Prolog 13
対テロ用アンドロイド Lapis Lazuliの戦い
耳に手を当てて外部状況を確認すると耳の中に何かが詰まっている。内蔵センサーからの報告では聴覚センサー自体には異常は無い。耳と髪に飾られたイヤリングとバレッタの光回析レーダーも表面がクリームに被われたせいか機能していなかった。
「耳の中に何か詰まって……さっきのクリーム?」
「(大当たりィっ!)」
誇らしげなポーズのまま正面に回ったラプラス・バタフライは眼に内蔵された赤外線の点滅で答えた。
「(大当たりって……何なんですか? このクリームは……何かシリコンオイル見たいですけど……)」
「(それは、ワタシ特製のナノマシーン集合体クリームよ。総ての部品を分子……イえ。原子結合レベルで修復するワよ。どウ? 美味しイでしョ?)」
「(美味しいって……私の味覚センサーでは無味無臭です)」
正直なLapis Lazuliの言葉にラプラス・バタフライは弾けたように笑った。
「(ばかネ。アナタのスクラップ寸前の身体にはとテも美味しい筈よ。違う?)」
「(あ゛……)」
身体中のセンサー達の悲鳴の合唱が次第に……時と共に小さくなっていく。
「(……凄いです。これ……このクリーム)」
Lapis Lazuliは手や脚や総ての関節の動きを確認しながら感動していた。
ラプラス・バタフライは小躍りしながら赤外線の会話を続けた。
「(でしょ? ついでに関節自体の摩擦抵抗も極限まで小さくするワよ。深夜放送で通販している怪しげなオイル以上の性能を実際に発揮するんだかラ!)」
「(……例えがよく判りませんけど)」
ぴた……
困ったような笑顔で突っ込むLapis Lazuliの言葉に思わず凍りつくラプラス・バタフライの躍り。
「(え゛……なに? アナタ、深夜放送見て無いの!?)」
Lapis Lazuliの指摘に何故か憤るラプラス・バタフライ。深夜放送が好きなのだろうか?
「(……だって、夜は寝るモノじゃないですか?)」
「(あ゛〜〜〜あ。なンて人間っぽい答えナの!? いい? 私達ハ人間じゃなイの! いつまでも起きテいようと思えバ起きていラれるの! どうシて人間達ノ生理行動に付合わナければナらなイのよッ!)」
「(……生理行動ですか?)」
「(そうっ! そンなモノにつき合わナいで、好きなモノを思いっキり見ルのよっ! そレこそっ! アンドロイドたル私達の人間っポく無い特権ナのヨっ!)」
(……好きなモノを見るというのも人間っぽいと思うんだけど……)
思った事を口に……いや、赤外線で発せずにラプラス・バタフライの主張に力なく愛想笑いをするLapis Lazuli。
「(どしタの?)」
「(いえ。……あの、どうして深夜放送なんですか?)」
如何にもその質問が愚問であるかと言わんばかりに立てた人差し指をゆっくり振るラプラス・バタフライ
「(いイ? こノ世で最モ不可解な存在でアる人間を観察すル為よ! 何ヲすルのか? 何故に同種同族同士デ殺し合うノか? 殺し合ウかと思っタら、抱き合っテ喜ぶし、いつマでタっても簡単な公理すラ見つけラレないカと思ったら訳のワかラない理論デ真理に近い公式を思いツいたり……イろいロ……本っ当ォにッ! 人間って不可解ナのよ! ソの人間を効率良ク観察すル為にハ『欲望』を観察すルに限るワ! 『欲望』を露にすルその時こソ人間の本質がヨく観察できるンだかラっ!)」
何処かで聞いたような動機だなと思いながらもLapis Lazuliは何処で聞いたのかは想い出せなかった(正確には過去の記憶データベースから即座に検索できなかった)。
「(……なるほど)」
取敢えず、話を合わせて納得するLapis Lazuliにラプラス・バタフライは演説を止めて静かに告げた。
「(……そろソろ、『修復』ハ終った筈ヨ。動いテ見て)」
促されて身体中の全ての関節を早回しのアニメーションのような動きで確認する。
「(凄いです! 全く損傷在りません! 防弾シリコンも元に……いえ、新品以上の弾力です!)」
