大聖堂院宛 破棄された報告書(2)
少女ミギノは三日間動けなかった。
その間、基地内を彷徨く玉狩りが不穏で陰気な空気を放ち、基地内は殺伐としていた。
(女の子、女の子かー・・・。僕、けっこう強めに掴んじゃったけど、痛かったかな・・・。女の子、)
ぼんやりと彷徨く基地内。エルヴィーは第十師団が陣取る病棟を徘徊していたが、師団長に用事がないなら出て行けと追い出された。それからは、陰鬱な無表情で中央棟の廊下を彷徨いている。
(ミギノ、今はメアーや医療班と一緒に居るよね・・・。なんだろう、なんだか苛々する・・・)
分かりやすくエルヴィーを避けて過ぎる隊員達。普段は全く気にならない、無関係な者たちの行動にさえ苛立ちの原因となる。
(そうだ、ここに居ても意味ないから、仕事に行こうかな。でも、誰のために?エミーの事は愛してるけど、もう、ルル集めも意味ないし・・・。ルルって、大聖堂院じゃないと、換金出来ないんだよね。・・・捕まえても無駄だよね)
足は重く、基地から出てはみたが先へは進まない。声をかけられるままに呼び込まれた店に入り、しな垂れかかる女を背にして日がな一日基地を眺めていた。
(このまま、あの子が起き上がれなくなったら、どうしよう)
少女の回復を邪魔せずに待つ。その間、いつもの娼館で刻を費やそうとしたが、苛立ちが解消される事は無かった。
***
ーーー第十師団、医務室一号番。
「よく来たな」
翌日、エルヴィーが扉を潜ると、寝台に腰掛けていたミギノが笑って振り向いた。
「ミギノ!起きれるようになったんだ!」
堪らずに抱きつくと、ミギノは「まってまって」とエルヴィーの肩を押す。そして「蒸浴、蒸浴」と、顔を赤くして自分の細い腕をくんくん嗅いだ。
「蒸浴?」
意味がわからずミギノに拒絶されて落ち込むエルヴィーに、後ろから一部始終を見ていたメアーから笑い声がする。
「女心を察してやれよ」
言われたエルヴィーはまだ不満そうだが、メアーと浴場へ行くミギノを大人しく見送った。薬臭い医務室で独りになったエルヴィーは、ぐいぐいと突き放された肩に触れミギノの行動を反芻する。
(蒸浴?・・・匂い。ミギノ、女の子だったんだよね。そうだ、女の子って匂いで騒ぐよね。汗臭いとか?そうか・・・、あの子、僕に匂いを嗅がれたくなかったんだ。照れたんだ。え?・・・僕に?、)
その感情が体に甦り体がぞわりと奮えたエルヴィーは、自分が照れたように頬を赤くして両腕をさする。
(ムズムズ、する。なにこれ、何だっけ?)
娼館の女性達は、金を払うエルヴィーに積極的に抱きついて来る。感情の伴わない笑顔の抱擁。女性が照れて、自分が異性で恥ずかしいと拒絶する姿は久しぶりの気がした。
(でも、本当に良かった)
ミギノが起き上がれなくなった三日間は、今まで感じた事の無い不安に侵され続けていた。
筋肉痛と言ったが、エルヴィーにはそれが全く想像出来ない。しばらく使用しない筋肉が重たく感じる事はあるが、傷以外での痛みの内容を経験したことが無いからだ。
メアーにはミギノに話が通る為いつも通り仕事と流したが、実際はミギノに会いに行く以外ほとんど娼館にいた。込み上げる不安から逃げるように。
〔数字持ち〕の中、エミーに嫌われた魔法士の玉狩りはエミーから愛情を貰えない。その空虚感が大きくのし掛かり、自分の存在がひどく曖昧になる。それを紛らわすように、いつもは他の事で補っているのだ。眠るか、性的発散をするか、食物を食べ続けるか。
だがエルヴィーはミギノを森で見つけた瞬間、何かを思い出し引き付けられてしまった。これは大きな問題で、エミーだけ愛していた自分が、何故ミギノが気になるのか理由を突き止めなければならない。
(でも、ミギノが気になる理由って、ただ気になるから気になるだけであって、・・・これって、やっぱりエミーへの裏切りかな?)
