本編 4 〜狂乱の日々 4 〜
対テロ用アンドロイドが秘書となるために来た。
7.コスチューム狂想曲
「つまり、日常的なメンテナンスとしては衣服と化粧品関係か?」
「はい。でも、化粧品はせいぜい口紅とかファンデーションとかで……洗顔料とかは必要ありません。爪とかは交換式ですからマニキュアは外して塗る事で使えます」
確かに石鹸なんかは瑠璃の皮膚である防弾シリコンを変質させるかも知れな
い。しかし、皮膚以外の部品……爪や歯、眼球などは交換可能だという。
(……眼球の交換時には立会いたく無いな)
「何か?」
「あ……いや。で、髪の毛とかは? 交換できるのか?」
S.Aikiの質問に瑠璃は悲しそうな顔をして、顔を伏せてしまった。
「……交換できません。頭蓋殻フレームに直付けされてますから……この髪の毛は放熱器なんです。あまり弄れません。悲しいです」
軽くウェーヴのかかった長き黒髪。腰のあたりまで伸びているのは、それだけ瑠璃の必要放熱量が大きい事を物語っている。すらりと長い指で髪を一束つまんで悲しげに見ている。その瑠璃の感情表現をS.Aikiは訝った。
「なんで?」
「だって、折角、御主人様に『瑠璃』という古式ゆかしい御名前を頂きましたのに、こんな西洋風の出で立ちでは……名に負けます」
確かに、今の瑠璃の見た目……装いは、少女漫画か、少女歌劇の男性役あたりが似合いそうでは在る。
「そんなに思い込まんでも……ひっ!」
S.Aikiの言葉を聞いた瑠璃はいきなり胸元を掴み寄せて、真剣な眼差しで睨みつけながら低い声で説明を続けた。
「だって、プロトタイプの名前は光演算CPUの外観からLapis Lazuliと名付けられましたし、ラミアさん達の名前はRunning for Multi-Aria Androidの略なんですよ? 名は体を顕すんです。そうでなければ、名に負けてしまいます。違いますか?」
「あ゛……いえ。そのとおりです。そのとおりですが……」
Lapis Lazuliと出会った展示会で配られたパンフレットには宣伝文句としてそう書いてあった事を思い出しながらもS.Aikiは周りを見渡して小声で瑠璃に懇願した。
「……ここで力説するほどの話題では無いから、後にしない?」
瑠璃はS.Aikiの目線を負って周りを見渡した。ここはバスの中、駅前のショッピングセンターへ行こうと乗った公営バスの乗客は瑠璃とS.Aikiの風変わりな会話に耳を大きくして聞いている。ちらちらと見る眼が物語っているのは……
(……絶対、誤解されているよな)
『御主人様』という単語や自分自身の風貌と瑠璃の装い。……前日の料理の素材を採る為に汚れてしまったスーツジャケットの替りを買う為に出掛けて来たのだが、その場しのぎとして貸した自分のスーツがいかにも不釣合い過ぎる。第一、丈が全く合っていない。つんつるてんを絵に描いたよう……だが、そういうファッションだと……見えるセンスがあったとしたらそれは時代の最先端か最後端だろう。
(見れば見るほど……男装の麗人の役が似合いそうだな)
故に、たぶん周囲は……どう考えているのかは判らないが、真面な関係には見られてはいないだろう。
(出勤前のどこぞのバーのホステスと貢がされている客……といったところか。でなければ……宝くじでも当てた男が愛人を金の力で無理矢理作ったというアタリか……)
「どうして私達は見られているのでしょう?」
自分自身がどう見られているのか、瑠璃はまだ自覚していないらしい。小声で問う瑠璃にS.Aikiは正直に応えようかとも考えたが、無難にはぐらかした。
「瑠璃が珍しいんだよ」
「私が?」
「……ロボットは見慣れていても、アンドロイドは珍しいからな」
「そうですか?」
考えて見れば、瑠璃はこの世で行動し始めたのはほんの数日前。世間の常識やら、風潮というのは知らないに等しいだろう。
「ま、暫くは静かに……な」
「はい。了解しました」
S.Aikiと瑠璃が沈黙すると同時に、周囲の小声が聞えて来る。
(『アンドロイド』だって)
(やっぱり愛人よ)
耳年増らしいオバサン達の声。たぶんTVあたりの業界用語かドラマあたりから仕入れた知識をフル回転させているのだろう。誤解されているのは重々承知している。だが、この場の全員に釈明したところで、何の役にも立たない。誤解され続けるだけだろう。こんなにも人間と見間違う程のアンドロイドはまだ……ニュースの中に出ているだけなのだから。
それに……自分自身の風貌が周囲にいかに見られているかということに関しては自信のあるS.Aikiは自嘲気味に溜め息を一つついて窓の外を見た。
高架下を抜ける時に窓に映る自分の顔とその自分の横顔を楽しげに見つめている瑠璃の顔が映る。
(ま……一人で居るよりは楽しいかな?)
