こいしの中の少女(2)
「もう帰るの?」
「残念だけどな」
「寂しいわ・・・」
薄衣一枚で寝台に横たわり袖を引く女。波打つ金の髪に青い瞳は立ち上がった男を上目遣いに見つめた。
「寂しくはならないよ。そんな感情ももうすぐ終わる」
「?、面白いわね?どういう意味?」
「アーシャ、お前は素晴らしくイイ女だから、殺す前に楽しもうと思ったのさ」
「!?、アミノーサ、あなた、」
素早く立ち上がった女は、背後の棚に手を伸ばす。引き出しに手が掛かったが、ざくりと細長い銀色の小刀が突き刺さった。短い悲鳴が零れ漏れ出て、アーシャと呼ばれた女は、甘い顔立ちの優男を振り返り鋭く睨み返した。
「ここはトライドだ。お前が雇われた組織〔大蛇の巣〕、蛇とこの国は相性が悪い」
「クソ野郎、」
「おい、美人、そんなこと言わないでくれよ。萎えるぜ。・・・うちの頭の首に、手を出すからだろ?天で後悔しな」
「お前が死ねっ!!」
以前トライドでソーラウドに渡した粗悪な魔石。それとは違う純度の高い赤い魔石で連ねた腕輪は、魔法詠唱無しで殺傷爆発が行える。それをアミノーサに振り上げたが、発動のための魔素を送り込む前に、女の細い首は口のように大きく裂けた。寝台にうつ伏せに倒れた身体から、赤黒い染みが華のように広がっていく。
「お?、終わったのか?」
「あ、どうもゼムさん」
「アミノーサさんよぉ、首切ったら駄目だろ、素人じゃねえんだから、」
「すいません」と笑う男を横目に、血の海となった寝台を流し見た。ため息に室内に踏み込んだ細身の青年は、つり目の細目を苛立ちに眇めると薄暗い部屋の窓を開け放った。
「しかも臭え。俺、この蒸したニオイ、駄目なんだよね」
「ゼムさん鼻、イイですよね」
「そう。だから直ぐにこの女の〔後ろ〕、見つけてやっただろ?」
長革靴で血糊を避ける。見下ろした死体に肩を竦めた青年は、扉を潜る前に優男を振り返った。
「金は本部に納めといて」
「了解。・・・それはそうと、ゼムさんに見つけられなかったものって、過去にあるんですか?」
首を傾げた垂れ目の男は、人懐っこい笑顔で娼館の女たちの一番人気である。しかしそれに全く興味の無い目つきの悪い青年は、途端に不機嫌になった。
「?」
「〔それ〕、現在進行形だから」
「??」
シオル商会幹部の一人、ゼム・フロインベールは探し物に優れている。探せと言われ、過去に見つけられなかった物は無い。だが今回、仕える主に命じられた一人の少女の存在の証が、一切手に入らずに焦っていた。
「・・・はぁ。」
少女が館を訪れた日、隠し撮りした数個の魔石。生意気にも主のシファルと対等に渡り合った小さな少女に、仲間たちは苛立ち声を荒げたが、ゼムは興味津々と少女を観察していた。
「何処にいんだよ。お前、」
光に翳した魔石の中、小さな少女は腕を組みこちらを見ている。上役に渡された資料の中に、少女の診断書があったのだが、外見の特徴で探しても、ファルド全域の北方奴隷に少女の足跡は発見出来なかった。
「当たり前のように騎士団にも居ねえし、あとは北方大陸だけどなー、大聖堂院には入れねえし、・・・どうすっかな、」
**
少女がトライドからガーランドへ出発し、五ヵ月が過ぎた。やはり黒髪の少女の手がかりは掴めず、世の中には天上の巫女の噂が不自然に広がり始める。
(全然いねーな、)
「ゼムさん、おやつもってきた!」
「おー、」
軽い足音で走り寄ってきたのは、長い黒髪の小さな少女。外見年齢では十歳に満たないつり目の少女にはウェリアネスという高貴な名前が付いていたが、身に合わないと捨てさせた。
「まるいです、あげます、」
「いらん。お前は育たないとなんねーから、ジューが二つとも食え。・・・てかなんだそれ、クラウ?まん丸だな、」
〔ジュー〕とは落人語で、数字の十を意味する。本来ならば十歳以上だと医者に判断された黒髪の少女は、天上の巫女騒ぎに乗じた騙りだった。
少女の実親には子供が多く、生まれた子供を間引くためにあちらこちらで売っていた。最後の一人がジューで、少女の役は今流行りの天上の巫女であった。
「ジューには、これは、おおいので、いそいでは、たべられません、」
「刻をかけてもいいから、ゆっくり、全部食べろ」
笑顔で頷く少女、その頭にゼムは軽くポンとする。幼い頃から食事は刻をかけると殴られる。そう育ってきた少女の衣服に隠れる場所は傷だらけ。兄弟姉妹の中でも頭が悪い少女は、多少強く殴っても笑っているから使えると、何故か男親は命乞いに口走った。女親は子供を増やさない処置をして、今は場末の娼館で働いているだろう。
