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腐肖の子の末路

メインヒロインの登場です。

繊細な模様の織り込まれた、透ける程に薄い絹布のかかる入り口に立ち、明美は何度も唾を飲み込もうとして失敗する。

カラカラに乾いた喉を少しでも潤したいのに、僅かな唾液さえ出てこない。

それほどに緊張していた。

空咳すら出そうになり、慌てて片手で口元を押さえる。

静寂を乱すべきではない。

細心の注意を払わねばならないのだ。

この奥にまします尊き方の機嫌を損ねぬように。

微かな吐息にさえ揺れる薄い薄い絹布の奥は、しかし見通すことができない。

本来なら向こうが透ける程に薄く織られた高価な絹布が、何枚も重ねられその奥を隠している。

それはその部屋の主の地位を現していた。

それだけの富と権力を持つ方だと。

その部屋の主は魔王。

強大な魔力を秘めた、魔王の御卵(みたま)の眠る部屋である。



その扉の前に立つ時、明美はいつも憂鬱であった。

今度は何を言われるのか。

それが父の書斎を訪れる時に明美が考えることであった。

父が自分の顔を見て言うことで、自分の気持ちが晴れたことはない。だから今度もそうなるだろう。

経験上明美はそう知っていた。

しかし憂鬱だからと言って、いつまでもその扉の前に立っているわけにはいかない。

呼びつけられてすぐ父の元へ行かなければ不機嫌になる。それも経験上理解していた。

「父上、失礼します」

ノックして、促されるまま部屋へ入れば、見慣れたしかめっ面。

視線は明美の上には無い。

見る価値が無いとでも言いたげに、彼の目は机の上に置かれた文鎮に注がれている。

小さな虫を閉じ込めた琥珀を丸く磨いた文鎮だ。世間一般で趣味がいいのか悪いのかは知らないが、明美は好きではない。

「喜べ」

父の口から聞くとは思わなかった言葉だった。

この父が、自分を喜ばせるようなことを言うとは思えなかったから。

「お前が“お迎え役”に決まった。名誉なことだ」

「お迎え役?他国の使節の、でしょうか?」

「まさか。お前にそんな役目を任せられるものか」

明美はドレスの裾をぎゅっと握って父からの侮辱に耐える。

確かに、他国の者の目に触れるようなそんな役目を、この父が明美に任せるはずがない。

むしろ他国の使節に見られぬよう、人目に着かないところへ隠れていろとでも言われるのが関の山だ。

(私は醜い出来損ない)

せめて兄達のように、母に似た容姿であったなら。

しかし自分は父の容姿を受け継いだ。

どんなに厚く化粧しても、豪華なドレスと装飾品で身を飾っても。元の顔立ちや身体つきを隠すことはできない。

せめて何か秀でた能力があれば、と思うのだが、明美は武術が苦手であった。学問は得意であったが、武門の誉れ高きモルガナ侯爵家では二の次である。

増して最も得意とする裁縫など、評価されるどころか針子でもあるまいにと嘲笑されるだけでしかなかった。

だが、

「お前のその針子の真似ごとが役に立ちそうだ」

「私に服を作れということでしょうか?」

「そうだ。服を用意してお迎えせよ」

どうやらその裁縫の腕が役に立つ時がきたらしい。

明美は歓喜に胸を震わせながら尋ねる。

その方の性別は?

年齢は?

容姿は?

好みの色は?

「知らん」

だが、父の答えは意外なものだった。

明美は途方に暮れる。父の口ぶりでは服を用意する相手は身分の高い方の様なのに、性別すら知らずにどうしろというのか。

「何しろまだお生まれになっておられぬ」

父は表情を改めると姿勢を正した。

それを見て、相手が父から見ても語るだけでも態度を改めねばならぬような貴人であると知る。

(まさか・・・・・)

そんな相手はだた一人。

しかし、その方は百年近く前に亡くなられたはずだ。

ただし

御卵(みたま)の眠る玉卵の間への立ち入りを許可する。そこで魔王陛下をお迎せよ」

新たな魔王の誕生の時は近い、と予想されていた。

(そんな、そんな・・・・・酷い。私に死ねということなの?)

