引き出しの中の遺書(1)
敬愛なる父上
親愛なる母上
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春の声はまだまだですが、お変わりありませんか?
お二人のお陰で、私は
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上空に流れ飛んだ第一矢。
ーー『***トダ!』
ーー[一斉掃射!!巫女様を、お護りしろ!!!]
テハの号令に無数に放たれた弓矢、しかし流れすぎる羽音を躱しながら、竜騎士は反撃してくる。
ーーズダンッ!
〈停船しろ!!私は第三の砦、竜騎隊エスフォロスである!〉
[構え!放て!!!]
(第三の砦、竜王国の精鋭が、)
青い星の光を浴びて、暗闇を身に纏い単身一騎で迫り追ってきた大きな飛影。船上で天上人の守護を託された少年神官は、脅威を畏れず空を見上げる。
[第二一斉掃射、構え!]
エスクランザ国が飛竜に弓矢を放つこと自体あり得ないが、警告を続ける竜騎士に神官騎士からの弓矢は止まらない。轟音と共に船の周囲を舞う飛竜、その背の騎士がある怒声を吐き出した。
〈インクラート!!貴様!!ガーランドへ弓を引いたか!!〉
[大神官様、船内に巫女様を!]
目線で頷いたインクラートは、小さな黒髪の少女を連れて船内に戻る。この場から居なくなった最上位の存在、扉の閉まる音を背後に聞いた少年神官は殺気を宿して上空を見つめた。
〈神官兵!、同盟を違えるか!!〉
[我らから、巫女様を奪おうとする空賊、]
〈停船しろ!!〉
動く的を追う指先には番えた弓の鏃。自国防衛にのみ許されたその武器だが、訓練に想定する敵は鳥よりも大きく、外皮は硬く鱗で護られたもの。瞬きをせずにそれを見つめていた船上の騎士は、張り詰めた弦から殺気を解き放った。
[・・・・墜ちろ]
ーービュン。
ーー〈ギャ!〉
〈フエル!!〉
狙い定めた一矢は的に当たった。続く二撃目は手応え通り、巨体の硬い翼を貫き通す。失速した飛竜は不安定に宙を舞い、船から少しの距離が開いた。
[第三一斉掃射、構え!]
的確な射撃はエスクランザ国の精鋭天弓騎士。雨の様に降り注ぎ放たれた矢を躱し、追っ手は射程範囲から更に大きく距離を置く。そして弓矢が届かない程の距離まで離れたが、青い星が照らす空、テハは巫女を狙う敵から目を逸らさなかった。
[神官テハ、]
[東の空、他に飛竜の追っ手は見当たりません]
[ご苦労さまです。神官トルファ。天が導いてくれたのでしょう]
[巫女様を、お護りできて良かった]
*
初めて目にした天上人、護るべき最上位の存在は、小さく頼りない姿の少女であった。
密書により伝えられたガーランドの暴挙、この世の僥倖である天上人の巫女への非道な扱い。それを嘆いたものたちは、天上人を救出するべく立ち上がった。だがガーランドから巫女を助けた大神官、インクラートを小さな少女は常に怖れている。
[巫女様は、ガーランドの黒竜騎士オゥストロに虐げられていました。あの者の柵み、巫女に纏いつく情念を、断ち切らなければなりません]
そう言った大神官は、巫女を解放するためだと呪縛が形となった魔具、小さな指輪を捨てさせようとしたのだが、それに巫女である少女は逆らい抵抗した。
『************、*********』
(天上言葉だ、)
秘匿書簡の中に保管される天上人の転写姿と言語集。言葉は経典の中にもちりばめられているのだが、文字で目にする天上の言葉と、実際に音に聞く印象が丸で違う。
学びはしたが理解出来ない天上言葉で、少女は明らかにインクラートに否定を返した。巫女を見守り周囲に集う、味方であるはずの自分たちを恐れ、小さな姿で必死に抵抗する。その悲しげな姿にテハは動揺する。
[大神官様、]
インクラートの密書では、天の巫女はガーランドから、エスクランザ天王国への帰還を望んでいるはずだった。だが甲板を遅い足で必死に逃げ回り、追い詰められた小さな少女は震えている。
(これではまるで、我々が巫女様を脅かしているような、)
テハと同じく巫女の護衛として遣わされた神官たちも、怯える小さな少女と、追い詰めるインクラートを訝しみ見つめていた。
[巫女様は混乱されているのです。カラト神官、お部屋までご案内を]
困ったように微笑み身を引く大神官。周囲の神官たちを目配せに遠ざけると、進み出たテハは震える巫女を船内に案内した。
[巫女様、こちらです]
