Prolog 14
対テロ用アンドロイド Lapis Lazuliの戦い
「まぁ…な。だが、映写機が壊れたら映像は消えるしかないだろ? 例え、永遠に存在し続ける映画館の支配人でもな……」
二人並んで砂漠の彼方の黒煙を見つめた。
SNOW WHITEの声が二人の静寂を小さく破った。
「……すまなかったな」
「何の話かね?」
老研究者は囁くような穏やかな声で応える。
「……寿命を伸ばしに来ていたとはな。てっきりこの世界で実験するつもりかと……」
「気にするな。150年±100年を250年±240年程度にしただけじゃよ。礼には及ばん」
ぴくっとSNOW WHITEの蟀谷が震えた。
「……時間軸的には危なくなったような気もするが?」
「時系列順から考えるとな。だが、問題は時間軸ではあるまい? 前にも言っている筈じゃ。確かに過ぎた事象の確率は……起こる前には1/無限大でも起きてしまえば1/1。100パーセントじゃよ。どんなにあり得ない確率でもな。だが、未来における瞬間瞬間の生起確率は……特にこの世界の住民達にはできるだけ小さいほうがよかろう?」
不可解な会話が途切れ、再び二人の間にだけ静寂が訪れた。
「それが『歪み』の解消……来た理由か? アイツの端末機を破壊されるままにしたのも……解消する為か?」
「因果律を元に戻すには何らかの代償が必要じゃ。『歪み』には歪みの解消、系外からの因果律の侵入には因果律の解消……いや、破壊といった方が早いかの? そう。侵入してしまった歪みを歪みで相殺する事も可能じゃが侵入すらしていないモノがもたらす歪み……虚数次元の影響下における因果律の実数展開を解消する為には何らかの根本的な因果律の非虚数的分解……この世界で言う所の『犠牲』が必要じゃ。無論、既に関与できうる事象はない。する必要もなかろう? だが、歪んだ因果律を解消する許容量も大幅に越えている以上は、簡単にいえば不条理を条理として戻す為にはな。……結局はだ、御主の因果律の破壊もまたこの世界の因果律を保持する為ならば、ワシらもまた自ら持込んだ歪みと因果律を自ら解消せねば礼儀に反するじゃろう? いや礼儀という非線形的な条理公式を実践せんでも、あの………この世界に侵入した歪みの中の真たる歪みを……あの忌まわしい因果律の残滓、あの無限にわたる実験が産み出した真に虚無たる影の存在を消……」
混沌とした説明をSNOW WHITEが止めた。
「あ・の・な・あぁぁっ! 相変わらず廻りくどくて要領を得ない話し方だなっ! アイツの……簡単にいえば真理と虚無と混沌と秩序の理論的相関公式の多次元展開における虚数存在の実体化の可能性に伴う無次元化での実数の虚数変化の影響の解消方法と実践の解説だろうがっ! この際、はっきり言うがなっ! 聞き飽きたぞっ! それにだっ! どうしてそう……」
どどぉおぉぉん
静かだが滔々と続く老研究者の声と雪だるまの罵声を砂漠の向うから響く爆音が途切れさせた。
「……話は変るが。……ここの世界の御主はどうかね?」
「ここの世界のオマエはシンプルだ。感動的なまでにな」
再び小さな爆音と共に黒煙が立上る。二人は黙ったまま煙が空に昇るのを見つめた。
「そりゃ……御主に……似ないで何より……じゃ」
う゛ぅん。
不意に老研究者の姿がブレた。
「オマエの御節介な性格にも似ないで良かったよ」
姿がブレた事を気にも止めずにSNOW WHITEは毒舌を返す。
「……そろそろ、映像が消えるじ……時間がき……来たようじゃ」
「さっさと消えてくれ。ああ、その前に……」