森の中、ぼろぼろのミギノは全身落人の要素があり、このまま帝都に連れ帰れば大聖堂院預かりになってしまうと分かった。だけどミギノは落人のように狂ってはいない。知性もある。話し掛ければ聞き慣れない言葉を話す小さなミギノ。エルヴィーは、とりあえず大聖堂院の手が出しにくい基地を選んで連れて来た。
エミーの対立派閥の騎士団。
(これってやっぱり、エミーへの裏切りだよね。・・・でも、首の数字は痛くならない。・・・この数字は大聖堂院にとって不利になる情報を、騎士団に知られないためだけなのかな?・・・)
三年前、首の後ろに魔法で数字を焼き付けられた。それは数字持ちの言動を縛るための呪い。大聖堂院への忠誠を欠き、罰として発動されれば再び数字は激痛を伴うのだ。
(口に出さなければ、エミーへの愛は疑われないのかな?エミーの事は愛してるけど、ミギノが気になっても数字は大丈夫みたいだけど・・・)
運良く、このトライドの森の近くのグルディ・オーサ基地には騎士団が駐在していた。他の玉狩りにミギノを見つけられる前に、エルヴィーは急ぎ基地に向かったのだが、そこには顔見知りがいて、今に至る。
(この気持ちが何なのか、分かんなくてごちゃごちゃはまだ残るけど、・・・ミギノが起きて、よかった・・・本当に・・・)
娼館では、ずっとミギノの事を考えていた事を思い出す。エルヴィーは、ミギノが自分に似ているのだと何故か初めは思ったが、よく見れば似ている箇所なんて一つも無いのだ。
(なんで似てるって思ったんだろ・・・。僕に似てるっていうか、誰かに似てるっていうか)
自分の本職、エミーに命じられたルル狩りの、そのルルを隠し持っていた事、それを飼っていることには驚いた。ミギノは出会ってまだたった三日なのに、今まで三年間エルヴィーが感じた事の無い感情を沢山与えてくれる。
(あのルルに、まさか餌をやろうとはね)
塵と呼ばれる魔物はとても危険なのだ。しかしミギノが離さないし、何よりルルがしつこく離れない。
(感情も知能も無い、ただの粘菌の類かと思っていたのに)
ルルは死体に取り憑いて悪さをする、たちの悪い魔物なのだ。手袋の魔法呪符で痺れさせないと、自分が痺れるので触ってはいけない。そして本体を袋一杯捕まえたら、大聖堂院へ速やかに納入する。
ルルを奪う人間は始末する。
ルルが触れた人間は、落人化するので始末する。
それがエミーの至上命令だった。
(とりあえず、ミギノは落人化していないし、死体じゃないから、取り憑かれる心配は大丈夫だよね。結局、僕はエミーとの約束を破っちゃった。これが僕がエミーに嫌われた理由なのかもね)
「・・・・」
(まあ、いいや。数字の呪いも発動されてないからね)
うふふ、とエルヴィーは笑うと、手を抜いていた仕事を思い出して袋を担いだ。
(近くに六十六が居るかも。昨日隣の娼館に居たしね)
袋の中のルルを、同僚の玉狩りに渡してしまおう。そして身軽になって、ミギノと今後の話しをしよう。そう考えたエルヴィーは、足どり軽く基地を出た。
**
エルヴィーは南の村の奥地にある、鄙びた娼館で同僚を見つけた。
「ロウロウ!」
「なんだ、エルヴィーか」
「この店、エミーに似てる女の人居た?」
「居るわけ無いだろ」
「ふーん。じゃあ黒髪で、背が低めの、・・・」
「は?」
「ウソウソ、今のナシ」
「・・・・は?」
「そうじゃなくて、これ、あげるよ」
突き出された袋には、数日歩き回っても見つけることの難しい魔物が沢山入っている。それにロウロウは首を傾げたが、お互いに仕事やエミーの情報しか共有しないので、理由も聞かずに大量のルルを受け取った。
「おい、大聖堂院への報告書が入ってないぞ」
「それはロウロウが書いておいてよ。収穫場所は、トライドの森だから」
「大森林か。確かに、落人の気配がこの辺にもあるけどな」
小さな魔物が集えば、人型の凶悪な魔物を呼ぶ。それを肌で感じる数字持ちは、集落を取り囲む森を眺めた。
「・・・そうだね気配するよね。じゃあね、ロウロウ。エミーに気に入られると良いね」
