激闘
指定された時刻の5分前に、俺は第二埠頭に着いた。
そこには100人以上が集まっていた。
目立つ場所に3人の男が立っていて、その周囲を人が取り巻いている。
俺が3人に近づくと、周囲にいた人々が離れて直径十数メートルのスペースが現れた。
ここが今回のリングになるわけだ。
俺はゆっくりと歩きながら3人に話しかけた。
「ギャラリーを集め過ぎじゃないか? 絶対勝てるはずの条件で負けたら、お前たち終わりだぞ」
「大した余裕だな。3人が相手でも勝つ自信があるってか?」
「3人?」
俺は足を止めずに周りを見回して言った。
「見覚えのある顔が他にもいるだろ。俺の後ろにいる2人は今日は見学なのか?」
「……お前に逃げ道はないってことだ」
その言葉が終わらないうちに、俺は歩調を早めて話しかけてきた男に近づいた。
この男を1人目の相手に決めた。
歩く脚を止めずに、流れのまま相手の体の中心に前蹴りを放つ。
男はとっさに両手でガードしたが、ほとんど威力が落ちないまま靴先が男のみぞおちへ食い込んだ。
痛みで前かがみになった男の頭部へ思い切り拳を打ち込んだ。
この手ごたえなら相手はしばらく動けない。
そう判断して、男が倒れるのを待たずに次の位置へ移動する。
1人目の近くにいた2人が、俺から見て縦に並ぶようにする。
2人からの同時攻撃を避けるためだ。
2人目に選んだ男は、ボクサーのように腕で上半身をガードしている。
グローブなしの拳は強く殴ると手を痛めるが、俺には痛みが無いのでその腕を渾身の力で続けざまに殴った。
相手が腕の痛みに怯んだところで、脇腹に靴先が食い込むように回し蹴りを入れる。
反射的にガードが下がって現れたその顔面を殴りつけ、さらに両手で胸ぐらをつかむと思い切り突き飛ばした。
後ろの3人目が巻き込まれて一緒に倒れた。
すぐに振り返り、後方から迫ってくる4人目と5人目に備える。
先に近づいて来る4人目を、俺と5人目との間に挟むするつもりだった。
しかし4人目は、俺の間合いに入る前に足を止めた。
冷静なのか消極的なのか。
後者と見た俺はターゲットを5人目に変える。
左腕で顔をガードし、右腕を大きく振りかぶる。
わざとガラ空きにした腹を5人目が殴ってきた。
相手のパンチが当たった直後に、近付いた相手の顔面へガードしていた左でジャブを入れた。
痛みを無視できる俺ならではの戦法だ。
目を閉じた5人目のこめかみへに右のフックを叩き込む。
ふらつく5人目の背後に回るとその首に左腕をかけ、V字にした腕で頸動脈を圧迫する。
この裸絞めがまともに決まれば、人は10秒とかからず失神する。
4人目が俺の背中を蹴った。
5人目を盾にしたいが、激しく暴れるため上手く位置を変えられない。
4人目に背中と脇を数回殴られたところで、走ってきた3人目がその勢いのまま俺の脇腹を蹴った。
俺は5人目と共に大きくバランスを崩したものの、なんとか倒れずにこらえた。
その激しい動きの間に5人目のアゴが上がり、締めがきれいに入っていた。
2人がかりの攻撃を数発受けたところで、5人目の体から力が抜けた。
これで残りは4人だ。
5人目の首から腕を外して今度はその胴を抱きかかえる。3人目に対する盾にするためだ。
痛みはないが体のあちこちに熱を感じる。
骨にヒビくらいは入っていそうだ。
4人目が背中を蹴ってきたタイミングで、俺は4人目の軸足を狙って、その膝に横蹴りを入れた。
苦痛の声を上げた4人目が膝を抱えてうずくまった。
痛みから回復した1人目が近付いてきた。
2人目はようやく四つん這いになったところだ。
5人目の体から手を離して1人目の方へダッシュする、とみせかけて、身構えた1人目をかわして2人目に駆け寄る。
サッカーボールを蹴るように、2人目の脇腹を蹴り上げ、仰向けになったその腹を全力で踏み抜いた。
2人目は濁った悲鳴を上げて悶絶する。
残りは3人。
しばらくまともに歩けないだろう4人目に近付かなければ、相手にするのは2人だ。
その時、1人目が右手で抜身のナイフを取り出した。
静かだったギャラリーから声が上がる。
