いってくるね、の置き手紙(その後の追記)
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父さま、母さまへ
スアハはつがいをみつけたの。
メイって名前のかわいいハグ。
メイは今はとってもいそがしいので、
ご用が終わったら、
二人で帰ってくるね。
だから母さま、スアハは悪い子じゃないから、
ぐるぐるしないでね。
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〈あれが無人の子?〉
大精霊の泉に佇む黒髪の小さな少女。それを木陰から観察していた蛇魚の子供スアハは、碧い瞳を嫌悪に眇める。
〈弱そう。お食事用じゃないよね?〉
隣で笑う鳥族の青年は鷹豹のフェオ。腕を組み、首を傾げてスアハを見下ろした。
〈そう見えるだろ?でもあの子、ヴェクトの顔、殴ったんだよ〉
〈!!?、・・・そうなの?そんなことしたの?なのに何で、生きてるの?〉
〈だよなー。ププ。まあでも、殴ったのはヴェクトが食べようとしたからだから正当防衛?、スアハも気を付けな〉
〈・・・・・・・・スアハは、顔をたたかれるような、ニブイ大獅子ジャないからね〉
〈確かに鈍いよね。それにヴェクトは遊びすぎたのかな?あの子の相手してた刻、様子がおかしかったかも〉
〈・・・・・・・・泉の広場であの子、三部族で見張るの?大げさだよね。そんなに悪い子なの?悪無人?〉
〈そうだなー、悪い子かはよくわからないけど、長たちが決める事だからね。だからそれまで、食べちゃだめだよ〉
〈食べないよ。スアハはあんな小さな無人なんて、物足りないもの〉
笑って飛び去る鳥族を、睨みつけたが気持ちが晴れない。その日スアハは、小さな黒髪の無人を少し離れて観察することにした。
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次の日は、目に見える所まで出て威嚇する。耳鰭を立てて歯軋りに威嚇音を発してみると、怯えるどころか小さな無人は喜んだ。
〈・・・・・・・・なんで?〉
『デタ!、*カナィリーズ、ビレイ!』
〈?〉
スアハを見て、笑顔になった小さな少女。大人たちに追われて森を逃げ惑う、硬そうな男の無人を近くで見たことのあるスアハは困惑した。形振り構わず樹をむしり、汚物を奇麗な川に垂れ流す。その姿の印象が強く残り、スアハは無人が嫌いだった。
〈ねえ、あのハグ、今日はスアハの事を見てたよね?何をお話ししたの?スアハの事を言っていたの?あれ北方や、東言葉じゃないよね?〉
〈あー、なんか、精霊の話だと、身体の無人の子、メイ・ミギノは東でも北でもなく、別大陸から来たらしい。だから言葉が俺たちと違うって〉
〈???、別大陸?、東と北でもないの?〉
〈うん〉
〈じゃあ西・・・、〉ハッ!
未知なる土地、未知なる大陸。それに怖い昔話を思い出したスアハは、ぽつりと不安を呟いた。
〈まさか、アトラ・ステス、〉
〈・・・・それは海の下だろ?お前たち、海の部族と番人の管轄だ〉
〈そうよね。もしそうなら、父さまたち、海の守護者が忙しくなるものね〉
〈それよりも、その別の国の言葉でメイは、お前が奇麗だって言ってたみたいだぞ〉
〈・・・きれい?・・・・・・スアハのこと?〉
〈そう。毛小鳥もスアハも、奇麗で可愛いって、〉
〈・・・・・・・・きれい、〉
**
〈お帰りスアハ、泉の無人はどうだった?〉
〈ただいま、サナハねえね。あのね、あの子、初めは悪い子だと思っていたけど、そうじゃないみたい〉
〈?、そうなの?でも無人って、大人しそうに見えても凶暴だったり、弱いから嘘吐く奴も多いからね〉
〈わかってる。スアハは馬鹿じゃないからね。ずる賢い無人は、なんとなくわかるの〉
水陸両用のスアハの自宅、その中で今日は水の部屋で寝ることをやめたスアハは、久しぶりに地の部屋で眠ることにした。使い慣れない布製の寝台の上、布製のふわふわの大きな枕を抱きしめる。