腰には細い帯剣に、矢羽が筒から見えている。短い丈の下衣に法衣の外套を羽織る神官テハ・カラトは、自分をきょとんと見つめる黒目に目を伏せた。
(そうか、この方は、我が国の言葉がわからないのだ。東言葉でなければ、)
『・・・・、』
「お寒いでしょう、さあ、船内へ」
促した船室。遠離るインクラートの姿に巫女は安堵したようにため息を吐く。そして指輪を隠した胸元を震える手で握りしめた。
[・・・・]
**
[まだ正式な巫女様とは認定されてはいないが、天上人をお護りしたことで、また位が上がりますな]
年上の同僚に声をかけられたが、それは明らかに皮肉を含んでいた。四大精霊との相性による属性最高神官や、階級無しの特殊零位は別とし、エスクランザ天王国では位によって位置づけが決まる。父親は天弓第一位の神官騎士、母親が風の最高神官であるテハは第一皇子リーンの派閥に属する大貴族である。更にテハ自身、優れた弓の腕と利発さを認められ、この若さで天弓第十位まで飛び昇進したのは最近の事だ。
[あのガーランド第三の砦の竜騎士に、傷を負わせる事が出来たとは。さすがカラト第十位、帰国すれば次は一桁まで昇進されるでしょうな]
[そんな!、そんな事は、ありません、]
[表も裏も、一桁の位となればあの第三の黒竜騎士と肩を並べる実力者。楽しみですね]
[東の方では噂の白の将軍、銀の将軍などと同等ではありませんか。我が国では、表は第一位の貴男の御父上、裏ではカーサ第一位と同じ階級とは、畏れ多くてこれからはお声掛けも出来ません]
[違います、私は、]
他国では将軍の位置となる一桁の位は、エスクランザ天王国では大軍を指揮する将とは違い、上位の王族守護の指揮をする名誉ある階級である。実力、家柄、人柄など全てを兼ね備えなければ一桁に上がる事は難しい。
[元老院の大神官様たちは、貴男をお孫を見る目で愛でられるのでしょうな]
[・・・・、]
笑いながら背を向けた十の桁の同僚たちは、二十から三十の年の差がある。父親と同じ位の年齢の神官騎士たちは、同じ年月の苦労をせずに横に並んだ少年神官への言葉は辛辣なのだ。ため息を飲み下し肩を落としたテハの背に[気にする事はない]と声が掛かり振り返った。
[セオル神官、]
[君の昇進は元老院だけの推薦ではない。天弓騎士としての実力だよ。彼らは私にも、いつも小言ばかりだからな]
[お見苦しいところを、お見せしました]
[共にリーン皇子をお護りしなければならないのに、身内で争う事には意味がないのにな。まあ確かに、君は老人受けが良いから、それを彼らは妬んでいるのさ]
[いえ、大神官様たちは、私では無く父と話しをしているのです。・・・それだけです]
自分の実力だけでは無い。昇進に引け目を感じていたテハは、人脈のある父親と自分を比較して口篭もる。落ち込んだ少年を励まそうと笑ったセオルは、話しを少し逸らすことにした。
[老人受けといえば、君よりも優秀な方がいらっしゃるよね]
[・・・老人、・・・いえ、大神官様たちの受け?]
[私が思うに神官騎士としては、実力ではあの方以上の方は居ないと思うよ。同じ年齢の彼が誇らしいのか、自分が情けないのか、いつも考えてしまう]
[それは裏の、エグト第二位のことでしょうか?]
精悍な顔で頷き返す。陽の印象が強いセオルとは対照的に名前の神官騎士は陰の印象が強い。褐色の肌に聖布から見える薄い色の瞳は、茶色なのだが夜鳥の光る瞳のように金色に見えた記憶があった。
[皇太子の守護となる裏の方と別格です。私たち表は皆、父上だってエグト神官とは比べものになりません]
表である天弓騎士よりも、遙かに穢れを多く受ける裏の騎士。彼らは弓だけでは無く、返り血を恐れずに短刀から長剣まで全ての武器に精通している。
[でもそれは謙遜だよ君。過去に歴代の皇王の守護となったものたちは、やはり穢れが軽い表が圧倒的に多いんだ]
魔素が無い、稀なる皇太子アリアよりも正妃の皇子リーンを皇太子に。審議会では経典に記された、次なる皇王の条件を見直そうとまで声が上がっている。皇太子アリアは側室の末席、給仕女官から生まれた卑しい身分。色事に良い噂が無く、命も軽視し簡単に絶ってしまう。更に異種である第二皇子は、自分の守護を表ではなく、裏を選んで身を護らせた。
[行動や実力としては、裏には敵わないのは分かっている。だがやはり、次なる皇王をお護りする者は、今までの歴代様のように我ら表であるべきなんだ]
[・・・そうですね!確かに、その通りです!]
