姉からの命令書(その後の追記)
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カグラシーダの香油 大瓶 二
アシアハの吸水布 大判 十
手拭い 中判 十
王城通信 最新号
飛竜の友 最新号
ディエーラの華本 三、四、最新刊
いつもの菓子 店にあるだけ
配る菓子 持てるだけ
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ガサリ。
〈・・・・・・・・、〉
年明けの天起祭。王都カルシーダに同行したエスフォロスは、任務のついでに私用を片付けようと託された備忘録を開いた。片田舎の国境線、小さな町では取り扱わない、王都でしか手に入らない数々の品。それを土産の絶対命令だと渡された。その中に記入された華本に、エスフォロスは弟として肩を落とす。
〈弟に、エロ本を買わせるのは、やめてくれ。しかもなんでまた、三から買うんだ、〉
エスフォロスの姉のアラフィアは、仕事には手を抜かないが私生活はがさつである。友人から借りたからと、途中から本を買い揃えるのは当たり前。一度読んだ本だからと借りた巻数は買わずに、始まりの揃わない歯抜けの本棚になっている。更には高尚な文学書の横に、見てそれと分かる華本を並べる事も当たり前であった。
〈あんなんで、なんで隊長の補佐出来るんだ、あの女〉
ため息を吐いたエスフォロの目線の下、きょろりと見上げたつり目の黒目にどきりとした。
〈べ、別に、華本は俺のじゃないぞ、ディエーラのは、俺は好みじゃねえし、っ!あ、いや、その、〉
『でぃえーら?』
普段は発音の悪い少女の拙い言葉は、都合が悪い音をはっきりと口にする。慌てたエスフォロスは、少女の小さな唇を二本の指で塞いだ。
「今のは無し。間違い、忘れる。いいか?」
「間違い」、〈了解〉
素直に頷いた黒頭。ほっと息を吐いたエスフォロスは、人通りが増えてきた通りを見回す。
〈教会には昨日行ったからな。今日は買い物に専念できるな〉、
「あ、カグラシーダの店だ、かさばる物は後にして、香油から先だな」
手狭な店の棚には小さな瓶が所狭しと並べられる。数人の女性客が不審に振り返ったが、第三のエスフォロスだと分かると頬を染めた。
〈赤い精霊、大瓶で〉
〈かしこまりました〉と棚から香油を取り分ける店員。砦の友人への土産に自分も何かを買おうと店を見回すと、小さなメイが棚を見上げてうろうろしている。そして青い瓶が気になるのか、くんくんと匂いを嗅いでいた。
〈青い雪か〉、
「・・・お前には、ちょっと大人すぎじゃねえかな?これは、大人しそうな女性がつけてると、なんか色気がでる感じ・・・。お前には無理」
「大人?、洗えますか、これは、石鹸?」
「違うぞ。これは香油だ。洗った後に、身体に塗る」
「ぬる。洗わないです」、
『*ッケンィヤナイ**、』
「お前はもう少し、色気が出たらな。・・・・」
『・・・・』
「出るのかな?」
「でふのかな?」
生意気に眇められた黒い瞳。神官インクラートが大仰に騒がなければ、誰もメイが巫女だとは気付かない。香油屋の作業台に佇むだけで色気をかもし出す女店員と、自分を怪訝に見上げる黒頭を見比べたエスフォロスは、憐憫な面持ちで微笑んだ。
「ま、いいか。隊長が、良いって言ってんなら、なんでもいいか。次行こうぜ」
ーーー城下街、商店中心通り。
比較的新しい造りの大きな本屋には、専門書籍が並べられている。久しぶりの本屋に戸惑い、姉の備忘録を店員に手渡すと涼しい顔の青年が目的の場所に案内してくれた。
(・・・・俺も買おう)
砦周辺の小さな町には本の種類が極端に少ない。必然的に華本の数も少ないのだが、王都では選ぶ事が苦痛になるほど並んでいる。
(美人、美乳、美尻)
大きさにこだわりは無い。手元の数冊の中で好みの女性を選んだエスフォロスは、姉の華本にそれを乗せ会計台に向かったが、教会の歴史書の一角で足を止めた。
(巫女、天上これか?・・・一応買っとくか)
重ねた華本の上に乗せた厚い経典。小さな姿に通路を見ると、メイが手に本を持っていた。
〈転写本か、・・・青い星の〉
転写魔石の複写集。主に夜空の星を写したものは、表紙に青い星が輝く。悲しげに星を見上げる黒い瞳は、複写の本を見て嬉しそうに笑っていた。
「巫女は、青星に祈りを捧げるもんだしな。乗せろ乗せろ」
