エピソード02 〜疑問〜
どうやって家に侵入したのかなど些細な疑問を残しつつ俺はアリスと緋色奈が用意したと思われるタクシーに乗り込んだ。
もちろん寝間着から普段着へとちゃんと着替えて外出している。
助手席にはアリスが乗り、俺は緋色奈と名乗った真紅髪の少女の隣に座ることになる。
「……」
「……」
「……」
特に会話もなく車体が揺れる音だけが車内の静寂さを解放する。
アリスは無表情のままただ流れる外の風景に目を落とし、緋色奈も片手でスマホを操作しながれ誰かしらに連絡を取っているようで、連行した俺を完全に空気として扱っている。
ここまで無言を貫かれると自分はいまからどこに連れて行かれるのだろうという不安な気持ちが押し寄せてきそうで怖い。
「……あの……」
ここで俺はそんな静寂を破って出た。
恐る恐るだがはっきりと聞こえるように緋色奈へと声をかけてみた。
「俺ってこれからどこに連れてかれるんですか?」
アリスの虚言のない瞳を信じ乗り込んだもののやはりその拭いきれない不安というものは確かにある。
「……ねぇ、あなたは卑劣な運命に立ち向かう人たちを助ける自信はある?」
しかし返ってきた言葉は俺が想像するものとは全然違うもので、質問したつもりが逆に質問されてしまった。
そんなにいまから行く場所を秘密にしておきたいのか、それでも俺の不安を解消するために無理矢理な話題を提示してきたとも取れる反応だった。
「卑劣な運命?」
俺もホイホイ誘いに乗ってしまった身だ。相手が話したく雰囲気を作っているのだから、それを無理矢理壊す権利はない
少しでも不安を紛らわせるため俺は彼女の質問について真面目に考えてみる。
そんな状況誰が想像するのか? だが本当にそんな人を目の前にしたら俺は果たしてその人を助けるのだろうか?
“お前には夢がない”
これは俺を担任してくれた先生がよく言っている言葉だ。
言葉通り俺には夢という未来図が頭に浮かんでこない。
だけど、俺は他人に冷たいと言われた経験は一度たりともなかい。
そう考えると俺は助けを求めている人には手を差し伸べられる人間なのではないだろうか?
実際にそんな場面に遭遇したことはないので正確にはどんな対応をするかはわからないが、少なくとも見捨てるという選択肢は出ないだろう。
「力になれるかはわからないけど、助けには入ると、思う」
俺の答えに緋色奈は真顔で頷く。
期待した答えを返せたかどうかは不明だが、悪回ではない。
「……じゃあ、あなたは大切な人が明日死ぬってわかっていたらどんな風に接してあげる?」
今度の質問はさっきのとは重荷が違っていた。
質問の意味が重いというわけではない。いや確かに意味も前のに比べると多少なりとも重くはなっているが、彼女の目が違っていた。
一心に俺を見つめ、強く、どこまでも強く本気で彼女は俺の答えを期待していた。
「……」
彼女の眼力に思わずしりすぼみしてしまう。
大切な人……そんな人が自分にいるだなんてこと考えたこともなかった。
それとも彼女は俺に大切な人がいないのを知りながらもあえて質問しているのか? それなら俺はいると仮定して答えを出さなければならない。
「わからない」
真剣に思索してみたがこれだけは実経験なしではどうしても答えが思い浮かばなかった。
まるで雲を掴むような話にすら自分には思えてくる。
「そう」
緋色奈は俺の答えをどう受け止めたのか、幻滅も感嘆もしない変わらぬ表情のまま、端的にそれだけを返した。
結局俺が知りたかったことは何一つ教えてもらえないままタクシーがゆっくりとどこかの道路端に停車した。
「ご利用、ありがとうございました。1200円になります」
運転手が帽子を外し丁寧にお辞儀をすると利用金額が表示された電光板を示唆しながら代金を頂戴する。
お金はもちろんのことながら緋色奈が支払い、笑顔の運転手に見送られながら俺は車を降りた。
着いた場所は何の変哲もない道端の最中。
一応少し先には学校らしき建物が確認できるがそれ以外は普通の一軒家や小さな自営業店が並んでるだけで特段変わったところはパッと見判断できなかった。
「普通だな」
それぐらいの感想しか持てない景色に苦笑いするしかない。
なんというか拍子抜け?
