エピソード04 〜変わり始めた日常〜
結局その日はそれ以上のことは何もやらず、仕事仲間ともろくに面識のないまま俺は帰宅した。
適当に夕飯を作り、一人寂しい食事タイムを終えると唐突な眠気に襲われた。
別段疲れていたわけではないのだが何とか最後の力を振り絞りシャワーを浴びると出しっ放しにしていた布団に横になるとすぐに気持ち良い寝息を立てられた。
そして迎えた日曜日。
窓の外から差し込む太陽の光から逃れるように顔を手で覆いつつ、気だるさを実感する。
明日からまた学校が始まるとなると気が重い。
そんなことを考えつつ起きなくちゃと思い上体を起こすと……。
ドカーン‼︎
部屋のキッチンが爆発した。
六畳一間の俺の自宅はキッチンと寝室が同じ場所に設置されているため起きた目の前で爆発が発生したことになる。
何事かと煙の上がるキッチンを注視しているとゴホッゴホッと可愛らしい咳をした小柄な少女が黒煙の中から顔を出してきた。
特徴的な赤茶色の髪。
髪の毛とまったく同じ色をした魔女っ子服に身を包んだ彼女は昨日俺と握手した少女と瓜二つだった。
いや彼女本人だ。
「アリス‼︎ お前何やってんだ?」
人様の居住地で突然爆発騒ぎを引き起こした張本人を俺は問い詰める。
煙が目に滲みたのか涙目で咳を繰り返すアリスは変わらぬ表情で、
「お、おはようございます。マスター」
まるで何事もなかったかのように挨拶をしてきた。
「えっ? マスター? いやっ、そんなことよりどうしてアリスがここにいるんだ?」
マスターなんてものすごい他人行儀な呼び方をされて困惑するもなんとか本題を俺は切り出した。
また鍵を破られたのか?
これで二度目だぞ、ここの警備システムの甘さが心配になってくるレベルだぞこれ。
「……朝食」
無表情なアリスがポツリと呟く。
それと同時にサッと俺から目線をそらす。
朝食という単語は聞き取れたがそれがどうした? とツッコミたくなつてしまう。
だが黒煙が晴れていくにあたって自然とその答えが見えてきた。
黒煙を放つ正体はキッチンに備え付けてあったフライパン。その上には黒く焦げた物体Xがプスプスと音を立てている。
そしてコンロのすぐ側には昨日まで俺の部屋にはなかったビニール袋が一つ。
「朝食を作ろうとしてくれたのか?」
半確信で訊ねてみると、案の定アリスはプイプイと首を振った後、静かにコクリと頷いた。
彼女なりの照れ隠しのつもりなのか無言でとんがり帽子を深く被り顔を見せなくする。
ビニール袋の中には八つ入りの卵パック(内二つは使用済み)とベーコンが入っていた。
おそらく誰でも簡単に作れるスクランブルエッグとベーコンの朝食を作りたかったのだろう。
そしておそらくフライパンの上に乗った物体Xはスクランブルエッグの失敗作。
どこをどう間違えたら卵で爆発が起こるのか、甚だ疑問なのだが。
油の量でも間違えたのか?
