大聖堂院宛 破棄された報告書(4)
エルヴィーがグルディ・オーサ西方基地を出る間際、兵のざわめきが耳に入った。
ーー「白狐が逃げた」
ミギノは訪れた破落戸の家の子供に酷く叩かれ、加害者の子供と保護者は軍に捕縛されたのだが、更にそこには帝都で問題視されていた賊も居合わせた。
賊の名は白狐。
(落人騒ぎに乗じて逃げたんだね。ここの牢も、管理が甘いね)
騒然と兵士が走り回る基地内。険呑と逆走するエルヴィーは、医療師団への伝達を通りすがりに耳にした。
(ミギノが、突然居なくなった?)
オルヴィアが来たことから、大聖堂院の仕業かと焦って探したが、目撃した兵士の話では少女ミギノは一人で館内を走っていたらしい。そのミギノは落人と遭遇した後、一階から裏手に向かって走って行った事が目撃談されている。
(きっと落人に驚いて、外に出てしまった可能性が高い。やっぱり近くに居たんだ)
通常の落人は、身体に欠損のある人のなりそこないだ。足から骨が出ていたり、首が無い者も当たり前。死体が歩き回る様子に、遭遇した者は走り逃げるか腰を抜かす。ミギノも驚き逃げたに違いない。そう考えたエルヴィーは、基地横に群生する木々の中に踏み込んだ。そこですぐに、複数の不審な足音を捉えたのだ。立ち止まったエルヴィーは、木々の中を遠離る足音に耳を清ませる。
(東。いや、北東。ミギノは誰かに連れられている)
鬱蒼と繁る木々の中、道無き道を逃走する軽い足音。
(ミギノを一番に追ったのは僕。フロウ達は今、落人でそれどころでは無いだろうし。ならきっと、彼女と共に居るもの達は賊だよね)
少女は、自分以外に頼る者が居ないのだ。
これはエルヴィーの中での決定事項である。彼の行動は決まっている。賊を殲滅し、少女を助けるのだ。気配を殺し対象に近寄る。もともとは喜怒哀楽が薄く魔素の量も少ないので、気配を殺して魔物を狩るのはとても簡単だった。唯一の感情はエミーを愛する気持ちだけなのだ。だがエルヴィーは少女ミギノと出会ってから、自分の感情を制御出来ずに苦労している。
(怒りって、感情が高ぶるから作業には邪魔になるかも、)
目視で捉えた目標に気配を殺す。すると少女と複数の男の声は突然途絶えた。なかなか聡い賊のようで、気配を抑えたはずのエルヴィーに気がついたようだ。
(白狐て言ってたね)
帝都に居た頃、エルヴィーにその賊の名は記憶に無い。元々ファルド住人に関心など無いが、ミギノを連れ去った者として、記憶しておこうと思った。久しぶりの負の感情に心が燻る。
腰ベルトから中刀を取り出すと、腕輪として巻かれていた赤い石を手のひらに括り直す。
これは魔石。魔素の薄い者でも簡単に魔法が使える、エミーからの唯一の贈り物。玉狩りは、それをとても大切にしているのだ。使い方によってはとても危険な物だが、エルヴィー達はこれによって楽に落人を仕留められるようになった。
木々の間に潜む影。
「・・・・、」
狙いを定めると、突然、一人が音を立てて走りだした。なりふり構わず、木々をかき分ける不様な敗走。それに気をとられた男の背後に、エルヴィーが素早く忍び寄る。音も立てずに首に添えられた中刀に、石礫と「止めろ!」と悲鳴が飛んだ。
「?」
木立の合間から、獣人の少年が一人飛び出て来た。エルヴィーは獲物の首に刃を押し付けたまま辺りを確認する。飛び出て来た少年、少し離れた場所で転んで蹲る少女、自分が仕留めようと思った男。
全て獣人だ。
(ミギノが居ない)
エルヴィーは無表情、そのままの姿勢で獣人の男に問う。
「少女を見なかったか?黒髪の、背の低い子だ」
息を飲む背の高い獣人の男より、目の前の少年の獣人が肯定した。
「見た。俺達を救った者」