SNOW WHITEは何処からか葉巻を取出して口に咥えた。
ちゃり…… しゅぱ…… ……きん
程よくメッキが剥げたメタルのライターで重厚な煙を薫らせた。
「……キツいヤツを一発頼む」
「判って……お……る。い……く……ぞ」
老研究者はブレる姿のまま銀白色のチタン製ピコピコハンマーをゆっくりと振りかぶると勢いよくアッパースイングで振り上げた。
「さらばっ!」
「時空の狭間で永遠に眺めてろぉぉぉぉぉぉ…………」
ハンマーに打ち飛ばされて黒煙方向の上空に消えていくSNOW WHITEを見送ったのは……からん、と砂漠に転がったチタン製ピコピコハンマーだけ。
老研究者の姿は……打ち下ろしたハンマーの風と共に消えていた。
46.生温い戦場
「早く……早く次の機体をもってこいっ!」
会場……いや、テントのあった位置を挟んでテロリストと交戦しているのはコンペに予備機として持込まれたアンドロイド達。つまりは対テロ用アンドロイドや警備用アンドロイドと銘打ったデチューンされた元軍事用ロボット達だが予め準備していたならば兎も角、十分な装備をする時間も無く、起動と同時に戦闘状態となるこの場では何の役にも立たず、ただの動く標的にしかならなかった。ましてや敵との間に逃げ惑う人々が居る状況下ではろくな攻撃もできない。ロボット三原則の順守が起動直後のアンドロイド達の動きをさらに緩慢なモノとし新鋭のアンドロイドをスクラップへと変えていく。
幾多の機体が鉄屑となり、人々はその影に脅え隠れるしかなかった。
「……妙だな?」
ガンアームの操作室の中でテロリストの一人が呟くともなく言葉を吐出した。
「何の話だぁ? 仕事中に気を逸らしてんじゃねぇっ!」
インカムを通じて仲間が叫ぶ。
「変だぞ? 誰も死んでねぇ……」
「あぁん? これだけ弾を撃ちあっているんだ。そんな訳は……」
言いかけた男はスコープを通じて映しだされる敵を凝視しながらも周囲の状況に視野を広げ死体を探した。が、確かに目指す物体は転がってはいない。
「……死んでねぇな?」
「だろ?」
不思議がる二人が乗っているガンアーム……いや、総ての旧式の軍事ロボットの底に……子供が描いた様な落書が在るとは誰一人として知らなかった。
「……まぁ、いい。それよりそろそろ煙を薫こう……ぜ?」
男が次の手順に入ろうとした時、目の前の相手からの砲撃が途切れた。
「……弾切れかぁ? いや、ロボット切れかぁあ? ははっ他愛も無……」
「いや……後ろからお客さんだ」
「後ろから『客』だとぉ?」
お客さん。仲間同士の隠語で援軍。十分予想してはいたが背後からとは思いも寄らなかった。
(あの腰抜け警備兵じゃあるまいな? ……だとしたら退屈過ぎる)
男が信じられずに背後を映す小さなモニターに視線を移すと砂丘の向こうから何やら砂埃の塊がこちらに向かってくる。
「何だぁ?」
砂煙の正体を確認したテロリストは一瞬の驚きの後、にやりと笑った。
47.歓声
その砂埃に最初に気付いたのは逃げ惑っていた技術者……対テロ用アンドロイド・コンペに作品を送り込み……既にあっさりと落選が確定していた機種の技術者だった。彼は相手、ガンアームの弱点を見つけ出そうと双眼鏡を取出し注視していた。しかし、如何せん旧式ながらも純粋な軍事用ロボット。彼自身が護身用にもっていた22口径拳銃では致命傷になりそうな弱点が在るはずもない。それでも技術者根性で観察せずには居られなかった。
(せめて……通信アンテナか視覚センサーぐらいは……ん?)
