遭遇
午後8時5分前。
「そろそろ時間だな。もう上がる準備をしていいぞ」
俺は二宮にそう声をかけた。
いつものように、着替えるために奥へ行くかと思ったが、彼女は俺の顔を見たまま動かない。
何か言いたそうに思えたので、俺は二宮の言葉を待った。
「あの、店長さん。最近忙しくありませんか?」
「うん? そうだな。二宮が料理を始めてくれたおかげだ」
「あ、ありがとうございます」
「礼を言うなら、俺から二宮へだろう」
「そんな……」
二宮が少しうつむいた。身長差で自然と見下ろす角度になるため、こうなると前髪に隠れて表情がわかりにくい。
「あの、それで、ですね。あたしがいないときにも、手伝ってくれる人がいたらいいと、そう思いませんか?」
「こんな風に毎日、学校が終わってすぐ店に入るのは大変か?」
「いえっ! それは、そんなことは、全然!」
顔を上げて二宮が言った。焦った表情をしている。
「あたし、すごく楽しいです。学校にいると、お店に行く時間が待ち遠しくて」
「そうか。それは良かった。でも無理はするなよ」
「はい……」
またうつむいた。
「それで、手伝ってくれる人がいたらというのは?」
「はいっ。……えと、あたしが学校にいる時間に手伝う……というか。バイトの人を雇いませんか」
「ああ、そういう話か。二宮が学校にいる時間、ということは学生じゃないのか?」
「はい。19歳の人なんですけど、大学には行ってなくて」
「俺と同じ歳か」
「はい。ええっ!?」
二宮は、文字通り目を丸くして俺を見た。
「俺をいくつだと思ってたんだ」
「大学は卒業してると……」
「そんなに老けて見えるか」
「いえっ! そんな! 違います! すごく落ち着いていて、大人で、あたしとは違うなって」
すごく焦っている。すこし意地悪な言い方だったか。
「話しを戻そう。19歳で働きたい人がいるんだな。うちでいいのか?」
「料理が好きな人なんです」
「そうか。調理学校にも行ってないんだな。教えてもらえる調理師がいる店の方がよくないか?」
「あの……、ちょっと……事情があって」
「そうか。そういうことなら、本人から聞いた方がいいな」
「じゃあ、連れてきても?」
「働いてもらうとは言ってないぞ。俺がその人を見て、話をしてから決める」
「はい! もちろんです」
その翌日。
俺が食器を洗い、乾燥機に入れる前に軽く拭っていると、ドアベルの音と共に二宮が現れた。
ドアに手をかけたまま後ろを見ている。
昨日言ってたバイトを連れてきたんだろう。
続いて入ってきたのが男だったのは、俺にとって意外だった。
二宮に働き口を頼むような人なら女性だろうと、俺は勝手にそう思っていた。
男の顔を見た瞬間、俺の頭は一気に混乱した。
俺の家族を殺した小延智也だった。
何故こいつがここにいる。
チャンスだ、殺せ。
だめだ、二宮がいる。
出所したとは聞いてない。 本当に本人か?
かまわない、殺せ。
何故二宮と一緒に?
何を躊躇している。 ためらえば二宮が危ない。
隙だらけだ。
罠じゃないのか?
殺された家族の仇を討て。
二宮の目の前で殺すのか?
何か企んでいるはずだ。
二宮を人質にする気か?
今殺せば、二宮の心が傷つく。
二宮が俺に何か話しかけているが、全く耳に入ってこない。
何かを言われると、機械的に『ああ』とだけ答えていた。
俺はこの状況が理解できなかった。
俺は現実感が薄れていくことに抵抗した。
何が起こっているのかを冷静に判断しようとした。
小延は何かを企んでいる。
二宮をだましている。
小延が俺に何をしたかを知っていて、二宮がここに連れてくるはずがない。
それを知ったら二宮は傷つくだろう。
二宮を悲しませたくないという気持ちが、小延を憎む気持ちと争っていた。
「店長さん?」
ああ、としか答えない俺に二宮は不安を感じたようだった。
はっきりと結論を言おう。
これ以上話を聞いても状況が良くなるとは思えない。
「この人を雇うことはできない」
二宮は全くその答えを予想していなかったかのように驚いた。
「え……、どうして? ほんとに小延さんは――」
「僕が車の事故で人を殺したからですか」
小延智也が二宮の言葉を遮るように言った。
こいつは俺を怒らせようとしている。
でなければ、気付かないふりをしてこの店に来るはずがない。
冷静になるんだ。その手に乗るな。
「そうだ」
それ以外に答えようがなかった。
「うそ――」
二宮は俺の言葉に絶句した。
「うそじゃない。俺はこの男を雇わない」
「店長さん! 小延さんは事故のことを本当に後悔してるの。だから、あたし――」
後悔しているから、この店で働いて役に立ちたいとでもいうのか。
そんなことは、ありえない。
「二宮。お前は利用されているんだ。どんな風に言われたのかは知らないが――」
「あたしです! 小延さんには言わずにあたしが勝手に決めて、ここに連れてきたの!」
二宮は今、小延智也を連れてきたのが自分の意思だと言った。
いや、そんなはずはない。
彼女は小延智也にそう誘導されただけだろう。
「こいつが何をしたのか、それを知っていて連れてきたのか? 俺がどう思うか考えたのか? こいつを雇うと本当にそう思ったのか!?」
俺は必死で自分の感情を押さえようとしたが、それに成功したとは言えなかった。
こんなことで二宮を責めたくはなかった。
二宮への気持ち、そして小延への気持ち。
全く反対のそれぞれ強い感情が俺の中でぶつかり合っていた。
「そうです! 店長さんなら、それでも……」
その言葉を聞いて、俺には二宮が何を考えているのか全く分からなくなった。
小延智也が俺の家族を殺したと知っていて、二宮はそれでも俺に会わせようとした。
彼女にとって、どうしても許せないことなど存在しないのか。
やはり二宮は、俺とは違う種類の人間なのか。
俺も同じような聖人君子だと思っているのか。
自分が説得すれば、俺が全てを許すと思ったのか?
「二宮。俺はお前が思っているような人間じゃない」
耐え切れなくなって俺は二宮にそう言った。
誰も憎まなかった二宮の性格が、今は彼女の美点だと思えなかった。
二宮に怒りを見せまいとしたため、感情が抜け落ちたような声になっていた。
「死んだ人は生き返らない。人に代わりはない。だから人を殺した罪は消せない。それが俺の考えだ」
その言葉を聞いた二宮は、俺に悲痛な表情を見せた。
見ている方も苦しくなるようなその表情には、俺に自分の言った言葉を後悔させる力があった。
彼女はその表情を隠すかのようにうつむくと、その手を白くなるほど握りしめた。
思いに反してひどく傷つけてしまった二宮にかける言葉を、俺は最後まで見つけられなかった。
二宮もそれ以上は何も言わず、小延智也と共に店を出ていった。
気が付くと、握っている布の半分ほどが血で赤く染まっていた。
布巾に包まれた小皿はその中で粉々に割れていた。
俺と二宮の関係も、この皿のように壊れてしまったのだろうか。
俺は二宮を追わなかった。
小延智也も追わなかった。
小延智也のことよりも、俺はまず二宮のことを考えていた。
俺はそのことで罪の意識に責められていた。




