大聖堂院宛 破棄された報告書(1)
大聖堂院宛
報告者 四十五番
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ファルド帝国属国トライド周辺、西南の荒れ地で魔石赤を発見。
ファルド帝国西地区リマ領、グルディ・オーサの森に塵の群棲地を発見。
同森にて、北方の子供と遭遇。魔素を全く感じないことから、落人の可能性がーーー、
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(こんな森に、子供?)
『・・・、***、』
人々が寝静まる無の刻。静かな刻を好んで活動する男の職業は玉狩り。廃棄物と同じ音で呼ばれる彼らは、主から失敗作だと蔑まれ見向きもされない。だが、いつかその主に認められる事を夢見て物資探しに各地を徘徊している。
数字で呼ばれる彼らに与えられた仕事は魔石探し、そして塵と呼ばれる魔物を狩ることである。何れも命を賭けた危険な内容だ。
人工的に造り出されない自然の魔石は力が強い。精霊が死に石となって具現化するのだが、場合によって強い石は手にした者に害を与える。透、青、黄、朱、赤と色があり、死に際に怨嗟を纏う石は使用すると暴発するものがあるのだ。武器として使用出来るか、その見極めをすることも玉狩りの仕事の一つである。
そして最重要指令としての任務が魔物狩りなのだ。一見ただの青い玉である魔物はとても危険で、触れればビリビリと身体が痺れる。それにより全く動けなくなる玉、頭がぼんやり鈍る玉など様々だが、これを大聖堂院の貴重な研究材料として捕獲し独占しなければならない。数字持ちと呼ばれる玉狩りは、他の者よりもこの魔物を見つける事に長けていた。
(落人が傍に居るのかな?・・・なんだか、ルルがざわついてる)
魔物の群棲地を発見した。これで主に認められると浮かれていた男の数字は四十五番。彼は袋に詰めた魔物を担いで山道に進むと、深夜に不審な子供を発見した。
『**、*****』
(黒髪、肌は白いけど、北方の子供?)
不安げに周囲を見回す小さな子供は、全身が不自然に傷だらけだ。
(・・・なんだろう、あの子見てると、何かを思い出すような・・・)
エルヴィーたち数字持ちに近寄る子供は居ない。子供どころか大人だって遠巻きから眺めている。常に短外套を頭から被り、口数少なく無愛想。人々に不審者として避けられる彼らは、それにも頓着せずに主の女性の事だけを考えて生きている。だが今日の四十五番は違った。
(なんだろう、なんで、あの子が気になるんだろう・・・。でも、なんでこんな真夜中に子供が?・・・)
素早く木陰に隠れ様子を覗う。青星の真下に現れた子供は、誰かを探すように左右を何度も見ている。
(あの格好、どこからか逃げて来たのかな?・・・でも、奴隷が逃げたらもっと大騒ぎになるはずだけど、静かすぎるよね。むしろ、あいつらに囲まれたかも)
木々の揺らめきに魔物の気配を感じる。数字持ちであるエルヴィーは、魔物たちの行動が微かに理解出来るのだ。
(人を襲うことは避けてると思ったのに、この子のことは狙ってるみたい)
木々の中、ざわざわと数が増えていく。少数の隠れる魔物を手袋越しに捕らえる事は問題ないが、大量の魔物に飛び掛かられてはエルヴィー自身も身動き出来なくなるおそれがある。少しの思案で身体は子供の前に出た。
「一人?君、何してるの・・・?」
『*?』
(落人が近くに居るかと思ったけど、やっぱり気配は魔物しかないよね。でもなんで一人で森の中?半下衣に薄い上着、部屋着?・・・それにこの子、思っていたより小さいかも)
『・・・*、*ー・・・*』
(・・・腰が引けてる。逃げそうだな)
一つに束ねられた短い黒髪。強気に目線を逸らさない少年だが、今にも森の中に飛び込みそうに身が引いている。近寄り見下ろしたエルヴィーは、至近距離で見た子供の震えに微笑んだ。
「一人かな、他に誰か居る?」
『・・・・・・・・、』
「僕が何か分かる?四十五番だよ」
『?、』
「四十、五」
『・・・・・・・・』
(数字を聞いても分からない。ファルドの者はもちろん、奴隷棟に捕まってた彼らだって数字持ちを知ってるのに。・・・なんで?)
