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第二章  北畠大吾

「ごめんなさい、椿さん。お祖父ちゃんたら、ホントに勝手で・・・」

 藍と椿が藍の家に到着した時、すでに仁斎は床に着いていた。それを藍が詫びたのである。しかし椿は微笑んで、

「いいのよ、藍ちゃん。私が予定より遅くなったんだから。明日の朝、仁斎様とお話させていただくわ」

と答えた。確かにそれでいいのであろうが、できれば自分が家にいる時に話をしてほしかったので、藍としては明朝に延期されるのは不満が残った。いっそ仕事を休んでしまおうかとも思ったが、そんなことをすれば余計仁斎がヘソを曲げてしまい、藍がいる限り椿と話をしないかも知れない。そう判断した藍は、

「わかりました。申し訳ありません」

と深々と頭を下げた。椿は苦笑いして、

「藍ちゃんが謝る必要ないわよ。何も悪くないのに」

「そうですか?」

 藍は窺うような目で椿を見た。椿はそんな藍の背中をポンと叩いて、

「それより、私、お風呂に入りたいわ。大丈夫?」

「あ、ええ。まだ冷めてはいないと思います」

 藍は唐突な椿の問いかけに混乱しながらも、何とか応じた。椿は、

「宗家のお風呂なんて、何年ぶりかしらね。確か、雅の・・・」

と言いかけ、藍の顔色を窺った。藍はボンヤリしていたので、雅の名前が椿の口から出たのに気づいていなかった。椿は話を変えた。

「一緒に入る、藍ちゃん?」

「え、そ、そんな、その、あの・・・」

 予想以上に慌てふためく藍を見て、椿はクスッと笑い、

「冗談よ。もうお互いそんな年じゃないものね」

と答えた。藍はそんな椿を見て、思わず溜息を吐いてしまった。


 一方剣志郎は、藍と喧嘩同然に電話を切ってしまった事を酷く気に病んでいた。

「あいつ、結構根に持つタイプだからなァ」

 剣志郎は憂鬱になった。藍は決して根に持つタイプではないのだが、剣志郎がいつまでも引きずるので、そう思えてしまうだけなのだ。人間関係とは、そんなものである。

「ひっ!」

 そんなことをあれこれ考えていた時、突然携帯が鳴り響いた。彼は深夜には携帯をバイブのみに切り替えておくのだが、今日に限ってそれを忘れていたようだ。

「あれ、珍しい奴からだな」

 剣志郎は携帯の着信相手を見て呟いた。

「もしもし。どうしたんだ、こんな時間に? 緊急の用事か?」

「悪いな。明日、会えないか?」

と相手が尋ねた。剣志郎は考え込んだが、

「授業の空き時間なら大丈夫だよ。どうしたんだ?」

「お前の彼女が巫女だって言ってただろう? その人にも会えないかな?」

「おい、あいつは彼女なんかじゃないぞ。それはともかく、あいつに何の用なんだ?」

 通話相手は一瞬黙り込んだが、

「それは直接その巫女さんに話したい。取り敢えず、会えるように段取ってくれよ」

「わかったよ。じゃ、また連絡くれ」

 剣志郎は携帯を切り、バイブに切り替えた。そして、

「あれ? バイブだったのか? おかしいな。故障かな?」

 バイブにしたつもりが、解除になったので、剣志郎は携帯をジッと見た。

「落とした覚えはないし、まだ機種変更したばかりなのに、もう故障かよ。買い外れたかな」

 彼はそう思い、それほど深く考えなかった。しかし、このちょっとした不思議も、実は理由があったのだ。


 翌朝。

 藍は後ろ髪を引かれる思いで、家を出た。仁斎と椿がどんな話をするのか、とても気になった。しかし、やはり仕事を休んでしまうわけにもいかず、彼女は学園に向かった。

「仁斎様、夕べは失礼しました」

 仁斎の居室で正座で向かい合う形で、椿は頭を下げた。そして、

「藍ちゃんがいない時の方がいいと思われたのですね?」

とも言った。仁斎は軽く頷き、

「あいつはすぐ顔に出るのでな。お前との話は、わし一人がする方が良かろう。回りくどい言い方はしなくていいから、単刀直入に今回の来訪の理由を言いなさい」

と椿を見据えた。椿も仁斎を見て、

「では申し上げます。祖父丞斎は、宗家に対して過激なまでの考えを持っております。このまま何の話し合いもしないでいれば、祖父はますます悪しき思いを抱くようになると思い、祖父自身のために何とかならないものかと、こうして参ったのです。もちろん、表向きは、祖父の言いつけで来た事になっていますが」

