決断
小延は淡々とした口調で全てを語り終えた。
その内容に嘘はないと俺は思った。
小延は俺の家族にしたことをまた繰り返しはしないだろう。
それを知っても、俺が小延を憎む気持ちに変わりはなかった。
しかし俺は同時に違和感も感じていた。
今ここにいる小延と、俺が憎んでいる小延とが、俺の中で上手く重ならなかった。
小延から俺の怒りを受け止められるだけの存在感を感じなかった。
あのビルから脱出した時には、小延は逃げることへのはっきりした意欲を俺に感じさせた。
俺に自嘲しているかのような笑みを見せたこともあった。
ところがわずかな間に、俺は小延から気力らしいものを感じなくなっていた。
「ひとつ、はっきりと分かったことがある」
俺はそう言って二宮を見た。
「二宮は俺のために人を殺して自分も死のうとした。そのことを知った俺は全く嬉しくなかった」
二宮は俺の顔を真っ直ぐに見つめていた。
俺の言葉を素直に受けてめている顔だった。
「俺にとってはむしろ考えつく最悪のことだ。俺と同じ立場になったら、父さんだって、母さんだって、そしてユキだって、同じように思っただろう。それなのに俺は家族のためだと思って二宮と同じことをしようとした。俺は馬鹿だった。二宮は命をかけてそれを教えてくれた」
僕のその言葉を、二宮は予想していなかったようだ。
彼女の表情に戸惑いが生まれた。
僕は視線を小延に移した。
「俺がお前を殺すのは誰のためでもなく俺自身のためだ。俺は家族を死なせたお前を恨んでいる。俺が死んだ家族のことを一生忘れないように、お前への憎しみも俺の中から消えることはない。たとえお前を殺してもだ」
小延は俺の言葉を聞いても気持ちを乱した様子はなかった。
当然のことを聞いた、というような態度だった。
「だけど、俺の中にあるのは憎しみだけじゃない。二宮を幸せにしてやりたいという強い気持ちがある。二宮が俺にはそれができると教えてくれた。俺にしかできないと言ってくれた」
俺は自分の言葉が二宮に十分伝わるのを待った。
二宮は何かを期待するかのようにその目を大きく見開いた。
「そして俺自身も一緒に幸せになりたい。俺はその気持ちを死んだ家族に対する裏切りのように思っていた。でも本当は父さんや母さんも俺がそうなることを望んでいた。ユキもそうだ。俺はユキの最後の言葉を自分に対する呪いのように感じていたが、今はそれが俺の思い込みだったと分かる。ユキは最後の時に俺を気遣ってくれていた。俺に心配するなと言っていた」
ここまで言えば、二宮にはもう俺の結論が分かったようだ。
緊張から解放されて腰が抜けたかのように彼女は地面に座り込んでしまった。
「両方は選べない。だから俺は二宮を選ぶ」
そう言って俺は二宮のところへ歩み寄り、彼女に右手を差し伸べた。
二宮は俺の顔を見上げながら右手を俺の方に伸ばした。
その手をつかんだ俺は二宮を立ち上がらせようと手を引いた。
二宮は膝立ちにはなったものの、脚に力が入らないようで立ち上がることはできなかった。
俺は一旦手を放してその場に膝をつき、右手で二宮の背中を抱くと後ろに引いた。
抵抗せずに右手に寄りかかった彼女の膝裏を、今度は左手ですくい上げた。
二宮の全体重を両腕に乗せてから俺は立ち上がった。
お姫さま抱っこというやつだ。
俺の胸に抱かれた二宮は、自分の両手をどこに置けばいいのか迷っていた。
その背中をさらに持ち上げると、彼女はその腕を俺の首に巻き付けた。
「僕はどうしたらいいんだ? 選ばなかった方にはもう興味がないのか?」
振り返ると小延が途方に暮れた顔で俺を見ていた。
「言ったはずだぞ、小延。俺はお前をいつまでも憎み続ける。さっき俺に話したような経験をしていながら、また誰かに取り返しのつかない真似をしたなら、俺は改めてお前を殺しに行く」
俺に殺すと言われたのに、小延の表情はかえって和らいだ。