数字を名乗れば、大聖堂院を背後に見てとる大抵のものたち。貴族一般人から奴隷に破落戸まで、彼らは関わり合わないように忌避する。だが少年は震えながらも自分を指差した。
『ミギノ、カミナ・・・、*、カミナ**』
「ミギノカミナ?」
『カミナデス』
「ミギノ?」
『**、ミギ******・・・』
何度か繰り返し、子供が自分の名を告げていると理解した。初めてのような、久しぶりのような気持ちにエルヴィーは首を傾げる。
(この子、僕に名乗ったの・・・。数字持ち、気持ち悪くないのかな?・・・変な子・・・)
膝が笑っている。今にも腰を抜かしそうだ。でも大きな黒目は青星を映しながらエルヴィーを真っ直ぐに捉えていた。
「ミギノ?」
繰り返される名乗りに結末を尋ねると、少年は真面目な顔で頷いた。
『エルビー、』
「!?、」
数字持ち同士での番号の確認。主の娘であるオルヴィアからの嫌がらせ。エルヴィーを情報源だと利用する騎士以外から、数字を呼ばれる事は殆どない。それはどれも業務的で、硬質なただの数字。だが子供は、名前のようにそれを呼んだ。
「エルビーかぁー、ふーん、そう、」
『エルビー、******』
「子供だからね。そんな感じになるよね。そういえば僕、子供に数字を呼ばれた事はないんだね。今まで」
分からない言葉に頷く小さな黒頭。自分を見つめるつり目気味の少年の瞳に、エルヴィーはなんだか可笑しくなって微笑んだ。
(ああ、なんだか久しぶり、)
自然に上がる口角。敵を油断させる社交的な微笑みではなく、ぼんやりした思考の中に笑顔を思い出した。久しぶりの笑顔に顔は強張るが、何度か試してコツを掴んだ。
『・・・・・・・・』
エルヴィーの笑顔を不審な目で見ていた少年は、口を引き結び彼の笑顔を肯定するように頷く。つられて大きく頷き返したエルヴィーだが、周囲に寄り集まる魔物の気配に距離を測っていた。
「行くよ、ここ、危ないからね」
掴んだ腕は頼りなくふにゃふにゃだった。娼館でも店の女に自分から触れないエルヴィーは、手の平の子供の柔らかさと温かさにどきりとする。見下ろすと引きずられるように歩き出したミギノは、ようやく周囲の魔物に気づいたのか振り返り振り返り後ろを見ていた。
**
(もう少しでリマ領だけど、その前に休んだ方がいいかな?この子、さっきから躓いてるから疲れてるのかも。・・・森も抜けたし、魔物もついてきてないみたいだしね)
軍基地を取り囲む集落までは少し距離がある。小走りに口で息をする少年をエルヴィーは見下ろした。
(体温が高いかも・・・。子供だからかな、)
『はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、』
「・・・そこの岩場で休もうか。傷から血も出てるし」
『はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、?』
「君、なんでこんなに傷だらけなのかな・・・。やっぱり、逃げてきたの?トライド辺りから?」
『はぁ、はぁ、*****、あー、*****・**ー*、*******?』
「何語だろう。ごめんね。僕、ファルド共用語しか話せないよ」
『・・・***』
「北方語かな?うーん、基地に分かる人居ればいいけど。さあ、腕を出して」
『・・・・*****』
切り傷、打撲の痕が腕や足に無数にある。顔や頭部は腕で守ったらしく大きな痕は無かった。
(なんだろう。鞭の痕じゃないような、木の傷?崖から落ちたのかな)、
「そうだ、乾し芋食べる?」
内部に呪文が描かれた袋の中、弱った魔物を押し退け中を探る。手を入れしばらくした後に、ようやく干からびた一枚の芋の欠片が現れた。
『・・・*****、*******』
「要らないの?お腹空いてないの?多分、探せば袋の底にまだあるよ」
悲しげに首を横に振る少年。芋と子供を見比べたエルヴィーは、ぱくりと口に入れると空の手を差し出した。
「行こうか。僕が支えてあげるね」
『・・・っうっ、』
「あっ、痛い?」
掴んだ腕にうめき声がした。見上げる子供の丸い顔は、青い星夜で余計に青ざめて見える。
「ごめんね。でもあと少しでリマ領が見えるよ」
『・・・・』
荒れた平地を進むとほどなく集落の一つが見えた。軍基地を取り囲むように点在する集落。真夜中で人通りの少ない通りに踏み込むと、支えた少年は腰が引けて掴まれた腕を外そうとした。