〈なんでメイは、スアハが何回も注意してるのに、毛小鳥の間にはさまるの?〉
ーー『ウワウワ、イモチィ、』
毛小鳥ではないが、羽毛が詰められた大きな枕。それを抱きしめても、スアハには少女の気持ちが分からない。静まり返った室内で、独り文句を呟いていたがそれにも飽きて横になった。
(・・・・・・・・なんで目を瞑ると、あの子が浮かんでくるんだろう)
他の部族には分からない。閉じない瞳は眠る刻、透明の膜に覆われる。兄弟姉妹が水の部屋で寝静まる中、スアハは一人身を丸め、窓から射し込む青い星に包まれて眠った。
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〈精霊を、身体に入れられてるの?宿るんじゃなくて、精霊は、無理やり入れられたの?〉
フェオから聞いた衝撃の事実。無人の少女は、身を護るために口から精霊を飲み込んだという。
〈風長が言ってた、かもしれないって話。メイは無人の中でも弱いから、北方で精霊を石に変えるみたいに、なんか実験されたのかもって。弱い無人たちは、それを補うためにいろいろヤルから〉
〈・・・ひどい、メイ、実験されたの?他の精霊がメイの事を好きになったら、オルディオールはどうするの?メイの身体の中で、けんか?〉
精霊と精霊の喧嘩には、関わってはいけない。命に関わる危険性があるのだ。
〈その実験をされたかも。だって、精霊を宿しているせいか、メイってぶれてるだろ?森の中に入り込んで、真存在と共に過ごしても、ぼんやりしてるよね。あれ、相当ぶれてる。心がここに無いかんじだ〉
食料として北方とガーランドから送られてくる犯罪者たち。別大陸で番として連れて来られた者たち。その誰もが例外なく、様々な種族の真存在と出会うと、徐々に恐怖に怯え始める。
〈まあ、大獅子は別として、それでもヴェクトを叩いた事、鷹豹の俺の背を踏んだ事、フミィたちの中に入り込んだ事、お前との水浴び、・・・ププ、昨日なんて、鼠猿の子、食べる食べるって騒いだしな〉
〈メイ、猿族を食べよとしたの?ダメダメっ!〉
〈わかってる。止めといた。ププ、〉
気が触れなければ、同種族を食す事は無い。真存在では無いのだが、どちらかといえば、少女を猿族と見ていたスアハは青ざめる。
〈スアハも、悪い子メイに注意しておこう〉
〈面白いだろ?精霊の方は、逆に精霊のくせに思慮があり、賢い無人みたいに慎重だ。だけどあの中身の子、囚われてるくせに、俺たちを観察してるような顔してる〉
どっちが精霊か分からない。口端は笑いながら語るフェオだが、いつも人を小馬鹿に見ている黒い瞳は困惑していた。
〈ヴェクトじゃないんだけど、あの子見てると、なんか食欲が失せるんだよね〉
泉の周辺を興味津々と彷徨く少女。小さなメイを目で追いながら、ぽつりと呟いたフェオにスアハもそれを目で追う。そして額にぽんと触れられた事を思い出すと、腰回りにぞわぞわと何かが走った。
〈・・・無存在って、本当にいるのかな?〉
得体の知れないぞわぞわから逃げるように、スアハは自分にとって最大の敵を思い出す。そうすると、身体を駆け巡るぞわぞわから、気が逸れて楽になった。
〈今は奴らの気配は無い。西大陸で陸の番人も見張ってるし、海の番人も見張ってる。まあ、俺たちの世代には、そんな奴らにはお目にはかかれないかもね〉
遥か昔、ガーランド地方の文化と混ざり合う、更に昔の歴史では、真存在は無存在という部族と戦った。負けた無存在は西の海底に沈み、それを退けた真存在は西大陸から北方、東大陸を経由して南方大陸にやって来たという。
遥か遥か昔、真存在が最悪の敵と認めた無存在は、今は封じられて海の底に沈んでいる。
〈もし無存在が来ても、メイは、スアハが守ってあげるの〉
〈んん?出来るの?〉
まだ成人前の、性別も決まっていない子供の強がり。それをフェオは鼻で笑って宙に浮いた。
〈スアハはね、あの子を番にしようと思うの〉
〈ブーブー、生意気ー。スアハはまだ、大人じゃないでしょう?、プルム港にだって、入れないくせに〉
