生い立ち - 二宮透花
あたしがもうすぐ5歳になる頃だった。
幼稚園のない日は、ママに近所の公園へ連れて行ってもらっていた。
妹の彩花が生まれると、彩花も一緒に公園に行くようになった。
あたしにはサキちゃんという友達がいて、違う幼稚園に通っているその子と会えるのは公園だけだった。
急な用事ができたから今日は公園に連れて行けない。
ある日の朝、そうママに言われた。
どうしても公園に行きたかったあたしは、泣きじゃくって抗議した。
その日はサキちゃんに、あたしより少し早い誕生日の手作りプレゼントを渡す約束をしていたからだ。
でも聞いてはもらえなかった。
公園までは信号のない横断歩道を何度か渡る必要があって、危険だから1人で行くことも許してもらえなかった。
あたしはママに黙ってプレゼントを持って公園に行くことにした。
あたしが玄関を出ようとした時、彩花があたしを見つけて一緒についていくと言った。
あたしがダメだというと彩花は今にも泣き出しそうな顔になった。
ここで泣かれたらママに見つかってしまう。あたしは仕方なく彩花を連れて行くことにした。
あたしはを左手にプレゼントを入れた紙袋を持ち、右手に彩花の手をつかんで公園まで歩いた。
彩花が事故に遭わないように、ずっとその手は離さなかった。
公園前の横断歩道で車が途切れるのを待っていた時、公園の中にいたサキちゃんがあたしを見つけて手を振った。
あたしは手を振り返すために彩花の手を離した。
その時、彩花が公園に向かってかけ出した。
彩花がそんなに早く走れると知らなかったあたしは、とっさに彩花を止められなかった。
あたしのすぐ目の前で、彩花は車に轢かれた。
気が付くと、あたしは倒れている彩花のすぐそばに立っていた。
彩花の小さな体から、信じられないほど多くの血が流れ出して、その血だまりがあたしの靴を濡らしていた。
彩花を家から連れ出したのはあたしだ。
あたしがずっと握ってた手を離したから、彩花はそれを合図にかけ出した。
彩花が死んだのはあたしのせいだった。
ママは彩花が死んだことであたしを怒らなかった。
あたしに笑顔で話しかけようとしてくれた。
でも本当は、いつも心の中ですごく悲しんでいて、それがあたしにはよく分かった。
その日からあたしは、ママの笑顔を見ると胸が苦しくなった。
「ユキちゃん。ほら、きれいなお花でしょ」
「ごめんなさい」
「どうして謝るの?」
「ごめんなさい」
ママが悲しいのはあたしのせいだ。
だからママに何か話しかけられると『ごめんなさい』と言うようになった。
それしか言えなかった。
お父さんも悲しんでいたけど、無理に優しいことは言わなかった。
ママと違って仕事でいないことが多かった。
ただ、ときどき黙って抱きしめてくれた。
だからお父さんには『ごめんなさい』と言わなかった。
「ほら、この服に着替えて」
「ごめんなさい」
「謝るのはやめなさい。……はい、じゃあカバンを持って」
「ごめんなさい」
「ねえ? ユキちゃん。ママ、怒ってないでしょ?」
「ごめんなさい」
「ユキ! もう……いい加減にしなさい!」
「ごめんなさい」
ママは、あたしが『ごめんなさい』と言うのを止めさせようとした。
あたしが言うのを止めないから、それを怒るようになった。
怒っているときのママは悲しんでいなかった。
彩花を死なせたあたしは、もっと怒られるべきだった。
だからあたしは『ごめんなさい』と言うのを止めなかった。
「ほら。……これ!」
「ごめんなさい」
「……わかってる、この子がこんな風なのは、あたしが本当は怒ってるから。優しくしても、そのつもりでも……、どうして……」
「ごめんなさい」
「あんたに言ってないでしょ!」
「ごめんなさい」
「もうやめて! あっ――」
ママが怒って手を振った時、その手があたしにぶつかった。
その時あたしは『ごめんなさい』と言わなかった。