「大丈夫。あの先に基地があるから」
『****・・・、********。********。*******、**********』
「逃げないで、駄目だよ。君一人だと、死ぬかも!」
『*****、***、*********。***ー*、****************?*********?』
掴まれた腕を指差して苦笑い。ミギノは先に進みたくないと強調したが、それをエルヴィーが放すことは無い。力無い手で腕を押し、身を引くように腰を落とすが無駄な抵抗だった。
「無理だから、疲れるだけ」
『**、**、』
飲み屋や娼館帰りの者たちが不審な目で見ているが、少年を引きずるように連行する。幾つかの集落を過ぎると目的の建物が見えてきた。簡易に立てられた木造ではなく、石造りの頑強な塀囲い。
「そこで止まれ!数字持ちだな!」
『!!!』
「あれ?なんで第一師団がここに居るの?・・・ああ、第九(黒い方)か」
「お前は、四十五か?」
「そうか、リマは捕まったんだったね。・・・第一師団、フロウの居る隊か、丁度良いかも」
「何故貴様がここに来た?」
「ステル・テイオン、あんまり大きな声を出さないで、ミギノが驚いちゃ、あっ!」
城下街に行く途中、通りですれ違うと必ず小言を言ってくる厄介な騎士。ステル・テイオン・ローラントとはローラント領を継いだばかりの青年貴族である。エルヴィーが娼館で彼の上官である騎士団長と話しをするようになってから、たびたび目の前に現れた。大きな恫喝に驚いた子供は、緩んだ手から抜け出て走り逃げる。
「なんだ?あのガキ?」
「行っちゃ駄目!ミギノ駄目だよ!・・・あれ?」
『はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、』
「「・・・・」」
焦り声を上げたが、少年は本気で逃げているとは思えない程にゆっくりと進んでいる。その先に現れた見知った男に、エルヴィーは追いかける手間を省いて声をかけた。
「あ、フロウだ!その子捕まえて!」
「あぁ?団長だあ?!」
逃げているはずなのに、現れた騎士の前に真っ直ぐ走り寄った。エルヴィーの珍しい叫びに少年を肩に担ぎ上げたフロウ・ルイン・ヴァルヴォアールは、ステルの上官である騎士団長の位置に居る男だ。精悍な顔には夜勤明けの疲れが滲む。それにエルヴィーは社交的な笑顔で応えた。
「娼館帰り?その顔は、ハズレだよね」
「この先の店は気をつけろ。店先のもの以外は筋肉質が売りらしい。で?、何の騒ぎだ。この子供は?」
「団長、許可無く数字持ちが、」
「フロウ、その子、仕事の途中で見つけたんだ。怪我してるから、軍に保護してもらおうと思って」
「数字持ちが、騎士団に保護を求めるか?」
「だってこの子、北方の子みたいだから」
「小さいが、この集落にも教会はある。そこを選ばず騎士団か」
「この辺の田舎は物騒だからね。国境線だし。念のためだよ」
「・・・・」
「それより、第九師団で来てるけど、まともな軍医は居るの?この子の怪我を診てもらいたいんだけど」
「まともな軍医か・・・。この刻ならメアーが起きてるだろう」
「え!、メアー!?彼が来てるの?・・・・へえ、すごいね」
「団長、代わりましょうか?肩の、」
「構わない。テイオン中尉はこの件の申請書を任せる」
「はっ!」
**
冷えて暗く長い廊下を奥へ進み、別棟へ入る。第十の駐留先は全て医務室と化すが、今は深夜。その中で確実に起きている男の部屋を開いた。第十の隊員は医療従事者でも柄が悪いのは当たり前だが、中でも相当に機嫌が悪そうな男が出てくる。
第十師団長、テスリド・メアー・オーラ。
初めは勤務外だと悪態をついていたメアーだが、子供の傷だらけの状態を見て室内に促す。大人しく椅子に腰掛けた小さな子供を慎重に観察すると、エルヴィーが簡易手当したカ所以外を軽く見て、深そうな傷口を素早く再度確認し始めた。
「発熱、裂傷、打撲、それに凍傷、骨折は無し」
「凍傷?」
「森の中に、凍傷になるほどの場所があったか?」
エルヴィーの疑問にフロウも首を傾げる。
「軽いものだ。岩場の隙間とか隠れていたら、夜は冷えるんじゃないのか?」、
[ここ・・・痛いか?]
『っ、・・・』
「我慢するなよ。でも折れてはいないな」
骨折を確かめるために圧された足首、それに子供はうめき声を我慢しているようだった。崖から落ちたような擦過傷、打撲傷が異様に多い。
[一人で逃げたのか?]