〈そんなもの、すぐになるもの!、フェオよりも、ドーンて大きくなるもの!〉
〈プププ、ドーン?〉
飛び去るフェオを、木陰に姿が隠れるまで睨みつけた。ハラハラと木の葉が舞い落ちてきて、白い額の上を掠める。微かに触れた葉に、スアハは再びあの事を思い出して額の上に手を置いた。毎日の水浴び、小さな少女の柔らかい手はスアハの額をぽんぽんと優しく触る。
〈・・・・・・・・うふっ、〉
本来は額など、親にも触れさせた事はない。多くの真存在の民はその部分に無断で触れる事を許さない。悪戯や不用意に触れた者は、死の制裁を無条件に受ける事になるからだ。本当に心を許した者同士が、お互いの額を触れさせる。許可無くスアハの額に触れたメイは無知ではあるが、スアハの事が大好きなのだ。
だからスアハは、メイの突然の額へのぽんぽんを、許してあげた。
**
くんくん、くんくん。
〈スアハ、とってもいいにおい〉
少女とは毎日共に水浴びをした。フェオに宣言したとおり、凶暴な大獅子からも小さな身を守っている。自信の証に黒髪の少女の身体には、スアハが所有していると臭い付けも行っていた。
〈そうでしょ?スアハ、メイの匂いに包まれてるの。メイはスアハの匂いに包まれているのよ〉
ウフッ!と、一つ年下のナアハに自慢し笑ってやった。すると妬ましそうにスアハに纏わり付いていたナアハは、スアハによく似た顔を再び寄せてくる。そしてくんくん、じゅるりと涎を垂らした。
〈うん、とってもおいしそう、メイ〉
〈!!〉
トタタッ!クルリッ!
〈ナアハ、スアハのメイ、くんくんしないで!〉
〈なんで?とってもおいしそう!〉
〈食欲おさえられないコはね、泉の広場で遊べないんだよ!〉
トタタタタタタ!
トタタタタタタッ!
〈ついてこないでっ!〉
くんくん!
〈ナアハ!ペタペタしないでっ!〉
〈なんでなんで?ハグはおいしいのに!ナアハ、ハグだぁーいすき!〉
ーー〈!?〉
スアハよりも少し背が低い。蛇魚特有の、同じ銀の長い髪に碧い瞳。だが異質なものを見る目でスアハはナアハを見つめた。
〈ナアハ、食べたの?〉
〈うん!父さまたちのお食事に、こっそりついて行ったの。少し怒られたけど、帰りなさいって、おみやげにハグのお肉をもらったの〉
〈・・・・・・・・〉
うふっ!〈うらやましい?ナアハはかわいいから、とくべつにおなかのお肉だったの。雄だったけど、おなかだからやわらかくておいしかった!〉クフッ!
〈・・・・・・・・〉
〈メイは子供?子供のほうが、やわらかいみたい。スアハは食べたことある?・・・!〉
・・・・ギギギギギギギギ・・・・。
〈!!、っ、スアハ、怖い顔!、〉
〈ナアハ、泉の広場に来ないでね。ナアハを泉で見つけたら、スアハはナアハに、とってもひどいことするから〉
〈・・・・・・・・〉
**
〈サナハねえね、母さまはまだ帰らない?〉
〈そうだね、今日はナナハとナアハのお勉強に、大海に出てるからね。・・・でも少し遅いよね〉
しなやかな美しい肢体を持つ長女のサナハは、窓の外の蒼い海の奥を眺めた。
〈あのこたち、甘えんぼうだからね。きっと悪い子ナアハが母さまを困らせてるんだね。そう、どうしよう、父さまは忙しそうだしね〉
〈父さまは悪いやつらを追いかけるのに忙しいね。今日は二人もくっついて行ったよ〉
〈サアハにいにと、スナハも?あの子、番も居ないのに、狩りに付いて行っちゃったの?〉
〈スナハはね、きっと番と出会うよりも先に成人するかもって、サアハが言ってたよ〉
〈え?、なんで?そんなことあるの?〉
〈あの子、すごく悪い奴らを追いかけ回すのが好きみたいでね。そういう子は、大体男の子になるんだって。身体が大きくなるからね。女の子より〉
〈そう。スナハも男の子なんだね〉
〈・・・?スナハも?そういえばスアハ、無人の子供を見張るお仕事楽しそうだね。母さまにその事で報告?〉
〈・・・・、うん。すごく楽しいの。報告もなんだけど、実はね、スアハは番を見つけたの。女の子、名前はメイっていうの〉
