白雪に乱れ舞う色彩
逢魔ヶ時には、急な依頼が舞い込むことが多い。何故なら妖が姿を現す最も早い時間だからだ。人間に化けていたモノや、ふと現れたモノ。彼らは夜の闇にその力を強くする。そのため本性を現す。
人は闇に潜む妖を怖れた。その概念がより妖に力を与える。妖とはそういう存在なのだ。
「私どもの集落に、鬼が出るようになったのです。しかも、複数ともなれば手も足も出ず……。つきましては、あなた方に鬼退治を依頼したいのです」
勢い込んで話したのは、この辺りからは少々遠い集落から来たという男性。客間で座布団の上に座り、向かい合った春雪に必死な表情で頭を下げる。
咲羅と夕詩は、春雪の後ろでそれを聞いていた。二人が子供だからという理由で依頼を撤回するような相手ならば、そこまで危険な状況ではない。だが目の前の男性は、すがるように咲羅と夕詩をも見た。
鬼退治の依頼は珍しい。その上二人を気にすることもないほど困っているらしい。咲羅と夕詩は顔を見合わせた。
「お願いします。もう『立春』の方々しか、頼れる人はいません!」
「もちろんだ。その依頼、請けさせて頂く」
振り返った春雪が、二人に視線を向けた。
「こちらの二人は、腕利きの妖退治の者たちだ。彼らならば、妖を退けられる」
「ありがとうございます! では、これにて失礼いたします。お二方をお迎えするため、集落に帰り準備をしなくては」
何度も礼を言い、男性は帰っていった。
黄昏色の空は陽が最後の光を灯す中、群青に表情を変えてゆく。冬の足早な太陽は、すぐに空から去るものだ。
「私が勝手に決めてしまったが、二人とも頼めるだろうか?」
「春雪が最善だって判断したんだろ。おれはそれに従う」
「わたしも頑張るよ、春雪さん」
頼もしげに、春雪は二人を見て若葉色の目を細める。彼らは春雪をよく慕い、信頼している。同じように春雪も二人を信頼する。だからこそ、依頼を任せるのだ。
特殊な事情があってさえ、子供が仕事をするというのは珍しい。そのような世間の価値観に縛られない春雪を咲羅も夕詩も好ましく思っている。
翌朝。準備を整えた二人と、見送るため春雪が門の前に集まっていた。
夕詩はいつも通りに和柄、今日は波の模様の洋装。腰には愛用の二振の刀、他の持ち物も最低限だ。
対する咲羅は和服で、淡い青の背景に薄紅色の桜が咲く振袖に、膝まである紫の袴を合わせていた。裾や袖には、愛らしいフリルがあしらわれている。
「春雪さん、いってきます!」
「……いってくる」
「うむ。武運を祈っておるぞ」
依頼人の言っていた集落は少々遠い上に雪道だが、咲羅と夕詩はものともせずに進んでいく。
町とは違ってあまり寄せられていない雪が、歩くたびにきゅっと鳴る。それが楽しいのか、咲羅は先へと歩みを進めた。依頼を急ぐつもりでもあったのだろう。夜は危険とはいえ、出立が朝になってしまったからだ。
二時間程歩き、集落へと辿り着いた。二人を出迎えたのは、あの依頼人だ。
「ようこそお越しくださいました。若き二人の妖退治屋さん。宿屋までご案内します」
集落の入口からさほど離れていない場所にあった宿屋に案内され、荷物だけを置く。咲羅と夕詩はすぐにまた外へ出ていき、鬼が出没したという場所を見て回る。
「人型で巨体の鬼が二体と、それよりは小さい普通の人間くらいの背の鬼よね」
「ああ。情報はそれだけだが、問題ねえだろ」
周辺も確認するのは、いざ戦闘になった時のためだ。地の利が向こうにあるままでは、咲羅たちの方が不利になる。
「あんた、その格好で戦う気か?」
「うん。見た目より動きにくくないよ?」