「・・・・・・・」
エルヴィーは、それだけを言って笑顔で背を向けその場を後にした。だがこの行動が、エルヴィーを長く苦しめる事になる。
***
ーーーグルディ・オーサ西方基地への通り。
今までにないくらいすっきりしていた。エミーへのルルはロウロウに託し、周辺には落人の気配も無い。
(ミギノ、待ってるかな?僕のこと)
基地に着く頃には既に暗く夜になっていた。真っ先にメアーの医務室に向かったがミギノの姿は無く、行き先を聞いてフロウの元へと早足になる。どうやら以前に話していた、異国の言葉の壁を壊しているらしい。
「ミギノ!迎えに来たよ!」
入室許可を得て無いので戸口の前で大声で呼ぶと、少女は早足にエルヴィーの元へとやって来た。軽い足音、開け放たれた扉には求めた少女が出迎える。
「私、待つ待つエルビー!とても!とても!うれしい!帰宅する!」
片言だが、エルヴィーは少女と自分の心が一致した事にまた胸の内が温かくなる。そして自然に上がる口角で微笑むと「帰ろう」と頷いた。
『*************、****、*******!』
(嬉しそうな顔、僕に会えたから?)
ぺこりと室内に頭を下げたミギノに、フロウは何やら不機嫌な顔で「また明日な」とだけ言うと奥へ消え、他の隊員は不自然に微妙な顔をしている。エルヴィーは彼らを無視してミギノの頭を撫でると資料室を後にした。
「ミギノ、えらいね。頑張って、言葉、たくさん覚えたね」
今まで意味も分からずエルヴィーの言葉をただ復唱していたミギノと、少しづつ意思の疎通が出来るようになる。嬉しさに医務室に着くまで何度も些細な事をミギノに話しかけ続けた。
「どこまで覚えたの?あれ、分かる?」
「あれは、ほしてす」
「あれは、星、です」
「あれは、ほし、です」
「そうだよ、えらいね」
「じゃあ、色は?」
「色は、青です」
「お、発音もしっかりしてるね」
『エルビー******』、
「ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとう」
『?』
「いいのいいの。楽しいの」
あっという間に着いた医療部屋。小さな手は名残惜しまずに中へ合図する。子犬が扉を引っ掻くように音がしない。ミギノ独特の力弱い合図に気怠い声が返った。
「帰ります。こんにちは」
二人が扉を開けると、医師は気怠そうに革張りの椅子に腰掛けて医療報告書を見ていた。そんなメアーに開口一番エルヴィーは宣言する。
「ねぇメアー。今日から僕はここで寝るから」
「あ?何言ってんだ、テメエ」
「てめえ、てめえ」
「「・・・」」
「てめえ、てめえ?」、
『**********、********。*******』
「メアー、〔それ〕、やめて」
「・・・・」
ミギノの寝泊まりしているメアーの医務室は、寝台が入院治療用に六台並べてある。初めから病気でも何でもないが、ミギノが少女だった事もあり、流れでそのままここを借用させているのだ。
「そもそも医療師団長のメアーが対応するほどの、重篤な患者は今は基地には居ない。それに寝台はあと五つ空いているよ」
「だから?」
「ミギノ一人しか使ってないよね、問題は無いよね」
「・・・はあ、なんだ。人形。テメエ、どうした?」
メアーの言いたい内容を、間違いなく理解しているエルヴィーは「何の事?」と惚け首を傾げる。
「お前、〔大好きなエミー様〕は、一体どうしたって、言ってんだ」
「うん。〔それ〕はロウロウに渡して来たから大丈夫じゃないかな」
「それこそ何の事、だ?お前の頭が大丈夫かって聞いてんだ。それに、そのガキ、異常性欲者の、お前の欲望の捌け口にならない保障はないだろ。却下だ。娼館へ帰れ」
メアーの言葉に、エルヴィーは隣で立っていた少女を素早く振り返る。いつの間にかミギノは手にした半透明の青いルルに、菓子を「おいしいおいしい」と言いながら押し付けていた。
(聞いてないよね・・・。あの子、すぐに〔娼館〕覚えちゃったから。意味は・・・分かってないよね?)