「だが俺にとってそれは人殺しではない。人の心を持たない危険なものを処分するだけだ。だからその後で自分の命を絶つつもりもない。裁判を受けて刑に服したらまた二宮のところに戻るだろう」
「……そうか。あんたにとって僕のことは、まだ何年かの刑務所暮らしに見合う重みがあるんだな」
「自分の罪をもっと自覚しろ。今この腕の中にいる二宮がこの世のどこにもいなくなったら、俺にはお前を生かしている自信がない」
俺がにらみつけると、小延は真面目な顔で言った。
「わかった。僕はあんたの家族を殺したことで自分を責め続けて、いつか殺しに来るあんたに怯え続けていればいいんだな」
「勝手にしろ。お前が誰にも迷惑をかけずに生きるなら、それがどんな人生でも俺の知ったことじゃない。……だがこれだけは言っておく。自分を責め続けることしかしない奴はいつか周りの人間を不幸にする。俺が二宮を死なせるところだったようにな」
「……なんだよ。あんたは僕が憎いんだろ。僕に苦しんで欲しいんじゃないのか」
「俺はお前に誰かを幸せにして欲しい。そうすればお前を生かした俺の選択が間違いじゃなかったことになる。俺の家族はお前が崖から落ちるのを止めるような形で死んだ。その死にわずかでも意味を持たせることができるかもしれない」
俺が小延に対してこんな話をするとは俺自身予想もしていなかった。
俺の両腕に伝わってくる暖かさが、俺を憎しみから少しだけ開放していたからだろう。
「俺が家族を失った悲しみや憎しみから解放されないように、お前にも自分の罪からは解放させない。だがそんな俺でも二宮といることで幸せを感じることができる。心を置ける場所はひとつだけじゃない」
「なんだよ、それ。僕に幸せになってもいいって言いたいのか?」
「お前に幸せになってもいいとは言わない。だが誰かを不幸にすることは俺が絶対に許さない」
それ以上言うことはなかった。
後は小延自身が考えて判断することだ。
俺は振り返ることなくその場を立ち去った。
非常階段を降りようとした俺は、半階分降りたところの踊り場にいる安西に気付いた。
安西は気まずそうな顔で俺に向かって手を上げた。
「すみません。盗み聞きするつもりはなかったんですが、話を聞いてしまいました」
安西の声を聞いた二宮が、俺の腕の中で身じろぎした。
「あ……、もう大丈夫です。下ろしてください」
「ああ、分かった。すぐ降ろすつもりだったんだが、うっかりしていた」
「じゃまして悪かった。二宮さん」
「い、いえ。お構いなく」
頬を赤く染めた二宮は、少々的外れな返事を返した。
「世話になったな。事情はもう分かっているのか? どの辺りから聞いていた?」
「小延が身の上話をしている途中からです」
「そうか。それなら分かったと思うが、今回の件はもう決着がついた」
「……はい。二宮さん。色々とすまなかった。後で改めて謝らせてくれ」
「いえ、安西先輩が間違ったことをしたとは思っていません」
「いや、俺は間違っていたよ。それがよく分かった。オレは湊河さんがこれまでにどれほど辛い思いをしてきたかを知っている。だからその湊河さんに甘えているだけに見えた二宮さんが気に食わなかった。だけど今日、二宮さんが湊河さんのために見せた覚悟は俺のそんな思い込みを吹き飛ばした」
安西は二宮に向かって笑顔を見せた。
「湊河さんと出会って、湊河さんを好きになったのが二宮さんでよかった。心から祝福するよ。2人は本当にお似合いだと思う」
あれ? 何か変な方向に話が進んでるな。
「おい、安西。何か勘違いしてないか?」
「勘違い? 何をですか?」
「俺と二宮は、別に恋人というわけじゃないぞ」
「……はい?」
安西は一瞬呆けたような顔になり、すぐに目を細めて俺を見た。
まるで俺をにらんでいるような表情だった。
「男と女だからといって、何でも恋愛関係にしてしまうのはどうかと思うぞ。なあ、二宮」
「……」
おれがそう声をかけても二宮は反応しなかった。
