とある誰かの診断書(2)
春生月 五日
対象者 ミギノ・メイカミナ
年齢(自称)十九。
(以下身長体重は目視による推定)
身長 百六十二ガル。
体重 五十デロス。(訂正五十四デロス)
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〔五ヵ月経過後〕
体調良好。
筋肉増量。
食欲あり。
眼球良好。
肌荒れなし。
食物〔芋類〕摂取による拒否反応無し。
総合判断として健康。
〔特記〕
テツロ・スズキと同じ落人被害者と判明。
スズキの名に興味を示した事から、
架空国ニホンの民族と推定。
更に今回の落人被害者カミナメイは、
大魔方陣により発生した、
魔法残留異物【兵士の涙】を体内に
取り込んでいる。
魔法残留異物へ身体の支配権を奪われるが、その間も凶暴化、意識混濁などの異常状態は無し。本人への支配権変換可能。要経過観察必須。
魔法残留異物
個体名
オルディオール・ランダ・エールダー
(解剖見本入手見送り)
このことから、現在考えられていた異物による落人凶暴化説は、今後のカミナメイの症状により見直さなければならない。
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「異国の教会信徒が来た?」
祖母の墓参りに訪れた、王領地の隅にある古びた教会。他国の英雄に騙され、国を窮地に追い込んだ情婦だと、そう国民の間では噂される祖母は、名を隠しトライドの片田舎で自分の父親を出産するまで祖父と共に過ごした。
二人の死後、父親の知り合いであった教会の神官が、祖母の汚名を嘆き教会裏手に墓を造ってくれたのだが、それを王家の者に知られた後は、掘り返されて教会の祭壇の床に埋められた。
信者たちの、足下に埋まる祖母の遺骨。
それを知ったのは、ファルド帝国で医学を学び中途退学させられた後、トライドに帰国して直ぐのこと。恩師の墓参りのために訪れた教会で、イストの出自に興味の無い若い王女が、墓を移動したのは自分だから、褒めてくれと熱心な信者に語った説教だった。
よくやってくれたと幼い王女を褒め称え、喜んで祖母の埋められた場所を踏む年老いた信者たち。足蹴にされる天教院の生命の葉の紋章を、イストはただ呆然と見つめていた。
祖母への国民の負の感情と、父親から聞かされた祖母が過去に黒蛇と婚約していたという事実。ファルド帝国の貴族に身体を傷付けられて、泣きながらトライドに戻ってくる女たち。破落戸に落ちぶれてでも、ファルド帝国に細々と復讐し、自らも瀕死になって運ばれてくる男たち。
イストはただ彼らの治療を無心で行い、教会で踏み付けられる祖母を、毎月見つめる事しか出来なかった。
彼らの治療を無心に行う事が出来たのは、自分より惨めで不遇な老人が、他人を助ける事に誇りを持っていたということだった。
先達の医師は高所から落ちた事により、腰から下が動かなかった。更に言葉も通じず苦労をしたが、優れた医術と精神力で人々の命と心を救った。
テツロ・スズキの精神を受け継いだイストは、踏みにじられる大切な祖母の亡骸を、ただ見つめるだけで医者として人々の心を救うことにしたのだ。だがある日、再びあの少女と再会した。
「美味しいです、ね、スアハくん」
「美味しいです、ね、メイ」
獣人と共に芋を頬張り、幸せそうに花壇の端に腰掛けている。
「お、ブスガキ、生きてたのか、」
思わず出た悪い呼び掛けに、黒髪の少女は生意気に片方の眉毛を上げる。
「お?なんだ、その顔」
〈ヴヴヴヴヴヴ、!!!〉
今は魚を発酵させた薬を調合している。その臭いに危険を察したのか、蛇魚の少年は後方に素早く後退る。それにも腰抜けだと笑ったイストは、久しぶりに見た懐かしい面影を見下ろした。
「ブス。」
親愛を込めて悪口が零れ出る。言われた少女はつり目の黒目を眇めると、ますます片方の眉毛を上げた。イストはこの後、少女からの贈り物を受け取る事になる。
**
ーー「!!、」
訪れたいつもの薄暗い祭壇。だがそこに起きた奇跡に、形の良い唇は軽く開き、そして強く奥歯を噛み締めた。
「やっぱ、発想が落人だよなー・・・。考えつかねえわ。巫女だから?・・・ふふ、あの落人が?」
床に飾られた野花。子供たちの笑顔に、もう誰も祭壇下には踏み込まない。そしてそこには、天の使いの巫女の聖なる願いが込められた。