咲羅がくるりと回ると、膝丈の袴がふわり膨らむ。
ハイソックスと呼ばれる長靴下といつもの編み上げブーツを履いているが、夕詩から見れば季節に合わず寒そうだ。本人が構わないのならば、それ以上言及するつもりはないが。
「日暮れまでに出ると思うか?」
「目的次第、かな。感知用の結界張っておくよ」
かざした咲羅の右手から、透明な波が拡がったように夕詩には見えた。
それが結界だったらしい。簡単なものならば呪文のような言葉はいらないと、陰陽師である春雪と組んでいる夕詩は知っている。
「あとは待機ね。昨日手合わせしたばっかりだから、お互い連携はわかるだろうし」
「そうだな」
細かい部分の打ち合わせをしながら歩く二人に、声をかける者がいた。
「へーえ、君たちが妖退治屋の人? 随分可愛い子だね?」
「こんな子が戦えるのか? あ、色仕掛けで油断させるとか?」
厳密には咲羅に声をかけたかったらしい。二人組の男は、おそらくこの集落の者だ。妖に遭遇した経験は少ないのか、妖退治の重要性を知らない。だからただ偏見で、少女の咲羅は戦えないと思ったのだろう。
「ねえ、俺たちがこの辺り案内してあげようか?」
単なる女好きの可能性も高いが。
「おれの連れだ。勝手に連れてくんじゃねぇよ」
咲羅が反論しようとする前に、夕詩が割り込んだ。二人組の男から、咲羅を守るように立ってくれる。
「何? 君。小さくて気付かなかったなー?」
夕詩の堪忍袋の緒が切れる音が、後ろの咲羅には聞こえた気がした。平均的な身長ではあるが、高い低いのどちらかと問われれば、夕詩は低いと見られる身長だ。そしてそれを馬鹿にされることに関して、彼は容赦がない。さすがあの『八百万』出身だ。
夕詩の漆黒の瞳が、好戦的な光を宿した。獲物を狩る野生の獣の目だ。刀に手をかけないだけ、まだ我慢した方だろう。
「挑発するなら相手してやろうか? この星影 夕詩がな!」
「星影 ユウシ……? あの天才剣士か!」
「おい、逃げるぞ!」
剣士としての夕詩の名は広く知られている。そんな少年に喧嘩を売るのは、得策ではないと判断したのだろう。二人組の男は、見るからに揉め事に向かない体格だった。
その直後男たちが逃げた先から、悲鳴が上がった。彼らのものだ。
「夕詩、結界に反応がある! 鬼だよ!」
結界のおかげで鬼が出た方向がわかる咲羅の後に続いて、夕詩も駆け出す。
昼間から行動する鬼の目的は、十中八九人間だ。本来夜である活動時間をずらすのは、人間に合わせたが故なのだろう。
二人が向かった先、開けた場所である集落の外れ。腰を抜かした二人組と、咲羅たちから見てさらに奥では二体の鬼と一体の鬼が向かい合っていた。
依頼人の話で聞いた特徴と一致する鬼たちだ。おそらく、彼らで間違いはないのだろう。
「おい、とっとと逃げろ! 護衛までなんか手回らねぇぞ」
びくりと夕詩の声に反応した二人組は反射的に従い、もつれる足で集落の中心部へ逃げた。彼らがここに鬼が出たと告げれば、不用意に寄ってくる者もいないだろう。
「ねえ、何か変よ」
鬼たちの様子を見ていた咲羅が、夕詩の服の袖をくんと引っ張る。言われて夕詩もよく見ると、確かにそれは普通ではなかった。
向かい合っていた鬼たちは、互いに戦っていたのだ。劣勢なのは、体格でも数でも負けている一体の鬼の方だ。黄金色の瞳に黒髪の、整った容姿の鬼だった。もっとも人ではない妖には、人型をとれば美しい姿をしているモノは多い。
さらに彼は、集落の方を背に庇っていた。偶然ではなく、鬼のどちらかが近づこうとするたび、防ぐかのように位置を変える。
