天上の巫女(4)
飯屋の女将が少女を呼びに来たのだが、小さな姿は何処にも無い。店の裏手には、空だった木箱に、大量の剥かれた芋で満たされていた。
「あの子、何処行っちまったんだ。・・・こんな日に、」
呟いた声に通りかかった近所の女が顔を上げて、周囲を見回している豊満な女将に声を掛けた。
「ジューなら、さっき天の石碑の丘に走ってったよ」
「天の石碑、なんだってそんな場所に」
「そういえば、珍しくへらへらして無くて、なんだか困った顔してたね」
「まさかあの子、ゼムを探しに行ったんじゃ、」
「ゼムって、シオルのとこの釣り人だろ?あの連中、戦争だなんだって、大騒ぎしやがって。男はみんな、どうかしてるよ。ファルドに逆らったって、勝てるわけないんだ」
男達の姿が極端に少ない店の中。いつも来る常連の破落戸達は、今日は一人もやって来ない。
「ちょっとあんた、あたしあの子探してくるから、店の者に言っといて」
「東通りの道だったよ!」
追ってきた声に頷いて、飯屋の女は豊満な身体を揺らして走り去る。やれやれとそれを見送った中年の女は、手渡された大きな前掛けを二重に腰に巻き付けると、裏口から店の厨房に入って行った。
**
「ジュー!」
居なくなった少女は、トライドの戦死者が眠る丘では無く、遠くに軍道が見える危険な丘に立っていた。汗だくの女将の声に振り返った少女の顔にいつもの笑みは無く、無言のまま再び遠くを見つめた。
「ここはファルドの奴らに見つかりやすい場所だから、来ちゃ駄目だってゼムが言ってただろ。帰るよ」
「ゼムさんは、みつかりません。ゼムさんはまた、いつものみすめありちゃんを、わすれていきました」
小さな手のひらには透明の転写石。女将がそれを翳してみると、中には裏町で奉仕活動に珍しい形の食事を配っていた、天上の巫女と呼ばれる少女が写っていた。
「ああゼムは、巫女様の周辺を釣ろうとしてたからね。でもあいつ、今日は情報屋じゃなくて、騎士団気どってファルドと戦争しに行ったんだ。この石は要らないから、あんたは帰るよ」
「でもゼムさんは、こいしをもっていきました。でもいつものみすめありちゃん、わすれていきました」
ゼムは、出来たての新しい転写石を持って出て行った。いつもの少女が写らない、新しい転写石を手にしたゼムは見慣れない姿だった。そして大勢で出掛けてから、いつまで経っても帰ってこない。その原因は小石を間違えたからなのだと、正しい少女が写る物を手にしてジューは、青年の姿を丘から探していたのだ。少女は不安げに、何度も女将が手にした転写石を指差して、そして戦場の軍道を指差した。珍しく駄々をこねて動かない少女に、女将は繰り返し説明して手を引くが、小さな頭は何度も遠くの軍道を振り返る。
「大丈夫だよ。昔みたいに、皆が帰ってこない、そんな事にはならないさ。だってあいつらは、ファルドに言われて嫌々じゃ無く、自分たちで行くって言って行ったんだ」
「・・・・・・・・」
「それに、トライドに来てくれた、天上の巫女様の加護がある。大丈夫だよ。ファルドなんかに、負けないよ、あいつらは」
「はやくておおきなものに、みすめありちゃん、のっていた」
「?、なんだい?早くて大きな物?」
「みすめありちゃん、ゼムさんのことろに、まるをもっていきました」
「丸?」
女将の手から戻ってきた小石を見て、ようやくにこりと少女は笑った。天上の巫女と呼ばれる少女が町を訪れてから、丸い形の食べ物が流行し、天上の加護があると縁起物として食されたり教会に供えられたりしている。ジューも丸い形が大好きで、少女の中での幸福を意味していた。
「さ、帰って食事を食べたら、明日の仕込みを手伝っておくれよ」
「はいっ!おいもはぜんぶはだかにしたので、こなかけて、はっぱをかぶせてねかせます!」