恐怖と絶望に明美は喘ぐ。

新たな魔王の誕生は国を挙げての慶事である。

だが、生まれたばかりの魔王を迎える役目は、名誉でこそあれ進んで引き受けたい役目ではない。

何故なら

(生まれてくる魔王がどんな怪物か、知れたものじゃない)

魔王の共通点。それは王と呼ぶに相応しい強力な“魔”であるということだけ。

最悪知性の無い凶暴な魔獣であるかも知れず、知性があっても姿を見ただけで命を落とす魔物かも知れない。

あるいは気難しい加虐趣味の魔族という可能性もある。

だから誰もがその名誉を避ける。

その役に就くのは泣く泣く推しつけられた者か、魔王陛下の最初の贄になることを至福と考える狂信者か。

それとも、僅かな奇跡に賭ける者か。

生まれた魔王に知性があり、その気が無くとも周囲を害するような能力を備えず、簡単に機嫌を損なって命で購わせるような性質(たち)でなければ。

最初に自分を迎え世話をした者を、乳母ともいえる者を無下に扱うだろうか。

極々少数の幸運に恵まれた者達は、魔王から重く用いられたのだ。

だが明美はそんな期待をするほど、期待できるほど自分の幸運を信じていなかった。

これまでの家族からの扱いで、嫌と言うほど思い知っていた。自分はついていないと。

(名誉ある死を用意してやったから喜べということなのね)

父の意図を正確に察し、明美は涙を零しながら頭を下げる。

「謹んでお受けいたします。モルガナ家の名に恥じぬよう務めます」



そして今、明美は玉卵の間の入り口に立っていた。

魔王のために用意した服を捧げ持ち、恐る恐る薄布を掻き分ける。

用意したのはある程度性別や体格に関係なく着ることができる前開きの長衣だ。

もっともそれは魔王が人型で、しかも常識の範囲内のサイズであればの話だが。

「あ、あ・・・・あ、あぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーー!」

残り数枚、というところまで来て聞こえてきた叫びに、明美は思わず服を取り落としそうになった。

恐怖にガタガタと身体が震えだす。

獣の声ではない、と思う。

(でも、その方が余計・・・・・)

魔獣なら一思いに喰われて終わるかも知れない。

だが、知性のある者なら?

知性ある者の悪意や残虐性の方が余程恐ろしい。嬲り殺し、という言葉が脳裏を過る。

嫌だ、進みたくない。しかし進まねばならぬ。

「し、失礼、し、ます」

最後の一枚を捲り玉卵の間に立つ。

玉卵の名に相応しく、あえかな七色に輝く宝石のような破片が床に散らばっている。

おそらくこれが魔王の生まれた御卵(みたま)の破片なのだろう。

その中央。

御卵(みたま)を支えていたのだろう円形に並んだ六頭のスフィンクスの翼の間に、魔王その人はいた。

一糸纏わぬその姿に、相手がいかに尊い身分であるかも忘れて見蕩れる。

雪のように白く、黒壇のように黒く、血のように赤く。

年の頃なら十五、六だろうか。

スラリとした長身にしなやかで長い肢体。まだ未完成ながら筋肉質で、肩はハッキリと盛り上がり、引き締まった腹は薄っすらと六つに割れてすらいる。

その背中には、白鷲の翼が一対。

スッキリと通った鼻梁の下に酷薄そうな薄めの唇。釣り上がり気味の目は切れ長で、琥珀色をしていた。

(閉じ込められる)

父の机の上にあった文鎮の、その中にいた虫のように。

凛々しく、力強く、美しい魔王の琥珀の瞳の中に。

「着るものをくれないか?」

外見に違わず、凛とした力強い声と共に手が差し出される。

本来なら何か言うべきであった。せめて、長々と玉体に見入っていたことへの謝罪だけでも。

王の裸を眺めるなど無礼極まりない。

この魔王が魔王にあるまじきほど温厚であったとしても、それこそ人間の王であっても殺されかねない失態だ。

そう解っているのに声も出せず、夢見心地のまま長衣を差し出す。

魔王がそれを広げ、一瞬戸惑う様子を見せたことで明美はようやく現実に戻ってくる。

王の背中には翼がある。これは別に珍しいことではないから、そういったことも考えて服を用意するべきであった。

いや、そもそも本来なら明美が服を広げて王に着せかけるべきなのだ。王が寄越せとばかりに手を差し出したとしても。

(なんという失態)

しかし王はすぐに翼を畳むと、翼はみるみる小さくなっていく。どうやら体内へ収納できるらしい。

(良かった)

これで新しい服を持ってくるまで魔王陛下を裸で待たせる、などということもなく済んだ。

だが王の前で早々に失態を演じたことは事実。

「申し訳ありませんでした」

魔王の足元に思わず平伏する。

終わった。これで自分の命も終わった。

そう思うのに不思議と恐怖は湧いてこなかった。

(こんなに美しい魔王なら)

むしろこれまで進んでこの役目を引き受け、歓喜と共に魔王の手にかかった狂信者達の気持ちが解る気がした。


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