あそこまでお膳立てされておいて着いた場所がここまで普通すぎるとなると気持ち的にも萎えてしまう。
話を聞いてみようにもアリスは無表情のままボーッとしているだけで役に立ちそうになく、唯一まともな話をできる緋色奈もさっきから誰かを待つように降りた場所付近から動こうとしない。
困ったな。一応は見知らぬ土地だし連行犯の二人がこの様子だとこれからどうしていいのかさっぱりわからない。
タクシーの中よりもさらに無言の時間を貫いていると動こうとしなかった緋色奈が突然俺の肩を叩いてきた。
「ほら行くわよ、着いてきて」
「えっ?」
まるでさっきまでの数分間の無言タイムをなかったかのようにする態度で緋色奈は靴底を鳴らし、学校が見えた方向に向かって歩き出す。
何も言わずアリスも彼女を追うように慎重に歩み出す。
「おいっ⁉︎ さっきの固まった時間は一体何だったんだよ⁉︎」
さすがの俺もその違和感に無関心というわけにもいかず、思わず緋色奈の背中に呼びかけてしまう。
「ちょっとした諸事情よ。そんなことはいいからあなたもあたしに着いて来なさい」
自分勝手に話を展開されていくがわざわざ事情を探る必要性もないので俺は素直に彼女の後を追う。
見えた学校がどんどん近づいてくるがそんなことよりも心配なのは……
「ふぎゅっ⁉︎」
ちゃんと前を見ていたはずなのに電柱に激突するアリス。
「ひぎゃっ⁉︎」
ポイ捨てされた空き缶に滑り、転けるアリス。
「ひゃあっ⁉︎」
水撒きしていたおばちゃんに水をかけられるアリス。
「お前、もしかして相当のドジっ子なのか?」
数歩歩いただけで普通の人なら絶対に引っかからないような事態に巻き込まれるアリスに率直に訊ねてみる。
するとアリスは首をブンブンと振り回し、
「ち、違う。私はドジじゃない」
と露骨に否定する。
ちなみに自慢の魔女服はビショビショでくちゅんと可愛いくしゃみをしている。
これは天性の才能なのではないだろうか?
「おいアリスは大丈夫なのか?」
思わず前を歩く緋色奈を呼び止めてしまう。
彼女は後ろでアリスが厄災にあってるにも関わらず平然と歩き続けている。
「まぁ、アリスにとってはいつものことだし……あたしたちがどう注意しても治らないのよ」
つまり半分諦めているということか。
これは本格的に天性の才能説が有力になってきたぞ。
「だ、大丈夫、問題ない」
寒さに震え、ぶつけた鼻を押さえているあたり大丈夫そうには見えないのだけど……。
いまは10月の半ば。冬も本格化していない時期とはいえ朝は冷え込む。もちろん撒く水もかなり温度が低くなっているはずだ。
ガクガク震えるのも無理はない。
「ほら、上着貸すから」
そんなアリスに俺は着ていた上着を差し出し半ば強引に着せる。
もちろんアリスは当然のように俺の好意を断ろうとするが、それを押し退けて俺は彼女の肩に上着を羽織らせる。
「あ、ありがとう」
さすがのアリスも多少強引に来られてしまっては断れないらしく、この場は素直に俺の上着を受け取った。
「あぁ」
ちょっと照れ臭くなり頬を掻きながら曖昧に返事をする。
ふと前を見ると、さっきまで振り返りもせず歩いていた緋色奈がいつの間にかこちらをじっと見つめ、
「ふーん」
と短く頷いていた。
「どうかしたのか?」
気になって前を歩く彼女に声をかけてみる。
「なんでもないわ。早く行きましょう。着けばアリスも着替えられることだし」
そう言って踵を返し、またしてもカツカツと歩き始めてしまう。
一体さっきの頷きは何だったんだ?
彼女の言動の真意を探ろうとするがうまくいかず結局うやむやのまま俺は緋色奈の背中を追うこととなった。
細心の注意を払い、慎重に隣を歩くアリスは俺の上着を強く羽織り、どこか優しい笑みを浮かべていた。
本当に俺はどんな世界に巻き込まれてしまったんだ?
終始そんな疑問だけが頭をよぎってくる。
その答えに辿り着くのはもう少し後になってからだった。
◇
他人の心を考えたことがあっただろうか?
少なくとも俺はNOの人口に部類する。
昔から勉強だけはできた。
ただそれだけだ。
俺は他人との距離を置いていたわけでなく、ただたんに接することが面倒で避けていたんだと思う。
なぜ他人と接するのが面倒なのか?
そんな疑問など抱いたこともなかったし、誰からも注意されることなどなかった。
いや、そんな感情を抱いているなどと他人に相談することもなかったから誰からも注意を受けなかったんだと思う。
そんな俺には最初から目標がなかった。
そんなのは当たり前だ。
友人関係で悩んだことがなければ、勉強での悩みも薄かった俺が目標など抱くはずもない。
目標というのは悩みから生まれてくるものだと俺は考えている。
だから悩みのない俺には目標がないのだと決めつけていた。
もしかしたら俺のそんな気持ちが彼女に反応してくれたのだと思う。
だから俺は……
アリスのパートナーに選ばれたのだと……。