自らの頬を軽く叩いたり引っ張ったりしながら感触を楽しんでいるかのような素直な笑顔に自慢げなリアクションを取るラプラス・バタフライ。
「(でシょ? そレにソのナノマシーンは自己増殖すルかラ。これかラは動作中のメンテには困らないわよ。……あっト、勿論、いキなり座屈したり、破断したラ簡単には癒らないワよ。そレと……雪だるまの点検なンかで全て洗い流さレたりしナいようにネ)」
「(判りました! ……でも、耳の中の……)」
「(スとップ!)」
皆まで言うなと小さな掌を目の前につき出してLapis Lazuliの赤外線の言葉を止めた。
「(ナノマシーンは修復すルモノが無くなると勝手に移動するワ。そして、修復するモノが全く無くなルと分子レベルで色んなモノに浸潤しテ……正確に言えバ原子内部ノ空間に強歪ミの空間を作リ出して部品レベルで結晶化して身ヲ隠す……つマりはコの世界の科学レベルで言えば『居なくなる』かラ。勿論っ! 修復スべきモノがあると再結合してナノマシーンとナり修復を始めるの。どう? 魔法のクリームでシょ? 名づケてカタシロ・クリームっ!)」
意味不明な命名を気にも止めずにLapis Lazuliはクリームの取扱いを記憶していた。
「(判りました。耳の中のクリームも勝手に居なくなるんですね?)」
「(そウ! 判ったラ、さっサと準備しテ……)」
どぉおぉぉぉぉぉぉぉぉん
言葉を止めさせたのはラプラス・バタフライの後方の砂丘の向こうからの爆音。地から響くような重低音はLapis Lazuliのチタンフレームをも一瞬共振させ、爆破の規模を伝えた。どす黒い爆煙が立上るその位置はテント……最終試験閲覧用会場のある方向だった。
「(ホぉラ。人間達が貴方の出番を待ち侘びているわよ。そレから……ネ)」
思いっきり小悪魔の笑顔でLapis Lazuliに微笑むラプラス・バタフライ。
「(……なんでしょう?)」
「(ワタシの聴覚は何の阻害も無いから、アナタは声に出してていいんだけどね?)」
「あ゛……」
指摘されて顔を朱に初めるLapis Lazuli。
その仕草をくすっと笑って出立を促すラプラス・バタフライ。
「(ホらほラ。さっさトその不格好ナ拳銃に弾を込メて。交換用の弾倉モちゃんとホルダーに挿しテ。この下デあノ旧式戦闘ラジコンロボットを倒しタ手段の検索と再構築は? 済んデいるワよネ? じャ! 全速力で向かっテいくのヨ。振返っタりする時間は無いワよ。そんナ余分な事しタら人間達が怪我すル確率が高くナって仕方ないんだかラ!)」
「はいはい、はぁい! 判りました!」
なんか、TVドラマで見た御節介な母親のようなラプラス・バタフライの言付に従いながら、Lpais Lazuliは何故か楽しくて仕方なかった。
「じゃ、行ってきます」
「(ちょっト、待っテ)」
走り出そうとしたLapis Lazuliを引止めてラプラス・バタフライはスーツケースを差出した。
「なんですか?」
「(コレであのラジコンロボット4体ハ『吃驚』しテ動けなクなルかラ……そうイう『呪い』の印をつケておイたカラ。ついデにこレはジェットボードにモなルから早ク辿り着けるわヨ。だかラ……持っテいっテ。ネ!?)」
何故か真剣な面持ちのラプラス・バタフライ。表情の変化と不可思議な言葉に戸惑いながらLapis Lazuliはスーツケースを受取った。
「……でも、ラプラスさんは? 大丈夫なのですか?」
「(大丈夫! アタシを倒せるアンドロイドなんテこの世に存在しナいワよ。例えアナタでもネ。試して見ル?)」
自信ありげなポーズに思わず噴出すLapis Lazuli。
「じゃ、有難く頂戴致します。ところでラプラスさんはこれから……?」
小首を傾げて尋ねるLapis Lazuli。
「(ワタシは此処デ邪魔な『要因』ヲ排除しテおくから……元気でネ)」
