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復帰

 正気に戻った後、俺は病院で刑事からの質問を受けた。

 驚いたことに、今回の事故は追突ではなく正面衝突だと思われていた。

 つまり俺たちの車は山上へ向う途中で対向車線にはみ出して、そこで事故に遭ったということだ。

 どうしてそんな話になったのか。


 まず、それまでただ1人事故を証言できた犯人がそう説明していた。

 そして俺たちの車は、前部が後部より激しく破損していた。

 普通なら加害者の車の塗料が被害者の車に付着することで、衝突した場所を特定できる。

 しかし犯人の車の衝突した部分には、塗装のいらない着色した樹脂の部品が使われていた。


 犯人は、こちらの車がヘッドライトを点灯していなかったとも言ったそうだ。

 まさか本当に犯人には車の前後の見分けがつかなかったのか。

 車の後ろにヘッドライトが点いていなくても、それは当たり前だ。


「疑うわけではありませんが、勘違いということはないのですか?」


 刑事から聞かれた俺は、少し考えてからこう答えた。


「食事の帰りだったので、父の財布にその時のレシートが入ってるはずです。日付や時刻も印刷されてるんじゃないですか?」





 刑事が来た次の日、病院の中庭にいた俺のところに、今度は記者を名乗る男が現れた。

 なれなれしくて不愉快な男だった。


「君が貴弘君か。ご家族はお気の毒だったね」

「どうも」

「普段のお父さんの運転はどうだった? 同乗してて怖いと思うようなことはなかったかな」


 どうやらハンドルを握っていたのが母さんだということも知らないようだ。


「そんなことを聞いても意味はないよ」

「どうしてかな?」

「記者なら少しは調べてくるものじゃないのか。あの日、父さんは酒を飲んでいたんだ」


 男は驚いた顔になり、それから嫌な感じの笑みを見せた。。


「事故の一番の原因は何だと思う」

「スピードの出し過ぎだろうな」


 この男と受け答えするのが嫌になった俺は、そっけなく答えた。


「警察がもっと早く君たちの車を見つけてたら、お母さんや貴幸くんは助かってた。そう思わないか?」


 俺はその言葉に答えず背を向けた。

 呼び止める男を無視して俺は病室に戻った。


 後で知ったことだが、その男は病院が立ち入り禁止にしている場所に無許可で入っていた。

 男は個人のニュースサイトに、大手マスコミの記事と自分で調べたいくつかの記事を混ぜて掲載していた。

 そしてスクープと称して載せたのが俺へのインタビュー記事だった。


--------


 事故死した父親は、酒を飲んでスピードを出しすぎたあげく対向車線に飛び出した。

 しかし警察は飲酒の事実を秘匿した。遺族と取引するためだ。

 最初に駆けつけた時、警察は被害者の車を発見できなかった。

 被害者のうち2人は、救命が遅れたために死亡した。

 その警察のミスを訴えないというのが、遺族との取引の条件だ。

 最後に記者が警察の失態について問いかけると、遺族は動揺してその場を離れた。


--------


 この記事は、公開直後にそこそこ話題になったようだ。

 しかし記事が掲載されたすぐ後に、警察から事故は犯人側の追突だという発表があった。

 俺が言った通り、証拠品の財布に入ったレシートには、店名と日時が印刷されていた。

 俺たち4人の写真を見たレストランの店員や、食事中に僕たちと会話した隣席の客からも確認できた。

 他にも鑑識が撮影した現場写真や、遺体を確認した医師の証言など、記事が嘘だという証拠はいくらでも見つかった。

 病院への無許可侵入も明らかにされて、男のニュースサイトは炎上した。


 僕が記者に何を話したのか、それを確認するためにまた警察がきた。

 俺はレコーダー代わりのスマホを持ち歩いて、他人との会話を全て録音することにした。





 次に現れたのは園田という弁護士だった。

 色々回りくどい説明をしていたが、要するに犯人から慰謝料を取るための民事訴訟を任せろということだった。

 少年院か刑務所かを出ると俺に殺される犯人から、慰謝料を取るつもりはない。

 もちろん他人にそんなことは言えない。


「どれほど大金を受け取っても俺の気持ちは全く晴れない。もしそれで代償を払った気になられたら俺には我慢できないほど不愉快だ。それに実際に金を払うのは親の方だろう。親を困らせるためにあんな――」


 突然怒りが爆発しそうになって俺は言葉を止めた。

 ゆっくり大きく息をしながら、気持ちが落ち着くのを待つ。


「許せない真似をした犯人の、その思惑に乗るようなことはできない」


 一番の理由ではないが嘘は言っていない。

 俺の意思を覆せないと思ったのだろう。

 園田は解りましたと言って思ったより素直に帰った。





 退院した後に次の訪問者が現れた。

 犯人の父親だった。


 土下座をして謝られたが、その行為は俺の心にさざ波さえ立てなかった。

 しかしその後に彼の口から出た言葉は、俺を大いに驚かせた。

 俺に犯人の減刑嘆願書を書いてくれと言ったのだ。

 心労で頭がおかしくなってしまったのか?


