エピソード16 〜後悔と間違い〜
「浅田さん?」
はっきりと浅田清哉としての想い、考えを吐き出した俺に海斗さんが怪訝な顔をする。
だがそんなのはお構いなしとばかりに俺は先を続ける。
「あれこれ思案するのはいい。だけど本当にやりたいこと、残したいことだけは見失うな‼︎」
どこか冷静な自分が問いかける。
“どうして俺はこんなことを言うんだ?”
「紡木さんは自分の命すら賭けてお前と付き合っているんだ! 一緒にいるって決めたんだ! パートナーですら裏切りになると考えんだ!」
汚い。熱くなるばかりで冷静な自分が己の中で圧縮され、一つの小さな塊となって狭いスペースに押し込まれる。
呼び方も“お前”になりただ一方的な俺の考えだけが口から出る。
「そしていま直面している現実はなんだ? よく考えてみろ‼︎」
ついこの間まで他人と接することすら避けていたような俺がいまこうして一端に他人の説教をしている。
「認めたくはない。そんなのは俺だって同じだ! だけどそれを認めないと……最後の思い出を作ろうと今日のデートを誘った、あいつが報われないだろ」
いや、考え方が違った。
俺は確かに夢はない。そう俺には夢がない。
その事実だけはどう足掻いてもいまの俺では覆せない。
だけど俺には“心”があった。
アリスと出会ってから、いや自分では意識していないうちから“心”はあったんだ。
だから俺はアリスと繋がり、本能的に認められる人物に抜擢されたんだ。
「紡木……」
切なげな表情で本気の明るい笑顔を振りまく彼女を見据える海斗。
「彼女を想う気持ちがあるなら行動で示してみろ。考えるのはそれからでいい」
そんなことは所詮理想だ。彼の気持ちもろくに考えずに出した結果がこれだ。
もっとうまく立ち回れなかったのか?
後から後悔する。
中途半端にカッコつけといて、俺がやったことはなんだ?
他人のデリケートなゾーンに土足で踏み込み、荒らし、勝手な意見だけを述べていく。
最低な回答だった。
テストだったら0点もいいところ、マイナス点すら貰える勢いだった。
「まだ時間はある。楽しい思い出も切ない思い出もどっちも揃ってお前たちの大切な、たった一つの思い出なんだ‼︎」
思考がクリアになる。
思考能力が俺の喋るスピードに追いついていない。
白紙の作文用紙を見ながら書かれてもいない内容を発表しているような気分だった。
それでも俺は続ける。
自分を信じて、これが救いになると信じて本来ならなんの効力もない虚実的な事実を吐き続けた。
「お前がいま見なきゃいけないのは先に待つ現実じゃない。いまを必死に輝かせようと笑う紡木さんだ‼︎」
俺に紡木さんの何がわかる。
たった数日前に知ったような間柄なのに知った口を聞いてるんじゃない。
回復した思考は正論を述べるだけでそれ以上もそれ以下の働きもしない。
「……」
海斗は震えていた。
わなわかと握った拳を震えさせている。
それはそうだ。これだけのことをよくもたぁわかったフリしてペラペラと隣でペラペラとしゃべられたら誰だって腹が立つ。
悔先に立たず。
不意によぎったことわざにいまの自分を照らし合わせる。
殴られる覚悟もあった。これでデートは大失敗。彼女の望みも叶えられないまま……ただ彼氏を怒らせて、終わる。
そのはずだった。
「……ふっ、ははは」
そこで初めて海斗が笑った。
今日初めて見る海斗の笑顔。
自嘲の笑みではなく、悩みが吹っ切れたような清々しい笑いだった。
「まったく、お前の言う通りだよ」
俺に便乗してか海斗の言葉遣いが他人行儀から親しい間柄のものへと変わっていた。
既に海斗の目からは迷いが消えていた。
「俺は馬鹿だよ。ずっと付き合っているのにそんなこともわかってやれないで。そうだよな、最期くらい楽しい思い出で埋め尽くしたいよな。それなのに俺はずっと一人悩んで、後悔して……」
「……ッ⁉︎」
そこで俺は見てしまった。
彼の頬を伝う一筋の涙を。
ポタリと地面に透明な雫がこぼれ落ちると海斗は軽くなった腰を上げて、大きく伸びをする。
そしてクルリと俺に笑いかけ、
「行こうぜ清哉。俺実は遊園地は遊び倒す派なんだ。いまは紡木だけじゃなくて、あいつが感謝しているメンバー全員で思いっきり楽しもうぜ」
時刻はまだ11時を軽く回ったくらい。
予定していた移動時刻とはだいぶ差があるが、そんなことは誤差の範囲内だ。
俺も海斗の意見に賛成するように、
「あぁ、全部のアトラクションを制覇するぐらいの勢いで行ってやろうぜ」
さっきまでの考えをすべて捨てた。
残った俺の役割はただ一つ。
四人でのダブルデートをどれだけ幸せなものへとできるか? だけだった。
◇
「清哉くん、ありがとね」
海斗が紡木さんに遊園地へデパートデートはそろそろ終わりにしようと告げた後、どうしても買いたい物があるということで出発を延期した紡木さん。
海斗は断るわけなくもちろん彼女の頼みを聞き入れたのだが、どういうわけか紡木さんはその買い物の付き添いに俺を指名してきた。
彼氏としては不満なことだろうが、紡木さんを信頼しているのか海斗も特に反対はせずにアリスと出入り口付近で適当に待機していると言って、ペアの交換を承諾してくれた。
紡木さんが行きたいと言ったのは男性向けのアクセサリーショップ。
その商品棚を眺めるついでに彼女は俺へのお礼を口にした。
「俺は別に何もしていない」
あれが正解だとは認めていない俺はそれを真っ向から否定してしまう。
