寄合所『立春』の日常
まだ、春は遥か彼方の遠くに思える冬。雪の白が純和風庭園を彩る程度に積もっているのは、この秋に新しく設立された寄合所『立春』だ。
大きな和風建築の屋敷が本拠地で、妖退治を主に請け負っている。
現在『立春』は、所属している三人という少ない人数で依頼をこなしている。
元より名の知られた二人組がいることと、この辺りで最大の寄合『八百万』からも妖退治の依頼が回ってくることから、小さいながらも『立春』の名は着実に売れつつある。
妖怪や魑魅魍魎が跋扈するこの国で、その類いの厄介事があれば『立春』へ往くべし。早くもそう噂されつつある今日この頃だ。
軽やかに、縁側の廊下を行き来する音がしていた。着物をたすきで纏め、栗色の髪を一つに結んだ少女が雑巾掛けをしているのだった。
あっという間に廊下の掃除を終えると、この屋敷の入口である門へと向かった。
そこで竹箒を手にしているのは、和柄の洋装の少年。『立春』主戦力の一人、天才剣士の星影 夕詩だ。
「夕詩、お客さんは来た?」
「来てねえよ。つーか、『さん』ぐらいつけろ。おれのが先輩だろ」
「何よ、年は同じでしょ。それに先輩って言ったって、たった二ヶ月だけじゃない」
少女は、薄紅色の瞳に強気な気配を滲ませて夕詩を睨む。身長差があるため、少女の方が少しばかり見上げる格好になる。
夕詩と睨み合って、目を逸らさない少女は滅多にいない。そのあたりから、どれだけ少女が勝ち気な性格なのか窺うことができる。
「夕詩、咲羅。そろそろ昼餉の時間だぞ。じゃれ合うのも良いが、せっかくの温かい料理が冷めてしまう」
微笑ましそうに二人を見ながら歩み寄ってきたのは、この寄合を設立した陰陽師、春雪だ。妖退治の業界で、その名を知らない者はいない。今年の春の始め頃から夕詩と組むようになり、より妖退治の腕を上げたとは専らの評判だ。
彼は凄腕だが、普段は穏やかな雰囲気を纏った和装の人だ。凜とした端整な顔立ちをしている。今も藍色の紬姿で腰まで届く長い銀髪を高い位置で括って、咲羅と呼ばれた少女と同じくたすき掛けをしている。
「おう」
「うん、春雪さん」
先程の勢いなどどこへやら、二人は大人しく春雪の後を追う。
春雪の下駄と咲羅の編み上げブーツが石畳を叩く音がする。夕詩の靴はさほど音をたてない。三人誰一人同じ音ではないが、彼らの音は違和感なく共にある。
「春雪さんのご飯、美味しいから楽しみ」
「おれだって……! 嫌いじゃ、ねぇし」
「ふむ。口に合って何よりだ」
にっこりと他意なく笑う咲羅と、張り合うように勢い込んで言ったものの、頬を染めつつ明後日の方を見る夕詩。やや斜め後ろを歩いている、正反対の反応を示した二人を交互に見、春雪は若葉色の目を細める。
『立春』では住み込みで働くことも可能で、三人とも屋敷で暮らしている。そのための家事分担は主に、咲羅と夕詩は掃除で春雪が食事となっている。手が空けば他をすることもあるが、基本的に妖退治を受け付けている寄合は少ないので、三人はいつでも忙しい。時には依頼を請けた先で宿泊することもある。
「今日は依頼人さん来ないね」
「それだけ、妖に被害を受けておる者も少ないということだ。共存できるモノもおれば、害をなすモノもおる。その仲立ちが出来れば良いのだがな」
「そうだろうけどよ。仕事がなくて困るのはおれらじゃねえか」
「しかし、『八百万』からも依頼は請けておる。さほど心配することなどないはずだが……」
「うん。妖退治ができる寄合ってあんまりないから、需要はけっこう集中してるよ。夕詩は心配性ね」
二十代半ばの春雪ならともかく、十四歳程度の咲羅と夕詩が交わす会話にしては、現実味のあるものだ。それは必要あって身に付けた感覚なのだろう。
「家事は一通り終わったから、午後に手合わせしない? 夕詩」
「いいぜ。相手してやるよ」
咲羅は春雪と同じく陰陽師、夕詩は二本の刀を使いこなす剣士だ。互いに戦法の違う相手と戦うことで、腕を磨いているのだ。
時には組んで仕事をすることもある二人だが、連携より手合わせをすることの方が多い。陰陽師と実戦が出来る機会などそう多くないため、夕詩から申し込むこともある。
勝ち気な性格である咲羅は、そんな夕詩に臆することなく勝負を受ける。
「二人共努力家なのは美点だが、無理をしてはならぬぞ」
「はーい」
「ああ。わかってるよ」
三和土でそれぞれ靴を脱ぎつつ、三人は居間に向かった。ここまでも、料理の良い匂いが届いてきている。部屋にも暖房が入れられていて暖かい。
卓袱台の上に置かれた料理からは、まだ湯気が漂っているのであった。
*
降り下ろされた夕詩の持つ木刀が、風により防がれる。不敵に笑った咲羅が低い体勢から繰り出した回し蹴りを、夕詩は大きく後ろに跳んで避ける。矢絣柄のジャケットの裾が風を受けて膨らんだ。
屋敷の庭で、咲羅と夕詩が手合わせをしていた。場所の制限と、木や植物などが傷付かないようにするため、春雪が結界を張っている。