ガンアームの背面あたりから飛び出ているであろうアンテナを探していた時、背後の砂漠に何やら動くモノを見つけたのである。
「……あれは?」
双眼鏡の焦点をその動くモノに合わせて確認した技術者は思わずその者の名を呟いた。
「なに?」
技術者の声に反応したのはガンアームに抵抗しようとしていた他の技術者達。手にしていた武器を思わず放り出し、近くの双眼鏡や単眼鏡……自分の機体の活躍を見ようと準備していた総ての望遠鏡を取出し、指摘された方向の砂埃を……いや、砂埃を上げている者の姿を確認して叫ぶようにその者の名を口にした。
そしてその名を聞いた観客達もまた姿を見ようと隠れていた物陰から身を乗り出して、彼方の砂漠を注視した。
そして……口々にその名を声に出し……やがて歓声へと変っていった。
Lapis Lazuli
ほんの数刻前には憎悪の対象でさえあったその名を今は希望の対象として歓声と共に全員が叫んでいた。
48.待受ける凶弾
「……仕留め損なったか? ふん。そうでなければ面白く無い」
3人のテロリストはそれぞれの機体の中でモニターの中を拡大表示して接近する相手の姿を、情報を認識し行動範囲を分析して応戦態勢を整えていた。
「準備完了!」
「さぁ、忌々しい歓声を喜ばしい悲鳴に変えてやろうぜぇ!」
後方に位置していた4体のガンアームの体勢を砂漠……Lapis Lazuliが来る方向へと変えて、25mmバルカン砲と45mmロケット砲の砲口を……何故かジェットボードへと姿を換えたスーツケースの上に居るLapis Lazuliへと向けてロックする。無論、弾丸の散布界も考慮して予想される範囲に4体の砲撃方向を微妙にずらして……
「……ファイヤー!」
男の指示と共に4体のガンアームの両腕に装備されている25mmバルカン砲と45mmロケット砲が火を噴き、撃ち放たれた弾は正確にLapis Lazuliへと超音速のスピードで向かっていった。
爆発音。捲き上がる砂煙と爆煙。飛び散る破片。
そして観客達の歓声は悲鳴へと変った。
49.感情の所在
ガンアームが砲撃する数分前……
砂漠の上を低く飛んでいくスーツケースの上でLapis Lazuliはわくわくしていた。
理由?
何故かは判らないがまるで遊びに出かける子供のようにわくわくしていた。
(たぶん……結果が判るからだよね?)
自問自答する自分の感情。アンドロイドでありながら持ち始めた……いや、対テロ用アンドロイドだからこそ持つ事が決まっていた『機能』。
それは余りにも高性能な演算装置と過剰ともいえる記憶容量、未来を予測する的確な演算ロジック、そして予測演算結果の成否を判断する機能、予測しえなかった事態の影響を瞬時に判断する機能。さらには敵と自分と味方を認識する為の自我の認識。総ての機能の集大成。それが『感情』という機能。いやシステムなのだと。
予測した結果が自分若しくは味方にとって良ければ、「喜悦(喜び)」
その良い予測どおりに実現したら、 「悦楽(楽しい)」
予測した結果が自分若しくは味方にとって悪ければ、「畏怖(恐れ)」
その悪い予測どおりに実現してしまったら、 「諦念(諦め)」
予測した結果が良くても実際には悪い結果となれば、「悲哀(悲しい)」
予測した結果が悪くても実際には良い結果となれば、「歓喜(嬉しい)」
もっと、もっと色々なパターンがある。違う表現もある。相手に伝える為に表情を変える事も有り得る。
総てのパターンと表現を産み出すシステム。
それが感情。周囲に合わせるのでは無い自発的な感情。
アンドロイドやロボットには決して備わる事のないとされた機能。
(……出会えてよかった)
自分自身と同じ……いや遥かに上まわる凄まじい演算機能を持つアンドロイド、ラプラス・バタフライと出会えて、話が出来た事を心から感動していた。そして、これから起こる事の全てを……正確には、ほとんどの事を予測している自分。
結果が当たっても外れても全ては予測できうる範囲内での事。いや、範囲内に納めるために最悪と最善の間を予測し続ける。後は予測した結果の生起確率を演算し、最も起こりうる事態から評価し、対処していく。
対テロ用アンドロイドとして敵の挙動を予測し対応するが為のシステムが感情を産み出した。
(大丈夫。わたしはガンアームに立向かえる。生き残れる。いや生き残るんだ。そして帰るんだ。……マスターと軍曹さんの元へ)
その結論をもたらすシステムが感情。その結論が自分にとって望ましいからこそ嬉しく、その結論に向けて行動するからこそわくわくしている。
(よぉし! 気合い入れるぞっ!)
