本編 19 〜増殖 5 〜
瑠璃が増え始めた……
32.騒がしい出勤風景
「それじゃ、行って来ます。……くれぐれも約束は違えないように」
次の日の朝、晴れやかな笑顔で出かける挨拶をした瑠璃は最後にギロ目で……笑いながら瑠璃1に釘を刺した。
「……何を約束したんだ?」
暫く歩いてからS.Aikiは出来るだけ、そっけない態度で……でも結局はかなりストレートに確認した。
「大したことではありません。購入した部品を使って御主人様の護衛用アンドロイドを作っておくように指示しただけです」
瑠璃もまた、そっけない態度で……でも蟀谷をヒクつかせながらも笑顔で応えた。その笑顔に少しだけ引きながらもS.Aikiは問い足した。
「護衛用? なんでそんなモノが?」
「御主人様? 先日の不審者騒ぎを御忘れましたか?」
瑠璃の言うそれは会社の倉庫に居た不審者を瑠璃が叩き出したという事件だろう。……その時に倉庫を半壊させたのは賊の所為ではなく瑠璃の仕業だという事は……読者しか知らない。
「……それは私には関係無かろう?」
きょとんとした顔でS.Aikiは問返した。
「いえ。賊に狙われる会社の……末席ながらもエグゼクティブになられた訳ですから。これからはきちんとした護衛が必要です。それに……」
「(『末席』は余計だ。……事実だけど)……それに?」
「朝夕の電車で御主人様目掛けて正体不明の紙弾丸が飛び交い、さらには命中している昨今では……安心は出来ませんっ!」
その瑠璃の言う『紙弾丸』とは……瑠璃の周りに群がるOLやら女子大生やらが、その場に間違いなく場違いな雰囲気を漂わせるS.Aikiに向かって投げつけるメモ紙の事だろう。まぁその紙には『あっち行って』とか『瑠璃様から離れてっ!』とか他愛もない中傷。……中傷を『他愛もない』というレベルのモノで片づけていいモノかどうかはさておき、まぁ、大抵は悪戯程度のモノ。中には『ココは既に女性専用車両と事実上、化している以上……』と便箋数枚に渡って論ずるモノもあったが。
「……それは、護衛が必要なモノか?」
紙つぶてに護衛が必要とは思えない。だが瑠璃ははっきりと断言した。
「必要ですっ! もし、その紙がニトロ・セルロースで出来ていて、包みの中にニトロ・グリセリンのカプセルが入っていたら……御主人様の身にどんな事が起きるかっ! 瑠璃は絶対にっ! ……御主人様?」
自分の話の設定に激昂した瑠璃はいつの間にかS.Aikiを抱きしめていた。……例によって呼吸困難に陥る程に。巨大な(ちなみに瑠璃の『胸』は一般に言う所のGカップである)胸の谷間に強制的に埋められた顔は口と鼻を押さえられ、昨夜、瑠璃2に抱きつかれるよりも極簡単に呼吸困難に陥った。
「ぷはぁっ! ……在り得ない設定で抱きつくなッ! ニトロ・グリセリンなんぞぶつけられて爆発するなら、投げた時にも爆発しかねんわぃっ!」
瑠璃の腕の中からもがき、やっと逃出したS.Aikiがぜいぜいと荒れる呼吸を押えながら、即座に反論した。それは周囲の……同じく出勤するであろう方々の痛過ぎるほどの視線を意識しての過剰な反応だったのだが。
「スーサイド・アタックならば在り得ます」
しれっとして瑠璃は即座に応えた。
「すぅさいど・あたっく? なんだそれ?」
その問いには何故か隣(やや斜め下)から応えが帰って来た。
「自殺による攻撃。俗に言う『神風攻撃』の事だよ」
「なるほど……って誰だ? あれ? 瑠璃2!? どうしてここに?」
何故か隣には瑠璃2が居のである。
「どうしてって……愛人ならば見送るのが当然でしょ?」
瑠璃と同じようにしれっと応える瑠璃2。
「あ、あ゛、愛人っ!?」
思わず大声を上げるS.Aiki。その声に出勤する方々が振返る。周囲を気にしてS.Aikiは自分の口を思わず押えた。ついでに瑠璃2の口も。
