天上の巫女(5)
「統轄騎士団長を守護せよ!」
ーーーーー突撃!!
フロウの負傷の目視と共に、ウェルフェリアの声が響き渡る。それを合図にファルド帝国軍は中央戦場へ突撃し、上空に円を描くガーランド竜騎士隊は、待機に組んでいた腕をほどき手に持つ槍を振り翳すと、地上へ降下を開始した。
一気に動き始めた戦乱の空気。素早くオゥストロへ構えたフロウの銀色の剣先にも、一筋の赤い血が流れている。向き合うオゥストロは黒い槍から血を薙ぎ払い、それをフロウへひたりと突き付けた。
〈天上の道への帰還だ!〉
「天を裂き、口を開く!」
ーー死者を迎え入れろ!!ーー
両軍の激突、再びファルド帝国騎士団長と、ガーランド黒竜騎士隊長が止めの一撃に速度を上げて刃を振り翳す。黒竜の滑空と馬犬の疾走、ぶつかり合うその刻、渾身の一撃に鋭い黒槍は突き穿ち、銀色の剣は疾風と斬り裂いた。
ーーギャリンッ!!!
横合いから豪速で何かがぶつかり、オゥストロの黒い槍とフロウの銀色の剣は弾き飛ばされる。
両軍の合間を不自然に駈け抜けた二組の異種族に、衝突を乱された兵士達、戦場は躊躇い蹈鞴を踏み、風のように過ぎ去った者達を目で追った。その先にはお互いの大将が、手にした武器を鋭い金属音と共に弾き飛ばされ、二つの武器は荒れ地にグサリと突き刺さる。
「あれは、」
〈何だ、?〉
戦場にあり得ない光景に戦意を掻き乱されて、躊躇い軌道を逸らした兵士達は、両将の渾身の一撃の合間に滑り落ちた白い花を驚愕に見つめた。
*
猛然と駆け走るファルド帝国の馬犬騎隊、その合間を駆け巡り、それより早く先頭に現れた大きな獣人。更にその背には、真白い衣装の頼りない小さな少女が乗っている。
「団長!あれは、」
自軍の合間から現れた不審者に、ウェルフェリアを先陣に丘陵を駆け下りた部隊は驚愕しそれを見送る。先陣を駆け抜ける馬犬隊よりも早く先頭に躍り出た獣人の、背を追い掛ける事しか出来ないのだ。
不審な獣人が目指す先には、未だファルド帝国統括騎士団長のフロウが敵将と対峙している。自軍より現れた不審者を、敵か味方かを迷うが、眼前の空には黒く群れを成して舞い降りる飛竜部隊が迫っていた。
「あの少女、背に剣を背負っているぞ!」
鞘を振り投げ剣を構えた少女に、ウェルフェリアの隣を駆ける副官が叫んだ。
「何をするつもりか、だが、死ぬぞ」
先陣の第四師団、そして左方向からはオゥストロに一撃されたメルビウスを欠いた一団が、共に空から襲いかかる飛竜隊と、今まさに衝突寸前なのだ。
だが大将戦の真下に向かい舞い降りる飛竜の一団に、先駆けて飛び出た少女の背中へ、誰しもが追いつけずにそれを必死で追い掛ける。
〈分隊長!敵部隊、先頭に、大獅子です!〉
エミュスの声に目を凝らしたセンディオラは、更に真横から慣れた叫び声を遠く耳にした。
ーー〈停戦だ!!進軍を止めろ!!〉
女にしては低く太い声、それは滑空する竜騎隊の真横を遮り横切る禁断の行為に通り抜ける。大きな飛竜よりは小さい、だが素早く空の進行を妨げた黒の翼の背には、黒髪のアラフィアがしがみついていた。
〈アラフィア!!〉
〈センディオラ殿!!停戦です!!!、地上に!あれは、メイです!!、精霊殿が!!〉
〈メイ!?、巫女が?〉
地上から竜騎隊の先頭に、ぶつかる様に走り来る大獅子の背には、目を凝らすと小さな少女が乗っている。アラフィアの号令と共に、飛竜は速度を急激に落とし上空に浮かび上がり、それを確認した地上を走る騎士団も異常事態に駆ける速度がバラバラと緩まり始めた。
それぞれが目にするものは、先頭を不審に駈け抜けた獣人と少女。ぐんぐんとファルド騎士団から離れる小さな白い少女は、今まさに、お互い渾身の一撃を放った両将軍の狭間に、獣人の背から勢いよく振り飛ばされた。
〈止めろ!!〉
「何だと!?」
容赦なく振り下ろされる、黒竜騎士と第一師団長の一撃。狙ったようにその瞬間に、剣先へ獣人の背から少女は振り落とされる。それを目の前で見たセンディオラとウェルフェリアは叫んだが、誰しもが想像した真白い花は赤く染まる事はなく、激しい金属音と共に少女は宙に弾き飛ばされ地に落ちたかに見えた。
「・・・そんな、馬鹿な、」
オゥストロから攻撃を受け、身を引きずるようにその場に立ち竦んでいたメルビウスは、瞬間の一部始終の目撃に瞠目する。剣士の真似事の様に長い剣を背に構えた少女は、獣人に弾き飛ばされたのではなく、確実に自らその場へ飛び込んだのだ。
振り下ろされるオゥストロの剛槍、それに対するフロウの瞬撃、速度も力も違う二振りの騎士の一撃の合間に滑り込んだ黒髪の少女は、それぞれの斬撃を二刀の刃で受け、斬り流し軌道を変え、身を捩るとそれを弾き飛ばした。
「あり得ない、」
ふわりと地上へ降り立つのは、戦場には不似合いな白い花の姿。そして宙に舞い上がり空を斬る刃音と共に回転して荒れ地に突き刺さったものは、黒の大槍と銀色の長剣。