『・・・・』
「・・・よし次は上を脱げ」
『・・・?』
「上着、上衣、着てるもの」
『*、***************。**、********、***、*******、』
「遠慮すんな。ガキは恥ずかしがらないで脱げ。ここでは問題ないから、」
『*****、************、******』
「脱げ。おいエルヴィー、こいつ押さえろよ」
「メアー、嫌がってるならやめて。顔にもそんなに傷は無いし、痛そうな腕とか早く診てあげてよ」
「嫌がってる?・・・まあ、そうか。でもなんだてめえ、珍しくよく喋るじゃねえか」
「僕はいつでもよく喋ってるよ。さっきフロウに聞いたんだけど、西の通りのアトラスってお店はあんまりなんだって。女の子達がごつごつしてるみたい。だからメアーには、別の娼館奢るからね」
「あんた達の、その話は結構だから。それで、そのクソヤロウと俺を、一括すんじゃねぇ。」
**
「ミギノ?って名前か?」
フロウが聞くと、小さなミギノは察したかのように頷いた。
「ミギノ・カミナメイだよ」
頷くだけのミギノに、代わりにエルヴィーが得意気に答える。
「やはり北方の子か?変わった響きだな」
「北方じゃないかもしれないぞ」
以外な言葉に、二人はメアーを見た。
「俺も初めはそうかと思って、治療中に何度かセウス大陸の言葉で話しかけたが、全く無反応だった」
「北方では無い・・・、では南方大陸言葉だろうか?」
「僕はよく分からないけど、南方ってガーランドと同じじゃなかった?でもどう見てもミギノは北方の子だよね」
「どうだかな。北方のやつで通じないのは初めてだ。セウス語は北方なら全域かと思っていたが、ど田舎出身なら分からないしな。・・・意外と西大陸かもしれないぞ」
「からかうなメアー。幻想の西大陸に人は居ない。公にしては、珍しい意見だな」
「そうだよメアー。ミギノは困ってるんだからね。真面目に考えてあげて」
「お前らこそな。よく考えろ。」
「そもそも何でお前は、この、子供をここへ連れてきた?」
『・・・・』
「森で会ったって言ったでしょう?・・・あの森から早く引き離したかったんだ。周りにはルルも沢山居たしね」
「「・・・・」」
「それに僕でも、さすがにこの子を守りながら、一人で落人を倒すことは難しいよ」
「落人が居たのか?」
「いや、なんていうか、気配だけ。・・・でも間違いないと思う。近々来るんじゃないかな」
「それとこの子供への疑惑は別だぞ。今この状況で爆破されれば、少なくとも二師団は混乱する。玉狩りがお前だけの派遣なら、落人だって助かるだろう」
冷静にミギノを見たメアーに、エルヴィーは笑う。
「落人に知能なんて無いよ。それに疑惑って言ったって、だってその子の持ち物は、別の大陸の物じゃ無いんだ」
「何故断言出来るのだ」
「その子の持ち物は、落人の回収物だから」
「!?」
エルヴィーはミギノに身振りで鞄の中を指した。ミギノはエルヴィーの手の動きで頷くと、肩掛け鞄から白い板を取り出し手渡した。
「おい!」
フロウの動揺を無視して、エルヴィーはミギノのように白い板を触る。何やらミギノがエルヴィーに指図して、板をかざしてのぞき込むとピロリンと音がした。それを二人に見せると板にはミギノとエルヴィーが写っている。
「投影機か。こんな早い転写は初めて見たぞ」
「しかも鮮明だな。魔石投影でも、こんなに鮮明な物は見たことが無い」
更にミギノは操作して何かを見せる。そこには菓子のような物と、沢山の動物、同じ服を着た子供達が写っている。流れるように指は板の上を滑り、最後にまたミギノとエルヴィーが出てきた。ミギノはしばらくそれに見入り、また鞄へ戻すと大事そうに腹に抱え込んだ。
きゅるるる。
腹の音がした。ミギノの顔がどんどん赤くなっていく。
「そういえば、ここに来る道中、何も食べさせてないや」
「大森林から歩かせたのだろう?水もか?」
「水は川で飲むから持ってないし、だって乾し芋は食べないって。僕、乾し芋しか持ってなくて、」
「・・・とりあえず、何か食わせろ。今なら食えるだろ。水分だけでも取らせろ。ガキの尋問は明日以降だ」
「ありがとう、メアー。本当に、娼館奢るからね」
「このガキが何か問題を起こしたら、責任の一切は大聖堂院で処理してもらうぞ。軍は責任を負わないからな」