急に表情を失って、ただ中空を見つめていた。
これはおそらく俺が何かをやらかしたということだ。
「あの、二宮さん、……しばらくそこで待っててもらえるかな? 湊河さん、ちょっとこっちへ」
安西に手を引かれて俺は階段を降りて行った。
2階分ほど降りた所で、安西は押し殺した声で俺に話しかけた。
「何考えてるんですか!? さっき言ってたあのセリフはどうしたんです!」
「いや、あのセリフと言われてもな。恋人になってくれと言った覚えはない――」
「それどころか、ほとんどプロポーズみたいなものだったでしょうが!」
「プロポーズ? ……あれが?」
「言ってたでしょう! 幸せにしたいとか、一緒に幸せになりたいとか、たとえ刑務所に行ってもお前のところへ帰ってくるとか」
「安西。二宮はまだ高1だぞ? しかも小学校に入った時からずっとイジメを受けていて、男女関係どころかまともな友人関係さえ体験できなかったんだ。そんな女の子にいきなりプロポーズ? するわけないだろ」
「あ、いえ、プロポーズといったのは言葉のあやで……、とにかく、湊河さんから特別な関係になって欲しいと言われた、そう二宮が思っているのは間違いないでしょう」
「それは確かに間違いじゃない」
「だったら、もう恋人になってくれと言ったようなもんじゃないですか」
安西の言葉に言い返すため、俺は改めて自分の考えを整理してみた。
「安西。俺は二宮と一生の付き合いをしたい。だから彼女と結婚して幸せな家庭を築くという将来だって、俺は真面目に考えている。二宮が結婚するような歳になるまでに、俺はその相手としてふさわしい自分になるよう努力をするつもりだ。だが、今はまだ駄目だ」
「どうしてですか?」
「高校から付き合い始めた相手、それも人生で初めて恋愛した相手と将来結婚する確率はどのくらいだと思う?」
「ええ? そうですね……、たぶん、かなり低いでしょうね」
「高校生の頃の恋愛関係なんてささいな誤解からでも壊れてしまうことがある。恋愛は努力すればいいってものじゃない。どちらかが駄目だと感じたらそれで恋愛は終わりだ。さらに言えば今の俺には致命的なくらい恋愛に対するスキルがない」
「それは確かに」
「二宮は俺にとって失うことのできない存在だ。だから今はまだ二宮を俺の友人にしておきたい。親友と言ってもいい。その関係なら俺にも分かる。俺は二宮を裏切らないから、2人の関係が壊れるようなことにもならない」
俺の言葉を聞いて、安西はしばらく考え込んでいた。
「湊河さんの考えは分かりました。納得できるかというと微妙なところですが、オレが口を出すことじゃないでしょう。ただし、二宮さんにはちゃんと今言ったことを説明してください。そうでないと、さっそく2人の関係が壊れることになりますよ」
「え? そうなのか?」
「……ものすごく不安になってきた。……いいでしょう。二宮さんにはオレから説明します。ちょっと待っててください」
安西が二宮を連れて降りてきたのは、彼が階上に行ってからかなり経った後だった。
実際には10分ぐらいだったと思うが、俺には非常に長く感じられた。
「ごめんなさい。お待たせしました」
そう言った二宮の目は、泣いた後のように少し腫れていた。
「すまない、二宮。俺はこんなやつだから、そのつもりはなくてもお前を傷つけてしまうかもしれない。そうならないよう努力をするつもりだ。気になることがあったら遠慮なく言ってくれ」
「大丈夫です。それ以上に嬉しいこともあったから」
そう言って、二宮は俺に笑顔を見せた。
「じゃあ後は任せましたよ」
安西は俺たちと別れて階上へ登って行った。
小延と何かを話すつもりなんだろう。
地上まで降りた俺は、入り口の扉にかけておいた錠を外してバッグに仕舞った。
扉を開けずにここの柵をよじ登ったのなら、安西は俺が思っていたより身軽なようだ。
外に出た俺と二宮は、彼女の父親が待つ家へ向かうことにした。