少女がこちらを向いていないことに安堵し、再び無精髭の医者を振り返る。今度はいつもの無表情で対象を見据えた。
「メアー、だから〔ソレ〕も止めて」
少し強い口調になったエルヴィーに、メアーは面白い物でも見た様な顔をする。
「ソレじゃ、サッパリわかんねえし。まさか今のは、娼館通いを、そこのガキに知られたく無いって訳か?」
エルヴィーは明らかに不愉快を感情に任せて顔に出した。今度はそれを見たメアーが慎重な表情になる。
「お前、本当にエミーの事はいいのか?」
「僕がこの子を拾ったんだ」
「棄てられるぞ」
「僕は保護者なんだよ。この子を守る権利がある。・・・それに、元々僕はルデアだからね。だからメアー、今日から僕はここで寝るから。」
「却下。」
「メアー、君は自室に戻るよね?その間に、この子は誰が守るの?」
「ここには敵は居ない」
「フロウが居るでしょう!」
「・・・・・・・・当たり前だろ?あいつ、責任者だぞ」
「そこだよ。フロウ、メアーより上官なんだよ。何かあったら、上官命令に逆らえるの?」
「あ?、」
「あの人、善くない噂が王都にあるんだ。好色だって、」
「お前に言われたくないだろ、あいつも、」
「僕はお店に行ってるだけ。フロウのこと、お店の女の子たちは話してる。女好き、それも若い子を選んでるって」
「・・・それは、好きずきだろ、」
「巷では、小さな子供が好きだって、噂されてるけど。そんなフロウから、メアーはミギノを守りきれるの?」
「・・・おい、話しをおかしな方向に逸らすんじゃねえ」
「あの人の本気の命令に逆らえるのって、ファルドでも限られてる。エールダー公、それにエミーくらいだよね。騎士団内には居ないよね。メアーも一応将軍だけど、フロウの部下だもんね」
「・・・おい、」
「僕は騎士団じゃない。仲の悪い大聖堂院側だ。だけどフロウと誓約してる。ミギノに酷いことしないでって内容で。メアーより、フロウと対等だよね」
「・・・・・・・・・・」
沈黙したメアーに、それを了承としてエルヴィーはミギノと隣の続き部屋へ移動する。しばらくすると、少女がエルヴィーが隣の寝台に寝ていると騒ぎ始めたが、メアーは軽く頷くだけで訴えを相殺した。
***
ーーーグルディ・オーサ西方基地、資料室。
翌日からエルヴィーがミギノに言葉を教えると言い出したが、それは誓約に反する内容に触れると許可されなかった。それに基地内で入室を制限されている。資料室は侵入禁止の一つなので、少女と一緒に中に入る事が出来ずに廊下に立っていた。
(なんなの、この部屋、どうせリマの残した塵しかないくせに。エミーが喜ぶものなんて、何も無いなら僕も入ってもいいじゃないか。誓約の内容って、変えれるんだっけ?駄目かな・・・どうやったら資料室、入れるんだろ、)
既にルルを集める気の無いエルヴィーはやることも無く、ミギノが出て来るまで刻をつぶす事になった。何もせずに苛々と資料室の扉を見つめ続けている不動のエルヴィーに、更に苛立った声が背後から投げつけられた。
「おい穀潰し。目障りだ。消えろ」
「・・・ステル・テイオン。君はいつも煩いよね」
「俺は大聖堂院が嫌いだからな。その中でも、あの銀髪の女が一番、目障りだ」
「そうなんだね」
「・・・は?、」
愛しい女の全否定。これに反応しない玉狩りは居ないのだが、いつもの様に無表情なエルヴィーは言葉に怒りも滲ませなかった。
「わかってんのか?、お前の、お前達の大好きな、オーラ大聖導士の事を、目障りだって言ってんだぞ?」
