定期通信の文面に
東南砦区域
冬眠月 三十二の日
ーーーーーーーーー
王都通信
○天月の祭典に関する連絡先を右翼城一三室に変更。
○会計隊の提出期限は天起月末厳守。
砦通信
○第三砦隊長オゥストロ婚約内定。
○第六砦副隊長アローラ出産期に入り、副隊長代理カルシオ、飛竜トルヴァーラ。
ーーーーーーーーー
第五の砦は海に面して断崖絶壁である。南方大陸と繋がる港のある第六の砦、北方大陸に繋がる第七の砦とも違い、外敵に襲われる心配が無い砦だ。常に緊張状態にある、第二、第三の砦とは比べる事は出来ない閑職の地であった。
国境線を支配する隊は、ガーランドでは最精鋭の者たち。その頂点に位置する東山岳線の二つの隊。第二砦は隊長のフランシー・ソートを慕う者たちが、第三砦はオゥストロ・グールドを慕う者たちが集い、それぞれ対東戦線の試験に合格した者が配属される。彼らは貴族でも平民でも、実力で勝ち得てその場に集っているのだ。
第五砦には試験などない。ゆくゆくは王都守備隊へ配属される、上士貴族の経験値を上げるためだけにある、形だけの砦だと揶揄されていた。
その第五の砦に任命されて三年。隊長のダグエルト・アステスは、竜騎士としては比較的細身の男だ。今年二十五歳になるダグエルトの一族は、全てが生粋の上士貴族である。王都に両親はそれぞれ豪邸を構え、姉のエディゾビアは王族護衛官隊長であり、更に稀種の色違いの白竜を持つ将軍なのだ。
様々な分野で才能ある血族に生まれたダグエルトだが、彼は全てが平均値の平凡なガーランド人だった。
〈ダグエルト隊長、本日の見回りは、〉
〈空は晴天で変更なし。それ以外の要件は、全て副隊長に回すように〉
ろくに空を飛んだ事も無い。そんなダグエルトの相棒は、フライラという名の灰色飛竜。乗り手が砦から出て来ないフライラは、ここ数日は飛竜の山から姿を見せていない。
〈隊長は?〉
〈まただよ、どうせ昼寝だろ?見回りも、月に一度しか飛ばないじゃないか〉
〈・・・・最低だよな〉
〈なんで飛ばないなら、砦選んだんだろうな〉
〈選んだんじゃなくて、軍からの命令だろ。だって隊長の姉上、王都守備隊長なんだから。弟、かっこ悪いだろ、なんもしてないと、〉
〈君たち、持ち場はどうした!〉
〈エメリエド副隊長!〉
空になってた見張り台。走り去る兵士に黒髪の偉丈夫はため息を吐いた。
ダグエルトと同じ二十五歳の副隊長のエメリエド・グラーケルは、実質この砦を一人で動かしている。第五砦は実際に戦争への参加を望まない、王都守備隊の経験値に少しでも箔を付けたい若い兵士たちの集いである。やる気は無く、実戦では戦闘に使えない彼らだが、それを軍として指揮していかなければならないために、第四砦の副隊長であった彼が経験により配属された。
ダグエルトに従う者は、この砦にはほとんど居ない。
毎日砦に響くのは、飛竜の鳴き声よりも部下の嘲笑。彼らからの信頼は薄く、上士貴族としての矜持だけは高い。そんな隊長ダグエルトは日がな一日執務室から出て来ない。本当に毎日を寝て過ごしているのではと、側近の部下も訝しみ見ていた。そんな第五砦に、ある日衝撃的な報せが届いた。
〈黒竜将が、婚約?〉
鉄面皮のエメリエドは、珍しく報告書に身を乗り出した上官に相槌を打つ。
〈信じられません。彼には、白竜将である、我が姉上こそがお似合いだと思っていました。皆もそう言っていたはずです、〉
〈私は同伴しませんので、天起祭では、第五の砦からとして、隊長からお祝いをお伝えお願いします〉
〈どんな方なのだ?、確か彼には、ハミアのお嬢様が付いていたはずなのだが、〉
上官の唯一の興味は姉であるエディゾビアだ。彼女以外の女性に興味を示したダグエルトに、エメリエドは内心意外だと注目する。
〈ハミアの者は、決闘により敗北。第三の隊長が、勝者を婚約者として、天起祭でお披露目するそうです〉
〈・・・そうか、天月の起祭、〉