と答えた。仁斎は目を細めて、

「あの男は、昔からいつまでも同じ事に拘り続ける者だった。始末が悪いな」

「はい。私の父が早くに亡くなったのも、こんな言い方はまずいと思いますが、祖父のあの融通の利かない頑固なところが一因かと思っています」

と椿が言うと、仁斎は苦笑いして、

「わしも早くに息子夫婦を亡くした。これは小野の家系に古くからあることのようだ。それを丞斎のせいにするのは、間違いだぞ」

「失礼しました」

 椿はほんの一瞬慌てたようだったが、すぐに冷静な顔になり、頭を下げて詫びた。そして、

「私が宗家に参りました理由は、もう一つあるのです」

「もう一つ? 何だ?」

 仁斎は眉をひそめた。椿は仁斎を見て、

「奈良の小野家からそれとなく聞いたのですが、吉野山の気が、非常に乱れているとか」

「何? あの山は危険だぞ。もしそれが本当なら、藍に行ってもらわねばならん」

「はい。もし、後醍醐帝の眠りを妨げようとしている者が動いているのだとすると、何か手を打たなければならないと思います」

「丞斎は知っているのか?」

「祖父は知っておりますが、動くつもりはありません。そういうことは、宗家の仕事だと申しまして・・・」

 椿は気まずそうに話した。仁斎は苦々しそうな顔で、

「あの男はいつまでそんなことを言っているのだ。舞の一件にしても、宗家単体の問題ではないというのに.... 」

「ええ。祖父は、真の宗家の問題こそが、小野一門の最優先課題だと考えているようなのです」

 椿の話に、仁斎はますます顔を険しくした。

「そんなことでは、第二第三の造反を招く事になる。丞斎とは一度直接話さなければならん」

「はい・・・」

 仁斎の迫力に、椿は少々気圧されたように頷いた。


 藍は椿と仁斎の話が気になり、気もそぞろで授業をしていた。生徒達は藍がいつもより元気がないのと、私語をしても注意しないので、逆に不気味に思い、真剣に授業に集中した。

「ふう」

 藍はまた溜息を吐いた。

「私、何をそんなに心配してるんだろ」

 彼女がそう呟いたのを、すぐそばまで来ていた武光麻弥は聞き逃さなかった。

「何か心配事ですか、小野先生?」

 麻弥は後ろから声をかけた。藍はビクッとして振り返り、

「あ、武光先生。何ですか?」

と麻弥の言葉をまるで聞いていなかったかのように尋ね返した。麻弥は呆れ顔で、

「何か心配事でもあるのですか、小野先生?」

「ああ、いえ、そんなことはありません」

 藍は苦笑いして応じた。聞かれてたのか、と思うと恥ずかしかった。しかし麻弥は、

「でも確かに今・・・」

「武光先生の聞き間違いですよ」

 藍はそう言い切って、走り出した。麻弥はキョトンとして、

「何よ、もう。また言い損ねちゃったわ」

と呟いた。彼女はますます藍が故意に自分の話を聞かないようにしていると思い始めた。


 一方剣志郎は、社会科教員室に向かう途中で、事務長に呼び止められた。

「竜神君、お客様だよ」

「あ、はい」

 剣志郎は事務長の方を見た。事務長は腕組みして、

「何か、随分と馴れ馴れしい人だったが、友達かね?」

と事務長は仏頂面で尋ねた。剣志郎は頭を掻きながら、

「申し訳ありません。あいつ、学生時代から、口の利き方を知らない奴でして。よく言っておきます」

「ま、それはいいんだけどね。第一応接室にお通ししておいたから」

「ありがとうございます」

 剣志郎は深々と頭を下げてから、事務長が立ち去るのを待って、応接室に向かった。

「事務長の格好を見ると、その辺の人の好いオジさんにしか見えないからな」

と剣志郎は呟き、ニヤッとした。

「よォッ、剣志郎。この前の飲み会以来だな」

 応接室のドアを開けると、ソファにふんぞり返っていた剣志郎より背の高い、プロレスラーかと思ってしまいそうな体格の男が立ち上がって言った。かろうじてプロレスラーに見えないのは、キッチリと七三に分けた髪型で、髭はきれいに剃ってあり、グレーのスーツを着ていたからだ。剣志郎は呆れ顔で、