「うん。でも、僕はエミーには会えないから、それは本人に伝えてよ」
「なに?」
言葉の噛み合わない男に、それを侮られたと憤ったステルはエルヴィーを突き飛ばし扉から遠ざけた。
「やっぱお前が一番目障りだわ。税金分働けよ。落人、狩りに来てんだろ?こんな、ど田舎までわざわざご苦労さん」
乱暴に閉められた扉。それを見つめたエルヴィーは、なる程と頷いた。
「落人・・・」、
(そうだね、落人。出てきたらミギノは困るよね。あれ、見た目も気持ち悪いし・・・・奴らに、ミギノを連れていかれたら困るからね)
この三年間、落人を見てきた玉狩りには分かる事がある。騎士団は無力なミギノが落人の持ち物を何かしらの方法で手に入れたと決定したような口ぶりだったが、エルヴィーは自分の中の重大な疑念を一つ、未だ彼らに伝えていなかった。
(あの子は確実に、落人の仲間だ)
身体の欠損が無く、判断が正常な落人は初めてだった。少女を帝都に連れ帰れば、確実に大聖堂院の聖導士達の研究材料になるだろう。だからこそ簡単に彼等が手を出せない、敵対勢力である騎士団に連れて来たのだ。
(やっぱり騎士団に連れて来て良かった。もう、大事なものは、取られたくないからね。・・・あれ?、前にもこんなこと、あった?・・・、どうだったっけ?エミーは別に、取られてないし、そもそも僕のものじゃないし。・・・まあいいか)
初めはエルヴィー自身、少女への気持ちが何か分からなく、それを判断する猶予としてここに連れて来た理由もあった。それが定まった今、エルヴィーに躊躇いは無い。
(あの子は僕が見つけたんだ)
ミギノに触れる度、心地よい感情が湧き上がるのを感じる。これはエミーへの、自分の存在を主張したいと思っていた、あの気持ちとは似ているようで違っていた。
(必ず守ってあげよう。だってあの子は、僕のものだからね)
エミーに振り向いて貰いたいと、縋る気持ちとは同じでは無い。ミギノを守る事は、最早エルヴィーの中では決定事項だ。
(にしてもアレ、早くどうにかしないとな)
青い玉、半透明の青い魔物は、常に少女の肩に乗る。
昨夜ミギノが眠りについた後、少女の持つルルを排除しようとしてまた失敗した。これで四回目である。ミギノは眠る最中も、ルルを手に握っているか枕元に置いているのだ。
(ミギノが傍に居るから、大きな力になっちゃう殺傷魔法は使えないし、はぁ。魔石の赤って、微調整が難しいんだよね。朱の石で、じりじり焼いたら消えるかな)
エルヴィーにはルルを素手で触り排除する事が出来ない。ルル狩りには呪符の描かれた手袋を使用するのだが、少女の傷だらけの腕や足をそれで拭ってしまったのだ。以来呪符が滲んで効果が無くなった。玉狩りはルルに直に触れると、身体が痺れて動きが鈍くなってしまうのだ。何故かミギノには平気なようだが、エルヴィーは実際に森で触れてしまい数日間身体が麻痺してしまったこともある。
(どうしよう。処分するところを見せたら、きっと悲しむだろうし)
あんなに可愛がっているのだ。少女の目の前でルルを処分しようとは思っていなかった。
(でも本当に邪魔だし、危ない事にはかわりないからね。何か別の処分方法を考えよう)
それも思案しながら、落人を探しに基地を後にした。
**
(なんだろう、やっぱり気配はあるんだよな)
基地周辺を見回ったが、落人と遭遇しなかった。数字持ちは落人の急所を知っている。なので知識の少ない騎士団よりも素早く処理が出来るのだ。