天上の巫女の騙りは重罪。
ゼムには天教院の信仰心はみじんも無いが、探し求めた黒髪の少女への期待の裏返しに、八つ当たりで男親の処刑は行われた。
「食い終わったら、愛の店、迷わないで行けよ」
「はいっ!きょうも、おいもを、たくさんたくさんオイハギします!」
口からこぼれ落ちる肉と野菜の破片。ゼムと食べる食事をおやつと覚えたジューは、小さな口を必死に動かす。
「だから、急ぐな。ゆっくり食べろ。それから、お芋はむく、な、追い剥がないで」
「はい!」
少女の笑顔に、目つきの悪いゼムも最近は無駄に笑うことが多くなった。はぐはぐと必死に動く口、だが少女の目線はゼムの持つ透明な魔石に落ちる。
「それは、ゼムさんのおへやに、たくさんたくさんあるこいし?」
「これ?そう。よく分かったな。転写石」
「ジューとおなじこ、たくさんたくさん、こいしのなか」
「この子は黒髪だけど、ジューじゃないぞ。小石の中にも居ない。この子は俺を困らせる子、探してもなかなか出てこないなー・・・。早く出て来いよ、お前、」
「そのこは、みすめあり?」
「よく知ってるな、そう、お前が演じさせられた巫女ちゃん。困ったガキだぜ。お前も大変だったよな。こいつの所為で」
生意気な表情の少女。それを愛しげに光に翳したゼムの姿を、肉巻きを両手にジューは見上げていた。
「こまったみすめあり、ゼムさん、こまるなら、これを、」
小さな手が魔石を求める。それを手渡すと、ジューは砂利道に「えいっ」と放った。「割れる、」慌てて拾った青年は怒りに振り返るが、何をしても満足そうに笑う少女にため息を吐く。
「捨てるな。これはとても大切なもんだから」
「すてません。ジュー、ゼムさんのこいしはすてません」
分かっているのかいないのか、少女は肉の破片を零しながら笑う。
「・・・にしても、今日はなんだか騒がしいな。やたらと猫も目に付くし」
ざわざわと、不穏な空気が町を覆う。
「そういや、お前これ、この丸、愛の店で配ってたのか?なんだか、見た事ねえ食い物だな」
はぐはぐ「はい」
「うまい?肉と葉っぱを丸く焼いたのか」
はぐはぐ「はい」
「今日もラーナ様いた?」
はぐはぐ、ごくり「はい」
苦手な王女の所在確認に成功した。奉仕活動の現場は避けて通ろうと決めたゼムだったが、少女は再び小石を指さす。
「もうヤラネエ」
はぐ、「ゼムさんをこまらせる、こいしのなかのこが、まるをくれました」
「・・・・・・・・ん?」
「みすめありちゃん、こいしからいっぴき、にげだした」
「・・・・え、何?逃げ出した?」
「いっぴき、にげだした。ジューにまるをくれました」
にっこり「おいしい」
「!?、」
**
天が落ちる前触れか、その日、空から獣の死骸が降り始めた。
大きな怪鳥が空から影を落とすと、ドサリと異形の残骸が血を振りまき落下する。陽が昇る早朝より始まった怪異に人々が騒然とする中、別の騒ぎが巻き起こった。
王女が主催する貧困下層への食糧支援の最中に、トライド王国に悲劇をもたらした、禍の源、オルディオール・ランダ・エールダーを騙る愚か者が現れた。度重なる凶事に殺気立った人々は、各々武器を手に、禍を断ち切ろうと立ち上がる。
その愚か者の姿は、黒髪の少女の姿をしていた。
怨嗟が響く街中の裏口、王領地から小さな診療所の裏手の森にに直結する道を、破落戸の先導により走り抜ける。ざわめく人々と共に飛び交う怒号は、人々のオルディオールへの怨み言だけでなく、集う群衆に向けてのものも混ざっていた。
「お前らの他にも、まだ人を出したのか?シファルは」
隣を走る背の低い少女を、目つきの悪い細身の青年は笑顔で見下ろした。ゼムはシオル商会の中で、少女の素性を探る役割を与えられた者の一人だ。人の素性を探る事を専門とする彼の人生に於いて、全く裏が取れなかったのはこの少女だけである。
(まさか、落人だったとは)
結果に頷きほくそ笑むと、見上げたままの少女は返らない答えに不満げに青年を見上げていた。
「あ?ああ、えーと、まあな。あんた、スズサンに気に入られてるみたいだからな。特別特別」
風変わりな医師の名に頷いた黒髪の少女に、ゼムは他人に言われてもピンと来なかった思いを漏らした。
「それにさ、奴らに混じってあんた血祭りにしたって、トライドがどーなる訳でもねーしな。むしろ外側の落人は意味ねーし、黒蛇が涙になってたことに、俺は驚いただけだ」
「・・・・」
オルディオールへ怨み言を零さないゼムは、無言になった少女に分かれた三人の仲間との合流地点を指さす。人気の無い荒れた防風林の中、既に待ち人の姿はあった。