**
ガーランド竜王城で集う年明けの祭り、天起祭。砦を副隊長に任せて集う新年の祭典に、今年は特別な招待客が現れた。
〈見て、オゥストロ様よ!〉
〈こんなに間近でお姿を拝見出来るなんて、幸せ〉
〈ねえ、あれは何かしら、子供を抱えているわ〉
〈?、本当ね、!!・・・まさか、オゥストロ様の、〉
〈そんなわけないわよ!あの子供、北方の子だわ!〉
〈北方?、ではまさか、噂の天上の巫女?〉
〈〈〈・・・あれが?〉〉〉
ガーランド竜騎士の中でも至宝とされる砦竜将。その中の代表格は、黒竜騎士オゥストロ・グールドである。彼を支持する支援者は貴族、平民問わず多くあるのだが、天起祭で集った者たちはその姿に首を傾げて顔を見合わせた。
**
豪奢に飾られた大広間、天月の起祭に集い、王の謁見を順番に待つ貴族達を横目に、背の高い美丈夫は周囲の自分に向けられる熱い視線を気にせずに中央を歩く。彼が歩くと人垣は割れ、通り過ぎる背を悩ましげな瞳は追った。
ーーざわり。
たが、今年は状況が違う。颯爽と過ぎる竜騎士の腕には、何か見慣れないものが乗っている。理由を知る者、知らない者、それぞれが目を見張り黒竜騎士を追っていた。騎士は中央の階段前で立ち止まると、空席の大きな椅子を見上げる。
「そろそろか、準備はいいか?」
『****?オートロ・クン?』
〈・・・・?、〉
『・・・・』
竜王への謁見。誰しもが緊張し畏まるこの場に於いて、妙に甲高い声を発したメイをオゥストロは驚いて見つめた。泣く子も黙る強面のガーランド国王を目の前に、初対面の婚約者の緊張を気遣ったが、無用の心配だったらしい。
「これから我らが王が現れる。俺に続いて礼をしろ。大丈夫か?」
ーーぐう。
〈・・・?〉
年始めの大切な王との謁見に、片腕に乗せた婚約者へ念押しをした。だが少女の身体から自分の腕に、緊張感の無い異音が伝わった事にオゥストロの思考が停止する。まさかこの場で聞くとは思っていなかった腹の音に、本当かと耳を疑ったのだ。確認に至近距離で見つめた婚約者の女性は、何故か恥じらうことも無く真顔で口を引き結んだ。
ーーぐぐう。
(・・・・・・・・、)
再びの異音は、音が増している。これにオゥストロは何かを思い出した。祭典が始まるまで、婚約者の少女は化粧道具で長く刻を潰していたはずが、いつの間に何を食べたのか、礼装に着替えると、油にまみれた唇で待っていた。
(普段あまり食さないくせに、今日に限って腹が減るのか?)
付き添いの大犬の子供が、唇の油を紅の変わりだと庇っていたが、あれはどう見ても盗み食いだとオゥストロにも理解できた。
(そう考えると、この城に入ってから一度メイが身動ぎしたが、あの通路には甘味が飾り並べられていた。・・・まさか、王城の飾り料理を、本気で食べようとする主張だったのか・・・、)
王城で振る舞われる祭典の料理は、途切れた会話の繋ぎに使う道具のようなもの。それに目を輝かせ喜び拳を握りしめた少女は、腕から降ろせば卓に走り寄りむさぼり食うかもしれない。そんな女性を見たことの無いオゥストロだが、よくない想像の動揺を圧し殺した。
『オゥイワイ**、オゥスイ・ガ、*******。キョウワ・イタイ、アカアルゥ』、
「大丈夫です。大丈夫です」
「エスフォロスに、部屋に菓子を用意させる。それまで待て」
〈・・・・・・・・了解〉
〈・・・・・・・・〉
今は唇に油のように塗られた痕跡は消えている。この遊びに、オゥストロだけは信じようと思っていた、メイの十九歳だとの自己申告に強い疑問が生じた。そして気になる事は他にもある。会話の合間に、少女は何度も相槌に頷くことがあるのだが、その頷きに言葉の意味の理解が伴っているのか、オゥストロは少女を懐疑的に見つめていた。
〈本当に、理解出来ているか?〉
問いかけたガーランド言葉。簡単な単語を独学している少女だが、少し速く話すと全く聞き取れていない。そう部下から報告を受けているオゥストロは、態と流れるように問いかけた。すると残念な予想通り、少女は深く頷き〈了解了解〉と適当に繰り返し、この場でも嘘を付く。