死人が動き出したような姿の落人に、怯えて遠離り攻撃するような無駄な事はしない。無駄に切り刻み、動き出す肉片に怯懦して更に落人の被害が増えるのだと大聖堂院では分析していた。
四肢を切り落として、取り憑いたルルを焼いてあぶり出せば良い。この方法は、数字持ちが狂った場合の処分方法と同じなのだ。もちろん騎士団側に、あえて教えるはずもない。方法を知らずに無駄に負傷したり被害を拡大させている騎士団を見て、エミーの娘であるオルヴィアは笑っていた。
(オルヴィアさんか、あの人にはミギノを会わせたくないな。・・・やっぱり、ここから出たら遠くに行こう。そのためには、先に落人を処分しないとね。長引いたら、他の数字持ちも沢山集まってくるだろうし)
玉狩たちは、魔物同様に落人が現れそうな場所もなんとなく分かるのだ。今はまだ、自分以外の数字持ちが一人だけだということを確認しているエルヴィーは、集落から遠くの森を眺め見た。
(近くに居そうだけど、森かな。・・・あんまりミギノから離れたくないから、後でにしようかな。・・・そうだね。戻ろう)
**
棒切れだと思っていた騎士たちが、最近は人に見えてきた。煩わしく騒ぐステル以外の者たち、エルヴィーを嫌悪し遠巻きに顔を歪めている事に不愉快な気持ちになる。それを全て、小さな少女が一言で吹き飛ばした。
「よく来たな!飯、行こうぜ!」
「ただいま。ミギノ」
少女の後ろには眉間に皺を寄せたフロウが居たが、笑顔のミギノはエルヴィーを慕って抱き付いてきた。列に並ぶ食堂では、周囲の兵士たちが小さな少女を興味津々に見下ろしている。大きな盆を台に乗せた少女は、丸い頬を染めて振り返った。
「ヴァルヴォアール、団長、今日は肉サンド」、
『***************』
はしゃいでいた少女だが、料理長から受け取った分厚い焼肉を見て少し元気がなくなった。
「肉が嫌いなのか?」
「違うよ。この子には量が多いんだ」
「食べさせろ。食べ盛りだろう?ただでさえ小さいのだ。北方の者たちは、豆ばかり食しているから華奢だと聞いた」
「いいの。残りは僕が食べてあげるから」
食べ始めてからは、大食漢のエルヴィーがミギノが食べきれない肉を引き受けて食べている。フロウよりも少女の事を把握していると言い返すと、本人から肯定の返事がきた。
「ありがとう。エルビー」、
『******。***********************。*****イチギブアップ』
「イチギブアップ?、どういう意味かな?」
『*******。エルビー、オース******』
「・・・・、あ、」
『*ッ**、***?』
「おい、肉から垂れが出てるぞ」
「言わなくても分かってる。ミギノが今、教えてくれたから。ね、ミギノ」
「ね、」
言葉は全く分からない。だが身振り手振りで笑い会う二人。不機嫌になったフロウを見て優越感を覚えたエルヴィーは、態と見せ付けるように小さな頭を撫でてあげた。
「身体も良くなってきたし、そろそろ外に出てみようか?日に当たらないとね。焼鳥食べに行こう」
「ぐらんがれる?」
「ミギノの好みを聞き出したが、肉類は入ってなかったぞ」
軍関係の仕事もせずに、語学授業に少女の好みを聞き出した。国境線の責任者を横目で見流したエルヴィーは、聞き流してゆっくりと話し掛け直す。
「へー、今日は、ミギノの好きなもの、のお話し、したんだ」
「はい。私」、
『*ップ**。****ー*****ー**。**』、
「無い。ここに」
「アップウェン、ダブルチールヒリカレーアシ、ビミ」
『***』
(アップウェン、・・・なんだろう。豆に関する何かかな?)