「……まぁ好意は受け取っておくけどあんまり無茶なことはしないでくれ。ガスコンロが爆破したら大家が飛び出してくるどころのレベルじゃないからな」
「すみません、マスター」
しゅんとしょげるアリスを前に俺はパックの卵を三つほど取り出す。
「朝飯まだだろ?」
現在時刻は6時ちょっと過ぎ。
おそらくアリスは早起きして直で俺の部屋まで来たのだろう。
朝食を摂っている暇などあるはずもない。
「そんなこと……」
すぐさま否定しようとするアリスのお腹がキューと可愛らしい音を立てる。
羞恥に頬を染めて慌ててお腹を押さえるアリスだが胃袋の方は正直で二度目の空腹サインを出す。
「ちょっと待ってろ、いま作ってやるから」
あんまり深いことは気にせずいまあることだけに集中する。
そして数分後。
俺は二人分のスクランブルエッグにベーコンを添えた簡単朝ごはんを完成させた。
「……すごい」
テーブルの上に並んだ朝食を前にアリスが感動する。
「一人暮らしならこれくらいできて当然だぞ」
冷蔵庫に残っていたスーパーで安売りしていたバターロールを取り出しアリスに差し出す。
「ところで今日は用事があって来たんだよな?」
早速朝食に橋を伸ばすアリスに俺は訊ねる。
まさか朝食を作るためだけに来たなんてことはないよな。
すると案の定アリスはもぐもぐとゆっくり卵を咀嚼しつつコクンと頷く。
「仕事の迎えに来た」
その言葉に俺はなんの抵抗もなく納得してしまう。
俺が裕翔とした約束は一週間とりあえず仕事の内容を学ぶこと。そしてその後正式に仕事をするかしないかを決断することだった。
昨日話をしたばかりだというのにもう仕事が来てしまったのかという気持ちにはならなかった。
大人の仕事とはそういうものだと重々理解しているつもりだ。日曜日だって休みがあるとは限らない。
「それなら準備しないとな」
「うん」
こうして俺はアリスと二人っきりの朝食を手早く済ませ、彼女のいう仕事に付き添うこととなった。
元々そういう約束だったということもあり無理矢理彼女が侵入してきたことに関してはそれ以上の感想を持たずに手伝うことができた。
◇
アリスが携帯で迎えを呼び、それに乗り込むまでの身支度の間、部屋の隅でボーッと窓の外の景色を眺めるアリスが俺の目に止まった。
どうしてそうしているのかと訊ねるのも野暮なので俺はせっせと身支度を整えているとやがてアリスの姿勢がどんどん前かがみになっていき……っておいおいそんな格好していたら落ちるぞ。
そう思ったのも束の間、アリスは電柱にぶつかった時と同じく頭を空っぽにして外の景色に没頭していたのか意識してないうちに窓の外から身を投げ出しそうになる。
その細い体が宙に投げ出させる寸前、俺は窓枠から半乗りになったアリスの体を両手を腰の位置に回して支えることに成功した。
「危なっ‼︎」
不意に二の腕あたりからふんわりとした感触が伝わってきたがそんなのは無視して俺はアリスの体を部屋の中に戻す。
「マスター?」
心底意外そうに俺の顔を見つめるアリス。
こいつ……もしかしたら落下してからじゃないとさっきの状況を理解できないほど鈍感なのか?
「マスター……手が」
俺に支えられていたアリスが突然甘い声を発してきた。
そこで俺は自分がいまどういう状況にあるのかを改めて認識した。
俺は落ちそうになったアリスを急に支えたため、その手元がくるったのか、その……ふよんとする感触が掌に……。
「当たっています」
心底恥ずかしそうに、蚊の鳴くような小さな声で確認しかけた事実を伝えるアリス。
背中越しに手を伸ばしているため彼女の顔はまったく見えないが、声音からしてアリスが羞恥しているのは察することができた。
かくゆう俺も慌てて、
「うわっ⁉︎ ご、ごめん、わざとじゃ」
初めて触れる女の子のそれの感触に激しく狼狽してしまい意識しないうちに勝手に手があらぬ方向へと向かってしまい……その……。
「ひゃあ⁉︎ ま、マスター、いまは、そんなのだ、め、です」
どうやら敏感な部分を刺激してしまったらしい。
普段は口数が少なく冷静なアリスがこんな声を出すなんて……。
心臓の鼓動が二段階ほど加速するのを実感する。
「いや、その……変な勘違いするな⁉︎ これは別になんでも……」
一人甘い吐息を漏らすアリス相手になんだか俺まで頬が熱くなってきた。
これなんですか?
これなんのエロゲーですか?
経験したこともない事態に俺の脳内サイレンが終始ウーウーと鳴り響いている。
助けようとしたはずが朝からとんでもない刺激を受けてしまった。
ちなみにその後アリスの態度が妙によそよそしかったのは言うまでもなかった。