天上の巫女(1)
「・・・これは、」
早朝、屋敷に訪れた伝令は、家令のアスファに軍の通達を手渡した。
「同内容が、既に国中に散布されています。ヴァルヴォアール将軍閣下より、家令のアスファ・ルオー殿へ伝令。客人の対応は、貴殿に一任するとの事であります」
「承りました」
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ヴァルヴォアール邸の東の客間を使用するのは、アミノ公爵令嬢であるウェスフェリア。その令嬢が自分の報告で美しい顔を悲しげに歪ませた事に、従者の青年は胸を痛める。
「フロウ様の別邸に、何故かしら、」
ファルド帝国ヴァルヴォアール公領の本邸に、公主であるフロウ・ルイン・ヴァルヴォアールは、たまに顔を見せるだけで帰ってこない。だがその主は城下の別邸に、見知らぬ女を囲い入れた。この情報は、その別邸の使用人を抱き込み金で縛り聞き出したのだ。
「ですがその者が部屋に入ったすぐ後に、何か事件が起きたらしく、主様の部下が呼ばれて内々に処理されたとか」
呼ばれた部下は第一師団のフロウの側近で、現場では使用人にかん口令が敷かれた。だがその使用人の一人に金を与えて得た情報では、客間は無残に窓硝子が粉々になっており、囲われた女は何者かに攫われたそうだ。
「物騒ね、」
「天上などと騒がれてはいますが、出自は得体の知れない者だとか。きっと善くない連中にも、目を付けられているのでしょう」
「そうね。でもそんなものと、フロウ様が関わる事が不安だわ。どうにかならないかしら、その巫女様」
「お任せ下さい!」
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「グルディ・オーサの軍基地に、緊急連絡ですか?」
「はい。我が主のセルフィン様が、御父上に火急の報せがありますので」
「ですが軍道を使用するのは、騎士団の許可が必要です。ロールダート公のお身内の方でも、私用であの道は使えません」
「ですからこうしてお願いしているのです!セルフィン様は既にこの屋敷に住まわれる次期奥方!夫であるヴァルヴォアール騎士団長の家からの緊急連絡とすれば、騎士団の許可を得ずとも使用出来るでしょう?」
「出来ません。我が主の紋章、それを正式に奥方でもないセルフィン様の使用は、断じてお断り致します」
「アスファ殿、家令ごときが、そのような事を言える立場なのか!」
「はい。この城の管理は、主より一任されております。たとえ婦人会が認められた奥方候補でも、今はまだ、当家のただの客人です」
「!!」
「我が主の紋章を無断使用すれば、然るべき対応を致します」
ロールダート家の従者は、舌打ちに立ち去った。田舎のトライドへ遠征中の父親に連絡しろと令嬢が騒いだのだが、これは今に始まったことではない。ヴァルヴォアール家の家令であるアスファは、主が望まないのに屋敷に居座り続ける二人の令嬢に内心ため息する。
アミノ公爵令嬢は見た目に清楚な美しい女性、ロールダート公爵令嬢は、華やかなで魅惑的な雰囲気の女性であるが、自分がヴァルヴォアール公爵家の正妻となることに手段を選ばないのだ。
(今回は、ロールダート家のセルフィン様が先に動いたか。いや、ウェスフェリア様も、もう既に何かされているかも)
巧妙から稚拙、あらゆる手段でフロウ・ルイン・ヴァルヴォアールに近寄る女達を蹴り落とす。そして彼女たちに共通することは、自分の手を一切汚さない事にある。
「あの娘は将軍の好みの髪の色」
「昨日フロウ様にあの娘が招待されたわ」
「あの娘はいつもフロウ様を見ているのね」
「親戚だと、彼のお側に近寄ってもいいの?」
そう呟くだけで、仕える者達が対象者の対応をしてしまうのだ。
ある令嬢は金の髪を土色に染め変えさせられ、
ある令嬢は家が没落し、
ある令嬢は目に怪我を負わされて、
ある令嬢は破落戸に襲われた。
二人の令嬢は揺るぎない財力と、親は大貴族の地位にある。ヴァルヴォアール公家に嫁ぐと有力視された、数多の貴族の令嬢を遠ざけてきた結果、残った両家は力が拮抗していた。互いが互いを排除出来ずに、今現在は婦人会に金を渡して、奥方候補としてフロウの城に入り込んでいる。
そしてグルディオーサ領へ遠征していた当主に代わり、まるで自分がヴァルヴォアール公家の主のように客人を持て成していた二人だが、ここで想像も出来なかった敵が現れた。