調理場を眺め見てみるが、今日の献立に豆は一切無いようだ。
「エルビーは、何か好きですか?」
「え?、僕?、・・・・、」
そんなことを、初めて聞かれた。遠い昔に聞かれたかもしれないが、この三年では初めての質問に、エルヴィーは長考する。
(・・・・エミーは好き。それは絶対に変わらないと思うんだけど、今は、どちらかといえばミギノが気になるし、・・・でも、それを好きって言ってもいいのかな?)
「・・・・」
「僕は「エルヴィーは女が大好きだな」
「!」
狙ったように言葉を被せられた。正面には鼻で笑う精悍な顔の男。聞かせたくない内容が続きそうで、焦り少女を見下ろすと何故か慎重に頷いていた。
「ヴァルヴォアール団長もリリア。同じ」、
『*******、***。******。**』
「え?同じ?」
「黒麦酒?」
リリアはこの地方トライド独特の、辛口の黒い麦酒だ。娼館の女達との共通点が分からない。考える二人を余所に、ミギノは椅子に座り直してフロウに向き合った。
「ヴァルヴォアール団長、午後、外行く。エルヴィーと一緒に」
「許可できない」
『**でぇ、』
「理不尽だね。ミギノ、怒ってるよ。デェってね。これは不満を表した言葉だよ。教師なのにフロウには分からないんだね」
「・・・・・・・・」
少女の異国語での不満、乗じて不機嫌を表したエルヴィーを他所に、フロウは新たにミギノに命じた。
「家名では言いづらいだろう。今まで通り、フロウと呼びなさい。フロウだ。フロウ、呼ぶ。フロウ」
「ちょっと、なんなの?フロウ、」
『・・・・・・・・・・・・・・』
「お前には言っていない。そもそもお前は、大聖堂院であろうと帝国の者なのだ。私に敬称をつけたまえ」
「きしょくわる」
「何だと?」
権力を振りかざした者に、大人気なく悪態で返す。それを片方の眉を上げて観察していた少女は頷き口を開いた。
「ぃエス・ゼレイス・フロウ」、
『*************』
「「・・・・」」
「団長、会議の刻です」
「・・・・・・・・分かった」
**
「母親が『オ・カーサン』、父親が『ホ・トオーサン』?」
『***、オ・トウサン。チチ**カ』
「うーん。発音や区切りが難しいね。文字も覚えた方がいいかも。次は、『ココ』、『ソコ』、『アスコ』」
『ココ、ソコ、ア、ソ、コ』
小さな指は近くから遠くを指し示す。少女の言葉を覚えようと、寝る前に一刻だけ秘密の勉強は行われた。
「早くミギノと話せるようになりたい。フロウたちには分からない、僕たちだけの言葉だね」
「フロウ」、
『*******。******』
「もっとゆっくり言ってみて、でも分かったよ。今のはフロウの悪口だよね?」
悪口の意味を知らないはずの少女は、笑顔のエルヴィーにうんうんと頷き同意する。小冊子に落人語を書き写していたエルヴィーは、ある言葉を再び聞いた。
「『ダョ?』って、何?」
「ダヨ?」、
『だよっテ******?***?**********』
「・・・単語じゃないのかな?接続音?『ダ』で区切るのかな」
エルヴィーは、必死で東の言葉を覚えようとしている少女が、寝言で呟く落人語の意味が知りたかった。
ーー『ココ・ダョ、ココ・二ィルョ』
涙を流しながら、
少女が寝言で何度も呟く言葉。
(『ココ』が自分の場所を示すものなら、・・・誰かを呼んでいるのかも。・・・ミギノ、まさか、落人を呼んでるのかな)
ごそごそと動き寝台を整え始めた少女は、枕元に転がる青いルルを手にした。
(それとも、あいつがミギノに何かしてるとか?)
