本編 10 〜狂乱の日々 10 〜
対テロ用アンドロイドが秘書となるために来た。
15.決意の刻
月明かりが差込む安アパート、野洲武神荘の一階の部屋で(つまりは、まだ屋根と2階の床に穴があいたままの部屋で)ゆっくりとカプセルの扉が開いた。
ベビードールの下のビスチェが妖艶な色気を醸し出している。その姿の主は瑠璃。半裸の姿で物憂げな表情のまま暫く考えていたが、急にはっきりとした表情となり、傍らの梯子を登り出した。
梯子を登ったところはS.Aikiの部屋。その部屋の古びたベッドの上で真夜中の睡眠を貪っていたS.Aikiはふと、息苦しさを憶えた。
(……ん? この息苦しさは……なんだ……! め、目を開けるなっ! 開けたら災難が……たぶん……いや、絶対に災難が待って……)
「御主人様。眠ってますか?」
(寝ている。寝ているんだから、起さないでくれ。頼む……)
「……仕方ありません。起きて頂くまで私もここで休ませて頂きます」
急に胸のあたりの苦しさが増す。間違いなく瑠璃が頭を置いたまま、スリープモードに入ったのだろう。
「……ぐ、ぐふっ! げほっ」
息苦しさ、いや、呼吸困難となったS.Aikiは咳き込んでしまった。その音を聞きつけて瑠璃は……起きなかった。完全に寝ていた。
「げぼっ。る、瑠璃。起きろ。起きてくでべぇぼっ。げぼっ」
瑠璃は微動だにしない。
「……ぐぞっ」
辛うじて動く右腕で何か叩くモノをまさぐったが……石膏で固められた右手では元々何かを探る事もできない以前に何も掴めない。
意を決してS.Aikiはその石膏の手で瑠璃の頭を叩いた。……思いっきり。
ばごん
鈍い音を響かせて、石膏は砕け散り、瑠璃は……かなり経った頃にやっと起き出した。
「……ん……あ、おはようございます。ご機嫌いかがでしょう?」
「げぼっげぼっ……如何も鮹も蝦蛄も無いっ! 今は夜中だっ! こんな夜中に……えーと。何の用だ?」
痛みに任せて喚いたS.Aikiだったが、これまでの経験から急にトーンダウンして事の次第を訝った。怒るS.Aikiの問いにきょとんとした顔で瑠璃は暫く考えていたが、やがて思い出したように言葉を継いだ
「御主人様に御願いがあり、参上致しました」
「……なんのだ?」
極めて……今までの経験上、とてつもなく悪い事を考え得る限りに想像し、心の準備を調えてからS.Aikiは問い直した。
「私、秘書として参りましたが、秘書に必要な情報およびつまりは記憶はかなり不正確である事が判明した以上、完全な情報を仕入れたいと思います。つきましては……」
瑠璃はそこまで言うと暫く言葉を止めた。S.Aikiはその静寂がとてつもなく恐かった。が、静寂は瑠璃の大声で破られた。
「すみませんがっ! 私を秘書の学校に通わせて下さいませっ!」
大音響が破れた屋根から夜空に漏れ、周囲のご近所様を総て叩き起こすかのように反響した。
「私は秘書として造られながら、秘書というモノを全く理解して無い可能性が82.3%以上あると推定されます。つきましては然るべく資格検定を獲り、完全無欠の秘書となるべく、学校に行かせて下さいッ! 無礼承知なのは解っています。その無礼を曲げてお願いしたくっ! 御主人様っ! ……あれ? 御主人様? 如何されました?」
とうの昔にS.Aikiは瑠璃の大音響に三半規管を直撃されて失神していた。が、ベッドに起きたまま、失神したので、ぐらりと上体を揺らせ、そのまま前に突っ伏した。
「きゃあっ! ありがとうございますっ! これで安心して眠れます。それではお休みなさいませ」
瑠璃はそのまま一礼すると嬉々として階下のカプセルへと帰っていった。
突っ伏したS.Aikiを起したのは……大家の野洲武律のヤカン攻撃と罵声だった。
がごん
「うるさいねっ! 何時だと思ってんだっ! 今度、騒いだら家賃倍増だからねッ!」
今度はヤカンの衝撃で失神し、悪夢の狭間に漂うしかないS.Aikiであった。
その騒ぎのあった深夜にビルの谷間の喫茶店で老バーテンがカウンターの中の椅子に背筋を伸ばしたまま座り休んでいた。その前にはパソコン。電源は入って居ない用でモニターは何も映しては居なかった。が、突然、モニターが点灯し、何かの記号を映して……すぐに消えた。