〈・・・・・・・・、フゥ、〉
『・・・・』
周囲には気付かれないほどの落胆が零れ出た。黒竜騎士は、自分に好意的である支援者、更に敵となる派閥に対して少女を晒し者にし、城内を進みこの玉座の広間までたどり着いた。つまり、この場に於いてオゥストロの婚約者メイは、周囲の彼らを敵に回しているのだ。
婚約の決闘にオゥストロを賭けた者たちの知人、自分を取り巻く者たち、近寄れず遠くから見つめる支援者たちは、理不尽な嫉妬にメイを襲うかもしれない。そしてオゥストロの足を引きたい派閥の者は、人目に晒された婚約者の少女の一挙一動に注目し、弱点を見つけ出し攻撃するだろう。
特に上士貴族は、他人のしていない失敗を探し出し上げ連ね、息をするように攻撃してくる。過去に異性でオゥストロと城内を共に歩き未だ失脚していない者は、同じ異色竜を相棒にする、上士貴族のエディゾビアだけである。
そんな重い役目を背負ったオゥストロの小さな婚約者は、ガーランド竜王との謁見を前に、きょろきょろと甘味を探し、オゥストロの確認要項を適当に受け流した。
〈お前の底が、知れないな。思う存分に、ここの菓子を楽しむがいい。見せつけてやれ、天上人〉
呆れて漏れた呟き。それにも再び、慎重なフリで適当な〈了解〉が返ってくる。部下でこれをする者は過去に存在しない。おそらく未来にも現れないだろう。緊張感の無いメイを見つめたオゥストロは、自身もここまでに無意識に張り詰めていたものを解き、腕に抱えた少女を降ろすと微笑んだ。
**
にっこり満面の笑顔のメイ。それに薄く微笑むオゥストロ。周囲からは、滅多に見られない竜騎士の微笑みに、軽く悲鳴と感嘆が漏れ出す。程なく大きな鐘の音に、辺りは静まり返ると王族が現れた。何故か玉座には座らずに階段を降りてきた竜王は、第三の砦隊長と少女の直ぐ目の前に来た。
全ての者から等しく年越しの礼を受ける王は、玉座に腰掛け頷くだけである。ごく希に言葉を掛けられる者も居るが、その栄誉は数人だけであった。過去の数人にはオゥストロも数えられるが、言葉だけではなく玉座から立ち上がって目の前に降りてきた事に内心息を飲む。
〈空の明け、我が御頭に翼を広げます〉
〈来る空は荒れる。思うがままに、空を舞え〉
〈・・・はっ、〉
〈その者が、天から降りてきた巫女殿か〉
〈はい。天上人、メイ・カミナです〉
『・・・・・・・・・・・・・・』
〈・・・・〉
〈・・・、〉
今になって怯えたのか、竜王を見上げた少女は固まり動かない。先ほどまでの余裕は何処へ行ったのかと、オゥストロは焦り先を促した。
〈メイ、〉
『**!あ、ハイ!』、
〈空の明け、この地に祝福を〉
王の威圧的な視線を、真っ直ぐ受け止めた黒い瞳。とても小さな少女の口から国に与えられた祝福に、目を細めたガーランド国王は、重厚感のある声で返事を返した。
〈感謝する。巫女殿〉
ーーざわり。竜王からの賛辞に周囲は揺れたが、天上人と呼ばれる巫女は王へ毅然と頭を上げたまま、腰を折らずに軽く会釈をして済ます。しかも目を伏せずに目線は竜王を見つめたままであった。
(・・・これが天上の巫女、)
息を飲み見つめたのは、王の後ろに立ち並ぶ王族たち。王妃、王子を始めとする彼らはこの後、菓子を取り分ける皿を運ぶ給仕の者たちに、少女が何度も何度も深く礼を取ったとの噂話に困惑する事になる。
**
異例な事が続いた儀礼的な王族への一通りの挨拶を終了すると、次はオゥストロの知人への挨拶だ。先頭に進み出たのは流麗な佇まいの女騎士。銀色の髪を高く結い上げるが、竜騎士特有の編み込みはなく美しく背に流れ広がる。
〈お久しぶりですね、オゥストロ〉
〈空の明け、その身に祝福を。近衛隊長殿〉