満面の笑みに女将も笑い返す。だが少女の笑顔に、似ても似つかないとある女の顔を思い出した。場末の廃屋娼館は、主にシオル商会の決まり事を破った者達が行き着く場所である。その中で、幹部の青年に腹いせで放り込まれた一般人の中年の女は、性悪な娼婦達に追いやられて路上で客の相手をしていた。
*
「・・・・・・・・」
「死体が好きな客とか、暴力専門。話なんて、まともに出来ないカモよ。あの女、来た日から、自分の不幸話しかしないから、つまんねえの」
「・・・・・・・・」
「おまえよりも不幸話、こっちはオモシロおかしく語ってやるよってネ、」
「・・・そうかい、案内ありがとよ」
数枚の硬貨を出すと、引ったくるように奪われる。案内の娼婦は走り去り、薄汚い格好の客が去って行った路上に目を戻した。鎖骨には溝があり、あばら骨が浮かび上がる痩せた女の元夫は、下腹部に暴行されて娼館街の入り口に吊された。数日間は息があったそうだが、死体となってからは何処かに移動されたらしい。
「あんたに聞きたい事がある」
「・・・・・・なに?いくらくれるの?」
「上から下まで、産んだ子供の年齢を、覚えているかい?」
「・・・言ったらいくらくれるの?」
男に暴行されて、言われるがままに子供を造って売り歩いた。暴力を振るわれた辛い経験を不憫に思ったので、思わず自分の過去も思い出す。
「あたしは過去に、この廃屋に居たことがある。そこで子供を産んだこともある。あの頃は辛かった」
若気の至りでシオル商会と揉めている男と共に居た。そして男は逃げて、自分は捕まり廃屋娼館に落とされた。だが腹には既に子供がいたので、産むことだけは許されたのだ。
「なら分かるよね?あいつらは産んでやったのに、ちっとも役にたたなかったよ。おまけに一番手間のかかる頭の足りないガキがさ、教えたことも出来ずに、失敗したんだよ。それでなんで、アタシがこんな目に、」
その後も自分の子供の愚痴を長々と語っていた女から、聞きたい情報をなんとか得ることが出来た。「もう帰るよ」と、女が座り込む、痩せた足下に数枚硬貨を置く。
「確かにそうだね。夜はきまって泣くし、すぐに病気はするし、育児ってやつは、子を産めない男には分かんない。大変なもんだ」
「でしょう?だから、育ててやったのに使えない役立たずは、最悪なんだよ。でさ、あんたはどうやって、この廃屋から抜け出したんだ?おしえてよ」
「・・・そうだね」
「連れてってくれよ、アタシ、なんでもするよ」
「・・・・・・・・」
縋り付く痩せた女の笑顔に、いつもにこにこと笑う少女は重ならない。その媚びた笑顔にここに来た目的を思い出して、骨に近い手から身を引いた。
「私はね、子を産んで、少し育ったあの子を、男どもが回収しに来る前に、一緒に逃げたんだ」
廃屋娼館で生まれた子供は破落戸に回収される。引き離される事が嫌で、命を賭けて逃げ出したのだが、結局は無理をして子供は弱って死んでしまった。
「そこでスズサンて医者に出会ってね、その爺さんが、なんにも知らなかった私が、なんで子を連れて命懸けで逃げたのか教えてくれた」
「その爺さんに会えば、逃がしてくれるの?連れてきてよ、」
必至で逃げて、動かなくなった我が子を連れて診療所に駆け込んだ。もともと身体が弱い子供を無理に連れ回した事が原因だったが、他人に渡すことも置いて逃げることもしたくなかった。それを泣きながら医者に訴えると、発音が少しおかしい言葉が返ってきた。
ーー「貴女は、母親になったから、子供を守ろうとしたんだよ」
「この子は貴女に愛された。お母さんは、少し不器用だったけどね」そう言って死んだ子の頭を撫でた医者は、追ってきた破落戸達と交渉してくれた。廃屋娼館から抜け出してからは診療所を手伝い、そして貧困層の子供の為に下町で飯屋を開くことになった。