「一体何の用なんだ、北畠?」

と向かいのソファに腰を下ろしながら尋ねた。北畠と呼ばれたその男はニヤリとして、

「それはお前の彼女に直接話すって言ったろ? もう忘れたのか?」

「もう忘れたのはお前の方だよ。その巫女は彼女じゃないって言ってるだろ。何でそんな風に思い違いしているんだよ、お前は?」

と剣志郎は焦ったように反論した。北畠は大笑いして、

「わかったよ。よっぽど怖いんだな、その彼女は」

「だからな・・・」

 剣志郎はもうこれ以上同じことを言うのが嫌になっていた。そして、

「ちょっと待っててくれ。今から呼んで来るから」

「頼むよ」

 北畠はヘラヘラ笑って剣志郎を見ていた。剣志郎はその無責任な来訪者をムッとして一瞥してから、ドアを開いて応接室を出た。

( 弱ったなァ・・・。あいつとは昨日の夜、喧嘩同然で電話を切ってるからなァ。話をし辛いなァ・・・)

 剣志郎がどうしようかと悩んでいると、

「何してるの、こんなところで?」

といきなり藍に後ろから声をかけられた。

「わっ!」

 思わず大声を出して、剣志郎は飛び上がってしまった。

「何よ、幽霊にでも会ったみたいに驚いて。失礼ね」

 藍がムッとして言うと、剣志郎は苦笑いをして、

「いや、そういうつもりはないんだけどさ、急に声をかけられたから、びっくりしたんだよ」

と言ってから、

「それでさ・・・」

と話を切り出そうとしたが、言い出せない。藍は剣志郎の様子がおかしいので、

「何? 何か隠し事?」

「隠し事じゃないんだけどさ」

 剣志郎の話が進展しないので、痺れを切らせた北畠が、中から顔を出した。

「何やってるんだよ、竜神?」

「えっ?」

 藍は突然会話に口を挟んで来た北畠にギョッとした。剣志郎は渡りに舟と思い、

「ああ、こいつ、俺の大学時代のゼミ仲間の北畠大吾。実はこいつがお前に話があるってここにやって来たんだよ」

「私に?」

 藍は視線を剣志郎から北畠に移した。

「どうも。すみませんね。取り敢えず、立ち話も何ですから、中に入って下さい」

「はァ・・・」

 藍は呆気に取られて剣志郎を見ながら、応接室に入った。それに続いて剣志郎が中に入り、後ろ手にドアを閉めた。

「いやァ、驚きました」

 北畠はソファに座りながら言った。藍は剣志郎と並んでソファに腰を下ろしながら、

「何でしょうか?」

と訝しそうに尋ねた。北畠はニッコリして、

「巫女さんて聞いていたので結構期待して来たんですが、それ以上でした。こんな綺麗な人だとは思いませんでしたよ」

「ええっ?」

 藍は恥ずかしさのあまりそう叫んでしまった。剣志郎はそれと重なる形で叫んでしまったが、

( こいつ、藍を口説きに来たのか? )

と早とちりしたのだ。もちろん、北畠の目的は、藍を口説く事ではなかった。

「話を始める前に、これを見て下さい」

 北畠は急に真顔になって、ソファの脇に立てかけてあったアタッシュケースをテーブルの上に置き、開いた。

「これなんですが」

と彼は中から古めかしい書物を取り出し、藍の前に置いた。藍はそれを眺めて、

「これは.... 」

 その書物の表には、かなり擦れて見えにくくなっていたが、毛筆で

神皇正統記じんのうしょうとうき

と書かれていた。北畠は藍を見て、

「中を見て下さい。俺が貴女に話があると言った理由がわかりますよ」

「はい」

 藍はその書物を手に取り、崩れてしまうのではないかという危惧感から、慎重に表紙を捲った。

「あっ・・・」

 表紙の裏側に、これもかなり薄くなっていたが、それでもはっきりと、

黄泉津大神よもつおおかみ

と書かれていたのだ。剣志郎もそれを覗き込んで仰天して身を乗り出し、

「な、何だよ、これ? 神皇正統記って、こんなこと書いてあったか? それより、これ、どこにあったものなんだよ?」

と捲し立てた。藍は剣志郎を手で押しのけて、

「貴方は北畠親房の子孫なのですね?」

「はい。実は北畠親房は、常陸ひたちの国( 現在の茨城県 )にいた時、子を儲けていたらしいのです。所謂いわゆる、隠し子ですね。その末裔が、私の家、というわけです」

大吾の話は奇想天外な話であったが、「黄泉津大神」、すなわち、藍の家が継承している姫巫女流古神道の邪流である黄泉路古神道の最高神の名が書かれている書物を見せられては、彼女としてはどんな話なのか興味があった。

「この神皇正統記は、正規のものではない、裏本だということです。これは、俺のジイさんが死ぬ間際にそのありかを教えてくれて、手に入れたものです。ですから、中に書いてある事は、正本であるものとは全く違うようです」

大吾の言葉に、藍は思わず剣志郎と顔を見合わせてしまった。

「神皇正統記の、裏本.... 」

 とてつもない陰謀が、この裏本を巡って張り巡らされているとは、その時の藍は知る由もなかった。

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