今までは灰色に見えた町並みに瑠璃という色が彩られている事を感じながらS.Aikiはこの時と景色を味わっていた。バスが到着する瞬間まで。
「あ、御主人様。到着しました。早く行きましょう!」
「えっ。(ガギン)ぎゃあっ!」
勢いよくバスから降りようとする瑠璃に片腕を勢いよく引っ張られて、車中の柱に頭を思いっきりぶつけ……気絶するS.Aikiであった。
しかし、よく生きてるな。コイツ。
「いらっしゃいま……せ? ひぃぃぃ!」
ショッピングセンターの売り子達は長身の美女がズタボロになった男を引きずり歩くのを見て挨拶もそこそこに皆引いていく。そんな事を全く気にもせずに瑠璃はS.Aikiを引きずり、婦人服売り場に到着して歓喜の声を上げた。
「こんなにも素敵な服がっ! 御主人様っ。どれを買って頂けるんですか? ……御主人様? 昼寝ですか?」
足元でぼろぼろになったS.Aikiを寂しげに見つめ……ポンポンと(瑠璃レベルで)軽く叩いた。鈍い音が響き……暫くしてからS.Aikiは咽せながら叫んだ。
「げぼっ。お、思いっきり叩くなっ! げほっ。呼吸困難に為るだろがっあ!」
「でも、その前は止まってましたよ?」
つまり……蘇生したという事だろうか?
「……う。悪かった。……あれ?」
呼吸が停止した理由は……改めて記述するまでもなく瑠璃が原因なのだが、それに気付く前に瑠璃の歓声に疑問は吹飛ばされた。
「きゃあっ。これってサイドスリットなのですね。セクシービームですわっ! えっ!? こっちはバックスリット? あら、これはフロントスリットですわっ! 拡散せくしぃビーム砲ですねっ!」
スカートだけでこうである。一揃いを選び終わるまでに何時間かかるのだろうか? いや、その前に比喩が極めて特異な語彙で語られているのは……ま、瑠璃のはしゃぎ振りの恥ずかしさからすれば大した問題では無い……のか?
「はぁ……。あ、すみません」
S.Aikiは完全に引いて遠巻きに不思議な生き物を見るような目で眺めていた売り子を呼んで、頼んだ。
「すまないが、服を一揃い揃えたい。彼女に合うサイズの物を選んでくれないか?」
「は? はぁ、承りました」
「瑠璃。こっち来て。この人にサイズを測って貰え」
「はいっ!」
目の前で直立不動で立つ瑠璃に売り子は申し分けなさそうに(疑問符を飾りたてながら)願い出た。
「すみませんが……お客様。両手を挙げて頂かないとサイズが計れません」
「了ぉ解っ!」
瑠璃は勢いよく両腕を水平に伸ばし……ついでながらS.Aikiの顔面にチョッ
プを食らわせ、通路に転げさせて……
「うぅ〜〜。何でこんな目に……」
「すみませんが、お客様……」
売り子がすまなさそうに鼻血を手で抑え立上りかけたS.Aikiに声をかけた。極めて小さな声で。
「なんでしょ?」
「お連れの方のサイズなんですが……」
「はい?」
「……ここにはありません」
「はひ?」
見れば採寸が終った瑠璃は嬉しそうにあちこちを見て歩いている。もし……この場で服が買えないと判ったら……ここに来るまでに自分の身に起った事を考えるとS.Aikiは自分の社会的信用と自分の身の安全と明日まで生きているかどうかに自信が持てなくなっていた。
「な……無いんですか?」
「ええ。御計りしました処、スリーサイズが100、65、90と言うと……マネキンでも滅多にありません。ちなみにブラのサイズは75G、服のサイズは……AT体の上が19号、下が15号あたり。……総てオートクチュール、つまり御仕立て頂くか、既製品ですと輸入物か、それなりのお店でないと……」