出国の見届けの為に街の入り口に立ち止まったゼムだが、それを振り返った黒髪の少女は、少し離れたトライド国の青年に声を張った。
「シファルへ伝言を頼む」
追い続けた黒髪の少女。魔石越しではなく、本人を青い目に焼き付けて先を促す。
「俺は何度でも同じ事をする」
「・・・・」
「ここに存在する限り、同じ事をする」
「・・・・」
「だからこの国の未来の為に、お前達の助力を求む」
(俺たちの未来、)
崩れ荒んだ街並みが脳裏に浮かぶ。その先が想像出来ない無言のゼムに、黒髪の少女は強く頷くと背を向け歩き出した。
「・・・・」
生まれた日から親から子に、禍の黒蛇の呪い事を吹き込まれる。それを子守唄の様に口ずさむが、成人を迎える頃には気付くのだ。オルディオールはただの切っ掛けに過ぎないと。弱小国家を護れなかったのは王族の責任であると。だが傷付けられた傷の大きさに、為すがままに翻弄されて、年数を経て、漸く誰かを恨む力が戻ってきたのがトライド国民だ。
恨みの力で生きる気力を取り戻し始めた国民に対し、何も出来なかった王族を護る為に残り少ない貴族達は、財産を捨てて自らも被害者を装ったのだ。そして牧歌的、争い事が嫌いな平和的王族貴族、その印象を護る為、彼等はオルディオールという禍を国民へ意図的に蔓延させた。
怒りの矛先を変えた事により、貴族も王族も金の無い国で地位と権力だけは護れたのである。
その事を国民は、成人を迎える頃には気付くのだが、今更どうにも出来はしないのが現状なのだ。貧しい王族に意見したところで、腹が減るだけなのだから。実際、国王を始め貴族も農業に従事して、僅かながらの施しを国民へ分けているのだ。恨み言は、自然とオルディオールへの愚痴となった。
「・・・・」
背を向けた小さな少女を、トライド国の騎士の家系に生まれたゼムは見つめていた。破落戸に身をやつし、自分の境遇に憤り、腹いせにファルド貴族の女を闇市に売り捌いた事もある。自分だけでなく、周りは皆同じなのだ。騎士道は他国とは大きく違って誇れるものではない。
そして彼等は、オルディオールの所業を知っている。
呪い事として語られるオルディオールは、ファルド帝国では恥ずべき薄汚れた黄色の長い旗を持って、グルディ・オーサへ駆け抜けた。黄色の花で染められた停戦の旗を掲げて。
ーーー「俺は何度でも同じ事をする」
死んだ後、彼は兵士の涙となって帰ってきた。ジューと同じ様な、力無い巫女の身体に取り憑いて。そしてまた、トライド国に同じ事をすると呪い事を言ったのだ。
ーーー「ここに存在する限り、同じ事をする」
ファルド帝国にとっては属国とした、無関係の他国の者達。その国民の為に、一度命を捨てた彼は、また同じ事をするとゼムに力強く頷いた。
「この国の未来の為に、」
見えなくなった小さな背中に呟いた。そして踵を返すと荒れた街の中を走る。禍の呪い事を、この国の軍隊を指揮する男へ届ける為に。その雑踏の中、ただ一人の青年を探して走り続けた少女もまた、目的のものを見つけた。
「ゼムさん!」
走り寄る少女は、殺気立つ大人たちに揉まれてぼろぼろの姿になっている。でも少女は見上げた男に満面の笑顔を見せた。
「!!、どうした、お前、」
幼い顔には殴られた痕。衣服は引き裂かれて見える肌には、ようやく治りかけた痣の上に新しい痣が出来ていた。
「いたくありません」
涙目に呟いた少女は笑顔のまま。それが生きていくために、少女が身に付けた術。
「お前、今日は俺の部屋から出るなって、言っただろう、」
「はい。でもゼムさんは、きょうは、いつものこいしをわすれていきました」
「?、」
傷だらけの少女の両腕、握り混まれた手の平から、毎日眺め見ていた転写石が現れる。その中に映る少女の背中を、今見送ったばかりのゼムは呆れてぼろぼろの少女を見下ろした。
「・・・お前、これ、」
額から流れ落ちた血を拭う。透明な魔石が血に染まり、少女は慌てて破れた衣服で拭い始めた。
「分かった。ありがとう。でもお前は、これからスズサンとこ連れてくから」
「!!、・・・はい、」
スズサンの名前に、いつも笑顔の少女の顔が強張った。それに吹き出したゼムは小石を受け取り立ち上がる。
「さあ、お前をぶん殴ったやつ、俺が全部探してやるか」
「はい、」
「やられたら、お返ししないとな」
「はいっ!」
悪い笑顔に無邪気に笑い返す小さな少女。手の平には探し続けた少女を写した転写石。角度を変えて写した黒髪の少女はいくつも部屋に転がるが、その中に、自分を見上げて笑う少女のものが無かったと、ゼムは初めて気が付いた。