おかげで咲羅も夕詩も、相手以外気にせずに戦うことが出来ていた。
咲羅が左手を伸ばす動きに合わせ飛んだ炎を、夕詩の木刀が薙ぎ払う。それを目眩ましにした咲羅が近付くのと同時に、夕詩も距離を詰める。
一瞬の後、咲羅の首には木刀が、夕詩の胸元には光を纏った咲羅の右手が突きつけられていた。
「そこまで。今回は引き分けだな」
それまで黙って審判をしていた春雪が、結果を告げる。途端、辺りを覆っていた結界が水の弾けるような音と共に消えた。
「やっぱ遠距離の攻撃は慣れねぇな」
木刀を退けた夕詩が、襟元を正しつつ呟く。
「わたしは攻撃力上げたいなぁ。木刀で弾かれるなんて、思ってもみなかったもの」
咲羅は、真っ白な生地に小さな花が色とりどりに咲き乱れる意匠のワンピースの裾をはたく。先程低い体勢になった際、土がついたらしかった。
陽は中天から僅かに傾いている。二人が手合わせをしている間に、昼下がりは終わってしまったらしい。
「……遅くならぬうちに、買い物へ往くか」
太陽の位置を確認し、春雪が呟いた。
基本的に、『立春』では買い出しは三人で往くことが多い。そう決まっている訳ではないが、個人的な買い物でもない限りは荷物持ちも兼ねて誰かしらがついていく。
数分後、準備を終えてそれぞれが門へ集まった。春雪は買い物籠を手に、夕詩は木刀を置いてきただけだ。二人から少しばかり遅れてきた咲羅は、ワンピースの上に羽織を身に付けていた。
「咲羅の羽織は、私と違って粋だな」
「えへへ。似合ってる?」
「うむ。咲羅らしく可愛らしい」
春雪が藍色の紬に淡い水色の無地の羽織であるのに対して、咲羅の羽織はパステルカラーの虹模様だ。さながら花畑に架かった虹だろうか。空気の動きに膨らむたび、七色の色彩が冬の白い背景によく映える。
「そんなに着替えて、何が楽しいんだかな」
「可愛い服を着るのは楽しいもの。和装でも洋装でも」
「ふうん」
服装には執着しない夕詩にはわからない感覚だ。だが咲羅は真逆で、いつも様々な服を着ていた。戦装束も華やかなものを好んでいる。
会話と共に、買い物も進む。食材は時間限定特売で安くかつ効率的に、日用品も予備を含め買い上げて店を出る。
その頃には、皆両手に買った物を持っていたのだった。
「おい咲羅、そっちの荷物と替えろ。こっちのが軽いだろ」
「別にいいよ。持てるから」
「んな訳ねぇだろ。ぜってー後々手にくるぜ。女なんだから、重いのなんか持てねえだろ?」
その言葉に、咲羅はぴたりと足を止めた。場の空気が凍りつくように沈黙する。
「女だから……? わたしそういう差別嫌いよ! 気を遣ってくれるのは嬉しいけど、それとこれとは別だから!」
どこか子供っぽくも顔を背けつつ、夕詩を睨んだ桜色の目は確かに怒っていた。そのまま夕詩と春雪より歩調を速くして、屋敷への道を往く。
「おれ、どこ間違えた? わかんねぇよ」
これまで、同年代の異性と会話をすることさえ稀だった夕詩には、何故咲羅が怒ったのかがわからない。
不器用ながら、重い荷物を持つ咲羅を気遣ったつもりなのだが逆効果だったらしい。夕詩には、咲羅との距離感は難しい。
「咲羅は、女だからと弱く見られたりするのが嫌なのだ。君とて、子供だからと馬鹿にされるのは気に食わぬことだろう?」
「ああ、そういうことか」
確かに夕詩もこれまで、こんな子供に何が出来ると言われて依頼を断ることがあった。咲羅にとっては、女扱いがそれなのだ。
春雪の喩えで理解は出来たものの、どうするべきか。
これまで、誰かと仲違いするほどの関係が築けたことはなかった。だが経験はなくとも、これは自分で考えなければいけないことだ。
「春雪、悪ぃ。行ってくる」
「うむ」
春雪の声に見送られ、屋敷へ急ぐ。居間に荷物を取り敢えず置き、咲羅の姿を探した。
何度か怒らせたことがあるが、その時は暫く機嫌を損ねた。未だに一過性ではない関係を築くことは、夕詩にとって難しい。
縁側に目を向けると、虹色を視界に捉えた。淡い色合いをした、咲羅が今日着ていた羽織だ。
冷たい風に虹を靡かせ、雪の積もる庭を向いているせいでその表情は夕詩に見えない。
「……咲羅」
迷った末、名だけを呼んだ。振り返った咲羅が今も怒っているのか否か、その無表情からはわからない。
何かないかと服のポケットを探れば、そこにあったのは洋菓子だった。片手に持てるだけ、飴やチョコレートを取り出して咲羅に渡す。
「悪かったな。次からは気をつける」
「……わたしこそ、ごめん」
洋菓子を受け取って、咲羅が笑う。それでようやく、夕詩にも彼女がもう怒ってはいないことがわかった。
人間関係は難しい。しかし夕詩は、巡り逢った縁を大切にしたいと想う。春雪に出会って初めて、そう想うことができるようになった。
黄昏色に空が染まる、逢魔ヶ時。一陣の風と共に、『立春』に依頼が舞い込んだ。