叩かれるという罰を、すでに受けているからだ。
それからあたしはママに叩かれるようになった。
叩かれることが増えていった。
ある日あたしは、ママに叩かれて地面に倒れた。
その時に頭を強くぶつけて気を失った。
連れて行かれた病院で、あたしの体に幾つもあるあざを見られた。
そして家にはお父さんとあたししかいなくなった。
お父さんから、ママは病院にいると言われた。
お見舞いには行かせてもらえなかった。
お父さんも、悲しいのにそうじゃないふりをするようになった。
でもあたしは、もう『ごめんなさい』と言わなかった。
ずっとママに会えない日が続いた。
1年以上経ってから、ママは別の人と結婚したとお父さんに教えられた。
あたしは彩花に続いてママを失った。
あの頃のあたしには、何が悪かったのかさえ分からなかった。
今のあたしならそれが分かる。
謝るのではなく甘えるべきだった。
あたしは謝ることでママを傷つけていた。
小学校に入ると、あたしが妹を事故で死なせたことは学校中に知られるようになった。
同じ小学校に入ったサキちゃんが、目撃した事故のことをみんなに話したからだ。
5年生のお姉さんが1年の教室まで来て、あたしの顔をひっぱたいた。
あたしがあの時手を離したせいで、妹を轢いてしまったお姉さんのお父さんが刑務所に入ったからだ。
お姉さんは怒っていたけど、それ以上に悲しんでいた。
あたしはそのことを知らなかった。
あの事故がドライバーのせいだとは思っていなかった。
横断歩道では左右をよく見て、車が近付いていたら絶対渡っちゃいけない。
車は急に止まれないからだ。それが常識だ。
横断歩道で渡るのを待っていても、ほとんどの車はいちいち止まったりしない。
あのときみたいに急に飛び出したら、運転していたのが別の人でも妹は轢かれていた。
叩かれた頬はそれほど痛くなかった。
少なくとも痣ができるほどではなかった。
あたしはお姉さんに『ごめんなさい』といわなかった。
もう誰にもその言葉は言いたくなかった。
失敗や勘違いで謝るべきときでも、あたしは『ごめんなさい』と言えなかった。
例え先生に怒られても、謝罪の言葉は口から出てこなかった。
泣きも怒りもしないあたしを、誰かが気持ち悪いと言った。
あたしがわざと妹を死なせた。
そんな噂がいつの間にか広がっていた。
あたしは、嫌なことを言われたり、いたずらされたり、無視されたりするようになった。
たくさんの人があたしのせいで不幸になったんだから、それは仕方のないことだ。
ママがいなくなったので、ご飯の用意や掃除や洗濯はあたしの仕事になった。
だから授業が終わると、毎日すぐ家に帰った。
近所のおばさんは『大変ね』と言ってくれるけど、あたしは料理や掃除をするのが嫌いじゃなかった。
たまにお父さんがご飯の時に『おいしい』って言ってくれると、あたしはとても嬉しかった。
中学生になっても、高校生になっても、あたしの生活はあまり変わらなかった。
あたしも変えようとはしなかった。
何かに失敗して迷惑をかければ、『ごめんなさい』と謝るのは当然のことだ。
他人と付き合っていれば、誰かを気遣って『ごめんなさい』と言うときがある。
それが言えないあたしは、ずっと1人でいることを選び続けた。
高校に入って少し変わったのは、別の中学に行ったサキちゃんとまた同じ学校になったことだ。
今はサキちゃんじゃなくて葉山さんと呼んでいる。
葉山さんがよく一緒にいるのは、同じ中学だった黒川さんと辻野さんだ。
あたしに対してはいつもキツイ言い方をする。見ているとイライラするそうだ。
あたしは可愛い物を作るのが好きだ。
あたしが校舎の裏庭で、あたしの作ったマスコットを仕上げていると、そこに葉山さんが現れた。
「こんなとこで何してんの? 何これ? こんなの学校に持ってきていいの?」
「……ダメかな?」
「没収。……返して欲しかったら、帰りにちょっと付き合いなさい」