引き出しの中の遺書(3)
敬愛なる父上
親愛なる母上
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春の声はまだまだですが、お変わりありませんか?
私は、このたび皇太子様より位階零を授かり、
天上人様の守護に拝命賜りました。
主命を全力で全う致します。
お二人の元に導いてくれた神樹に感謝致します。
幾久しくお元気で。
お二人とも、お身体を大切に。
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天守殿、エスクランザの街並みを見下ろせる、見晴らしの良い渡り廊下。天上の巫女の間から出てきた第二皇子の背に叩頭し見送った。それを見ていたトラーは、テハに怪訝な目を向ける。
[どうしたのだ、テハ。お前は第一皇子の守護者だろう?]
先輩騎士から問われた少年騎士は、はにかむと改めて正式な礼をした。
[本日からメイ様の護衛騎士に配属されました。テハ・カラトです・・・船での事が、アリア様に密告されたようで]
[そうか、お前も特位零を授けられたのだな]
[・・・はい]
天上人の降臨に、表と裏から選ばれる特位は二人だけ。だが特位を与えられても、気紛れな第二皇子は何をするか分からない。これは昇格なのか、それともこれから断罪されるのかも不明なまま、天上人のメイが自ら触れた守護者は二人、少女の元へ集められた。
[アリア様は巫女様を穢れさせた我々を、どうなさるおつもりでしょうか?]
悩む少年騎士へ、やはり返す言葉は無い同じ立場のトラーだが、話の逸れた内容を語り出す。
[メイ様に毒を盛った料理人、それに関わり止められなかった者達が処分されたのは知っているな?]
神殿の奥で、地の最高神官に嫌がらせをされていた。更に膳には毒まで盛られたという。この事実に、地の最高神官スラ・エオトに怒りを再燃させたテハは神妙に頷いた。茫洋とした街並みを見渡したトラーは、テハの知らない続きを話し始める。
[彼等の氏族は位を剥奪されて、処刑は免れたそうだ]
[それは、]
処刑という言葉にドキリとしたが、少年はそれをアリアの恩情だと頷いた。
[アリア様は、私にも恩情を下さったのです。関わる本人は許されませんが、その氏族の者たちは、毒の事は知らなかったでしょうし、]
[恩情は、処刑に立ち会う神官の、手間を省いた事だそうだ]
再びドキリと鼓動が脈打った。
ーー[重いね、]
手にした長剣が、ただ重かっただけかもしれない。アリアの心の中は優しいリーンとは違い、気紛れでよく分からない。だがそれにより、テハは未だここに生きている。
[手間、ですか、]
嘗て天上人が舞い降りた青い空、人々を導いた巫女と皇王が始めた物語は、大きな街並みと形作られ今に至る。トラーとテハは、それぞれが憂鬱に見えない空の先を見つめた。
[それはそうと、お前は階位零の意味を知っているか?]
[はい、天上人の守護として、命を賭け、全てからお守り致します]
経典に書かれた文面を、テハなりに歪曲した。それにトラーは頷かず薄い茶の瞳でひたりと見据える。
[・・・・〔天より来る迎えより、天上人を隠す〕、他国より巫女様をお守りする事は当たり前だ。そしてそれは他の守護にも可能だが、この一節を我々は頭に入れておかなければならない]
[はい。天上言葉での異界零、天上人隠しですね。・・・ですが〔天上人より来る迎えから〕、巫女様を隠すとは、過去には天から、それ程までにご降臨があったのでしょうか?]
[天からの架け橋、それはひどく脆く危うい物だと記されているが、それが関係しているのかもしれない。過去には、脆くない橋により〔迎え〕が来たのかもしれない]
エスクランザの経典には、数百年に一度、降臨により国を守護する天上人は世代に一名の記録しか無い。
[そして〔隠す〕とは、後から来る迎えから、天上人が奪われる危険性があったととれる]
[はい]
目には見えない空の先、天からの略奪者の姿は今は見えない。トラーの確認を心に刻んだテハだが、その姿を陰から一人の男が見つめていた。
**
[トルファ神官、セオル神官を見かけませんでしたか?]
巫女姫を迎えに同じ船に乗っていた神官に、渡り廊下で声を掛けた。二十ほど年上のトルファ・ケイルは、テハが気後れ無く声掛けできる下位神官の一人だ。最近姿を見かけないセオルを気にしていたテハは、同じ表十の位のトルファに所在を尋ねてみた。
[これは神官テハ、私、貴男のお陰で十三位まで昇進出来ました。感謝が遅くなり、申し訳ありません]
[いえ!そんな!それは俺のお陰ではありません!]