「あのひと、人間を守ろうとしてるんじゃないの?」
咲羅の言葉に、夕詩は黒の瞳を見開きまさかと思う。
人と親しく付き合うモノは確かに存在するが、そのために敢えて同族と争うほどのモノはそういない。せいぜいどちらかとの関係を絶つだけだ。
「わかんねえのに決めつけるのはできねえな。ただの意見の食い違いかもしれねぇ」
「でも……。でも」
咲羅は、お人好しなところが春雪によく似ている。師弟だからか、ふと同じ空気を漂わせるのだ。
迷うように和服の裾を握っていた咲羅は、黄金色の瞳の鬼が派手に弾き飛ばされるのを見て、鬼たちの方へ飛び出そうとする。咄嗟に彼女の腕を掴んで止めた夕詩を見た桜色の瞳には、強い光が宿っていた。
「確かめるのは、後でも遅くないもの。助けるのに理由なんていらないわ! それがただの自己満足でも、わたしは手を差し伸べる!」
本当に、よく似ている。咲羅はまだ幼い分、春雪よりも危なっかしいのだ。無鉄砲で、疑うことを知らないのかとたまに夕詩に思わせる。
「……なら、おれも行く」
「夕詩……! ありがと」
花が綻ぶような笑みを浮かべて礼を言いつつ、咲羅と共に夕詩も鬼の争いの中へ飛び込む。
咲羅より早く割り込み、手をかけていた鞘から脇差の影断を抜いた。黒鉄の刀身は、陽の光を映してなお闇の暗さを持つ。
「悪ぃがこっから出てってもらうぜ。鬼ども」
「この子供、妖退治屋か!」
「……一度退くぞ、柚葉」
「でもよぅ、深藍」
深藍と呼ばれた方の鬼が、片割れの襟首を掴み集落と反対方向へ引き摺る。柚葉と呼ばれた方は、抵抗する様子は見せずにそのままだ。片割れに、その名の通りの深緑の目を不服そうに向けてはいるが。
二体の鬼はよく似ていた。血縁関係があるのかもしれない。左右で微妙に長さの違う額の黒い二本の角は、二体が並べば左右対称に見えるのだろう。
「退くだけだ、いずれまた来れば良い。それに彼は、人間にしてはなかなか腕が立ちそうだ」
「深藍が言うなら、わかったけどよ」
「そこの妖退治屋。事の原因がどこにあるか、せいぜい見極めるんだな」
森の影に消えながら、深い藍色の瞳に好戦的な気配を滲ませる鬼は、意味深な言葉を残していったのだった。
倒すには及ばなかったが、深藍という彼の言葉を信じるならば、しばらくこの集落に近寄ることはないだろう。
一応警戒を解いて、夕詩は弾き飛ばされた鬼の元へ向かった咲羅へ歩み寄る。
「夕詩、ど、どうしよう……。このひと、動かない」
ここまで本格的な鬼退治をするのは咲羅は初めてで、文字通り鬼気迫る戦いを見た経験もないらしい。残された鬼の血に汚れた姿に、すっかり動揺していた。
「落ち着け、咲羅。春雪に連絡」
「……うん、わかった。水蓮鏡」
咲羅の言葉に応じて現れた水鏡は、波紋と共にある景色を映した。『立春』の玄関口だ。そこには竹箒を手にした春雪もいる。咲羅たちを見、事情を察してくれたらしく一つ頷いた。
「咲羅、反対側支えてくれ」
「うん」
水の鏡をくぐると、二人と意識を失ったままの鬼は『立春』にいた。先程まで鏡に映っていた場所そのものだ。
咲羅の術『水蓮鏡』は、主に同じ分類の術を使った術者との連絡の他、空間を繋ぐこともできる。その力で集落と『立春』を繋ぎ、移動をしたのだった。
「依頼人には、私が文を送っておく。彼を休ませてやらねばならぬのだな?」
「はい」
頼もしい春雪の存在に安心したのか、咲羅はその場に座り込んでしまった。
いつもの相棒と同じくらいお人好しな今回の相棒の頭に、夕詩は労うようにぽんと手を置いた。