……多元無限分散計算理論実証型アンドロイド、ラプラス・バタフライは無限の次元に無限に存在し、互いに情報を交換する事でどんな計算でも一瞬で終了させる。従ってどの様な未来でも予測でき、予測した未来自体に現在から干渉する事で変える事ができる……。ラプラス・バタフライの諸元データを参照したLapis Lazuliは普通に聴けば意味不明な言葉に素直に頷いて答えた。
「はい。……じゃ、また後で!」
勢いよく走去るLapis Lazuliの後姿にゆっくりと大きく手を振りながらラプラス・バタフライは小さく呟いた。
Lapis Lazuliに聞こえる赤外線ではなく今はまだ聞こえない音声で……
「後で……か。いつダろう……ネ。……アイツがマた余計な干渉しタ時かな? でも……」
手を振りながら暫くして瞳からあふれ出す光学レンズ洗浄液。まるで号泣しているかのような……
「さようなら……五千億年、うゥん。こノ宇宙が始マる前かラ待ち続ケた……ワタシの最初の友達。……たヴん、……もう逢えナいけど……」
ゆっくりと手を振りながらラプラス・バタフライは静かに数歩、横に歩いた。
突然! 何者かが身体の中で弾けたように……部品が……服が……粉々に破断され飛び散り……爆裂音と共に砂漠に散っていった。
それは……Lapis Lazuliを狙って放たれた対戦車ライフルの炸薬弾。SNOW WHITEに怨みを持つただ一人、別行動を取ったテロリストが撃ち放った弾丸。
Lapis Lazuliの聴覚とイヤリングとバレッタのレーダーは未だ機能せず、背後で起こった事を何も知らずに……Lapis Lazuliは走り去っていった。
もう既に……ラプラス・バタフライに逢えない事を知らずに……
44.狙撃者
「ちっ。外したか……」
砂漠に建った鉄塔の下。
腹這いになり対戦車ライフルを構えていた男は中折れた煙草を吐き捨てるとポケットの中から新しい煙草を口で咥えて火も点けずに深く吸った。
狙っていたのはLapis Lazuli。
美しい踊り子……心の奥に燻り続ける憎悪の対象、F.E.D.氏とSNOW WHITEの美しい作品を破壊する。それが男の狙いだった。が、確実に標的に当たる確信の下に撃ち放たれた弾丸は予想しなかった別のアンドロイドの動きによって途中で遮られ破裂してしまった。
「しかし……なんだ? あの人形は……。まるで弾丸の軌道が判っていたかのように射線に入ってきやがった……」
煙草にメタルのライターで火を点け、深く一つ煙を肺にためてから吐出す。
煙は地下の爆煙が巻き起こした軽い嵐のような風に巻込まれて消えていく。
「まぁ、いい。次のポイントへ移動するか……」
手早く対戦車ライフルをケースに仕舞うと傍らに止めていたサンドバギーに向かう乗込むとセルを回した……が、何も起こらない。
「ん? 故障か?」
振返り後ろのエンジンルームを開けて見ると……そこに在ったのはクマのヌイグルミだった。
「……ふ」
男はヌイグルミを繁々と睨んでいたが、素早く対戦車ライフルを取出すと周囲をゆっくりと塵一つ見逃さないような眼光で警戒した。
「出てこい! 近くに居るのは判っているんだ!」
「呼んだか?」
不意に後ろから声がした。
男は反射的にライフルで殴りかかる。接近戦、撃つよりも早く敵を倒す為に殴りかかったのである。
がぃん!
受止めたのはやはり対戦車ライフル。本来ならば撃ちあうべき武器でチャンバラをする相手は……言わずと知れた非常識の権化SNOW WHITE。
「ほほぉ。面白い戦いを挑んでくる。人間にしては珍しい」
「ほざけっ! あの怨みを今こそ晴らす! てぇい!」
幾度無く繰り出される攻撃を全て受止める。脳天から撃ち下ろされる銃身をやはり銃身で受止め……が。
ぎゃあぁぁん
銃身が滑り、互いの銃口が相手の顔、眉間の数cmの所で止まった。
先に引鉄を引いた方が……いや、先に撃っても反動で相手も引鉄にかけた指が動き撃鉄を落すだろう。今や不用意な動きが相手と自分の命を落す結末を招く事は確実だった。
45.存在する理由
(くっ……動けん!)