小さな手からはみ出ている、目障りなルル。
『*ゥイ、サァ・***ヨゥ』、
「エルビー、お休みしなさい」
「・・・あ、うん。お休みするね」
「寝ます。私は、お休みし」
「ミギノ、お休み、しようね、だよ」
「・・・・お休み、し、なさい、ね、」
「・・・・・・・・まぁ、いいか」
**
ーー翌日。
ミギノの質疑応答に利用されている部屋は、資料室ではなく、会議室の一部屋に変わっている。ここには基地の書類関係は一切なくエルヴィーも立ち入りを許可されて、今日はメアーも訪れていた。
この二週間余り、ミギノに対する敵の間者説は消えていた。次に今後の対応として、第十師団で奴隷逃亡者として保護するか、ただの迷い人として放免するかで意見が分かれているのだ。
フロウとメアーは、玉狩りエルヴィーの行動の変化、落ち人の所持品使用など、ミギノが大聖堂院に対する新しい情報を持っていると考えていたが、それも全く出てこない。
ミギノの唯一怪しい行動といえば、地図を見たいと言った事だが、それも彼女の「タイシカン。探す。家、帰る」との言葉に合点がいき地図を見せてみた。だがミギノは地図の見方さえ分からなかったのだ。
薄い板という最新技術も回復せず使用出来ず、敵国の間者でもなく大聖堂院の情報も無い。しかし少女とのやり取りは、一見とても無駄な事のように思えるが、実際大きな収穫はあったのだ。
彼女と共に居る、ルルはこの二週間、全く無害だった。
ルルに関する情報は全て大聖堂院が握っていた。実際、落人の近くに発生していたことや、多くの戦死者を出した戦地であるトライドの森を発生源としていた事が、騎士団を含めて人々からルルを遠ざけていただけかもしれない。
死に関する忌みごとは、人は避けるものだから。
それにつけ込んだ大聖堂院側の策略なのだろう。天教院や、一般住民にさえルルとの接触を遠ざけたのだ。
玉狩りに採取させるなどして集めていることから、ルルには軍事利用出来る価値があるのだろう。これを知った事は、天教院側の騎士団にとってはシオル商会の手がかりと同等。大聖堂院を目の敵にしている貴族院の派閥にとっては、シオル商会以上に価値のある内容だった。それに伴い落人の回収物もこれからは騎士団が管理するために、大聖堂院と奪い合う事になるだろう。
危険な森は危険ではなくなった。実際フロウもメアーもミギノの持つルルに触ってみたが、痺れも何も起こらなかったのだ。
「でもやっぱり危険だよ。それ、僕もすごく痺れるルルと痺れないルルがあるし、個体や日によっても変わるんだよ」
「魔物を解剖して中身を見てみたか?大聖堂院はなんて言ってんだ?」
「・・・・それは言えない範囲だね」
「面倒くせえな数字持ち。俺も触ってみたが、別に何も無かったぞ」
「とにかく、あんまり触らない方がいいよ」
結局のところミギノは、逃亡奴隷ではなく、本人も片言で主張する異国からの誘拐被害者ということで落ち着きそうだった。未だ流暢に話せない彼女の言葉からは出身国も犯人の特定も出来ないが、出身は北方大陸辺境に決定する。
(・・・よかった。僕だけが確信している、ミギノ落人説は誰も知らないままだね)
エルヴィーが探していた他の落人も村内外で気配が無く、ミギノへの不審も晴れそうな今日、フロウとメアーの今後の提案の内容によっては、ここを直ぐに出て行こうと考えていた。すると会議の席から離れていた三人が騒ぎ出す。
「・・・・・・あなたは二十歳です?そうですか?そうですか?」、
『メアー*****、*******、』
「なんだその目は、疑いすぎだろ。それはそうと、お前は何歳だ?十歳?」
「いや、こうみえて十五あたりかもしれない」
「いや。十三。賭けるか?」
「乗った。こいつはこう見えて十五。北方の奴らは、見た目に若く見えるやつが多い」
「んなわけあるか。これで十五とか、マジで無い。で?、ミギノ、何歳だ?年齢、わかるか?」
『・・・ッカン、**********』、
「十九」
「「・・・・ウォ!?」」
「十、九・・・?」
「嘘だろ・・・」