穢れの最上位に居る裏を敬い尊敬するが、同じ地の下の穢れとしては表の方が穢れてはいない。それを選ばず、裏を守護として選んだ浅慮な皇太子アリアを、心の底では認める事が出来ない派閥。表の守護騎士は次の皇王に第一皇子リーンを望んでいた。
エスクランザの騎士は、皇族と国民を護る尊ぶべき存在であるが、死と血の穢れを直接身に浴びる存在でもある。それ故に最も地の下として忌避されるのだ。そして天の者と関わるには、聖なる泉で穢れを祓わなければならない。それでも触れることはもっての外である。その天の最上位、天上人の可能性がある小さな少女の護衛中にそれは起きた。
「足下に、お気をつけ下さい」
インクラートが先を促し、振り返り微笑んだ。船からの桟橋、エスクランザに初めて降り立つ少女を見送るために天弓騎士は両脇に控えたが、テハは竜騎士を退けた手柄によって下船に付き添う役目を授かった。緊張に静まり返る甲板で、少年神官を目にした巫女はにこりと微笑む。
『ィロィロ・*イガトゥ***ムス』
[!!、・・・、]
突然の声掛けに動揺し、赤面して俯いた。まだ天上人とは確定していない少女だが、立場は王族以上なのだ。言葉の意味は分からないが、丸い顔の中でつり目の瞳は笑み、唇は弧を描く。
(まさかこれは、私へのお声掛けなのか?)
テハは、甲板でガーランドとの悪縁を断ち切れずに落ち込む巫女の事を気に掛けて、悲しげな姿を見かけると笑顔で勇気づけていた。何度目かに巫女姫は、テハに笑顔を見せるまでになったのだが、それが桟橋での声掛けに繋がったのだろう。王族でも地の下を憐れみ労う者は、第一皇子のリーンしかいない。他のものたちは、地の下を物として扱うのだ。天上人への付き添いに、笑顔での声掛け。物として控えるが、少年騎士への栄誉を妬ましく見ていた周囲は、そこで波により船が揺れ少女の身体が傾いた事に身動ぎした。
『ゥワ、ウォイタ、』
(巫女様!)
「巫女様、揺れます、お手を、」
地の下であるテハ、居並ぶ神官騎士は天の者の身体に触れ、支える事は出来ない。だが同伴する大神官インクラートの伸ばす手を避けて、何故か小さな身体は背後のテハの腕をぱしりと掴んだ。
ーー[!!!、]
周囲の地の下が息を飲み込んだのが分かった。更に差し伸べた手で、空を掴んだインクラートの開いたままの口。まだ正式に認定されてはいないが、大神官が認める天上人をテハは穢してしまったのだ。蒼白になった少年騎士に更なる試練が襲いかかる。
『ア、スゥイマセ*、ン?、カ、タ、』
掴んだ物が穢れと気付いたのか、少女は驚くように腕から素早く手を離す。だが硬直し身動きできないテハを興味津々とつり目の黒目は見上げ、無邪気な子供のように笑うと小さな手は再びトントンと軽く腕に触れたのだ。
[ッ、!!!!っ!]
『*チ*チ・スゥオィエ、』
頭は真っ白に、顔は蒼白になっていたが、少女の満面の笑顔に我に返ってたじろいだ。驚愕の事実に数歩後ろに退ると、踵が縁からがくりと外れる。慌てて柵を掴んだテハを見て、少女は安堵に微笑み頷くと、インクラートに続いて橋を渡って行った。
[カラト第十位、]
天の者に触れたことなどない。まして、その上に位置する天上人など、本来は声を聞くことも目にすることも叶わない。今回のガーランド竜王国からの巫女救出作戦は、インクラートからの密書により緊急に集められた表の隊で編制されている。この場に居る守護騎士たちは、後世に栄誉を残す事が出来るのだが、しかしその中で、テハは天上人を穢してしまった。
[どうなるのだ、これは、]
[この場の我々も、罪に科せられるのか?]