それでも紡木さんはううん、と首を左右に振りながらいつものように頬を綻ばせる。
「清哉くんは私の暗黙の願いを叶えてくれた、私今日初めて海斗の生き生きとした表情を見たんだ」
嬉しい、喜び、好機的な感情がいくつも入り混じった笑みで紡木さんは語る。
「清哉くんが後押ししてくれたんでしょ?」
「……俺は別に」
「やっぱり清哉くんは私の期待した通りの人だった」
綴る紡木さんの言葉には一切の虚言はなく、自らの気持ちをそのままそっくり曝け出しているようだった。
「どうしてそう思うんだ?」
「だって、会って数日の私の心を読んで、大切な彼氏に最高のアドバイスをして、自分も苦悩しながら必死に私たちを助けようと動いてくれた。こんな風に他人を思えるのはアリスさんくらいだよ」
想いが刻んである指輪を手に取りはにかむ紡木さん。
やっぱり彼女は死の間際に佇む人には見えない。
弱いところなんてない。強く、自分を強く保っている証拠だった。
「それだから、私は清哉くんとアリスさんにダブルデートの相手をお願いしたんだと思う」
「最初から俺が狙いだったのか」
「アリスさんの相手は清哉くんしかいない。これだけは自信を持って宣言できるから」
「……」
アリスのパートナー。
まだ正式に決定したわけじゃないがその資格は俺にはある。
「私がパートナーの男性を断ったのは海斗から聞いたのかな?」
「そのことについてもあいつは自分のことを責めていました」
「やっぱりね」
見透かしたように紡木さんが肩をすくめる。
「海斗はね、見た目は結構怖いけど中身は純粋でずっと傷つきやすいの。告白したのだって私だし、初デートも待ち合わせ時間にギリギリに着くし……おまけにキスだってせがむのはいっつも私」
愚痴のはずなのに紡木さんからは一切の不満もなく微笑む。
「でもね……海斗はどこまでも優しいの。本当に馬鹿が付くほど優しくて、私のために常に気を使って、初めて魔法を使った時だって励まそうと二人きりで出掛けようって言ってくれたし、それで失敗して私がこんな体になった時には一人で泣いて、それなのに私の前ではいつも笑顔で、変わらない自分を演じてくれて……」
思い出を巡る紡木さんの目からキラキラとした雫が輝く。
「私がね浮気になるってパートナーを断った時は自分が浮気すれば私を助けられるんじゃないかって本気で悩んで、そんな勇気がなかった自分を責めて、悔やんで、ずっと心に棘を刺して」
「気づいていたんだな」
「結婚を誓い合った仲ですから。それぐらいは察しがついちゃうのよ」
紡木さんが涙混じりに苦笑する。
アリスなら、ここでどう接するのだろうか?
ふと考えてしまう。
「海斗は優しいの。本当に優しいの。私には勿体無いくらい優しいの、私をずっと一番に考えてくれている素直でとても一途な最高の彼氏なんだよ」
優しいをしつこいまでに連呼する紡木さん。
俺もそれには素直に同意できる。ちょっと話しただけでも彼の内に秘める優しさがはっきりと理解できたからだ。
「私もね、やっぱり別れるのは怖いんだ」
恐怖からの逃走心が働いたためか“死”という事実を“別れ”という緩和的な表現に置き換える紡木さん。
やわらかな微笑みが彼女の顔から消える。
残ったのは素になった彼女の弱々しい一面。
俺の勝手な妄想を真っ向から否定するとても弱くて甲斐甲斐しい様なんて微塵も感じさせないすごく小さな女の子だった。
「だってそうでしょ。こんなにも私を想ってくれて、想わせてくれる人と出会えたのに……こんな形で終わりたくないよ」
血気な笑顔を一心に振りまいていた頃の彼女はもういない。
いるのは現実と本音に押し潰されようになる相葉紡木さんただ一人だった。
瞳に涙を溜めてこぼすのを必死に堪える紡木さんは溜め込んだものを飲み込むように何度も無意味に頷いた。
「演技はうまいからなんとかいまは海斗は騙せてはいるけど、でももう限界がきそう……」
彼女が漏らした初めての弱音。
それは俺の耳に触れると同時に無残にも弾け、頭の奥深くにまで浸透していく。
痛い、痛い、痛い。
胸がどうしようもなく痛い。
悔しい、運命という悪戯を本気で呪ってしまいそうなほど憎々しい。
「無理だよ……海斗と過ごした時間はどれも自分には大切すぎて大切すぎて、手放すことが惜しいくらいにまで大きく胸の中で成長しているんだもん」
それでも紡木さんは涙はこぼさなかった。
明かりに反射するキラキラとした涙が俺の目にははっきりと捉えられているがそれが落ちることは一向にない。
まだその時ではないと自分で無理矢理抑制しているようだ。
「私ね最初からわかっていたんだ。今日のデートは二人だけじゃ絶対に悲しいものにしかならないって」
「……紡木さん」
彼女の不安を取り除いてあげたい。
でもそれは俺の役目じゃなかった。
彼女だから彼氏だからとかではなく純粋に俺は相葉紡木という人を救ってやりたかった。
だけどそれは空虚な願い。
俺がどう努力しても役割を変えることも変わることもできない。
いまにも飛び出しそうな自分の救済心をねじ込むように心の奥底に抑えつけて、紡木さんに向き直る。
「最期なんだよ、最期くらいは笑顔で終わりたいじゃん⁉︎」
演技と本心、二人の紡木さんが同時に俺へと訴えかける。
「だから……清哉くん、お願い」
震える唇で紡木さんが胸の内を紡ぐ。
最初で最後の紡木さんからの依頼。
依頼人はちょっとだけ泣き笑っていた。
「……最期の時は……」