少女を愕然と見たのは、それを目した先陣の騎士達だけではない。誰よりも驚愕し、誰よりも怒りにそれを見下ろしたのは、敵を殺そうと刃を振り下ろした二人の男だった。
「ミギノ、」
〈何故、お前がここにいる、〉
絞り出された低い声、それに首を傾げた少女は足下に目を落とした。
「間に合ったな、」
**
〈す・げーーーー、〉
〈すげえよ。凄え。〉
〈スゲエ!!スゲエ!!スゲエっ!!!〉
〈騒ぐな、特にエミュス、煩い〉
目撃した一部始終、周囲のあちらこちらで自然と声が漏れる中、自分の直属の部下が一番煩かった。眼鏡を指で押し上げた上官センディオラに、媚びるように笑ったエミュスは未だ興奮気味に地上を指差す。
〈センディオラ分隊長、あれこの前の子供、隊長の黒長鼠ですよね!!〉
〈そうだ。あれはオゥストロ隊長の黒長鼠。メイ様だ〉
鷹豹のフェオとアラフィアに遮られ、空では乱された隊列のままバラバラと竜騎隊は舞っている。第三の砦や王城で、オゥストロの歩幅に小走りで付き添い、腕に乗せられていた頼りない少女の姿を思い出した者達は、目の前の出来事に心から驚愕と感嘆の声を漏らした。
〈あれが天上人、〉
〈天上の巫女〉
**
「なんだ、あれは、」
愕然とそれを見た者達は、獣人に振り落とされて両軍の将の剣先に挟まった何かに注目する。跳ね飛ばされたかのように見えた白い綿の固まりは、少し離れた場所にぽとりと落ちたのだが、遠目にもぞもぞと動き始めたそれは、黄色い布地を拾い上げた。
「生きてるぞ、」
「何でだ、」
「しかもあの、大きな獣人は、なぜあそこに?まさか、あの子供に従っているのか?」
「なぜ生きているのだ?あの少女は、黒竜騎士と団長の、あの衝突の間に入ったのだぞ?」
周囲の騎士達からは同じ様な呟きが零れ出るが、大きな傷を受けてその場に立ち竦むメルビウスは、そうではないと否定する。
「自ら飛び込み、両将の剣の軌道を逸らしたのだ、」
「!?」
馬犬から飛び降りたエンゲイウスが身を庇うメルビウスに駆け寄ると、血を失いながらでも獰猛な瞳は、未だ小さな少女を見つめていた。
「何者だ、あの少女は、」
「団長の、婚約者です」
「聞こえなかった。もう一度」
「団長の婚約者である、天上人の巫女姫、ミギノ・カミナメイ様です」
エンゲイウスの言葉を疑ったメルビウスに、遅れてその場にたどり着いたレスティアオスが繰り返した。馬犬からひらりと飛び降りた黒衣のファルド貴族の青年は、言葉を飲み込んだ上官に微笑み返す。
「天上人、巫女姫?」
「副団長は遠征地にてご存知ないかもしれませんが、あの方は正式な統轄団長の婚約者。我が軍の天上の巫女姫です」
**
〈オゥストロ隊長!〉
フェオの背から飛び降りたアラフィアが駆け寄り、フロウの掲げた停戦の意味を示す書状を差し出した。ファルド帝国皇帝の書状に黒い瞳を眇めると、オゥストロは黒竜から降りて弾き飛ばされた自分の槍を引き抜く。そしてそれを再びフロウへ向ける事はなく手に収めた。
〈・・・・ファルド帝国皇帝からの和平交渉案、確かに受け取った〉
馬犬から降り立ったフロウも地に突き刺さる銀色の剣を鞘に収めると、まるで死闘など無かった様にオゥストロへ微笑んだ。
〈だが、トライド王国は我らが友軍。この地を今、明け渡す事は出来ない〉
トライドの名に眉をひそめたフロウだが、脇腹を裂かれたとは思えない程に優雅に微笑み返した。
「この地のことは、この後、皇帝陛下より正式な取り決めがなされるでしょう。停戦の旗、和平の使者、天上の巫女の横やりは、天の意志。ただ我らは皇帝陛下に従うまでの事です」
それを自ら踏み拉いたとは思えないほど、飄々と微笑むファルド騎士団の将軍フロウは、それよりも、と冷たい碧い瞳を眇めて小さな少女を見下ろした。
「英雄オルディオール殿、我が妻の身体を、危険に曝すことは止めて頂きたい」
「妻?」
〈・・・書状は我が国へ持ち帰る。来い〉
フロウの会話を完全に無視したオゥストロは、小さな少女のファルド国での役割は終了したと手を差し伸べる。それをきょとんと見上げた黒髪の少女は、丈の短い衣装を睨み付けたオゥストロに気が付いた。
「いや、それがまだ、色々と、やることはあるんだ、とりあえず、書状は竜王へ宜しく頼む」
〈婚約者として、許可出来ない〉
再び訪れた緊迫した状況に、辺りは不気味に静まり返る。そしてお互いの上官の一挙一動に注目し、息を飲み込み手にした武器の柄を握り直した。だが、それを引き裂く様に、その場に聞き慣れない叱咤が発せられた。
『*、*、メアーサン!メアーアンピリーズ!エスキュー、ユーユー!***ユーオーキューヒョチ!ンメアーサン!エアーサン!!』
不思議な言葉は二人の将軍を諫めると、戦場の空気を宥める様に上がったのは、少女の頼りない小さな両手だった。
ーー〈??〉
ーー「???、」
睨み合う、不穏な二人の指揮官の前に挙げられた小さな両手。その場を全て和ませるように、「ははは」と笑う声が沈黙した戦場の風に乗った。