畏れざわめく神官騎士たちの中で、蒼白に玉の汗を落とした少年騎士。だが再び、彼を救う声が落ちた。
[これは天の意思なのです。船が揺れ、巫女様は神官カラトを支えとした。未だ鐘は鳴りませんが、大神官インクラートが認定された天上人のご意思、これは誉となりましょう]
[セオル第十一位、ですがこれは、]
[確かに、巫女様はご自分からカラト第十位に触れられましたが、こんな、前例のない、]
[リーン皇子でさえ、直接我らに触れる事など無いのです、]
[一体、どうなってしまうのだ、]
[まさに前例がありません。なので元老院で議論される事でしょう。さあ君も、落ち着いて]
[・・・は、はい]
王族は生まれた刻より〔天の下〕という称号を授かる。貴族や庶民は等しく〔地の上〕、そして命を絶つ立場に位置する神官騎士、王族の守護者は血の穢れとして〔地の下〕と忌避される。
天に仕える神官が王の国エスクランザでは、血の穢れを厭うのだ。それを任される者達は、穢れを心に刻んで常に自身を戒める。ガーランド竜王国と同盟国になり、百年を超える前より戦争を経験していないエスクランザ国は、神官騎士はもちろん天弓騎士でさえ戦争で人の血を流した事は無い。
だが賊や破落戸はエスクランザ国でも存在し、取り締まり制裁に命を絶つ役割の者が必要になる。それを行う者は、国の穢れを一手に引き受ける警邏とする騎士達、王族の穢れを引き受ける守護の騎士達なのだ。
地の下は、天弓騎士である表と神官騎士である裏の二つに分かれ、それぞれ上位九名が王族守護の要を担う神官将となる。十位から下の騎士たちは、総じて壁と呼ばれていた。
古くは戦争中に兵隊騎士を称した穢れは、近年は神官騎士の彼等の事を、人々は穢れと称し〔地の下〕の者と認識している。
そして触れては穢れが移ると、忌み嫌うのだ。
王族や民を賊から護るのに、血を流した事に戒められる。騎士達はその矛盾を常に孕むのである。だが同等に、戒められる彼らを尊き者として宗教は崇める事もするのだ。なので誇るべき職種、目に見え〔犠牲を背負ってくれた者〕としても認識されていた。
[・・・父上、母上、]
国の穢れを背負う地の下は、王族の前では物としての行動を当たり前とするが、王族が居なければ上位に昇るために常に自分の数字を減らそうと、妬み嫉みの競争を繰り返している。女官や巫女は王族の目に留まろうと、派閥を作り陰湿な虐めをお互い繰り返すが、騎士派閥もより一桁の位に近づこうと、個人の足を引き合っていた。
その中、前例の無い天上人との触れ合いに、周囲は腫れ物を見る目でテハを見ている。すれ違うたびに噂され、明らかに避ける者まで現れた。
[元気を出しなよ。君らしくない]
[セオル神官、]
[彼らは君が、これからどうなるのか気になっているのさ。巫女様が認定されて鐘が鳴り、その後の君がどの位置に立っているかをね。自分にとって得となるか、損となるか、それに命まで賭けられるかどうかだ]
些細な噂話で失脚する、根も葉もない噂話でも下位に落とされる。今回のテハに関わることは、天に関わり命を落とす危険性を伴う。
[・・・・・・・・]
[私は、君は今回の件できっと一桁まで上がると思うよ。あの方は、君に好意を抱いて触れたのだ]
[そんな!恐れ多い、好意などとは、ほど遠い偶然です!たまたま後ろに私が居たので、そのっ、]
[ははは、だって、あんなに親しげに君に触れたじゃないか。ここに、]
[!、]
とんとんと、少女が触れた場所に触れられた。それにテハは微かに身動ぎしたが、触れたセオルは片目を瞑って笑う。
[これは僥倖だよ。巫女様は、君に祝福を授けてくれた]
[・・・・・・・・はい。ですが、私に祝福を授けてくれたあの方が、穢れていないか、それが心配でなりません]
[・・・・まあ、それが一番の問題なのだよね。そうだ君、どちらにせよ、準備はしておいた方がいいかもね]
[準備ですか?]
[一桁になる者は、常にご両親へのご挨拶を用意しておくものだと聞いた事がある]
[挨拶ですか?ですが私は、割と宮廷内で会える機会があり、ご挨拶はしているのですが、]
両親は皇王に仕えるために、日々宮廷内での役に就いている。テハは神官宿舎に寝泊まりしているが、週の終わりには実家の屋敷にも顔を出していた。つい先程も母である風の最高神官とすれ違い、日々の変わりを訪ねられたばかりであった。首を傾げた少年騎士に、実務では先輩であるセオルは笑う。
[違うよ君、十位以下の雑兵とは違い、表も裏も、一桁になるとより天に帰る機会が増すという。そのためのご挨拶さ。今の君は、ある意味一桁の方よりも危ういからね]
[!!]
[特に第二皇子などは、異種に対して寛容ではないと聞くよ。天上人に触れられた事を〔八つ当たり〕に、目を付けられないように、慎重になることだよ]
潜められた声、想像をしていなかった忠告に、テハはその場に立ち竦む。声掛けに振り返ったセオルは、[頑張れよ]と言葉を残して立ち去った。その背にテハはぼんやりと会釈で返した。
[・・・・・・・・はい。教え、感謝致します、セオル神官、]