「こわいなあ、僕、下っ端なのに」
「それと、食わせたら連れてこい」
**
「ーー違った者には天が落ち、死で二人を引き離す」
「・・・・」
「数字持ちと誓約を交わす日が、来るとは思っていなかったぞ。たとえお前だとしてもな」
「そうだね。まさか僕も、君と誓約するとは思っていなかった」
「数字持ちはエミー・オーラが関わると、世間の常識を覆すからな。これにより、我が隊もお前の入館を承認できる」
「・・・・」
「誓約しなければ、この基地内を歩けない、危険なものであると自分を認識しろと言っている。どうした?今日のお前は不安定だな」
「・・・そうかもね。なんだか、ぼんやりしてるかも。でもフロウも、誓約でミギノに手を出さないでよ」
**
「メアーもフロウもろいろと煩いよね。でも、フロウと誓約したから、君はここでは護られるよ」
基地内での行動制限と引き換えに誓約を申し出た。それによりミギノはエルヴィー預かりとなり、在駐責任者のフロウに行動の合否を確認しつつ、主治医権限で第十棟に入院扱いとなる。
『・・・・』
「やっぱり全く通じないか・・・。君の言葉は北方の田舎?それとも・・・落人語?」
『・・・?』
ぐーぎゅるる。
『!!』
「はは、もう少し待ってね。今、フロウが何か持ってきてくれるよ」
食堂の隅に席を陣取った。少し離れてこちらを覗う騎士達を視界の端に、隣に座る子供の頭を見下ろす。
(僕、どうしちゃったんだろう。今までは、エミーの事が第一だったのに、この子見てたらこっちの方が気になって、)
団長二人に指摘された。
何故、ミギノを騎士団側に連れて来たのかと。
(何故って、二人は頻りにこの子を間者扱いしてるけど、そんなわけないのに。こんな間者見たことないよ)
不安げに青星の下に佇む子供。その姿にエルヴィーは何かを思い出しそうな気がした。
(ああ違うか、大聖堂院の僕が、騎士団側に連れて来た意味?理由なんて、簡単だよね・・・。あれ?これってエミーは悲しむのかな、)
出されたつまみにミギノは目を輝かせて喜んだ。しかしなかなか手をつけないで、無言でエルヴィーの顔を見ている。
「どうしたの?食べていいよ?」
微笑むと、ミギノは頷いて異国語を呟いた。
『イタ*キマ*』
「イタラキマ?・・・って何?」
「食前の祈りの言葉か何かだろう。家長か主に躾けられている。食べ方も奇麗だ。食い散らかさない」
「僕ならこんなお皿、一飲みだけどね」
「お前は食う、ヤル、寝る、の三大欲求で生きているものな」
「皆同じでしょう」
「・・・お前ほどではない」
ミギノは黙々と焼き菓子のクルトを食べ続ける。広い食堂は人が少なく静かで、たまに必死で食べ続ける子供のふんふんという鼻息が聞こえた。菓子を与えられてとても嬉しそうだ。
「僕の乾し芋は食べなかったくせに・・・」
「あんな汚いルル入りの袋に、裸で入っている物が食えるか」
心外だと口を不満に尖らせたエルヴィーを、フロウは怪訝に見つめる。それにいつもの社交的な笑みを浮かべた。
「フロウ、心配しなくても大丈夫だよ。この子は危険じゃない。魔力を感じないから、殆ど無いんだよ。きっとお湯も沸かせないよ」
「子供だからだろう。ただの北方民族ならば、私もここまで警戒しないのだが・・・。不自然な点が多すぎる」
「森にいた事?落人の持ち物?だから他国の間者説は無いって。それより僕は他に気になる事があるんだ」
「なんだ?」
エルヴィーは先ほど言わなかった懸念を、フロウに伝えるかを未だ迷っていた。
(魔物が集うと、落人が空から落ちてくる。落人の特徴を持つミギノがそうだとして、それを騎士団に教える事は、エミーへの裏切りになるの?)
「?」
「いや・・・」
「まあ、お前が気にかけるということは、よほどなのだろうな」
(僕がミギノを気にかける事はよほどの事?・・・そうなのかな?エミー以外の事だから?・・・、)
「いつもなら、奴隷被害者には興味も無いだろう?たとえ子供でもだ。お前ならトライドの森で遭遇したところで、その場に放置しそうなものだ」
「ひどいなぁ」
「本当の事だ。大聖堂院が第一だろう」
(そうだよね。だからなんで、こんなにミギノが気になるのか、・・・なんだか頭がぼんやりする。ミギノが珍しい、生きてる落人かもしれないから?)
