贖罪 - 小延智也
真実は僕を完璧なまでに叩き潰した。
安西が言った通りに僕はクズだった。
弁解する余地は何もなかった。
だが僕は、思ったほどそのことで自己嫌悪に陥ることはなかった。
すぐにでも湊河が僕を殺してくれるのだ。
僕は湊河に対する感謝の印として遺書ともいえる手紙を書いた。
読んだ人が、その身勝手さに憤慨するような内容の手紙だ。
湊河の刑を軽くするのに役立つだろう。
手紙の通り、同じ内容で3通を書いた僕はその1通を貸金庫に預けようとした。
しかし銀行に行って話をすると、僕は貸金庫が簡単に借りれないものだということを教えられた。
僕は仕方なくその手紙を駅のコインロッカーに入れた。
封筒の裏に名前と電話番号を書いたので、数日放置すれば家に連絡が行くだろう。
準備が済んで湊河からの仕掛けを待っていた僕に電話がかかってきた。
「小延さん、あたしです。お話があるんですが――」
「二宮。余計な説明はいらない。覚悟ならできている」
「……そうですか。分かりました。明日の朝6時に、久野駅から南へ500メートルほど行ったところにある北区第3ビルという建物に来てください。地図はメールで送ります。それと、スマホとか身元の分かるものは持って来ないでください」
そう言われて、手紙を持って行くのはやめた。
手紙に1つは自分で持つと書いていたが、僕はそれを書き直さなかった。
貸金庫の件ですでに記述と違う行動をしていたことと、ロッカーの手紙を回収してまた元に戻す気にはならなかったからだ。
そうして僕はまた二宮と会い、想像もしなかった体験をすることになった。
臓器売買をする男たちに商品として向き合うのは正直に言って恐ろしかった。
情けない言動をしなかったのは、動じていない二宮に対する意地のようなものだった。
部屋に2人で閉じ込められてからは、時間が経つにつれて覚悟していたはずの心が揺らいできた。
二宮が一緒でなければ取り乱していたかもしれない。
「怖くないのか」
「あのドアから入ってこなければ大丈夫」
「そりゃそうだろうが――」
「大丈夫。きっとここまでは来れないから」
この状態になっても、彼女が恐れているのは湊河のことだった。
大丈夫と言いながらも、ドアから目を離さない彼女の横顔は美しかった。
運命を共にしていることが僕の彼女に対する親近感を強くした。
その筋合いが全くないことは分かっているが、僕はこれほど彼女に思われている湊河が妬ましかった。
突然、階上から唸るような大きな音が響いた。
何の音なのかは分からなかった。
しばらくすると音は小さくなったが、完全に消えはしなかった。
「何だろう?」
僕の問いかけに彼女は何も言わなかったが、初めて不安そうな表情を見せた。
続いて鼻に刺激臭を感じるようになった。
だんだん喉への刺激が強くなっていって、咳が出そうになる。
目にもチクチクとした刺激を感じ始めた。
彼女が先に咳き込み始め、僕もつられるように咳をした。
ドアの鍵を開けようとする音がした。
そしてすぐに勢いよく開かれた。
喉と目への刺激が一気に強くなり、僕は目を開けられなくなった。
咳も止まらなくなり、僕は全く無防備な状態になった。
誰かの足音が近付いてきた。
自分の咳の合間に、彼女と侵入者の会話が聞こえた。
驚いたことに侵入してきたのは湊河で、何故か僕はそのことに感動してしまった。
こんなところにまで現れた湊河は、僕を無視して彼女の心配をしていた。
二宮に話しかける声に深い安堵が含まれていた。
例え僕を殺したとしても彼女を残して死んだりはしないだろう。
僕たちは階段やエレベーターから降りてくる人々に紛れてビルの外に出た。
ビルの周りに集まった野次馬の中に、僕たちをここに連れてきたあの背広の男がいた。
その周りには暴力団の関係者らしい数人の男たちもいた。
背広の男は視線をこちらに向けていて、明らかに僕たちに気付いている様子だった。
湊河は人の流れと共にビルを離れようとしたが、それは背広の男に近付く方向だった。
僕は緊張しながら、その男と二宮の間に割り込むように歩いた。
背広の男が周りに知らせようと叫んだら、僕はおとりになって時間を稼ごうと思っていた。
だけど背広の男は二宮をしばらく見つめた後に、僕たちから視線を外してビルの方を向いた。
屋上へ続く非常階段を駆け上がる。
彼女を背負っているにも関わらず、先行する湊河は僕を引き離していった。
このまま僕が逃げたらどうするんだろうか。
まあ、そんなことをしても、彼女を降ろせば余裕で追いつかれるだろう。
ところで、『今は殺さない』の『今』は、まだ続いているんだろうか。
たった6階分を駆け上っただけで、僕の脚はふらついていた。
屋上の壁際に座り込んだ僕は、彼女と湊河の様子を確認した。
湊河から渡されたスマホで、彼女は誰かと通話していた。
やがて電話を切った彼女に湊河が話しかけた。
「父親にどれだけ心配をかけたのか、よく分かっただろう。父親だけじゃない。お前のママや友だちも悲しませるところだった。もちろん俺も心配した」
「……ごめんなさい」
「今回のことは二宮が俺のことを思ってしたことだ。それは分かっている。しかし、いくらなんでも度が過ぎている。二宮の父親は害があるものを二宮に近づけたりしない。二宮が俺のために無茶をするなら、俺は二宮にとって害があるものだ」
「……」
「俺だって同じ気持ちだ。俺がいることで二宮が危険になるなら俺はもう二宮には会えない」
湊河の言葉を聞いていて僕は怒りがこみ上げてきた。