「……何で? いつから、そんな事に?」
S.Aikiの問いに瑠璃2はS.Aikiの手を両手で掴み離して……ついでにその手に頬摺りしながら……さらに余計な事にうっとりとした口調で応えた。
「だってぇ……私は瑠璃姉ぇ様の2番目のコピー。つまりは2号。『2号』といえば『愛人』の意味でしょ? ねぇ、パパァん」
「お、を、ヲ、オレをそんな風に呼ぶなっ! 普通に呼べっ!」
『何だ?』『痴話喧嘩か?』と言わんばかりの周囲の視線が痛い。
「判りましたっ! 御主人様ぁん」
甘い声で抱きつく瑠璃2。
『やっぱり痴話喧嘩か』『朝っぱらからよーやるわ』という周囲の視線が物凄く痛い。
「あ、あのなぁ……くげっ」
「いいでかすらっ! もう行かないと遅刻しますっ! 早く行きますよっ! 御主人様っ!」
無理矢理S.Aikiを小脇に抱え(ついでにS.Aikiを胸部圧迫による呼吸障害に陥らせて)、軽やかに走る瑠璃の姿を見て『こっちが本妻?』『いや、こっちが愛人でその子共が口調を真似したんだろう?』『なんであんな男に?』という周囲の視線がボウガンの矢のようにS.Aikiに刺さってくる。
と、急にUターンした瑠璃は瑠璃2をも小脇に抱えて駅へと向かった。
「瑠璃2。アナタも来なさいっ!」
「ぐ……へ? 何で? ぐほ……」
苦しい呼吸……というか先程よりは楽な状況下でS.Aikiが……それでも生命の危機をいつものように感じつつも尋ねる。
「コレでも瑠璃2は対テロ用アンドロイドの端くれ。護衛が居ない今は貴重な戦力ですっ!」
事が戦闘関係の発想(というか妄想)になると瑠璃の行動は素早い。OSだけコピーされた市販アンドロイドが何故に対テロ用アンドロイドなのだろうという疑念をS.Aikiに抱かせないほどに。瑠璃の腕の中でゲンナリとするしかないS.Aikiに瑠璃2の声がトドメを刺した
「わぁい。同伴出勤だぁ」
……それは意味が物凄く違うぞ。たぶん。というか、何処でそんな言葉を憶えたんだ?
33.遭遇
「……ただいまぁ」
「おかえり……って、瑠璃2。『同伴出勤』するんじゃなかったの?」
しょげ返って来た瑠璃2は瑠璃1の質問に応えずに、とぼとぼと部屋の中に入ると、S.Aikiのベッドにそのまま倒れ込んだ。
「何よ? なんかあったの?」
白衣を着ていた瑠璃1は、手に持っていたドライバーと自在スパナをポケットに仕舞うと、昨日から玄関に置きっぱなしだった小型旋盤を片手で軽々と掴み上げ、部屋に戻ろうとしたが……立止まると旋盤で肩をとんとんと叩き、細かな作業でオーバーヒート気味の指のアクチュエーターのクールダウンと、使っていなかった肩と二の腕のアクチュエーターを動かすことで、動作制御回路の偏発熱の補正と動作ログの一時保管、さらにはそのログからの『微細作業(頭部)専用DL』の作成を始めた。その一方で……瑠璃2の方を見、小首を傾げて、『どうして瑠璃2が塞ぎ込んでいるのか』を推測し始めた。
「ちょっと〜瑠璃2。手が空いているなら手伝いなさいよ。ふーん。その様子だと御主人様に嫌われたんだ? やっぱり、その身体(ボディ・サイズの事である)で、『愛人』ってのはどうもねぇ……。それとも、『仕事の邪魔だっ!』って追い返されたんだ? アンタ、御主人様の職場で遊んで、何か壊したんでしょ? それとも……他の誰かにアナタがどこかの子共だと勘違いされて、御主人様が誘拐犯に間違えられたとか? いや、御主人様の子供と勘違いされて……ん? この場合のオチは何だ?」
腕を組み、油に汚れた指先を顎に当てて考える瑠璃1。その瑠璃1を横目で睨んで瑠璃2がその場合の答をいった。
「……御主人様の上司に御主人様が『子供を連れて来るとは何事だっ!』って怒られた」
「あっ! なるほど。……で、どれなの?」
