転生少女は普通になりたいと叫ぶ
私はもうすぐ死ぬ。
病気の床でそう感じた時に思ったのは、どの人より強くなりたかったということ。
どんな人よりも強ければ、こんな寂しい病院の一室で死ぬことはなかった。
まだ二十歳にもなっていないこの身体は酷く弱く、大往生とは無縁の人生だった。
誰よりもどんな人間よりも少しだけでも強ければ……。
もっと楽しい人生を送れたのに……。
産まれたことさえ呪ってしまうような人生を、強い力を手に入れて、一からやり直したい。
死ぬ間際にそう願った時、確かに声が聞こえた。
『その願い。僕の世界で叶えてあげようか?』
誰? と聞き返す力も私には残っていなくて、私はただただ暗いまどろみの中に意識を落とした。
そして、次に目を覚ましたら、私は別の世界で生を受けていた。
望み通りの身体で……。
本当に叶えてもらったんだと気が付いた時、私はあの時の声の人物にこう言いたくなった。
「そうじゃねーよ!!!」
虚しいと分かっていてもそう突っ込まざるを得なかった。
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「ククルーッ! 朝ごはんが終わったなら、畑仕事を手伝っておくれーっ!」
外から聞こえたお母さんの声が、木造の家の中に響く。
「はーい!」
妹のククルが元気よく答えて、家を出て行った。
私はククルを追うために、木製の皿にのった肉とじゃがいもの炒めものを、木製のスプーンで口の中にかきこむ。
今日こそは私も手伝うんだから!
「ごちそうさま!」
丸太のイスから立ち上がり、空になった食器をかまどの横にある水を張った大きな桶に入れ、家の出入口である木の扉に急ぐ。
やたら重く分厚い扉を開き、私も外に出た。
「お母さん! 私も……っていない!」
ログハウスのような家の前に広がる田園風景の中には、お母さんの姿もククルの姿もなかった。
でも、今日の畑仕事で何をやるのかは、朝ご飯を食べながら聞いていた。
「今日は種を運んで、家の裏の畑に蒔くって言っていたよね」
私は振り返って家の前を見る。
わらを丸く編んだ大きな袋に種を詰めた米俵ならぬ種俵が、家の前にうず高く積まれていた。
「これを運べばいいのね」
私は種俵を一つ掴み、両手で支えながら右肩に担ぐ。
種俵の重さがずしりと肩にかかるけど、今の私ならこれぐらいは大丈夫だ。
前世の病弱な身体に比べて、本当に望み通り強くなったんだなと感じられる。
私の身体はまだ八歳で、人間なら驚きの力持ちだ。
前世の私なら、これだけ持てればもう満足だけど、今の私の実力ならばもう一つ一緒に種俵を運びたい。
私は右手で肩の上の種俵をしっかりと支え、左手を種俵から離して、もう一つ種俵を掴んだ。
しかし、掴むために前屈みになったせいで、私はバランスを崩して前につんのめってしまった。
「わわわっ!」
まずい!
種俵の山に突っ込む!
これから来るであろう痛みに、私はギュッと目をつぶって覚悟した。
けれども、その痛みはやってこなかった。
「大丈夫? お姉ちゃん」
声と同時に肩の種俵がフワリと軽くなり、お腹に何かが巻き付いて強い力でぐっと引っ張られる。
おかげで転ぶことなく立っていることが出来た。
お腹に何が巻き付いたのか確認すると、それはムチッとした深緑の色の腕だった。
私はその状態のまま振り向き、自分の顔一つ分視線と顔を下げてお礼を言う。
「ありがとう! ククル!」
腕と同じ深緑の顔に、少し尖った耳。逆光で顔が影になっているけれど、それよりも黒い目が私を見ている。人間なら白い部分が黒く、瞳孔が赤い瞳だった。
私と目が合うと、背が低い分、顔を上げてニパッと笑い、その口の端には八重歯が見えた。
助けてくれたのは、見なくても声で分かる私の妹ククルだ。
「あたしがちょうどいて良かった! お姉ちゃんケガはない?」
「うん。大丈夫」
ククルに腕を離してもらい、私は一人で立つ。
私もククルと同じ瞳を持ち、尖った耳と八重歯がある。
肌はククルより薄い緑で、体格は私の方が細いけど、私も間違いなくククルと同じ種族だった。
私が転生したのはオーク種。
母さんも父さんもオークで、始めのうちは戸惑ったけど、緑の肌と黒い目さえ慣れれば、あとは日本人のような低い鼻に大きな八重歯と思い込める牙で、馴染むのに時間はかからなかった。
……時間はかからなかったけれど、問題は別にあった。
「お姉ちゃん種を運ぼうとしたの?」
「う、うん」
私が運ぼうとした種俵はすでに私を離れ、ククルが担いでいる。
私より三歳年下だというのに、その表情は涼やかで、種俵の重さを全く感じさせない。