もそもそと口を動かし続けるミギノは、焼き菓子に挟んである練果実を覗き見ていた。
「僕もね〔この気持ち〕が何なのか知りたくて、嫌がるこの子を無理やり連れて来たんだよ」
「嫌がっていたのか?」
「うん。正門でも必死に逃げていたでしょう?あ、駄目だよ、まだ蓋開いたら、」
「必死・・・?弾んでいるように見えたが、」
「あれはミギノの必死なの。頑張って走っても、足が遅い子ってあんな感じで弾むんだよ。もう少し待ってね、茶葉は蒸らすんだよ」
『********?』
「・・・・・・・・」
「あんなに足の遅い間諜って、僕は見たことないけど」
「・・・・・・・・」
「また考えてるの?ミギノは敵じゃないよ。じゃなくて、きっと、怖かったんじゃないかな?ずっと震えていたし」
ミギノは出会ってから怯えたまま、腕を掴んでいなければ歩けずに常に腰を抜かしそうだった。
「言葉も通じないしね」、
(なのにすごく、声を張って強がって笑っていたけどね。ふふ)
明るい表情をしなければ、まるで殺されると脅されているように。ミギノは村の入り口で明らかに逃げようとしたが、それもお見通しだったエルヴィーは逃がさなかった。その怯えていた子供は、あんなにエルヴィーを警戒していたのに今は心を許して安堵にお茶の匂いを嗅いでいる。
(なんだろうこの気持ち、懐かしい?)、
「きっと用心深い子なんだよ」
自分の心の中はエミーの事で一杯のはずなのエルヴィーは、もやもやをごまかすように干したペアの実を一つ摘まむとミギノに差し出した。
「おいしいよ」
『・・・・』
ミギノは手を出さずにただ見ている。ペアの実はとても甘く子供に大人気で、ファルドではどの地域でも親しまれる甘味だ。だが目の前の子供は手を出そうとしない。それを見ていたフロウは、強めの酒を口に含み目を眇めた。
「・・・・・・」
フロウは未だ怪しみ考えを巡らせていると、ミギノはごそごそと何かを探し始めた。そしてところどころ穴の開いた上着の、右側の物入れから何かを取り出し、大事そうに両手に包んだものをそっと二人の前で開く。
ーー「「!!」」
ルルだ。
エミーの為の研究材料を、ミギノが隠し持っていた。
ガタリと周囲から音がする。危険生物とされる魔物を持つ子供に、フロウは立ち上がり周囲に目配せすると、第九の隊員が警戒に周りを固めいつでも緊急事態に対応出来るように身構えた。しかし周囲が動く前に、目の前のエルヴィーの様子に待機の合図を出す。
「団長、玉狩りの様子がおかしくないですか?」
エルヴィーはミギノに手を向ける。彼を誰もが知っている、いつもの人形の様な無表情のまま。
(エミーの物、この子は盗んだの?・・・ああ、だからか、袋に呪縛されていない、ルルが傍に居たから、こんなに頭がぼんやりしていたのかな?)
ーーなんでだろう、僕は、
(エミーの物を盗った、悪い子供、)
「ミギノを、殺さなくてはならない」
いつもの感情の無い声に、ミギノは怯え驚いてルルを隠した。
(魔物は危険なもの、大聖堂院のエミーの物。玉狩り以外に、魔物を拾得させてはならない。それを、隠し持っていた、この子が、悪い)
ーーなんで気になるんだろう、僕は、
「エルヴィー!止めろ」
(誰の声?今の、誰?エミー?)
『・・・・・・・・っ、』
(・・・・そんなわけないよね。エミーの声なんて、どんな声だか忘れちゃったのに、なんでエミーが気になるんだろう、この手の魔石、発動したら、エミーは喜ぶのかな?ルルを奪う者は殺せって、エミーは言ってたって、院の人は言ってたけど、)
ミギノは立ち上がり長テーブルの端に逃げた。
(逃げた。また、僕から逃げようとしてる、あの子、悪い子だから・・・?)
ーーなんで僕は、
(袋には沢山ルルが入っているけど、あれも回収しないと駄目なのかな、・・・なんで僕のことが嫌いなエミーに、好かれなきゃいけないのかな?・・・僕が、それでもエミーが好きだから?)
ーーこの子を殺さないといけないのかな?