「お二人は、天で再会出来ましたか?」
見上げた飾り窓、柔らかい光は降り注ぐ。それにイストは意地の悪い笑みを浮かべた。
「クラインベール婦人、残念ながら、エールダー公はまだ、この世を彷徨い不様に地を這っています。お祖父様、ご安心下さい」
**
「魔素は、関係ねーよなー。そもそもあの塵自体は精霊でもなんでもねえ。エルヴィーさんが言ってた、ただのこの世への執着の具現化なわけだし・・・」
数字持であるエルヴィーは、トライド王国の戦争被害者であった。本人の証言からもそれは明らかになり、イストはエルヴィーをトライドの先人として内心では敬っている。そのエルヴィーは大聖堂院で玉狩りとして活動していたのだが、彼に涙の捕獲方法を尋ねても、明確な解答ではなかった。
ーー「魔物の狩り方?・・・森で見つけたら、掴んで袋に入れるだけだよ。痺れるから、手袋してね」
ーー「いやその、見つける方法とか、ないのかなって。涙、人が森に入ると隠れるのか、なかなか出て来ないし。俺ら、遭遇率低いから。玉狩りって、いつもどうやって見つけてんのかなって」
ーー「まあ、日によるけど。グルディ・オーサの森では、よく見ればその辺に転がってるよ。よく見てみて」
ーー「・・・・・・・はぁ、ですか、」
他の者との会話でも、的外れな会話をよくする男だとは思っていたが、自分との会話も噛み合わなかった。その回想を横に起き、イストは再び書き記した診断書を見つめる。
「・・・あの塵の、解剖試供品があればなー。・・・オルディオール・・・。あいつ、少し細胞採っても、問題なかったのかな・・・」
次に思い出されるのは、少女ミギノが飲み込んだ青い玉。初めて目にした現場では、まさか涙を口に入れたのかと凝視し興奮したが、破落戸たちの騒ぎにより遠目でしか確認出来なかった。残念ながら、その後ノイスの屋敷では、玉となって出て来る事はなく、オルディオールと名乗る異物は少女の身体を乗っ取って、ペラペラと喋りイストとノイスに交渉を持ち掛けていた。
巷で騒がれる、落人とは明らかに違う症状である。
「体内における異物混入、通常起こり得る精神の混濁と錯乱は、過度の薬物摂取か、または肉体的、精神的暴行による心的外傷後防衛反応による拒絶。やっぱり、・・・そこに魔素なのか?、はあ。」
魔素を医療に取り込んだ、その技術を学ぶ前に退学した。独学で学んだ事は多くあるが、やはり古より専門的に知識を持つ大聖堂院には及ばない。
ーー「爺さんも、他の空から落ちて来た者からも、魔素が無いのは調査済みだ。魔素は関係ないだろう」
ーー「いや、これは重要な事だ」
ーー「今は手札切れだろ。大聖堂院が仕組んでるかもしれないが、あそこには入れない。だらだらとそこに立ってる数字持ち、そいつが一緒にいてもオメーは答えを出せてないのが証拠だろーが」
ーー「・・・・」
ーー「揃わない手掛かりを探るより、俺にはお前と出会えて気になる事が、他にあるよ」
話を無理やりオルディオールの子供の可能性に逸らしたが、イストにはその先に行き着く知識が足りなかったのだ。師であるスズサンの願い、魔法の知識と医術の向上。その近道から逸れた過去に、独学では追いつけていない現状。美しい顔を歪めたイストは、敵国の方角の青空を歯痒く見上げた。
「・・・ん?」
再び見直した診断書、行き詰まった内容から、次の記述に目が逸れた。
「そういえばあのブス、丸くなってたな」
無作法にも、イストの講義の最中に手に持つ芋を食べ始めた。適当に相槌を打つ生意気な少女は、話をまともに聞いていなかっただろうと推測する。
「いつか抜き打ち試験、してやるか。メアー・オーラ学生期に関する小論。そしてブスガキに割与えた、奴の風評被害の拡散は、どれほど成果があったのか結果発表を提出させる」
久しぶりに再会した、ひ弱な少女が無事であった感動を思い出す。ファルドの大貴族や破落戸の頭領二人に目を付けられ、数字持ちを同行者にしていた。治療を施した自分の患者の一人ではあるが、正直、少女と再び再会出来るとは思っていなかった。
「追記追記」
筆を手にし書き足された診断書の、体重は見た目に少し増量しておいた。うんうんと頷いた美しい顔は、診断書の対象者の微かな変化を見て愛しげに微笑んだ。
「デブ」