俺から見て1人目とは反対側に3人目が移動した。
1人目はやや腰を落とし、ナイフを順手に持って胸の前で構えている。
おどしではないようだが、人間を相手にしたナイフの使い方に慣れているわけではないはずだ。
しかし後ろの3人目に抱きつかれでもしたら、1人目に簡単に刺されてしまう。
刃物に躊躇せずに、先制して仕掛ける必要がある。
俺はその刃が届かないギリギリの距離まで踏み込み、動きを止めずに蹴りを出す。
相手が前に出している右脚にローキック……、と見せて、膝をねじって中段に軌道を変える。
相手の右腕の肘辺りを狙った蹴りで、外れても靴先が右の脇に当たる。
誘われて下がったナイフをかわして、蹴りが相手の肘を捉えた。
痛みで腕の動きは止まったが、まだナイフは落としていない。
その手首をつかもうとした俺は、目測を誤ってナイフの刃の部分を握ってしまった。
握った手にさらに力を込める。そうすれば切れるのは皮膚だけだ。
1人目の目線は、ナイフを握ったまま離さない俺の左手に集中している。
その隙に俺は、右腕に渾身の力を込めてその顔面を打ち抜いた。
手からナイフが離れた1人目は、脳震盪を起こしたかのようにその場に膝をついた。
その時、ギャラリーの中から木刀を持った男が走り出してきた。6人目だ。
ほぼ同時に3人目が後ろから俺にしがみついた。
振り払おうとするがなかなか離れない。
身動きの取れない俺に、6人目が木刀を振り下ろす。
俺は左の上腕でそれを受けた。
6人目はさらに力を込めて木刀を振り下ろした。
俺がまた左腕でそれを受けると鈍い音がした。骨が折れたのだ。
人間の上腕には2本の骨が並んで入っているが、それが両方ともぽっきりと折れた。
曲がるはずのない部分が曲がっている。
ギャラリーから悲鳴が上がった。
俺は6人目に見せつけるように、その曲がった腕を持ち上げたままにした。
しがみついていた3人目が、状況を確認しようとして俺の脇から顔をのぞかせた。
俺は折れた右腕を思い切り振り下ろし、その肘で3人目の顔面を殴った。
それを見ていた6人目は、顔に驚愕の表情を浮かべ、奇声を上げて今度は横殴りに木刀を振った。
俺の顔面に痛みが走った。……痛み?
我慢できないほどではないが、右の頬にズキズキとした痛みがあった。
右手で触れてみると、口の右端から耳の方へ頬がパックリと裂けていた。
木刀の切っ先が口に引っ掛かったのだのだろう。
手にはべっとりと血が付いていた。
痛みを感じたのは久しぶりで、不快さより懐かしさを感じた。
傷の痛みをより感じるように口を思い切り開けてみた。
6人目は悲鳴を上げて木刀を投げ捨て、ギャラリーを押し分けるように逃げていった。
ここにいてまだ意識があるのは、1人目、3人目、4人目の3人だ。
まずナイフと木刀を海へ投げ捨てた。
座り込んだまま俺を呆然と見ている3人目の後ろに回り、膝をついて今度は右腕でその首を絞めた。
絞められながら3人目は小便を漏らした。
派手に鼻血を流した1人目が、わめきながら後ろから俺を殴ったり蹴ったりしている。
3人目が失神したことを確認してから俺は立ち上がり、息を切らしている1人目の腹を殴った。
俺の体力も尽きかけていて、抵抗する相手の首を片手で締めるのは難しそうだ。
倒れた1人目の顔を右手で何度も何度も殴った。
気を失うまで殴った。
その時には右手の甲が変形していた。骨が折れたようだ。
それから4人目の所へ歩いて行った。
4人目は戦おうとも逃げようともしなかった。
「逃げないのか? 逃げないなら敵だ」
走るのは無理でも、ゆっくりと歩くぐらいはできるはずだ。
しかし4人目は座り込んだまま動かなかった。
逃げない相手は倒さなければならない。
両手が使えないので俺は頭突きをした。
3度目の頭突きで4人目は仰向けに倒れたが、まだその手は動いていた。
さらに頭突きを繰り返した。
気が付くと俺は病院のベッドの上だった。
退院まで3ヶ月かかった。
1人目と2人目と4人目も入院したが、いずれも俺より軽傷だった。
警察は俺を告訴しなかった。