高級な転写本は、エスフォロスの月の給与の三割を占める。天起祭の手当てが出るから大丈夫だと、年明けで気が大きくなったエスフォロスは分厚い経典の上に薄い写本を乗せた。
〈ご購入、ありがとうございます・・・〉
表情の薄い本屋の青年は、会計台に並べられた本の種別に瞠目し、隊服のエスフォロスに呟いた。
〈・・・さすがです。この本を読むために、歴史的背景や宗教観の理解を深めるところから入るとは。第三の方は違います〉
〈え?〉
示されたアラフィアの華本。なんの事だかわからないエスフォロスを余所に、粛々と会計は進められた。
**
「良かったな、気に入った石鹸、沢山あったみたいで」
「はい。石鹸、アピーちゃんとアラフィアさんに贈り物。腕輪と首輪はエルビーとくろちゃんに」
「〈隊長〉には、石鹸か?」
「ライド?・・・『***********?・・・****、***************ワイルカ・ヒッスカ、』買います。ライド、オゥストロ」
〈!?〉
聞き流した天上言葉通りの終わりに、何故か聞きなれない暴言が聞こえた。慌てて素早く伸びた手は、軽く口を抑える窘めではなく、小さな顔を半分つかむ。
「・・・待て、メイは〈隊長〉って言わなくてもいいぞ。と、いうか言わないでくれ。砦に帰ってアラフィアに殺られる」
〈闇隊長?〉、
『オーケー』、
「オゥストロを買います」
ーー〈!!!〉
エスフォロスが突然少女の口を片手で覆った事に、買い物を楽しんでいた周囲の視線がざわつくのは分かったが、続いた暴言に全身が硬直した。微かな悲鳴がどこからともなく聞こえたが、それを気にする余裕は一切無い。少女の間違いを、エスフォロスは素早く訂正しないといけないのだ。
「オゥストロ様〔に〕、買います。繰り返す」
「・・・・オゥストロ様、に、買います」
「もう一度」
「・・・・オゥストロ様、に、買います」
頷くエスフォロスは安堵に初めて辺りを見回した。人の目は、彼を見ないようにそっと不自然に逸らされていく。
〈・・・なんだ?、あ、〉
留めを刺す勢いで首根を押さえ付けた少女は小さく、端から見ればエスフォロスは覆い被さる状態だ。咳払いと共に素早く立ち上がると、襲われた小さな黒髪の少女は憮然と片方の眉毛を上げて見上げていた。
〈ゴホン、ゴホン、メイ、あの出店を見よう〉
『・・・・』
(こいつが冗談でも叫んだり泣いたりしたら、俺、ヤバかった・・・。通報でもされてたら、隊長に言い訳出来ねえし、)
見ないように突き刺さる周囲の視線。遠巻きに悲しげな瞳で見守る支援者の女たち。それをエスフォロスは、無表情でやり過ごす事に徹した。
**
〈あー、重。もう無理。それも買うから、右翼に届けてくれ。この荷物も頼む〉
〈かしこまりました。第三の方、お支払いはどうされますか?うちは署名も可能ですよ〉
〈俺は上級じゃねえよ。印章なんか、持ってないぞ〉
〈いえいえ、第三の方ならば、署名だけでも構いません。信頼はその隊服に〉
〈・・・まあ、いや、やっぱり現金で〉
『おうと?オーストロ**?』
〈!?、〉
〈オラ、隊長を呼び捨てるなよ。しかも微妙になんか違うし〉
〈こちらの方は、北方の?まさか、噂の巫女様では?〉
〈ああ、いや、ただの知り合いの子供。気にしないでくれ〉
〈闇隊長?ィエス、巫女〉
〈また言った。このガキ、〉
〈はあ、そうですか、そうですよね、まさか天上の巫女様が、こんな子供な訳は無い。あ、ごめんな、お嬢さん。あんたはあんたでは可愛いよ。巫女見習いかい?〉
〈・・・・そう。そんな訳は無い〉
『・・・・』
〈なんだいお嬢さん、何か気になるのかい?〉
〈ぎむ、れむ〉、
「わかりません」
〈ああ、なるほど。お嬢さんにはまだ早いもんな〉
「そうか、〔お前の国〕じゃ、違うんだな。ほらこれだ」
見せられた冊子には、エスフォロスが購入した品々が記入されている。一番下の空欄を示したエスフォロスは「ここに名前を書く」と、筆で書くフリをした。
「それが署名。で、その上に、指輪印章を判する。そうすると、月の終わりにまとめて代金を払うんだ」
『*レッテ、ウキパライ?』
片方の眉毛を生意気に上げて喋り始めた。少女の自国、天上の話しをしているのだと、エスフォロスはしばらく聞き取り考えていたが、止まらないメイの言葉を同じく横で聞いていた店主が焦り始める。
〈なんかその子、アーウーアーウー、ナナナナ、ナナナナ言い出したぞ?大丈夫ですか?〉