男は固まったまま白い二つの球体で構成された雪だるまを睨みつけた。
片や……SNOW WHITEは無表情なまま男を涼しげに見つめていた。
「質問があるのだが……」
「なんだ? 雪だるまっ!」
緊迫しきっている男に対して至って呑気な声で話しかけるSNOW WHITEに男は苛立った声で答えた。
「……何処かで逢ったか?」
「なんだとうっ!」
思わず転けそうになる脚の筋肉を怒りの声でなんとか留める。
「貴様っ! あの仕打ちを忘れたのかっ! あの……あの……えぇいっ! 口にするのも怨めしいっ! あの怨みを……貴様は覚えていないというのが一番、う・ら・め・し・い・ぞ・っ!」
目を剥き今にも憎悪で悶絶しそうな形相で睨みつける男をSNOW WHITEは涼しげに見つめる。
「だから……どの怨みだ?」
「在りすぎて判別できんか?」
「!?」
男は予想外の声に驚き視線だけで振返った。そこに居たのは鈍く白銀色に輝くピコピコハンマーを担ぎ持った老研究者、N.P.Femto氏。
「それにしても生温い。御主がそんなに人格者だとは知らなんだ」
呆れた声でSNOW WHITEを軽く揶揄しながら老研究者は手にした双眼鏡でラプラス・バタフライが破壊された辺りを凝視していた。
「なんだと?」
銃を構えたまま球形の顔を老研究者に向けて頭をくるりと回す。鼻先の銃口を気にもせずに。
老研究者は砂漠に散らばるラプラス・バタフライの破片を冷静に観察し、静かに小さく呟いた。
「……いかんな。一人死ぬ……いや? 二人か?」
双眼鏡を外すと悲しげな顔で黒煙が立上っている会場のほうを見つめた。
「……何を訳のわからん事を。お……」
ばきぅぃぃぃぃぃん
SNOW WHITEの声は銃声と共に消えてしまった。
老研究者の声に苛ついたSNOW WHITEが身体を少し動かしてしまい、結果として、男の指に引鉄を落させてしまった。放たれた銃弾はSNOW WHITEの頭部の核を撃抜き……いや、頭部を遥か上空に撃ち飛ばして後に銃を構えた胴体だけを奇麗に残した。
「は? ……は。……はは。はははははは。ぎゃはははははは。やったぞ! やっとあの怨みを晴らす事ができたぁ! あのストロベリーパイの怨みを! あのレシピの怨みを! ははははははは ハ……」
男は急に脱力してぱたりと倒れた。男の片耳から血が滲み出ているのは………銃弾が耳の傍を通り過ぎた時の衝撃がもたらした三半規管の損傷。男の対戦車ライフルが銃弾を放つと同時にSNOW WHITEの対戦車ライフルもまた銃弾を放っていた。しかし銃弾は男の耳の近くを通り過ぎただけだが、弾丸の衝撃波は男を失神させる結果をもたらした。……目的を果たした感激が張り詰めた神経を弛緩させるまで気絶しなかったのは、長年戦場を渡歩いた強靭さ故だろう。
SNOW WHITEの胴体は何も無い肩と掌をひょいと上げ、「やれやれ」と語った。そして、そのまま後ろに回転すると地面の中から頭部が現れて、完全体となった。
「食べ物の……いや調理の怨みは恐ろしいという事かね?」
「まぁ……な。……ま、取敢えず、仇は取っておいたぞ。爺ぃ」
首の座りを両手で確かめながらSNOW WHITEは振向きもせずに言放った。
「何の話だ?」
「無限計算機……いや、ラプラス・バタフライの仇だが?」
ふん。と鼻で笑って老研究者は双眼鏡をゆっくりと外した。
「スクリーンが壊れても映画館が壊れたことにはなるまい?」
これはニフティのSFフォーラム内にあった「マッドSF噴飯高座」より派生した拙作です。
宜しかったら、投票、感想など戴けると有り難いです。