「大丈夫だよ。あたしとお母ちゃんで運ぶから」
「い、いや、お姉ちゃんなのにそんなわけにも……」
小さい妹がしっかり畑仕事をしているのに、姉である私が何もしないわけにはいかない。
「でも、お姉ちゃんは……」
「ククルーっ! まだかい?」
私とククルが話していたら、お母さんも家の裏からやってきた。
「おや、どうしたんだい」
お母さんは私とククルよりはるかに背が高く、がっしりとした身体つきで、露出している腕や足はしっかりと筋肉が盛り上がっている。
オークらしい体格だ。
それに引き換え私は……。
「お姉ちゃんが畑仕事を手伝うって」
ククルがお母さんに状況を説明した。
「手伝うって? お姉ちゃんがかい?」
驚いた調子の声でククルに返し、お母さんが私を見た。
そして、私の前に立つと、お母さんはしゃがんで私と目線を合わせた。
「お姉ちゃんが手伝わなくても、ククルがいてくれるから大丈夫だよ」
「でも、私より三つも下のククルが畑仕事を手伝ってるんだから、私も手伝う」
そう言って私が食い下がると、お母さんは私に微笑んだ。
「ありがとうね。気持ちは嬉しいよ。でもね、お姉ちゃんは身体が弱いんだから、無理はせずに家で休んでなさいな」
お母さんの優しい声に、私はぐっと黙りこむ。
私の最大の問題はここにあった。
望み通り、人間より強い力を持った強い身体に転生出来たけど、オーク種は人間よりとても力が強く、人間よりとても頑丈な身体を持った種族だった。
それゆえ、私のお願い程度の力と身体では、オークとしては虚弱と言われる部類とされた。
実際、お隣に産まれた赤ちゃんを見に行った時に、赤ちゃんの他愛なく振り回された拳に当たって、気を失ったことがある。
当たりどころが悪かったことと、今よりも私が幼かったこともあるけれど、あれは私の中で忘れられない悲しい思い出となった。
私は病弱な身体から、虚弱な身体へと転生したのである。
人間より強いはずなのに虚弱とはこれいかに……。
「で、でも……」
虚弱だと言われても、前世より遥かに健康になったこの身体が諦めきれなくて、私はこっそりと筋トレを行っていた。
すると、少しずつだけど、前よりも力が強くなっていったのだ。
今日はそのお披露目で、私は畑仕事を手伝おうと思っていた。
……失敗したけど。
……そう。
私は失敗したんだ。
実績がないのに失敗したんだから、ここは潔く諦めるしかない。
信用のない失敗は、さらなる不信を呼ぶ。
駄々をこねたって、私の信頼がどんどん失われていくだけだ。
ただでさえ虚弱で信頼されてないのに、なけなしの信頼がかき消えてしまう。
「……わかった」
私は頷くしかなかった。
「良い子だね」
お母さんが私の頭を撫でてくれる。
私が気にしないようにしてくれるお母さんの優しさが、じんわりと私の心に広がった。
「さあ、畑仕事に戻るよ。ククルは種俵を運んでおくれ」
「うん!」
ククルは私を助けた時に担いだ種俵を肩にのせたまま種俵の山に近付き、その山から新しい種俵を掴むとひょいと持ち上げて種俵をのせている反対の肩へのせた。
両肩に種俵がのっているのに、ククルは重そうな顔一つ見せない。
そして、さっさと歩き出し、家の裏手に消えていった。
「お母さんも行くけど、しっかり休んでいるんだよ」
「……はい」
私がちゃんと返事したのを確認してから、お母さんも種俵を運び出した。
片手で種俵を二つ掴み、両手で計四つの種俵をいっきに持ち上げ、両肩に担ぐ。
ククルと同じく、お母さんも涼しい顔で種俵を運んでいった。
家の前には、私だけがぽつんと残っている。
……うまくいかない。
私はポツリと思った。
前世では病気が治ったら恩返しを兼ねて、周りの人のお手伝いをいっぱいしたいと思っていた。
死んだ現在ではもう叶えることは出来ないけれど、それなら今いる世界で、前世の分のお手伝いをしようと思っていた。
でも、結果は残念なもので、あと他に出来るのは掃除や食器洗いぐらい。
……全然役に立ってない。
どうしてこうなった。
死ぬ間際に聞こえたあの声の主がいるかどうかも分からないけれど、私は空を見上げて念じる。
オークに生まれ変わるなら願いを叶える前に教えてよ!
オークに生まれ変わると知っていたら、あんなお願いはしなかったのに!
返事がないのは分かっているけれど、この行為を週に何度もしたくなるほど、私は虚しさに包まれていた。
前世では病弱。
今世では虚弱。
じゃあ、来世は何弱よ?
そんなことを考えながら、私は自嘲気味に笑う。
せめて……。
せめて……。
「普通のオークになりたい!」
空へと叫んだ私の声は誰にも届くことなく、晴れ渡る青空の中に溶けて消えていった。
end