「ミギノ、殺さないとだめかな」
あまりにも頼りない声がこぼれた。直ぐにエミーの命令に従えなかったエルヴィーに、フロウは鋭く命じる。
「止めろ!」
手はそのままに、顔だけフロウに向けたエルヴィーの、無表情は変わらない。
『**、エルビー*****?』
拙い言葉が自分を呼んだ。縋るような黒い瞳はエルヴィーを不安げに見つめている。
(なんて言ったんだろ、けっこうおしゃべりだよね。・・・この子、僕の名前、数字だって知らないんだ。だから、あんなに呼んでくれる。・・・・・・・・エミーは、僕に数字をくれたエミーは、僕の数字を呼んでくれない)
「誓約したはずだ。この領地にいる間は、我が指揮下に入ると。違えるならば、制裁を下す」
(玉狩りって、エミーにとって、失敗作で要らないものだからかな・・・。なら僕からの贈り物、エミーの為にこの子を殺す必要は、エミーにとって必要ないんじゃない?)
周囲で待機していた兵が、フロウの言葉に呼応するようにエルヴィーに身構える。未だ赤い魔石を握り締め、魔力を内包したままの手はミギノに向いたまま。
「誓約は絶対だ。大聖堂院の者も等しく裁かれる。院を跨げば、お前の上長も裁きの対象になるぞ」
「・・・・・」
エルヴィーの人形の様な顔は、フロウの言葉を無視してミギノに向き直った。
(ああ、そういえば、フロウも居たんだ。・・・なんか今、エミーの所為にするって言わなかった?・・・そういえば、メアーも同じ様なこと言ってたけど、フロウは本当にやるかも)
だって誓約したからね。
(エミーに迷惑かけるのって、やっぱり駄目だよね。ならやっぱり、この子殺さない方が、エミーにとってもいいことだよね。・・・・・・それよりも、この子をこんな不安な顔にさせたら駄目だよ)
青い星の下、自分を待つ小さな子供を、早く安心させてあげないと。
ーー「**ル*****ん!」
「?」
「笑ったか?」
「玉狩りが笑った?」
その不安定な笑顔を見たミギノは、怯えながらもエルヴィーの隣りに戻って来て慎重に椅子に腰掛ける。そして強がりにじろりと玉狩りを見上げると、皿のキリに手を伸ばしぱくりと口に入れた。
「・・・・?」
小さな口でもぐもぐ咀嚼し始める。キリは大型動物の肉を叩いて干したもので、子供にはとても食べづらいのだろう。飲み込めずに噛み続けている。玉狩りと一触即発の緊張状態の中、突然咀嚼し始めた子供を見守る事になり、周囲では目配せに首を傾げている。その不穏な空気の中、ミギノは肉をちぎって手で揉むと、エルヴィーに背を向けて物入れの中に肉を入れた。
『・・・・』
そして振り返りエルヴィーを睨むと、ミギノは残った肉を口に入れて、今度は焼き菓子のクルトを物入れに差し入れた。行儀悪くもぐもぐと、口の肉が咀嚼に上下に動く。物入れに差し入れたクルトを確信すると、それを取り皿に置いて違う菓子を手に取った。
「何をしているんだ?」
この殺伐とした緊張感の中、あまりの出来事に思わず間抜けな問いが出た。フロウの漏れ出た呟きに、後方から答えたのはエスクだ。
「・・・あの物入れの中に、ルルを隠していました。おそらく、ルルに食べ物を入れているのでは・・・?」
「なんだと、?、」
「ほら、親鳥がひなにやりますよね?」
「・・・・魔物が、ひな、」
確信は無い。第一級危険生物のルルを物入れに入れた者も、ルルに餌をやろうという発想がある者も過去に居ないのだ。この中の、誰もが想像もした事も無い。
フロウはエルヴィーを見た。ミギノが起こした信じられない出来事を前に、脅威の存在をすっかり忘れていたのだが、目の前のエルヴィーはただ困った顔をしていた。
(ミギノ、それは危険なものなのに、・・・痺れないのかな?もしかしてあれ、手の平に包むと、ビリビリこないのかな?)