周囲の者たちの噂話では、ハミアの令嬢よりも白竜将が黒竜将の隣に相応しいと声が上がる中、突然現れた天上人という婚約者。その少女を目の前に、親しげに名前で呼びかけたが敬称で返された。儀礼的な返しにエディゾビアの微笑みが固まったのは僅かで、周囲はそれには気付かない。〈その身に祝福を〉とだけで終了した挨拶に、エディゾビアは美しい笑顔で応えた。次に小さな少女に腰を折り、顔を覗き込み見下ろした白竜騎士は優しく微笑み祝福を求めた。
〈お初にお目にかかります巫女様。私は近衛隊長エディゾビア。空の明け、この身に祝福を〉
〈空の明け、この地に祝福を〉
〈!〉
祝福を求めたエディゾビアを無視し、〈この地〉へ天上人は祝福を述べた。それに美しい顔はカッと頬を染めたが、低い声は静かに落ちる。
〈我が婚約者は、個人的な祝福を与えない〉
〈・・・そうですね、天上人は、博愛ですものね、〉
オゥストロの言葉に呼応するように、小さな天上人は軽く頷く。続き挨拶を求めた者たちは白竜将の失態を見て学び、小さな天上人には国の為の祝福を交わした。物珍しさに寄り集まるが声をかけることの出来ない人垣の中、竜将と巫女を見送ったエディゾビアは、不自然にその場に縫い止められたままでいた。
〈姉上、〉
〈!、〉
力無い呼びかけに、エディゾビアはどきりと振り返る。人々の波が背の高い黒竜騎士と背の低い小さな巫女に注目する中、毎年その渦中に居るはずの姉に、血の繋がりを感じさせない平凡な顔の弟が祝福を述べた。
〈ダグエルト、王城で、あなたに会うことも珍しいわね。こんなに人が多いのに、〉
人混みが苦手な弟を、姉が気遣い微笑んだ。美しい姉の心遣いに弟は赤面したが、周囲からの呼びかけに人気者の白竜騎士は振り返る。
〈ごめんなさいダグエルト、お待たせしている方々へ、ご挨拶してくるわ〉
〈さすが姉上。お忙しい〉
背を向けた流れる銀の髪に呟いたダグエルトは、去った姉と反対方向の人垣の中、目的のものを見定めた。
〈あれが、巫女?〉
ざわざわと混み合う雑踏。その中心には、小さな少女に大柄な第二砦の隊長フランシーが詰め寄っている。険呑な空気は巫女の言葉により和やかなものに変わり、勇猛な二人の砦隊長の談笑する珍しい姿に人々は見入っていた。そして少女にオゥストロが柔らかく微笑むたびに、どこからともなく響めきと悲鳴が上がる。
〈・・・・・・・・黒竜将の婚約者〉
見物人に紛れ込み、目的のものを少し離れて確認した。副官に念押しされたオゥストロへの挨拶も行わず、ダグエルトはぼんやりと円柱の影に立ち竦み通路の人垣から離れている。
〈あの子が、天上人、〉
いつもは積極性の無いダグエルトだが、人垣を押し開き前に進む。背や肩を押された者たちは、無礼だと怒り誰何しようとしたが、砦隊長の制服にそれを飲み込み圧し殺した。
竜王との謁見、更には第二砦隊長フランシーと歓談した一行が、人々の熱い視線を受けながら移動する。周囲の人垣を裂くようにダグエルトは前に進み、ようやく回廊で追いついた。
〈オゥストロ殿、〉
振り返る美丈夫に、何故か頬が赤くなる。黙り込んだダグエルトより先に、呼び止められたオゥストロが先に新年の祝を述べた。
〈第五の、明けの祝福を申し上げる〉
〈あ、こちらこそ、・・・その、そちらの方は?〉
〈我が婚約者、天上人の巫女です〉
〈私は第五の砦を任されております。ダグエルトと申します。天上人、この地へ祝福を、〉
『・・・・』
オゥストロから東言葉で説明を受けた少女は、ダグエルトを理解して頷いた。
〈空の明け、この地に祝福を〉
小さな身体に見合う軽やかな声。それに喜色を浮かべたダグエルトだが、続いた来客に押されるように蚊帳の外に出されてしまう。別の砦の隊長格が来たことにより、部下を伴わないダグエルトはそれ以上オゥストロの傍に近寄る事も、人垣を乗り越える事も出来なかった。
〈本当に、似てる、〉
誰しもが黒竜騎士の珍しい笑顔に注目する中、ダグエルトだけは小さな少女から目を離さない。天上人の全てを隅々観察すると、平凡な顔の青年は再び頬を染め喜色を浮かべた。
〈間違いない、あの子は天上人だ・・・!〉