『**テン?』
〈テンテンて、何だ?・・・玩具?じゃないよな。おそらく、支払い方法の事だと思うんだが〉
〈あー、その肩に乗ってる青い玉ですか?最近じゃ、そんなんが子供の間で流行ってるんですね。どうやって遊ぶんですか?〉
〈遊ぶ?・・・・・・・・そうだな。口から入れると、鼻から出て来る・・・。そんな感じだ〉
〈あー、驚かせる系ですか。料理中の母親を驚かせるあれですね。でも、けっこう大きいじゃないですか。咽に詰まると危なくないですか?千切って入れるやつですか?〉
〈・・・・・・・・千切らない。意外とするりと口の中で広がるんじゃないかな。嘔吐いたこと、そういえば無いよな〉
『プルリン・ムィテル?』
「メイ、署名ってのは貴族とか、金持ちの支払い方だからな。・・・貴族でも、下級は無理だしな。こんなの当たり前なのは、隊長級か、うちではストラ上士かセンディオラ上士くらいだから。俺はその場で現金払い」
見せた財布の中の硬貨。それに少女はこくりと頷く。
〈金、なくすなよ〉
「命令形か。お前、ガーランドの雑な発音だけは上手いよな。・・・まあ、俺らが悪いのか?聞かせてるから?」
『コゼニ、ダイジ』
「コゼニ?」
『ダイジ。イチエ**********、イチエ*******』
「コゼニ、金の事か?」
「コゼニ、お金。とてもお金」
**
ーー第三の砦、一年と二ヵ月後。
**
部屋の片隅に置かれた手付かずの箱が数個。埃が被った木蓋を開くと、中から華本が出て来た。
〈ディエーラ?古い。もう読んでねえし。今流行ってんのはスフィだろ?〉
〈知らねえよ。オメエの好みは。・・・そういや、これの本屋で、店員に妙な事言われたんだよな。・・・なんだっけ?歴史的だとか、なんか、華本買って感心されたんだよな〉
〈感心?、ディエーラは神官と巫女が禁断の恋に、戒律を破って教会でヤッチマウ話だからか?その店員も読んでたんじゃねえ?禁断ほど燃える?でも感心はしねえよな〉
〈アラフィア、〉
〈だけどよ、実際に巫女と神官が公然と目の前でいちゃつき出したら、その職務を剥奪させるように働きかけるけどな。奴らは浄き信仰心で、国民の税金から補填して営業してんだからよ〉
〈アラフィア。〉
〈読み本読み本。空想だから、許せるだろ?現実には、許さねえよ。あ、でもよ、いくら読み本禁断でも、兄弟近親系は無いな。サーシアちょっと読んだことあんだけどよ、オメエの顔がちらついた瞬間に、気持ち悪くて捨てたわ〉
〈・・・・・。〉
〈無駄になった、お姉さまの刻を返せ〉
ーーバサッ!
〈ウルッセエックソ女!、黙りやがれ!!〉
〈おお?やんのか、上等だ〉
〈チッ。面倒臭え奴だな。ケンカにイキイキすんじゃねえよ。いい歳こいてッテ!〉ーーゴロリ。
〈・・・・・・・・〉
箱から取り出しぶつけられた石鹸、ドカリと投げ付けられたそれを、エスフォロスは拾い上げて無言で手渡した。
〈お?何だ?もっぺん当ててほしいのか?〉
〈それ、メイが選んだ、お前への土産だから〉
ーー〈!!〉
〈お前が買って来いって言ってた香油。それと同じ匂いの石鹸。店の奴に刻をかけて自分で説明してたぞ〉
〈・・・・・・・・そうか〉
黙り込み、手にした石鹸を握り見下ろした姉。エスフォロスはため息に、再び箱の中を見下ろした。
〈あの後いろいろあったからな、ようやく荷物が整理できる〉
〈第三でも、魔戦士の騒ぎもあっからな。土産か、そうか、あいつ・・・、〉
開いた箱の中身は、アラフィアに命令された王都での土産品。初めに出て来た華本と菓子類。別の箱からは黒髪の少女が手にしていた数個の石鹸と、青星の転写本と経典が出て来た。
〈あいつ、今どこだろうな〉
〈・・・大獅子と鳥の奴らが関わってる。・・・あと、十九の奴もな。だが南方の長達は、会議で巫女の南方入国を否定したらしいぞ〉
〈エルヴィーとアピーも消えちまったし。アピーも、大丈夫なのかよ・・・〉
〈鳥の情報では、エスクランザには本当にトラーの姿が無いらしい〉
〈ならやっぱり、皇子が裏で手を回したんじゃないか?〉
〈いや。大神官殿はご存知無いだろう。情報を隠してはいるが、巫女と神官将を失ってエスクランザの議会が荒れたらしいからな〉
〈・・・あの天帰祭が終わって二ヵ月か。・・・もしかして、メイ、その辺に居たりしてな〉
ーーこの直後第三の砦には、第五の砦に黒髪の天上人の巫女が現れたとの緊急連絡が駆け巡った。