『・・・・』
(僕を睨んでる。・・・そうだよね。魔石の赤なんか、ミギノに向けたから)
完全に脱力したフロウは息を吐いて椅子に腰掛ける。それに気づいて周囲を見渡すと、臨戦態勢だった者たちも毒気を抜かれたようにミギノを見ていた。
「団長、どうしますか?」
「・・・・」
こちらも困り顔のエスクだが、何度もエルヴィーを睨んでいたミギノが、改まってエルヴィーに向き直った。そして勢いよくプレートを指さす。
『**************。************』
(なんて言ったんだろう。・・・怒ってる・・・)
『・・・・・・・・』
「ごめん・・・」
エルヴィーが呟いた。何に、誰に謝るともわからずに。だが通じたのか、それを聞いたミギノは満足したように頷いた。
「ごめん。おごるよ」
「?」
ミギノは、得意満面の笑みを浮かべる。
「しょうかん!」
「え?、」
「おお!」と辺りはざわついた。「まじか、ガキのくせに!」、「俺も、俺も!」という調子のよい声があちらこちらから上がる。
「誰だぁ?あぁ、テメエだな。くそ玉狩り野郎。下品な言葉、子供に教えてんじゃねーぞ」
ミギノの横に、ドカリと座ったステルがまたエルヴィーに絡み始めた。いつもはステルの苛立ちを無表情で受け流すエルヴィーだが、今日は素直に頷いている。
「そうだね、ごめんね。ミギノ」
「気持ち悪ぃな!謝ってんじゃねーよ!」
ミギノは突然隣に座ったステルに怯えていているが、空いている席に周囲に居た者達は次々に座り始めた。ステルやエスクに話しかけられているミギノを横目に、フロウは半ば放心しているような顔のエルヴィーと目が合った。
「で?お前はどうするつもりだ?保護対象は、ルルを保護しているぞ」
「・・・保護かあ。こんなこと、エミーは言ってなかったしな・・・」
どこか宙を見ているようなエルヴィーに、フロウは苛々と酒を口にした。
「きょにゅうずき」
「「?!」」
ざわざわといつの間にか始まっていた宴会の中心で、ミギノがステルを「巨乳好き」と呼んでいる。それにエルヴィーは我に返った。
「ちょっと、君こそ!ミギノに変な言葉を教えないでよ!」
「俺じゃねーし、エスクだし」
「それと、ミギノにお酒、飲ませないでね」
言ってエルヴィーはミギノを自分の隣に戻す。戻されたミギノは、エルヴィーに向かって微笑んだ。
「飲ませてねーし。な?」
ステルはミギノの頭をグシヤグシヤとなでたが、エルヴィーが引き離してステルを鋭く睨んだ。頭の傷に痛がるミギノにステルが謝る。穏やかな雰囲気へと変わった室内、今後の事を思案していたフロウは、全身に気怠さ感じてため息と共に外を見た。すると陽が昇ろうとしている。
『****・・・』
ミギノが外を見て呟き、エルヴィーとステルも窓を見た。周囲に持ち場へ戻るように話をしていると、不意にミギノが鞄の中に手を入れて、例の板をのぞき込むと再び窓の外を見る。
(文字が変わってる。やっぱりこれ、刻をきざむものだよね)
同じ様にミギノの手の中をのぞき見た、ステルとエスクが驚愕に固まりフロウを振り返る。上官は軽く手を上げて制するが、今も二人は何か言いたげだ。
「夜が明ける・・・、『よあけだ』?」
エルヴィーがミギノに微笑みかけると、子供はうんうんと理解に頷いた。
『***、「よがあける」・・・***』
何度も、何度も繰り返すと、次第にミギノの目頭が赤くなり、大きな黒い目に涙が溜まってきたが、それはこぼれ落ちなかった。空を見上げてはエルヴィーに教えるように繰り返している。それに頷いてミギノの頭を優しく撫でていたが、ふとフロウを見た。
「フロウが命じたんでしょ?僕はこの子を傷つける事はしないよ。大聖堂院も怖いしね」
「ね!」
『ね?』
ミギへの笑顔は、心から自然にこぼれ出た。
**
「どうしたの?ミギノ、」
『**、*****、**************、**、』
「なんだ?厠でもたもたすんなよ」
「なんだろう、何か足りないのかな?」
『・・・・***、**、』
「・・・・・・・・なんだ?」
「ちょっと、なんでメアーが一緒に入るの!」
「一緒に入らねえ。だってこいつ、中を指差してんだろ。虫でも居るんじゃねえか」
「虫?、虫が居たらなんなのさ、」
「そういう発想のオメエには、一生わかんねー感性だから。除けろ。邪魔くせえ」
「あ、メアー!」
個室で話し声がする。それを不満に聞いていたエルヴィーは、ほどなく出て来たメアーと入れ替わりに中を覗き込んだ。
「オメエは入るなよ。もう分かったから」
「なんなの、心配だよ。虫がなんなの?」
「虫じゃねえ。あのガキ、厠の使い方、分かんなかったんだよ」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
「行くぞ」
「え?、どういうこと?」
「長考だな。こっちが聞きてえよ。入るなよ。女の子だからな」
「・・・・・・・・・・・・・・・」
カタン、ガチャリ。
『*、********、』
「ーーーえぇええっ!!!?」