にやにやと悪戯っ子ぽい笑いを浮かべる瑠璃1に瑠璃2は涙目で言切った。
「全部っ! 全部、ありましたっ! だから……だからっ!! 先に帰るようにいわれて帰って来ましたっ! いじょっ! だから、不貞寝するるのっ! 御主人様が帰って来るまでここに居るのっ!」
言いたい事を総て言うと、瑠璃2は布団を被って不貞寝モードに入った。
(やれやれ。想像した以上とは……というか、想像が全部当っているとは……)
両手を上に向け、肩をちょっとすぼめて、瑠璃1は『やれやれ』と動作で語ると、隣の部屋に戻って行った。
取敢えずS.Aikiの名誉の為に付け加えると、他に通勤電車の中で瑠璃ファンの女子大生やOL達に瑠璃2を瑠璃とS.Aikiの間の子共と勘違いされ、小突かれるは、足先をヒールで踏まれるは、『不潔っ!』と電車から降りる間際に往復ビンタを……駅に停車する毎×数名から食らわされたのである。
……それの何処が『S.Aikiの名誉』なのかを説明するのであれば、当然、機械である瑠璃1の予想を人間であるS.Aiki(の受けた被害)は上回っている事で機械に対する人間の可能性が大きい事をS.Aikiが証明したという事実である。
ともあれ、瑠璃1が戻った部屋から、金属を削る音と、カチャカチャとボルトやナットをいじる音。時々混じるバチバチッという電気が爆ぜる音。何かの起動音。そしてブチっという何かの停止音。それらが何回か繰返されるのを瑠璃2は布団の中で聞いていた。
数時間経った時、誰かが階段を……カンカンと登って来る足音の後、S.Aikiの部屋のドアの前に立つ気配。
ぴくん、と瑠璃2の猫耳が反応する。そーっと布団の隙間からドアの方を見ると何物かの影。入り辛そうに中を窺うような動きをする影が見える。
(御主人様だ……)
何故か、瑠璃2はそう決めつけて、そっと布団を出ると、玄関の前で身構える。そして、カチャリとドアが空いた瞬間っ! 瑠璃2はその影に飛びついた。
「にゃあぁぁん。御主人様ぁん。お帰りなさいっ! ……ん? 冷たぁい……アナタ……誰?」
それは……白く丸い球体が上下に重なった物体。いや、見た目はまんま雪だるまの軍曹ことSNOW WHITEであった。
「な、な、な、なんだっ! この……猫耳アンドロイドは?」
両手に持っていた荷物を下ろしてピンポン球のような手で自分の顔に張りついて来た物体を引き剥がし、繁々と見る。慌てて、見た目のままに『猫耳アンドロイド』といったが、改めて見……ても、それ以外に形容の無いアンドロイド。SNOW WHITEの記憶にはこの部屋の住民であるS.Aikiがこのようなアンドロイドを所有して居たという記憶は無い。
(はて? 事前調査でもアンドロイドを所有していないから、『お嬢ちゃん』のコピーを1体、進呈したのだが……?)
そのコピーとは言うまでもなく瑠璃の事。SNOW WHITEは何も無い小首を傾げて(見た目で記述すれば、頭部の胴体に対する接合角度を変えて)暫し考える。
(……瑠璃を手に入れた後で別のアンドロイドを買った?)
その可能性はS.Aikiの財政調査結果が否定した。
(いんや、そんなにサラリーが多い輩には基本的に『進呈リスト』から外した。……自分で造り上げた?)
その可能性はS.Aikiの技術レベル調査結果が否定した。
(OSも造れず……精々、パソコンを組み上げられる程度の技術力しか持っていない。……第一、これは……)
知っている限りでは、目の前のアンドロイドは市販されたゴチック・ドールmark2という機体。その機体の能力は会話程度で飛掛かるという運動能力。というか反射反応は無いはず……。と、SNOW WHITEの観察眼が瑠璃2と市販されたゴチック・ドールmark2との明らかな違いを発見した。
(こ、これはっぁぁぁ!)