「暗号……パターンE。……ふん。やはり、必要になったか。所在を確認しておいて良かった……な」
老バーテンは片目を開けて一瞬だけ映った記号を記憶し、記憶していた暗号解読法に従って解読した。そしてその信号を発した相手も理解した。
「……いつまでたっても、片手落ちだな。我がチーフ様は……」
やれやれと思いながらも身体の奥底から沸上る『ある感情』を楽しんでいた。
(悪くは無い。この衝動を感じたがために『現場』に身を置くのだ。ワタシは……そして、彼女も)
性と呼ぶべき衝動を楽しむ老いた狼が居た。
ゆっくりと牙を研澄ます狼が……
16.ふぁいとっ!(1)
「いってきまぁす」
にこやかに出掛ける瑠璃を眠たそうな眼で見送ったS.Aikiは思いっきり背伸びをした。
「ふぁぃっ〜とぉ。……なんか久々に背伸びをしたなぁ」
何やら景色が輝いて見えた。
「いい若いモンが何してんだい。えっ?」
背後からの一喝に一瞬で景色は色褪せた。
「あ……お、大家さん。何か用で?」
努めて愛想を振りまき振返るとそこに居るのはここ、シャトー野洲武神荘の大家、野洲武律。この老婆がS.Aikiは極めて苦手だった。
「何か用じゃないよ。今日は会社は休みかい? そんなんで家賃が払えるんかい? ん?」
「払えますよ。今日は会社から電話が在って、手の怪我が癒るまで出社しなくていいと連絡が……。あ、もちろん有給です。ちゃんと給料はでます……から? 大家さん。後ろの方は?」
老婆の後ろには筋骨隆々たる30代と思われる浅黒い男が立っていた。
「ん? ああ。これは甥っ子の多々田。大工をしてるんでね。アンタの部屋を直してやろうと思ってさ。あっと。もちろん、代金はアンタの部屋代に足しといてあげるから。さぁ、思いっきり奇麗に直しとくれ」
「おぅっ!」
ただ……呆然とS.Aikiはきびきび動く大工の動きを目で追いながら、老婆の言葉を頭の中で何度も思い出すしかなかった。
(……来月の家賃は……一体全体、幾らになるんだ)
答は……幾ら考えても出て来なかった。
「にいちゃん。随分と散らかしてんな。部屋中、端切れだらけだぜ。床全部腐ってから、取っかえるぜ。かなり昔から痛んでんな。あと天井と壁も全部、取っかえ時期だからやっとくぜ」
それは全面改装といわんのか? それ? その前に……取っかえ時期なら大家の責任だぞ。
だが……ただ大工の言葉を受流すS.Aikiは自分の姿をほくそ笑みながら眺める大家が居た事を気づきもしなかったのである。
瑠璃は幾つか電車を乗り継いで、目的の場所へと辿り着いていた。
(ここだ。……国際秘書検定AAA合格実績No.1と書いていた学校)
思わず、手にしたメモを握り締める。何故か木っ端に書かれていたメモは瑠璃の手の中で砕け散った。目の前には専門学校への扉。その扉に手をかけ……少し押して、瑠璃は急に悲しそうな顔になった。
「……やっぱり閉ってるぅ」
扉にかかっている札に「本日休校」の文字。休校日まで調べずに来た瑠璃の明らかな失敗であった。
「いいえ。失敗は成功の元。きっと、この近くに別な学校が……」
諺の正しい使い方と、同じ種類の専門学校が林立している事は有り得ないという世間の常識の二つを無視して瑠璃は辺りを見回し、今来た道を戻らずに別な道へと歩みを進めた。当然ながらそういう学校、看板は見当たらない。数時間、歩いた瑠璃は立止まると自分自身に気合を入れた。
「ふぁいっとぉっ! 私は絶対に完全無欠の秘書になるんだからっ!」
その言葉に驚き振返る人々の中に怪しげなサングラスの男がじっと雑踏の中に消えていく瑠璃を見つめていた。
その頃、うさは商店街へと向かう道を軽い足取りで歩いていた。
(ふふん。昨日、注文した帽子が今朝に届くなんて、ついてるわん。美味しい惣菜が造れる感じ。きっとみずみずしいお野菜と生きのいいお魚が買えるわん)
商店街に辿り着き、そそくさとあちこちの店を覗き歩く。端から端まで見歩いてから、うさは商店街の外れで立止まった。