顔を赤くして声を張った。そんな姿にトルファは微笑む。
[いえ、貴男のお陰です。セオル殿をお探しですか?・・・そういえば、ここ数日、姿を見ませんね]
ーー[君、遺書の書き方が分からなかったら、手本を見せてあげるよ。僕はもう、用意してあるからね。ふふ、まだ一桁ではないけれど]
思い切って書いてみた遺書だが、思ったよりも簡素な言葉しか思い浮かばなかった。自信の無い内容に、それを書くことを勧めてくれた同僚を探したが姿が見えない。落ち込むテハの姿を見て、同じ様に気落ちした表情をしたトルファは、周囲に人が居ないことを確認して声を潜めた。
[こんなことを伝えるのはあまり良くありませんが、実はセオル神官の事で、気になる噂があるのです]
[?、・・・なんでしょう、]
潜められた内容に、テハは親しいと思っていた年上の友人に不安を抱く。普段は人の悪評を口にしない、温厚なトルファの表情に、更に良くない想像が増した。
[あの方が、一桁を目指していることは知っていますか?]
ーー[ふふ、まだ一桁ではないけれど]
陽を浴びた笑顔は、常に前を向き上を目指している。テハと同じ様に年若くして表十の位に昇進したセオルは、周囲からの年齢差による軋轢を受ける仲間である。
[はい。そのための助言も頂いております、]
[そう、彼が助言を与えたはずの貴男が、先に昇進して九位になり、更に位階零の剣を手にしたのです。そのことで、貴男を貶める事を十の位の中で・・・]
[・・・・、]
言葉を失ったテハに、同じ様に悲しげな表情のトルファは頷いた。
[お気を付け下さい]
[・・・?]
[セオル神官は一桁の欠員により、自分が一桁に上がれると言っていました]
[!?]
特進以外、本来ならば試験により位が上がるのだが、船上に居た天弓騎士は皆、巫女姫を救った事により一つ昇進した。第十一位であったセオルは、今は第十位になっている。
[あれ、でも、私は今は階位零を頂きました。ならばセオル神官は[階位零、]
遮られた言葉、目の前のトルファは真剣にテハを見つめた。
[貴男のその階位が、認められないのでしょう。船での穢れの事を、皇太子に伝えた者も彼なのです]
[・・・・・・・・そうですか、]
気落ちし暗くなるテハの表情。少年騎士とセオルとは、数年来の付き合いなのだ。トラーと同じ年齢の彼を、テハは友人の様に慕い、兄のように尊敬している事は周囲から見ても明らかだった。
[・・・・・・・・]
夕暮れに染まる宿舎の部屋、テハは完成した遺書を、引き出しにしまい込んだ。
**
深夜、天守殿の天上人の巫女の間に、一つの陰が忍び寄った。寝室の内外に一人ずつ座する位階零の守護を、音も立てずに開いた襖から覗き見る。守護騎士だけが通り抜ける裏廊下、星明かりだけで狙う的は、部屋の中央に丸まる布団の塊。
(ふふ、)
膝を折り座する口封じの騎士は目を伏せ微動だにせず、手にした長剣を飾りとして持つだけの少年は、星を眺めて気落ちしているだろう。生意気な少年の奪われる未来にほくそ笑んだ男は、その場で弓を引き絞った。
ーーキリ、
[!!?、]
引き絞った弓矢は、放つ前に強い力で掴まれた。音無く気配無く背後に忍び寄っていたものは、弓矢を掴んだ手を離さずに、抱え込むように突き付けた長剣を首筋に押し当てる。
[っ、]
言葉無く背を押され、的である少女から引き摺るように離される。巫女メイの足下、室内のトラーは微かな音の方向を見つめたが、遠離る気配に再び目を伏せた。
[残念です]
男が突き飛ばされた暗い板の間には、四方に騎士が立っている。奪われた全ての武器に、少年騎士を睨み上げたが突き付けられた長剣に歯を食いしばった。
[何故私だと、分かったのだ、]
絞り出された声は、中年の男から発せられたもの。変えることない表情に、テハは目の前の賊をひたりと見据えた。
[花紋を頂いたこの長剣を、アリア様から頂いた事を知っているのは、アリア様の守護と私だけ。貴男が知ることは、あり得ないのです]
[!?、わ、私は、皇太子の守護に聞いたのだ!]
[あり得ません。表も裏も、十の位の貴男に、それを伝える理由が無いからです]
[き、貴様!]
年下の少年に、侮辱されたと憤るトルファだが、四方に配置された口封じの騎士の気配に身を固める。友人を失って、巫女の守護に失敗すれば、今度こそ命を失うだろうと計算した。だが標的の少年は、膝を折るトルファを見下ろしている。
[巫女様を、穢した者のくせに、]
[貴男は、その巫女様に弓を向けた。許されない]
[当てるつもりなど無かった!若輩者のお前が、その剣を持つ資格があるのか、見極めたのだ!]
[はぁ、巫女様を狙う愚か者がこの王宮内に居れば、顔を見たいとは言ったのだけど、刻を考えてよね。明日は早朝から、神殿に行かないといけないのだよ]
[!!、皇子、]
開かれた扉から、気怠げなアリアがふらりと現れた。驚愕に身を引いたトルファだが、背後の守護者にそれ以上下がる事が出来ない。
[面白かったかい?]
