巫女様と、精霊殿がご一緒ではないのだと、前回の、南方とは状況が異なります!]
[!、]
切迫した表情のテハの言葉に息を飲んだアリアは、再び軽いため息に外を見た。
[ならば尚更だ。お前は僕と一緒に、オーラ領でメイ様を探す方がいいかもね]
[皇子、]
[・・・それは、メイ様がオーラ領に入る可能性が強まったって事だ。陸路はトラーに任せて、僕たちはトライドに急ぐよ]
[ですが!、]
[お前の対になる、裏のトラーを信じよ]
[・・・っ、・・・はっ、]
[直ぐに発つ。・・・そうだね、英霊殿やメイ様の護衛、それを見つけてここに連れて来て]
再び叩頭礼をしたが、上げた顔は苦汁を飲み込み箱車から降りた。そんな少年騎士の姿から目を逸らしたアリアは、トライドで待ち構える竜騎士を思い出して顔を顰めた。
*
ガーランドへ入国したその日、アリアの前に現れた一人の竜騎士が、天上の巫女を追いかけた海上で、天弓騎士のテハに自分が弓を射かけられたと告げに来た。
エスクランザ天王国がガーランド竜王国に弓を引いた。それは既にインクラート・エハという罪人の処分と、皇太子であるアリア自身がガーランドの人質になることで落着したはずなのだが、射かけられた本人は、テハも罪人なので引き渡せと主張する。
ーー[我が国の国宝、飛竜に弓を引いた者、テハ・カラトをお渡し下さい]
ーー[それは僕がここに居るということで、終わった話なのだけど。君は国の決定に、異論があるの?]
ーー[いえ。これは私憤です。私は自分の相棒が、味方だと思っていたいた者たちに射かけられ、そしてテハ・カラトに傷を負わされた。その私憤を、決闘で晴らしたいのです]
揺るぎない強い金の瞳。物事の決着を力で決めようとするガーランド人。その姿勢を嫌悪したアリアだが、面倒事の矛先に、ある少女の顔が浮かんだ。
ーー[そうだね、確かに我が国の宝が、そちらの宝を傷付けた。だけど残念だ。我がエスクランザの国宝である神官騎士、その中でも、テハ・カラトは位階零という特別な称号を持っている]
ーー[ヤエ・サクラ、ですか?]
聞き慣れない称号に訝しむ顔。それを内心笑ったアリアは、目の前の竜騎士が逆らうことの出来ない者を引き合いに出した。
ーー[そう。それは天上人の、巫女様、メイ様を護る守護騎士の称号だ。テハと〈決闘〉したいのなら、その許可は、主であるメイ様にもらってよ]
ーー〈!!、〉
分かりやすく困惑を顔に表した。そして想像以上に長く沈黙して、葛藤に身動きしない竜騎士に、今度はアリアが困惑に苛立ち始める。
ーー[・・・そうだね。メイ様はきっと許さないだろうね。皆の前に曝して、君がテハを私刑にするなんて]
ーー〈・・・・・・・・〉
ーー[ならば妥協案だ。テハが命を差し出して守護する対象。巫女メイ様を、この東大陸では守護をさせない罰を科そう]
ーー[・・・?それはどういう事ですか?]
ーー[君たち竜騎士が飛竜を誇りとするように、位階零の使命は巫女様を守護する事。それを僕が封じてやろう。巫女様を護れない守護なんて、存在の否定だからね。相当な罰となる]
ーー[?、大神官殿が封じるのですか?]
ーー[守護騎士にとっては天上人の次に、王族の命令は絶対だよ。まあ詳しくは省くけど、テハはもともと僕の兄に仕えていた派閥の者だ。要は、僕の死を望む、兄皇子の派閥に属するってこと。派閥の中には、あからさまに僕の膳に毒を仕込む者もいた]
ーー〈!〉
優秀な第一皇子、奔放な第二皇子、海を渡ったガーランドでもその噂は聞くことが出来る。
ーー[あれ自身は単純で、策略など無く職務に忠実ではあるけれど、親は選べないからね。で、どうするの?巫女、メイ様の守護者は表裏の二対となっている。テハ・カラトはその表であるのだよ]
ーー[・・・巫女様、]
ーー[命を架けて全うしなければならない主命。それを敵対派閥の僕が、テハ・カラトの行動を封じて屈辱を与えると言った。それを受け入れるのか?]
騎士の誇りを封じ、神官の誇りを王族の命令で封じると言った。だがある違和感に、揺らいだ竜騎士は身動いだ。
ーー[ですがそれでは、テハ・カラトの主命はアリア殿ではなく、巫女様により覆されます]
ーー[本来ならね。だが今回は、それはない]
ーー[なぜ言い切れるのですか?]
ーー[〔あの〕メイ様が、僕の命を覆して、テハ・カラトに命じると思う?「我のために、命を捧げよ」って]
思い出したのは、生意気に片方の眉を上げて自分たちを見上げる少女の顔。そして小動物の様に、腰が引け気味で逃げようとする仕草。
ーー[・・・・・・・・無いですね]
ーー[むしろ、あれの守護を、遠慮して辞退しそうだよ]
軽いため息に身をただし、アリアの案を受け入れた。背を向け歩き出した竜騎士を、鼻で笑ったアリアは呼び止める。
ーー[エスフォロス殿、大変だねガーランド人は]
ーー〈?〉
ーー[飛竜を傷付けられれば〈決闘〉なんてね。でも、テハを咎めなく放置することは、他の竜騎士に示しがつかないものね]
ーー〈・・・・・・・・〉
(その竜騎士を、一蹴出来ない人質としての我が立場が、なんとも腹立たしいけどね)
*
慌ただしく動き回る者たちを流し見ていると、程なく戻った少年騎士の顔はどこか覇気無く青ざめている。自分たちを物だと扱わず、命じる事の無い主の危機に、身動きできずに首を絞められた様な顔をしていた。
[皇子、お連れしました。ですがエルヴィー殿も精霊殿も、魔素に攻撃を受け、治療が必要です]
[そうか、ならばこの車に乗せよ]
[は、]
[テハ]
魔素を奪われてはいないのに、同じ様に憔悴した少年の顔色。いつものはつらつとした元気の無い姿に、アリアはそれを見て苛立った。
[この地にも天の眼がある。天は、必ずメイ様を見ている]
[・・・・!、は、はい!そうですね!!]
[・・・・・・・・だから、お前はいつも、うるさいよ]
[!!、も、申し訳、ありません・・・]
東ファルドでも広がる天教院の教え。信者は各地に存在し、彼らの眼が小さな少女を捉えているかもしれない。不必要に大きな声で、いつものように返事をしたテハを見て、アリアもようやくいつもの自分を取り戻した。