それは瑠璃2の胸部。……まぁ、社会一般にいう所の医学用語で『乳房』である。
「こ、こ、これわっ。……いや、グラマーはヤツの嗜好に合致している。いや、しかし、ここまで……という事はこの『会話人形』はS.Aikiの手による改造……ぶっ!」
SNOW WHITEの言葉が途切れたのは……SNOW WHITEの関心が集中した箇所に思わずピンポン球のような手を伸ばし触ってしまい、その反射反応で瑠璃2が思いっきり、SNOW WHITEの顔を引っ掻いたからである。
「にゃーんっ! 御主人様にしか触らせないと誓ったのにっ! 勝手に触ったぁあぁぁぁっ! 許さないィぃぃぃぃッ!」
「ぐわぁああっ! ヤメロ。止めろっ! この猫耳娘っ!」
続けざまにSNOW WHITEの顔を掻きむしる瑠璃2。もがくSNOW WHITE。
……そんなに掻きむしられるのが嫌なら、瑠璃2を掴んだ手を離せばいいのに。
玄関で繰広げられる……形容しようもなく馬鹿げた騒ぎに奥の部屋から瑠璃1が顔を出した。
「なぁに? うるさいわよ? 何してんの? って、あら?」
瑠璃1は玄関に向い……そして瑠璃2と瑠璃2に掻きむしられ、のっぺらぼうになったSNOW WHITEを見ると、SNOW WHITEにとって全く予想でき得なかった言葉を発した。
「ええっとぉ……何の用でしょう? 軍曹さん。今日はマスターは御一緒じゃないの?」
「何ぃッ!」
その呼び方はLapis Lazuliのもの。いや、SNOW WHITE以外にも『マスター』(それは間違いなくF.E.D.氏を指していると断定できた)と呼ぶのは間違いなくLapis Lazuliとの会話に瓜二つ。その事実……というか余りにも想定していなかった現実にSNOW WHITEの思考は停止してしまった。
「? もしも〜し。軍曹さん? ……用がないのでしたら、取敢えず返して下さいね。で、さようなら」
瑠璃1はSNOW WHITEの手から瑠璃2をひょいとつまみ上げ取ると、ぱたんと玄関のドアを閉めた。
ドアの向うで瑠璃2を叱る瑠璃1の声がほうけたSNOW WHITEの耳に届く。
「なぁに、やってんのよ。ちゃんと確かめてから飛びつきなさいよ」
「だぁってぇ〜。御主人様だと思ったんだもぉん」
「こんな時間に帰ってくる訳無いでしょ? 瑠璃姉ぇと一緒に帰って来るわよ」
「ん〜。だってぇ……」
「いいから。暇だったら手伝って。瑠璃……ナンバー3かな? まぁ、正式名称は御主人様が決めるけど……護衛専用瑠璃の組立てが一人じゃ難しいのよ」
「護衛専用? じゃ、今度は誰にも邪魔されずに同伴出勤でき……いったぁい」
「ませた事を言ってないで。ほら、こっち持って……」
「んしょ。これでいい?」
「ん。おっけぇ! 後は配線を繋ぎ直してっと……」
「ところで瑠璃1姉ぇ」
「なぁに? ……あれ? この配線は……あ、腕の配線が余ってる?」
「さっきの雪だるまは誰なの?」
「ん……そうか。コレは運動回路を増設したタイプか……。え、ああ。アレは軍曹さんよ。メモリーを……捜して見なさい。『非常識』と『神出鬼没』と『無差別』……後は『不可解』で検索したら直に出るわよ」
「ん〜〜〜〜〜。あ、あった。そうか、正式名称SNOW WHITEさんか。んで、何しに来たんだろうね?」
ドアの外のSNOW WHITEは無邪気な瑠璃2の言葉で我に返った。
(……そうだっ! ここに来た理由は……。いや、その前にっ!)
勢いよくドアを開けるSNOW WHITE。その顔には怒りが浮かんでいた。
これはニフティのSFフォーラム内にあった「マッドSF噴飯高座」より派生した拙作です。
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