失われた匂い
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ーーーファルド帝国下町、エスティー基線。
とある空き家前。
路地裏にも窓からも、住民の姿が見えない奇妙な町。その中の古びた空き家の周辺は、今はファルド帝国騎士団に物々しく取り囲まれている。
「・・・・・・・・」
膝の上に乗せられた手提げ袋には、黒髪の少女と共に選んだ菓子が詰まっている。物騒な爆破音を聞いて箱車の窓から飛び出た少女、そしてエルヴィーと共に走り去った彼らを追って、箱車が停車するとスアハが飛び出て行った。
「・・・・・・・・」
あまり良い思い出の無いファルド帝国を抜け出して、トライドまでの箱車の旅路を楽しみにしていたアピー。だがそれは、不穏な爆破音によって中断された。そして今は、空き家から出たり入ったり、走り回る兵士達を不安げに眺めていたのだが、突然車の扉が開かれた。
「来て、メイを探して」
「!?」
咽を押さえた少年が指差した空き家の扉。スアハが下位の自分を呼びに来た。しかも彼が真存在の矜持を張らずに口にした無人の言葉。この事に緊急性を察したアピーは、転げ落ちた手提げ袋にも構わずに箱車から飛び出した。
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「巫女様は何処ですか?」
顔を口当て布で半分以上隠した神官騎士は、鋭い薄茶色の瞳でオルヴィアを見下ろす。捕らえた腕を力を込めて握り上げられ、女は悲鳴と共に再び従者の名前を叫び始めた。
ーーギリリ!
「ヒイッ!痛い!離して!」
「巫女様は何処だ。天上の者に危害を加えれば、お前を生きたまま天の錠で地中に封じるぞ」
ゾッとするような低い声、天の錠という聞き慣れない言葉にオルヴィアは目を見開いた。
「白兎とエトゥの巫女、彼らがこの地に持ち込んだ呪術と組織は、我がエスクランザが開祖である。目眩ましに水の魔石と火の魔石を合わせたのだろうが、それ以上の攻撃呪文は使わぬのか?」
挑発にオルヴィアは頰を紅潮させて怒りを顕わにしたが、手にした赤の魔石で炎の爆発を地下道で起こせば自分も無事ではいられない。それに歯がみトラーを睨みつけるだけとなった。
徐々に霧は薄まるが、未だ視界は不透明なままだ。今まで見えなかった三歩先が見え始め、トラーはオルヴィアを拘束したまま蹲るエルヴィーに声をかけた。
「オルヴィアを捕らえましたが、巫女様のお姿が見当たりません!、エルヴィー殿、動けますか?」
「ミギノ、オルヴィアさんと・・・、一緒じゃないの?」
よろりと立ち上がったが、その場に立ち尽くしたままのエルヴィーを不審にトラーは見た。そして再び掴む細い腕に力を入れる。
「痛いわ!!」
「何をした?目眩ましの他に、エルヴィー殿に術をかけたのか?」
厳しいトラーの声に、霞む視界の中オルヴィアはエルヴィーの状態を見て眉根を寄せた。
「知らないわ。あれはもともと欠陥品なのよ。勝手に壊れたのではないの?」
「・・・・オルヴィアさん、ミギノは何処?」
トラーは、オルヴィアに話し掛けているのに的外れな前方を眺めたままのエルヴィーを訝しむ。その数字持ちの目線の先に、青い玉が剥き出しの土の上に転がるのを発見し愕然と口を開いた。
「オルディオール殿!?、何故ここに!?何故、巫女様と、ご一緒ではないのですか!?」
(・・・・・・・・、)
「あら、まだあるの?、やはり大聖堂院で製作した数字持ちではないから、あの呪では消えなかったのね。残念だわ」
(・・・・)
「でも全く無駄ではなかったみたい。あの貧相な落人から、取り出すことくらいには効いたのね。でもその落人が居ないわね」
笑い出した黒髪の女を見下ろしたトラーは、未だ茫洋と焦点が合わず立ち尽くすエルヴィーと、石のように転がるだけの英霊に目を向けた。
**
もくもくと蒸し暑い地下道の中、飛び込んだアピーは少女の匂いを探し続ける。土壁の強い臭いと人工的な香料、そしてエルヴィーとトラー、先の見えないぼやけた視界でその匂いを除外して嗅ぎ慣れた少女を辿る。
「おかしいな、おかしいよ、ミギノ、」
魔石が転がり抉れた床に足を取られ、何度も躓き地下道をくんくんと歩き回る。だがどうしても、途切れ途切れの少女の匂いに辿り着かない。
「トラーさん!ミギノはここには居ないよ!」
「アピーか!頼む!巫女様を探し出してくれ!、見知らぬ男がもう一人居たが、それも気配が無い!」
オンッ!と了承の声が響くと、アピーは視界の悪い中、辺りの匂いを嗅ぎ始めた。滑稽だと笑い続けるオルヴィアは、未だ動けないエルヴィーと床に転がる青い塊を見下ろす。焦りと苛立ちに地下道を見回すトラーは、新たな侵入者の騒がしい足音を聞いた。
「なんだ!?なんで霧が出てんだ?」
「そこに居るのは落人の巫女の守護者、お前達、これはどうしたのだ?」
バタバタと先頭は全身が白色の男。その後には数人の部下を伴い第四師団の団長が確認出来た。その中、新たな臭いの侵入に、周囲の空気を掻き乱されたが、アピーは怪しげな横穴に微かな少女の匂いを発見する。
「トラーさん!ミギノの匂い、こっちだよ!」
アピーの声に振り向いたトラーは、捕らえたオルヴィアをソーラウドに押し付けると大犬族の少女を追って走り出す。訳も分からずオルヴィアを押し付けられたソーラウドは、先の見えない霧の中に消えた神官騎士の背に大声で問いかけた。
「おい!!今、ミギノって言わなかったか?」
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「トラーさん、ここからミギノの匂い、消えちゃった」
しょんぼりと耳も尾も垂れ下がるアピーは、後から追いついた神官騎士に振り返り涙目を浮かべた。少女の立つ位置には馬犬の足跡と箱車の車輪の後があり、その跡は通りの石畳から途切れて消えていた。トラーはそれを見て舌打ちし、通りを眺めるが右も左も箱車の陰は既に無い。周囲には人影も全く無かった。
「ヴァルヴォアール殿に連れ攫われた刻のようにはいかないか?」
「前はミギノの匂い、あちらこちらに落ちてたの。でも今は、ここで消えちゃったの、」
「おい!ミギノはどうした!?」
オルヴィアを騎士団に押し付けすぐにトラーの後を追ったソーラウドは、迷うことなく空き家の出口に辿り着いた。地上に項垂れる獣人の少女と、辺りを見回す神官騎士を発見し近寄ると厳しい瞳が振り返る。
「白狐、トライドの使者殿か。何者かが巫女様を攫い逃げたのだ」
「っんだってえ?、ざけんじゃねえよ!何処だ!?何処のどいつだ!?」
ソーラウドの剣幕にアピーはじりじりと離れて後退するが、微かに残る少女の匂いを追い求め、未だ残り香を探し続けている。だがその匂いもすぐに風に吹かれて消えて無くなった。
「ここから箱車で連れ去られた。犯人はオーラの者だ」
「クソッ!ここを仕切ってた赤い馬犬の奴らも姿が見えねえ。多分オーラにヤラレちまってるな」
寂れた裏通りに人影が全く無いのは不自然だ。ソーラウドは異様な街の状況に赤い瞳を眇めてトラーを見た。
「この界隈で箱車を見た奴を集める」