驚いた美しい姉は、喜びに弟を抱きしめた。まだ正式に成人はしていないが、この数日間でスアハの身体は変異し始めている。本人の口からの報告に、サナハは蒼い瞳を涙ぐませた。
〈良かったね、スアハ〉
〈うん、スアハ、幸せ〉
この後少年は、精霊によって連れ出された少女を追い、共に南方大陸から東大陸に旅立った。彼の陸の部屋の窓辺には、両親に宛てた手紙が一通残されていた。
***
ーーー南方海域、一年後。
***
〈あ、やばい、飛竜だ!〉
〈最近はー、竜騎士がすごく煩いよね〉
徒党を組んだ海の部族の年若い荒くれ者たちが、最近数を増してきた。三部族の決まり事やガーランド国、エスクランザ国との協定を無視して海域を荒らし、旅客船や漁師の船を襲い、転覆させて人を狩って遊ぶ。そのたちの悪い彼らの首領が、最近代替わりしたという。
〈ねー、ティエリー、スアハにお兄さん、何とかしてって言ってよ〉
〈またスナハ?しつこいね〉
〈海の守護者って、俺たち本気で殺そうとするからー、こわいー。ちょっと北海域で、無人を食べただけなのに〉
〈ねー、そんなことより、スアハは?〉
〈スアハはね、礼の獲物を狙ってるのよ。昨日、グザと話してた〉
〈ああ、例の、黒髪の、生意気な巫女〉
〈俺たちに任せればいいのに。スアハ、狩りはまだ苦手みたいだろ?〉
〈頭のくせに、狩りが下手ー!キャハハッ!〉
〈さっきの船、黒髪はいたけど、小さい雌の無人は居なかったね〉
〈ざんねーん、キャハハッ!、あたしが狩った赤毛の無人、腹に卵が入ってたの!美味しかった!〉
〈卵じゃないよ、それ。あいつら、保護殻無しで出て来るから〉
〈でも栄養満点ー!て、ティエリ、静かだね〉
小鯱族の少女ティエリーは海真存在の副頭、集団を率いて狩りをする事が上手い。愛らしい丸顔に長く美しい黒髪、その姿に憧れて周囲には様々な魚族の者が集まっていた。
〈怒ってるの?〉
〈頭が構ってくれないから、拗ねてんだよ。子供だねー〉
〈年上なのにー?キャハハッ!〉
海真存在と名乗る集団の首領であった牙魚のアウは、年若い銀髪の蛇魚の少年に敗北した。それ以来、アウの二番手だったティエリーは、その少年に心酔している。
〈あたしらの方が、情報正確なのに。グザより、なんでグザを信じるの?〉
〈ティエリ、グザに負けてる。キャハハッ!〉
ティエリーに靡かず独り行動をする、グザというのは少し年上の鯆鮫族の青年である。回遊範囲が広いグザは、海の部族の情報屋として有名だった。
〈あー、ティエリーさんだ。いい匂い!〉
頬を膨らませるティエリーを無視して、捕らえた獲物を等分し仲間で分け合っていた。彼らが集う海の中には常に血が漂っている。それをもの欲しそうに、上海から見下ろしたのは美しい銀色の姿。ティエリーの心酔する蛇魚族の血族が現れた。
〈あら、ナアハね!久しぶりじゃないの〉
水に流れる長く美しい銀髪。深く碧い瞳、スアハによく似た顔立ちだが、まだ未変化の幼体は姿が細く頼りない。
〈スアハはここに居るの?〉
〈今は出かけてる〉
〈そう、あの子、いつ来ても海真存在に居ないのね。・・・そうね。きっと〔メイ〕を、探してるんだね〉
〈・・・・メイ?〉
初めての名前に、首を傾げたティエリー。それを見て、ナアハは嘲るように笑った。
〈ティエリーさん、スアハにくっついているのに、知らなかったの?プフッ、黒髪の小さな無人、名前はメイっていうの〉
〈・・・・ふーん。無人の名前なんて、興味ないからね。どうせ食べ物になるだけだし〉
〈だよね。ナアハもそう思う〉
笑う瞳は無邪気に細められる。嘲笑に苛立ったティエリー、彼女に従う年上の他種族が威圧する場だが、未変化のナアハはいつも物怖じせずに踏み込んでくる。そして目的の者が居ないとわかると、くるりと一回転して海流に乗って上昇した。だが少し進むと、銀色の髪を揺らして振り返る。
〈ねえティエリーさん、スアハに伝えておいて。兄さまが捨てた〔メイ〕、ナアハが先に、見つけるからって。クフッ!〉