(……ん。水分量などから推察するに一番新鮮なのは……検索完了。で、最適な料理の組合わせを……。決めたっ! あの店のあの鯵とあの浅葱とあの生姜で鯵のタタキ。味噌汁の具は……あのナメコとあの大根。もう一品の付合せで冷や奴。生姜も使回せるね。あ、余った生姜は醤油漬けにして、後で使おっと……。ん〜彩りが足りないな。んっ! あの人参を細く刻んでタタキと味噌汁と冷や奴にちょっとずつ乗せたら綺麗だよね。余った大根と人参を浅漬けにしたらH.Iderさんが帰って来るまでに漬かるかも。きゃあっ。私ってやりくり上手ぅ! でわ……)
「早速、買出しっとぉ!」
振向きざまに一目散に八百屋に駆けていく。
「ごめんくださいっ! その大根とあの人参とその生姜くださいっ!」
「おっ。元気いいねぇ。で、どの大根と人参と……」
「この生姜と……あのニン……ジ……ン」
うさが指差す人参は綺麗なカッパーブラウンのマニキュアをした指が拾上げられていた。
「あ……」
人参を持ち上げたのはブラウン・グラスのサングラスの美女。茶褐色のロングワンレングスの髪をもう片手でかき上げるとサングラスを外して、うさを見つめた。瞳の色もブラウンの美女は挑発するような口調でうさに尋ねた。
「アナタが欲しいのはこのキュロットかしら?」
「は、はいっ。それです。譲って頂けますか? あ……」
うさの言葉が途切れたのは美女の手の中で人参が砕け散ったから。
「あら、ごめんなさい。そうそう。それにこの大根が欲しいのよね?」
クスリと嘲笑して美女は大根を拾上げると……再び握り潰した。
「あ……あ……」
うさは涙目になりながら砕け散る大根の破片を見つめていた。
(御主人様の晩ご飯のお菜が……晩ご飯が……)
「あら。ごめんなさい。随分と柔らかい大根ねぇ。ひょっとして腐りかけているんじゃない?」
「なんだとぉっ!」
いきり立つ八百屋の傍らでうさの思考はある結論を迎えようとしていた。
(晩ご飯が作れない……御主人様がひもじい思いを……いや、このままでは……この状況をこのまま容認しては餓死してしまう。……餓死する?)
絶対に在り得ない結論を導きだし、その結論からうさはある行動を選択した。
「アナタを……アナタをテロリストと断定しますッ!」
びしっとうさに指差された美女はサングラスの下で不敵に笑った。
(ふぅん? 結構、鋭いじゃない)
いや、全然、鋭く無いのだが。
単なる勘違いというか、単に暴走した結論なのだが。しかし……取敢えず自身の目的に沿った展開に美女は次の言葉をうさに求めた。
「へぇ? アタシがテロリスト? どうしてテロリストと決めつけたのかしら? それにテロリストだったらどうするの?」
相手の言葉にうさは一瞬、戸惑った。が八百屋がうさの行動を決めた。
「きまってらぁ! アンタを叩きのめすんだよ。さぁ、お嬢ちゃん。この前みたいにささっと畳んじまってくれぃっ! くべっ!」
八百屋は後ろからハリ扇ではたかれた。
「何、情けない事、いってんだい。御免ね、お嬢ちゃん。そこのアンタ。さっさと代金弁償して消えとくれ」
奥から騒ぎを聞きつけて出て来たおかみさんに仕切られて騒ぎは収まりかけた。が……
「いやよ。テロリストと言われた以上、そこのお嬢さんに決めて貰うわ」
美女が指差したうさはまだ次の行動が決められずに美女を指差していた。
「さぁ? アタシをどうするの?」
長い指をクルクルと回しながら美女はうさに近づいていく。
うさは美女を指差しながら相手の犯罪を検索していた。
(え……っと。器物破損? ……営業妨害? ……テロリストってそんなのでよかったっけ? さっきは……)
先程、結論づけた推論を再検索して、うさは一気に言放った。
「器物損壊、営業妨害、御主人様への栄養搾取妨害、ついでに農家と運んだ人と八百屋の皆さんへの名誉毀損と、よい子の皆さんへの教育妨害であなたをテロリストと断定しますっ!」
「はぁ?」
一斉に惚ける見物人達と美女。美しきテロリストは気を取り直して睨みつけた。
「だ・か・らっ! アタシをどうしたいの?」
「え?」
うさは辺りを見回して状況を再確認した。
「あ゛、ごめんさい。テロリストと結論づけた理由を再確認してました」
ぺこりと頭を下げるうさに美女はやれやれと両肩を上げて呆れるしかなかった。
「アナタがアタシをテロリストと結論づけたのは判ったわよ。で、どうするの?」
自分の目的に沿った展開をうさに促したが、うさは口に手を当ててまた何か考え込んでいる。
(……見込み違いかしらね?)