[?、皇子、]
[テハが死に怯える姿だよ]
[!?]
[僕は面白かったよ。やはり日ごろから無反応なトラーより、テハは期待通りだったね。ああ、トラーといえば、庭で巫女様に困らせられていた姿、あれは良かったけどね]
[・・・・・・っ、]
[だけどね死を弄ぶ、これは皇太子の、僕にだけ許された遊びなんだよ]
[お、お許し下さい!]
[下民や、まして地の下である、お前が行って良い遊びではないね]
アリアの目配せに、テハは長剣で目の前の不浄を斬り捨てた。返り血を身に浴びたが、留めに身体の中央を深く突き刺す。絶命した男を見下ろしたアリアは[曝せ]と告げたが、少年の困惑した顔に首を傾げた。
[許す。何の疑問だ?]
[曝すことは、必要でしょうか?]
[愚かな者への制裁は、目に見えて曝すことに効果があるんだ。同じく愚かな者が、後に追従する数を減らすためにね]
[・・・・はい、]
[それを使いこなす事が僕の権利だよ。愚かな者が見せしめに曝される事が可哀想などと、守護を物として扱えないことこそが、無駄に守護を減らすんだ]
[!!]
第二皇子が地の下と呼ばれる自分達を、物として扱うことに情け容赦がない理由。無駄に減らすと言った言葉に、テハは気紛れなアリアの本心を聞いた気がした。
[民の嘆きに耳をかたむける、お優しい第一皇子と、僕は違うからね]
[はい!!!]
[・・・・・・・・]
[・・・・?]
第一皇子への嫌味に自分を貶したアリアだが、それに強く頷き賛同した。真摯な顔の少年騎士に、今度はアリアが怪訝な顔をする。
[何故だろうね。・・・そこを強く肯定するなんて、お前は本当に、呆れるほど素直だね]
**
トルファの亡骸の処置を済ますと、既に空は明るくなり始めた。急ぎ泉で念入りに身体を清めて宮殿に戻ると、書庫から見知った男が現れる。
[セオル殿!]
[お、どうしたんだい、こんな刻にこんなところで、巫女様はいいのかい?階位零]
笑って言われた嫌味だが、それさえも親しみに感じる。だが噂話はトルファのついた嘘だと思っていたのだが、本人を目の前に少し心が揺れたテハは立ち止まり、軽く会釈に留まった。
[何だ随分、他人行儀だね]
[セオル神官、あなたこそ、こんな刻になぜ書庫に?ここ数日、お姿を見ませんでしたね]
[ああ、覚えることが、あり過ぎなんだよね。・・・そうだ、見る?これ、]
セオルが笑って取り出した、手の平には天上言葉で十八と彫り込まれた指輪。差し込む朝日に照らされて、それはきらりと輝いた。
[・・・、!、これは、]
[そう、第九位の十八の紋章だよ。昨日、授かったんだ]
一桁の守護に渡される印章指輪。階位が零になり、すぐに使うことが出来なくなった指輪は、テハも大切に引き出しにしまい込んである。嬉しそうに見せびらかしたセオルは、それを親指に嵌めて再び笑った。
[・・・あの、これは、どうして、]
[なんだよ、位階零の君にはあまり興味が無いとは思うけど、準備も無く、突然試験を受けさせられたり、大変だったんだよこっちは]
[それで早朝に書庫ですか?]
[そうだよ。規則の確認のためにね。・・・私が努力をしては変かな?]
[いや、お、おめでとうございます!!!]
[うん。有難うございます。一桁でようやく、私も王族のお側に仕えられる。よろしく、先輩殿]
[せ、先輩ではありません!]
疑心暗鬼に弄ばれたが、その靄が朝日と共に晴れた。たった数日の不在だが、久しぶりに再会したセオルは変わるところは一つも無い。他人の言葉に惑わされ、彼に疑いを掛けていたのはテハの心の中だった。セオルの努力の証を再び見下ろしたテハだが、そこであることを思い出す。
[あ、そういえば、]
しまい込まれた指輪と同じ引き出しの中、完成させた両親宛てのものを思い出した。
[セオル殿に教えられて、俺も遺書を書きました]
[・・・そうか。守護騎士は、いつどうなるか分からない。君のようにお若くても、それは同じだから。お互い、気を引き締めないとね]
天上の巫女姫の膳に毒を盛った者、護るための弓を眠る巫女へ番えた愚か者は、今は東北の表門に曝されている。
[はい]
[・・・ん?なんだあれは?善くない感じだ、]
早朝に、同じく見慣れない者が現れた。神官たちが伝令に駆け回る。それを一人掴まえると、蒼白な顔の男は叫んだ。
[ガーランド竜王国より、我が国へ、急襲です!!]
その日、大神官インクラートが招いた少女、天上の巫女を奪いに来た空賊は東の空からやって来た。