彼女がどんな思いで自分の身を投げ出すような真似をしたのか、それが分かっているからだ。
「……なくても、いい」
「……二宮?」
「会えなくてもいい。店長さんがいなくなるより、会えなくなる方がいい!」
彼女は子供のように泣いていた。死に面した場所で超然としていた彼女が、今は頼りなげな普通の女の子に見えた。
「二宮。俺が言ってる『会えなくなる』は、目を合わさないとか話をしないとかじゃないぞ。お前と会うことのない場所に行くってことだ。二宮にとってはいなくなるのと同じことだ」
「違う! 全然違う! 店長さんがこの世からいなくなってしまうのと、ただあたしには会えないだけなのとは、あたしにとって正反対なぐらい違う!」
「どこが違うんだ? 俺はお前に何もできない。お前は俺から何も得られない。俺が本当にこの世からいなくなってもお前には分からない。どういう違いがあると言うんだ!」
湊河の話す言葉も感情的になってきた。しばらく2人はにらみ合いを続けた。
「店長さんはあたしのことを心配してくれたのよね」
「そうだ」
「あたしが死んだら嫌なのよね」
「当然だ」
「……だったら、もし店長さんが死んだらあたしも死ぬ。それが事故だろうと何だろうと」
その途端に湊河の表情から怒りが消えた。
明らかに困惑している表情になった。
今日彼女がしたことを考えれば、その言葉を笑い飛ばすことなどできるはずがない。
「かまわないでしょ? その時には、もう店長さんは死んでいるんだから。店長さんには何の影響もないんだから」
「落ち着け、二宮。……確かに俺には影響がないかもしれないが、父親や母親や友だちは間違いなく悲しむぞ。二宮の妹が死んだ時に二宮の家族全員が辛い思いをしたようにだ。それでもいいのか?」
「そんなこと、死んでしまった店長さんには関係ないでしょう。どうして気にするの? 店長さんだって、自分が死んだ後にあたしがどんな……、どんな気持ちになるかなんて関係ないんでしょう!」
力のこもった彼女の視線を湊河は受け止め切れないようだった。
その表情が目まぐるしく変わる。
湊河の心の中での葛藤が僕にも読み取れた。
「店長さんはあたしに、大切な人たちが悲しむから死ぬなって言う。でもあたしがどんなに辛い思いをしようと、店長さんは死んでしまう。あたしが店長さんにとって大切な人じゃないから?」
「……」
「店長さんは家族を助けられなかったから死のうとしてる。それなのに、店長さんを助けられないあたしに生きろって言うの?」
「二宮、俺は――」
「本当は分かってる。……あたしと店長さんは違うってこと。店長さんはあたしに言葉で言えないほどのことをしてくれたのに、あたしはそんな店長さんにただ甘えてただけ。……店長さん。あたしにもう一度だけ……。そうしたら今度こそ――」
「いいんだ、二宮。その必要はない」
二宮の表情が凍り付いた。
それを見た湊河は慌てたように言葉を続けた。
「いや! そういう意味じゃないんだ。お前は気付いてなくても、もう俺に十分なものを与えてくれた。二宮は今の俺にとって一番大切な存在だ」
こわばっていた二宮の表情がゆっくりとほぐれていった。
僕が初めて見た穏やかな目で、湊河は二宮を見つめていた。
そのとき僕は、身の置き所がないという言葉の意味をこれ以上ないほど実感していた。
お互いの命をかけて2人が駆け引きをしている。
この事態を引き起こした原因は間違いなく僕にある。
その責任を感じていたたまれないという思いなら、僕がそれを感じるのは当然だ。
しかしその時に僕が感じていたのは、とんでもなく場違いな所に自分がいるという思いだった。
2人とも僕を殺して自分も死のうと考えていた。
その意味で間違いなく僕は当事者で、僕にとっても2人は最重要人物だ。
だけどその僕をすぐそばに置きながら2人の関心は全く僕に向けられていなかった。
2人が今ぶつけ合っているのはお互いへの強い愛情だ。
本気で命を懸けているとはいえ、その話の内容は一言でいって痴話ゲンカだ。
いま僕は、当人たち以外が聞くべきではない言葉を聞いている。
今の僕の気持ちを他人に伝えるのは難しい。
この複雑な状況を体験した人にしか分かってもらえないのかもしれない。
ほとんどの人は、文句を言える対場じゃないと僕を非難するだけだろう。
殺されても仕方がない、そう思った瞬間でさえ僕は僕自身にとって主役だった。
もしかすると自己憐憫に浸っていたのかもしれない。
だけど今の僕は、僕自身から見ても価値の無い存在に思えた。
湊河は二宮に、二宮は湊河に、自分の命よりも大切なものとして思われていた。
2人の言葉から、それ以上に表情や仕草から、他人の僕でさえ嫌というほど理解できた。
もしかすると、冷静な他人だからこそ本人たち以上に分かったのかもしれない。
これから僕がどれだけ生きたとしても、そんな相手に出会えることは無いだろう。
やがて大きく息をついた湊河は、再び力を取り戻した目で僕の方を見た。
「小延智也」
湊河は僕の顔をじっと見つめながら、僕の名前を呼んだ。
「事故の時に何があったのかを俺に話してくれ。それより前の出来事も含めて、関係があると思うことを全て」
「あんたは僕が殺したいほど憎いんだろ。僕はその理由もよく知っている。そんな相手から何を聞きたいんだ? 自分に都合のいい話しかしないかもしれないのに」
「そういうことも含めて、俺は小延智也という人間を判断したいんだ」
その言葉を聞いた僕は、父の車で暴走したその理由から話し始めた。