その言葉にエルヴィーは剣を下ろし、遠く別の方角を探し見た。解放された青年は、よろめきながら少年の元へ駆け寄る。
(外れた)
エルヴィーはこの場に居ないミギノを求めて、来た道を振り返った。
(もう基地には入れないし。どうしようかな)
ロウロウを殺した。それはエルヴィーにとっては正当防衛なのだが、その主張は通らないだろう。それに基地にはオルヴィアが居るのだ。彼女はエルヴィーのことを狂ったと言っていた。
(ルルを、ロウロウに渡したのが間違いだっな)
玉狩りの、エミーに対する点数稼ぎを甘く見ていた。自分もかつてミギノに会う前はそうだったのに。
ロウロウは無償でルルを渡してきたエルヴィーに不信感を抱き、後をつけて調べたのだろう。ミギノの存在は西方基地内では浮いている。
玉狩りならば、ミギノの特徴と彼女の発生位置がトライドの森の付近と聞けば、まず落人に結びつけて考える。ミギノと接するエルヴィーの姿を確認して、それを狂ったと判断したロウロウが大聖堂院に報告したのだ。
(ロウロウも、オルヴィアさんに言うことないのに。よく考えたら、僕はあの人苦手だな)
おそらくオルヴィアは、あること無いことフロウ達に告げ口しているだろう。それにフロウの基地内でロウロウを殺したエルヴィーは、騎士団長との誓約を破ってしまった事になる。
ーー違った者は、死で別つ。
次にフロウに会うときは、どちらかの死を意味するのだ。
エルヴィーは少し思案し、無表情のまま獣人達を振り返った。見る限り青年の獣人がこの三人の長だと思っていたが、どうやら長は少年の方らしい。
「君たち、その少女は恩人なんだ?」
頷く少年に、エルヴィーは感情の籠もらない表情で告げる。
「恩は返さないと駄目だよね」
**
〈ヤグ、絶対そうだよ〉
〈まだ言ってるの?〉
〈だって、僕たちが気配を気付けなかったんだよ?無人なのに、彼にはアレが無い〉
〈・・・アレ?〉
〈人としての気配だよ〉
〈・・・あー。確かに、なんか、ぶれぶれしてる感じだよね。気配が散漫だ〉
「・・・ちょっと、本当にこの道で合ってるの?」
くるりと振り返った栗色の尾の少女は、おどおどそわそわしていたが、少し離れて付いてくる外套の男に「オン」と鳴く。
「獣道も無い道なんて、ミギノは通れないんじゃないかな?」
「でもね、あの子の匂い、微かにするよ」
「そうだね、・・・あと、嫌な奴らも臭いと足跡」
「嫌な奴ら、・・・白狐の一味だね」
「・・・そこにミギノの足跡は無いの?」
〈〈・・・・〉〉
無言になって周辺の草木を見つめる獣人の少年二人。それを離れた所から振り返り見ていた少女は、大きな耳をそばだててピクリと動かしていた。
「・・・本当にミギノは一緒なの?」
〈え、〉
〈あの、その、多分、〉
「・・・・・・・・」
深く外套を被った男は、表情は分からないが人外の空気を纏う。オドオドと自信なげに後退る少年二人だが、また遠くから「ァンッ!」と甲高い声がした。
〈え、ほんと?〉
「あ、あの、あの子は絶対だって言ってるよ。大犬族の子って、人探しは得意なんだよ」
「・・・そうなの?」
ミギノと同じくらいの背丈。小さな少女は草むらから耳だけ出して、こちらの様子を覗っている。
「・・・・・・っ、」
なにも発していない。毛に被われた尖った耳を見ただけなのに、少女は何かを察して耳を倒すと走り逃げた。
「逃げなくてもいいのに。あの子はミギノが心配してたからね。僕はミギノに害の無い者には、何もしないよ」
先走る小さな影を追う男。それに付き従い歩く少年二人は頷き合う。
何かを引き裂いたような手の傷。
平坦な声色。
人ならざる者の気配。
身に纏う死臭。
〈本当かも、〉
〈本当だよ。彼は、魔戦士だ〉