 彼の頭の中にいる俺は、犯人が更生することを願っている天使のような人物らしい。

 民事訴訟を起こすのを断ったことが、彼の勘違いの原因のようだ。


「実を言うと、園田先生には何も言わずにここへ来ました。息子の罪は刑事罰で償えばいいと言っていただきながら、さらにその刑事罰まで軽くして欲しいと望む。それは園田先生が誠意を持ってご説明してきたことを無駄にする行為だ。そう言われました」


 園田先生? ……ああ、あの弁護士か。

 なるほど、話が見えてきた。

 自分の努力で俺が民事訴訟を諦めたことにして、この男から礼金を手に入れたわけだ。

 彼なら、俺が減刑嘆願書を書くはずはないと知っているから、俺の説得を頼まれても断るだろう。

 この男が俺に直接会うと言えば、それも止めようとするだろう。


 しかしよく考えてみれば、これは悪い話じゃなかった。

 刑期が短くなるほど、俺が待たされる時間も短くなる。

 俺が殺す時には、誰がどんな理由で自分の命を奪おうとしているのかを、犯人にはっきりと理解させる。

 そして犯人の死体であっても、できれば無駄にしたくない。

 犯人を殺す時には、後で臓器が移植に使えるような方法を選ぶ。


 手間をかける分だけ、一度失敗したら次の機会を得るのは非常に難しくなる。

 できるだけ失敗する可能性を減らしておきたい。

 被害者遺族でも減刑嘆願書を書いてもらった相手なら、犯人は警戒心を緩めるだろう。


 とはいっても、その場で減刑嘆願書を書くとは言わなかった。

 いくらなんでも不自然だ。


 再会した園田弁護士には、身寄りを失った俺の後見人になってもらった。

 俺が録音した会話を聞いてからは、とても協力的な態度になった。

 多少の無理なら聞いてもらえるだろう。





 退院した俺は、数ヶ月ぶりに自宅に戻った。

 自宅の一階は、ノーブルという喫茶店になっている。

 父さんは会社員で、この喫茶店を経営していたのは母さんだ。

 ノーブル(高貴な)と言う名前は、父さんや僕たち兄弟の名前にある『貴』の文字を由来に母さんがつけた。


 家と店のローンはまだ残っていたが、債務者死亡で全額免除になった。

 自動車保険や生命保険の死亡保障により、俺には高額の現金が残された。

 そのため生活費を稼ぐ必要はないのだが、時間に余裕のある俺は店を開けることにした。


 店の経営を続けるには、食品衛生責任者の資格が必要だ。

 この資格は、食品衛生協会の講習会に一日参加して合格すれば貰える。

 受講できるのは、高校生以外の17歳以上だ。

 17歳までまだ半年ほどあったが、俺は高校を辞めた。


 営業を再開する前から、俺は毎日1時間以上店の掃除した。

 理由はない。ただそうしたかったからだ。


 あり余る時間で、俺は自分の体を鍛えることにした。

 事故の時に、俺は自分の脆弱さをいやになるほど実感した。

 犯人を殺す時にも役に立ちこそすれ、じゃまになることはない。


 僕は250万ほど払って、海外からトレーニング用の器具と教材を購入した。

 海兵隊の格闘術を組み込んでいて、素人からでも始められというのが宣伝文句だった。

 ただし最終ステップまで習得するには、飛び抜けた精神力と有り余る時間が必要らしい。


 器具や体に付けたセンサーが、使用者の負荷や疲労状態を検出する。

 そして最適な負荷と運動量になるように、使用者に対してPCのアプリが指示を出す。

 肉体の能力が一定のレベルを超えると、次のステップに進むことが認められる。


 このトレーニング方法を選んだ一番の理由は、使用者の限界を機械が判定してくれることだ。

 今の俺は痛みを感じないため、無理をしていることに気付かず体を壊す恐れがある。

 無痛症、痛みを感じない病気というのは実在する。

 多くの場合は汗をかかないという症状も伴うようだが、俺には該当しなかった。


 最初は2時間足らずで訓練の中止を指示された。

 4ヶ月経った今では、毎日5時間以上の訓練が可能になっている。

 身体能力を示す数値も順調に増えている。

 それでも、第1ステップから先へはまだ進めていない。


 つまり、俺はまだ素人に毛が生えたレベルであり、まだまだ先は遠いということだ。

 俺には目標の日までいくらでも時間があった。

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