売り子が小声で洗いざらいS.Aikiに告げるのは……瑠璃のはしゃぎ振りとここに来た時のS.Aikiの有り様から普段の処遇を推量ってのことだろう。
……単にはしゃぎ過ぎる瑠璃に真実を告げる自信が無いからかも知れないが。
「それなりの店とは?」
「俗に言うクィーンサイズとかトールサイズ専門店です」
「……それは何処に?」
「私ではちょっと……あ、暫くお待ち下さい」
売り子はレジ横の内線電話で何かを告げると……店内放送が響き渡った。
「碧石市からお越しの御階堂様。御友人が婦人服売り場で……」
「なんで不機嫌なんだ?」
尋ねるS.Aikiを睨みつけながら瑠璃は小声で言い返した。
「……それは御主人様が」
「オレが?」
「あの人を見つめていたからです」
「はぁ?」
瑠璃が言っているのは放送で呼ばれて来た御階堂という売り子の事だろう。実際、彼女は長身痩躯でありながら出るべきところは出、くびれるところはしっかりとくびれているというファッションモデルか女優かと見紛うばかりのプロポーション。それが野暮ったい売り子の制服の上からでも判ると言う最終兵器のような容姿の持主だった。
その売り子から彼女が身につけている洋服の購入先を聞いて、その店……名の知れた高級デパートのある街へと移動する電車の車中。不釣り合いな二人の会話に乗合わせている他の乗客達が耳をそばだてているのは……バスと同じ状況である。いや、乗客の数が多いだけS.Aikiにとっては都合が悪いといえた。
「……鼻の下を伸ばして」
「いや……あの……」
「あぁっ! 否定なさらないという事はやっぱり間違い無かったのですねっ」
瑠璃は両手で顔を隠すと何やら呟き始めた。
「やっぱり、私はいずれ捨てられるのですね。御主人様が他の人と相思相愛になったらお払い箱ですもの」
「いや……そんなことは……」
瑠璃が言う状態が発生する確率は限りなく0に近いことは自分自身としてしっかり認識しているが故に即座には何をどう言っていいのかわからないS.Aikiであった。それに……誰かと恋愛、さらには結婚に到ったとしてもそれが瑠璃を捨てる理由になるとは思えない。
「私と同じ容姿の方が居る以上……いずれそうなります。私が御側に居る理由は第一に容姿ですもの。御主人様の好みの容姿に造られましたのに……。要らなくなったらライフルで撃たれて捨てられるのですわ。誰も来ない暗い場所で」
「な、なんのことだ?」
瑠璃の言う事態になる事だけは絶対にない。ライフルなんぞ持ったことはおろか、見た事もない。いわれのない言葉にただただ戸惑うS.Aiki。さらに……瑠璃の言葉を盗み聞きした乗客達が一瞬引いた後、ざわつき始めたのがS.Aikiを焦らせていく。
(なんだ? あんな美女を捨てるのか?)
(殺すらしいぞ?)
(その割にはあの美女も逃げないな)
(洗脳でもしてんじゃないか? 整形させたらしいし)
(整形? そうか、それであの容姿……)
(そういや、核兵器のようなプロポーションだものな)
(あの胸は絶対シリコンだな)
(顔にも入れてんじゃないか?)
確かに……瑠璃の胸の中身は半凝固体シリコン記憶素子だから、シリコンであることは事実である。それどころか、皮膚はシリコン防弾材だから全身総てシリコンである。……いや、今、気にすべきはそういうことでは無い。
(しかし……あんな男の何処がいいんだ?)