美女が諦めようとした時、うさがやっと顔を上げて美女を再び指差した。
「総ての罪状合せても罰金刑にしかなりません。アナタが罪を認めるのなら……」
「認めないわよ」
髪を掻き上げながら、美女は大袈裟な手振りで自分の無実を不敵に言い放つ。
「取って上げようとしたベジタブルが腐ってて崩れたというのに何でアタシが犯罪者呼ばわりされるのよ? 冤罪じゃない?」
相手の言葉にうさは再び手を口に当てて考え込んだ。
(え〜〜と。この場で決着するには……)
決着方法を検索し始めたうさに美女は苛ついて先を促した。
「さぁ? どうすんの?」
「きゃいっ! う、腕相撲で……」
いきなり眼前で睨みつけられたうさはその時に参照していた方法を思わず口に出した。
「腕相撲? ……ま、いいわ。それで決めましょ」
溜め息をつく美女の思いを他所に八百屋の亭主達が分厚い桧の俎板を蜜柑箱などを積上げた上に置いて戦いの場として造り上げた。
「それでわっ! 正義の美少女……あ、御名前は?」
「う……兎です」
思わず偽名(?)を言ったのはH.Ider氏に止められていたのを想い出したから。
(あぶない。あぶない。思わず言ってしまう所だった)
まったく偽名になっていないにも拘らず、うさは安堵の溜め息をついた。
「正義の美少女、うさぎちゃん対悪の美女……あの御名前は?」
美女も溜め息……後悔の溜め息をつきながら言放った。
「名前なんてどうでもいいでしょっ! さっさと始めなさいっ!」
「わ、わかった。え〜(髪が茶髪だから……)悪の美女、ブラウン(仮名)の腕相撲対決っ! 用意〜っ。始めッ!」
八百屋の亭主の合図にうさは腕のアクチュエーターの出力を上げた。……ゆっくりと。
(いくらなんでも人間相手じゃ出力は1/10程度で……え?)
うさの予想に反して相手の力は強い。
(え? ……こんなの人間の力じゃ……。どして?)
意に反して、互いの腕はぴくりとも動かない。うさの出力に応じて美女の力も上がっていく。
(へぇ? 完全人間型アンドロイドにしてはしっかりとしたフレームね。てっきり、カーボン・プラスチックなんかの軽量フレームだと思ったのに……L.L.と同じチタンフレームと言う訳ね)
不敵な余裕の笑みを浮かべる美女にうさは意を決してアクチュエーターの出力を上げた。
(出力全開……最大出力まで75%……78%……82%……)
相手の出力も上がっていくのが判る。二人の力に耐える俎板が軋み始める。そして……決着の時は破戒音と共に訪れた。
べき……ばきぃぃぃぃん!
二人の力に堪え兼ねて分厚い桧の俎板が折れ、砕け散った。
「おぉぉっ!」
響めく観客達。それは二人の腕が空中でまだ戦っていたからだった。
「ふん……。なかなかやるわね」
「そ、そちらこそ……」
必死の形相のうさを見て、美女は急に優しい顔となって微笑んだ。そして……
「……わかった。アタシが悪かったわ」
あっさりと自分の非を認めたのである。
「えっ!?」
驚く観客とうさ。握った手を放して美女は肘のあたりをさすりながら美女は胸元から数枚の紙幣を八百屋に渡した。
「これで足りるかしら? 余った分はあのお嬢ちゃんの買物の足しにして」
ゆっくりと立ち去る美女をうさは呆然と見送った。
(あの人……あの手の感触……機械? うぅん……サイボーグ?)
立ち去る美女、ガーネット・クィーンは腕の不調を確認していた。
(くっ……台座の破壊衝撃振動で負荷がかかっていた肘関節の回転ヒンジが損傷するとは……計算以上の負荷がかかる……少なくとも強度を大幅にあげないと奴等とは戦えない)
口惜しさに口端を歪ませ、凄艶な顔を振り返さずに。
「そうか……あの人、義手をつけてたんだ。何かの事故で腕を無くしちゃったのかな? ……悪い事しちゃったな……」
周りの歓喜を他所にうさは一人、相手の事を心配していた。
これはニフティのSFフォーラム内にあった「マッドSF噴飯高座」より派生した拙作です。
宜しかったら、投票、感想など戴けると有り難いです。