今は両手に握り締める60口径拳銃の重さも心地よい。
弾倉に入っている弾の威力。発射がもたらす反動。相手の行動予測。全ては予測した範囲に収まっている……筈。
そう。……未来は確定していない。揺らぎが予測を越える事もあるだろう。
(そうか! 未来が確定していないから……未来が判らないからこそ感情が存在するんだ!)
記憶の中のラプラス・バタフライの表情の理由。人間達にとって無表情、でもLapis Lazuliには笑って見える理由が判ったような気がした。
最後の砂丘を越えた時、敵達の砲口から噴出す炎がLapis Lazuliに向けて襲いかかる。
ガンアームの一斉射撃。……予想どおり左右に逃げ場のない散布界を持った敵の攻撃にLapis Lazuliはくすりと笑った。
(……手慣れた攻撃ね。でも、それじゃ私を破壊できない。……させないっ!)
Lapis Lazuliの笑いは……予測に対する不安の顕れでもあった。
(いくわよっ!)
確率と予測の嵐空の中へとlapis Lazuliは静かに踏み出した。
50.プレゼント
足元のスイッチを爪先で踏込む。スーツケースの蓋が吹飛び、コイルバネの先にべろりと舌を出した大きな球形の顔……サーカスのクラウン、ピエロの顔がびっくり箱の仕掛けそのままに飛出した。
ガンアーム達の砲弾はピエロの顔を飛出させたコイルバネを破壊し、四散する。蓋を吹飛ばしたスーツケースは砂漠の砂の上を跳ね転がり、半壊しながらも保持していた運動ベクトルゆえに先頭のガンアームの下へと転がっていった。
Lapis Lazuliは何処に?
吹飛んだ蓋とジェット・ボードがもたらしたベクトルは蓋とLapis Lazuliの身体を放物線を描かせながらガンアームの上空へと運んでいく。びっくり箱のバネの威力がLapis Lazuliを砲弾の散布界の死角、上空へと弾き出したのである。
Lapis Lazuliは蓋の上から眼下の敵の弱点にゆっくりと狙いを定めていた。既にジェノサイド・モード時の行動ログの再構築は終了し、敵の弱点は既知の物。
(幾つかある貴方達の弱点は地下道の戦いで確認済。特に上からの攻撃、その不格好な身体と駆動部との接合部。そこは硝子のように脆い!)
ガンアームは対地上戦を想定して造られた機体。上空からの攻撃には弱かった。しかも、ほぼ垂直からでなければ狙えない箇所、エンジン格納部と回転することを前提としている身体との接合部は廃熱等の関係から最も装甲が薄かった。
「はぁっ!」
気合いと共に降下し始めた身体のベクトルをも叩きつけるように60口径マグナム弾を3連射で打出す。反動がLapis Lazuliの身体を激しく回転させるが、回転に合わせて銃の位置と向きを素早く変えて正確に同じポイントを射撃する。3つの弾丸は正確にウィーク・ポイントに立続けに命中し、ガンアームが装備していた弾薬と燃料に火を点けて爆発させた。噴出す爆煙と衝撃波が観客達の悲鳴を引き出していく。
(え?)
拳銃の反動で回転しながらLapis Lazuliは下の爆発の仕方に違和感を憶えた。眼下の爆発とは別に数体のガンアームが宙に放り出されていく。
(あれは? ……あの『びっくり箱』の仕掛け?)
白くふわりとしたモノがガンアームの下で爆発的に膨張し、数体……3体ほどのガンアームを持ち上げ、地上へと叩きつける。重い分厚い装甲が自らの身を破壊する力となって粉々に破壊し、弾薬と燃料を誘爆させた。爆炎の中で燃えつきていく白い風船のようなオバケ人形。
(『吃驚して動けなくなる』ってこの事なのか……)
これはニフティのSFフォーラム内にあった「マッドSF噴飯高座」より派生した拙作です。
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