(しかも、捨てようとしているんだぜ? 勿体ない)
(いずれ酷い目に遭うさ)
既に……数回も酷い目に遭っていることを知らない者達は気楽である。しかも……そういう野次馬達に囲まれて白い目で見られているというこの状況もかなり『酷い目』であることに間違いは無い。
「えー。あぁぁっと。んー。兎に角、瑠璃、泣くな。オマエはオレの完全無欠の秘書だ。何がどうあろうと捨てたりはしない。約束する」
取敢えず、その場を取繕うと周囲を気にしながら思いつくまま、口先任せで言ったS.Aikiの言葉に瑠璃は満面の笑顔で問い直した。
「約束して頂けるのですね」
「約束する。絶対に捨てないっ!」
ただ……単に瑠璃との会話を切り上げたい一心でS.Aikiは言い切った。
「ありがとうございますっ。私は秘書のアンドロイドとしてこの身が壊れるその時まで御側に居ますっ!」
立上って宣言する瑠璃の言葉を……当然の如く、周囲は勘違いして納得した。
(やっぱり……愛人だ)
「はぁ……」
S.Aikiはただ頭を抱えて溜め息を思いっきり深く吐くことしかできなかった。
「あ、御主人様っ。駅に着いたようですよ。早く行きましょっ!」
そして……再び電車の鉄柱に頭をぶつけて昏倒するS.Aikiを力任せに引きずる瑠璃の後姿を乗客達は呆気にとられて見送っていた。
……その駅で降りる事を忘れた者達が気を取り戻したのは、電車が駅を出た後だった。
「……それではお連れの方の御召物を?」
「あ、……あ。ひ、一揃い……似合うヤツを頼む」
例によってぼろぼろになり床に転がるS.Aikiから注文を受けた売り子はきょろきょろと服やアクセサリーを眺める瑠璃に声をかけた。
「お嬢様。お連れ様より、御召物を御選び致しますよう承った猫弐と申します。宜しくお願いします。で、お嬢様はどの様な物が御好みでしょうか?」
腰低く尋ねる売り子に瑠璃は高らかに言い放った。ポーズまでつけて。
「御主人様が望む物を希望致します」
「はぁ?」
瑠璃はS.Aikiを抱え起すと……ぐだっとしている首筋に数発、手刀を叩き入れ、気合いを入れる。とS.Aikiは生命の危機を感じたせいか、しゃきっと立上った。
「御主人様。何を買って頂けます?」
「な……何でも……いいから、サイズに……合うのを……全部……み……て……」
言葉を総て言い切る前に不覚にもS.Aikiは再び気絶してしまった。無論、最後の『見て』に続く言葉は『一揃い』だったのだが……瑠璃の耳には聞えなかったのである。……たぶん。
S.Aikiが目を覚ましたのは、なんか乗り心地のいい車の中。
見れば瑠璃が傍らでやたらに浮かれている。前の席には白手袋の運転手と無闇に姿勢のいい……初老の紳士?
(誰だ? これはなんだ?)
いまだぼおっとする意識の中でS.Aikiは今日の出来事を想い出していた。
(服を買いに行って……電車で街に行って……瑠璃に引き摺られて……)
どう考えても、この場に居る必然性を想い出せない。
「……あんたら誰? ここは何処だ? なんで此処に居る?」
「御気付きになられましたか」
初老の男がゆっくりと振向いて一礼してから応えた。
「当、南々武デパート始まって以来のお買い上げ。ありがとうございます。お連れ様に合う御召物は後ろの車に積んであります。この車はほんの感謝の証です。お粗末ながら御屋敷までお送りさせて頂いております」
「はぁ?」
いまだ合点が行かないS.Aikiの首を瑠璃がやさしく(あくまで瑠璃レベルで)掴んで後ろを向かせた。
ぐぎ……とS.Aikiの首は鈍い音をたてた。……その音は運命に抗おうとするS.Aikiのささやかな抵抗だったのかも知れない。
「ほら。御主人様が買ってくださいました着物はあのトラックに積んでいます。こんなに買って頂けるなんて瑠璃は幸せ者ですわん」
首の痛みに悲鳴を上げる事ができない。いや、その視界にあるモノがS.Aikiの言語回路を麻痺させていた。
後ろに居たのは……大型トラックが数台。積載量は宅配というレベルでは無い。問屋か倉庫への配送レベル……である。
「いやいや。これほど御買い上げ頂くとは……黄金のバブル時代にも無かった事です。失礼ながら……宝くじにでも御当選になりましたか? 私も少々買ってはおりますが……」
初老の紳士……いや、たぶんあのデパートの部長か誰かの言葉を遠くに聞きながらS.Aikiは再び気が遠くなっていった。
(……貯金が……無くなる。たぶん……間違いなく)
「御主人様? またお昼寝ですか?」
これはニフティのSFフォーラム内にあった「マッドSF噴飯高座」より派生した拙作です。
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