「私は生まれた子の事を、物だと思った事が無い。あんたと私の違いはね、産んだ子への価値観なのかな」
「なんだそれ?」
「子を産めない男には分かんない、母性ってやつ。それを爺さんは、私の行動の意味だって、しつこく教えてくれたんだ。だけど、子を産めるあんたが分かんないんじゃ、爺さんでも教えることは難しいかもな」
痩せた女は逃げる方法を教えろと愚痴と悪態を叫んだが、構わず背を向け廃屋を立ち去った。
*
生まれた子供はろくに食事を与えられなかった。上手く成長期を迎えられなかった少女は、見た目に幼く様々な成長が遅れている。実際は十歳は超えていると医者に言われたジューは、女の愚痴から十五歳ほどの年齢だと女将は推測していた。
「今日は大きな鳥が手に入ったんだよ。この前の、空から落ちてきたやつじゃないよ。焼鳥、ジューも好きだろ?」
「はい!ぐらんがれるは、ジューは、だいすきです!」
陽が暮れてきた丘を背に歩く二人は、振り返らずに夕食の煙が流れる町並みに帰って行った。
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「頭!ファルドが敗走してます!」
「逃げてんじゃネエゾ腰抜けが!!!」
「ぶっ殺してやる!!」
「ウォラ!!オメエら!!、深追いすんな!あの信号弾は、墓守への命乞いだ!死ぬならここで、死にやがれ!!」
ただの会話でも怒号の様に怒鳴り合う。金属と馬犬の嘶きに、男達の雄叫びがぶつかり合った。その中、平常に貴族然としていたシファルと呼ばれるトライドの騎士団長は、生まれ育った環境に周囲へ叱咤罵声で指示をする。隊列も組まずに軍道を走るファルド騎士団に、通行料をよこせと因縁をつけて襲撃した。指示系統が上手く機能していないファルドの一団は、数で劣るトライドの襲撃にも耐えきれずに敗走をし始める。
これまでシオル商会という破落戸達は、不様に逃げたものを更に追い立てる生き方をしてきた。なのでグルディ・オーサに撤退した部隊を追撃しようとした部下に、破落戸首領のシファルではなく、アールワール・ノイスという騎士団長となった男は我に返って口調を改めた。
「墓守、ではなくファルドの第四師団、その中でも上から第五部隊までが出たら躱しなさい。奴らは国家権力を盾とする、ただの人殺しです」
「破落戸らに言われたら終わりですね」
「団長を始め、第四師団の奴らには情が無い。虫一匹も逃さずに、生きている者は殲滅したい連中です」
極東のラグー諸島国は、魔戦士に蹂躙された後に騎士団の戦略により第四師団が残った者達を殲滅した。現在は、船で沖に逃げた者達が、近隣のオーラ領とエールダー領に経済支援されて港町を再興させたのだ。
「ノイス団長!、あれを!!」
ゼムの叫びに示された方角を見ると、広大な軍道に散らばった死体と負傷者、横倒された馬犬の間を何かが猛然と走り抜ける。敵味方、息をついた者達は、見たことも無い大きな獣人が自分たちの真横や頭上を過ぎ去った瞬間を目にした。
「!?」
その獣人の背には、ふわりと何か白いものが乗っている。トライドのノイスの屋敷でその正体を見た者達は、間抜けにも口を開いて見送った。
「ゼム、あれ、」
「巫女ちゃん!!?」
イエルスが指差した先、戦場を激しく上下する大きくしなやかな獣人の上、生意気にもちらりと横目でこちらを見た気がした。背中に背負った不自然な棒は、よくよく見ると剣にも見える。
「・・・なんでこんなとこに、」
巫女といえば戦場には出て来ず、教会や大樹の前で祈り歌うものである。更に天上人の称号を持つ者は、王城の本殿の神官よりも格が高いだろう。非現実的な獣人の背を呆然と見送ったが、誰かの怒号に飛んできた攻撃を躱して伏せる。砂煙と血飛沫が風に舞い、何かの金属臭に現実に引き戻されて、ゼムは再び敵と対峙した。