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「これが天上の巫女?」
セルフィンの手にした透明の魔石には、黒髪の小さな少女が俯き加減で写されている。
「東地区の古い教会から、出て来たところを写した物だそうです」
古びた教会の隣側は、貧困層の集合住宅地になっている。その一室に潜んで少女の姿を盗撮した人物は、破落戸ライド家の情報屋の若い男だった。学生の様な見た目の青年は、一見破落戸には見えない。話しやすく手軽に情報が得られると、セルフィンの周囲の者たちはライド家を金で雇っていた。
「嘘ではないのかしら?この様に貧相な子供が、天上人?」
「はい。その者は、護送車ではなくヴァルヴォアール将軍と、同じ車に乗ったそうです」
「・・・・・・・・そう」
共に車に同席したと聞いたセルフィンの、声音が明らかに冷たく下がった。
「犯罪者と共にエールダー公爵閣下に連行されたのです。おそらく、裁きの塔行きでしょう。ですがもしかするとその者は、巫女という立場から、塔行きを免れるかもしれません」
「王城には、叔父様がいらっしゃるわ。そちらにも、この件のお手紙を出しておいて」
城内でその少女を見掛けたら、セルフィンの邪魔者として排除するように願い出る。磨き上げられた爪には、花の香りがする美しい染料が塗られている。その出来を確かめて、そうだと可憐に微笑んだ。
「もし、その者が巫女だからと塔に入らないのであれば、そうね。天上から来た珍しいお客さまとして、上皇妃様のお茶会に、ご招待すればいいわね」
「そんな、得体の知れない者を、上皇妃様のお茶会にですか?」
「あのお方はいつも退屈なさっているもの。珍しい見世物としては、皆さま楽しめるのではないかしら?」
無邪気に笑うセルフィンは、お茶会の場で独りで晒し者にされる、貧相な少女を想像して笑う。そして椅子に座ると、足置きに片足を乗せた。従者が恭しく履物を脱がせると、整えられた爪先に色を乗せていく。一仕事終えたセルフィンを労うように、侍る者達は肩を揉み、手に入れたばかりの珍しい菓子を並べて手元に捧げ持った。
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「箱車通りの三番外灯の下の学生、目立つ物乞いの少年にこれを渡しなさい。それと、これはトライドの釣り人に」
主の職場にまで問題を通さない。与えられた権利に、アスファは自分のところで処理をしようと、小間使いに言い付けた。独自に雇う庶民の情報屋も数人居るが、ありとあらゆる手段を用いる事にする。なので今回は、破落戸の情報屋を優先的に使うことにした。
足早に立ち去った使いの者から目を逸らし、アスファは広い庭園を見回す。
嘗てのラウド城を、ヴァルヴォアール家が使いやすいように手直しした。その一つに主のフロウに相応しい、幾重もの花弁が美しい大輪の華の庭園がある。それが最もよく見える正妻の間の大窓からは、誰も庭を見下ろす者がいない。
その間を使用したいと、二人の令嬢に強く出られた事は何度もあるのだが、この城を任された家令としてアスファは頑なに断っていた。
(天上の、巫女様、ですか)
アスファの手には、セルフィンが見ていた魔石と同じ、少女が写る物が数個ある。その石の売り手は、学生風の破落戸だ。角度を変えて写された少女の顔は、令嬢が手にした物よりもはっきりと見えていた。
悲しげな顔で教会から出て来る姿、胸元で手を握り、不安な表情でエールダー公家の黒い箱車を見上げる横顔。周囲の騎士の胸元に、届くか届かないかの小さな身長は子供にしか見えず、華やかでは無い顔の造作が見てとれる。
(・・・・・・・・)
再び大華の間を見上げたアスファは、部外者の侵入を阻み続けたその場所に、主の婚約者とされる魔石の少女が窓辺に立った姿を想像した。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はあ。」
長考の末、従者としては、主に対してのあり得ないため息が零れ出た。民草の取るに足らないヴァルヴォアール公家の当主に対する、根も葉もない噂話は全く気にもならなかったのだが、その噂話が実現されようとしている。
「・・・・」
気持ちを切り替えた優秀な家令は、踵を返すと仕事に戻っていった。




