バイト
時計を見ると4時ちょうどだった。
3分ほど前に見た時が3時57分だったから、まあ当然だ。
時間を気にしているのは、そろそろ二宮が来る頃だからだ。
思っていたより、俺は彼女が来るのを楽しみにしていたようだ。
彼女は弟のユキによく似ていた。
似ているといっても男の子に見えるということではない。
高校生にしては幼く見えるが、普通の可愛い女の子だ。
もしユキに双子の妹がいて、それが少し成長すれば二宮のような感じになるだろう。
容姿以上に雰囲気が似ていた。
落ち込んでいる時のユキにそっくりだったから、つい構ってみたくなった。
他人とあんなに話したのは久しぶりだ。
淹れてくれたコーヒーが旨かったのは本当だ。
彼女が本当に来てくれるのか、少し不安に感じていた。
学校からこの店に来るとき、店の前を通る長い直線道路を通るはずだ。
その道に立てば、店に到着する5分ほど前から姿を確認できる。
俺が外に出ようと入り口のドアを開けると、その数歩先に二宮が立っていた。
「ようこそ……かな? 教えてもらうんだから『よろしくお願いします』の方がいいか」
「それはやめてください。『ようこそ』がいいです」
俺が先に入って、二宮に入るよう促した。
かなり緊張しているようだ。
「本当にいいんですか? 責任者の方に許可とかもらわないで」
「責任者は俺だ」
「え? じゃあ、店長さんなんですか?」
「そう」
「そんなに若いのに?」
「若いかな? 最近はよく老けてると言われるが」
「そんなことないです。どう見ても20代です」
俺はまだ19歳だが、これは訂正すると気まずくなるパターンだろう。
後で分かることかもしれないが、会ったばかりの今は聞かなかったことにする。
訂正しなかった自分に少し驚きながら、俺は二宮をカウンターの中に案内した。
あの事故から、俺が空気を読んだ行動をしたことはほとんど無かった。
「店のエプロンはあるが従業員用の服は無い。学校の制服にエプロンというのは、さすがにまずいな」
「ジャージを持ってきてます。洗濯はしてあります」
「じゃあ、それでいいか。こっちに来てくれ」
広くはない厨房に移動してエプロンを取り出す。
「ここで着替えてくれ」
そう言ってエプロンを渡しながら、奥にある倉庫の引き戸をアゴで示した。
エプロンを受け取った二宮は困った顔をした。
なかなか動こうとしない。
「悪いが更衣室は無いんだ。ここは信用してもらえないか?」
カギのない倉庫の中で着替えるのは不安なんだろう。
そう思って、倉庫から離れながら二宮に説明する。
二宮は倉庫の方を向いたが、なかなか中に入ろうとしない。
体の前で、ごそごそと手を動かしている。
厨房の外で二宮が着替え終わるのを待とうとした時、いきなり彼女がブラウスをはだけた。
さっきの動作はボタンを外してたのか。
「奥だ! 着替えはその引き戸の奥で」
「え? え? あ、もちろんですよね!」
二宮は俺の声にこちらを振り向いてから、慌ててブラウスの前を閉じた。
すぐ引き戸の前に移動したが、どうやって開くのか戸惑っている。
引き戸があることに気付いて無かったようだ。
着替えの終わった二宮が、カウンターの横で彼女を待っていた俺のところに来た。
相変わらず緊張した表情だが、頬は少し赤らんでいる。
練習のためにサイフォンをもう1つ、合計3つ用意した。
1つは客に出す今まで通りのコーヒーを作るため。
1つは二宮に手本を見せてもらうため。
1つは二宮の手本を真似て俺がコーヒーを作るため。
「お前。ここで働くのか?」
安西が二宮のエプロン姿を見てそう言った。
「二宮は俺の先生だ。コーヒーの淹れ方を教えてもらう」
「あ、そうなんですか?」
「安西も後で飲み比べてくれ。これからはその味が店の味だ」
「そんな風に言われたら、緊張して……」
二宮から顔から赤みが消えた。確かに緊張が増したようだ。
「店の前で二宮さんがウロウロしてたのは、そのせいか」
「さん? 3年の先輩があたしにさん付けですか?」
「なにせ湊河さんの先生だからな」
「先生とか、そんなんじゃないです」
安西の言葉が気になった俺は、それを尋ねてみた。
「ウロウロって? 俺がドアを開ける前から来てたのか?」
「……店員さん、じゃなくて店長さんに本気で頼まれたのか、だんだん自信が無くなってきて――」
「その自信のなさが、二宮さんの欠点だな」
「やめてください。安西先輩」
安西も含め、何人かの常連客にカウンターへ来てもらった。
飲み比べの結果は、予想通りだった。
表現に個人差はあるものの、基本的に二宮のコーヒーは高評価だった。
褒められた二宮は嬉しそうだった。
評価後は、安西を残して席に戻ってもらった。
今後の方針を決めるためだ。
「今まで通りのコーヒーを出すのはもう止めよう。客に失礼だ」
「仕方ないですね。湊河さんの練習コーヒーはどうするんです?」
「半額で出すか」
「そこまで不味くはないでしょう」
「それなら点数で決めよう。70点ならメニューの額の7割だ。採点は二宮に任せる」
「ダメです。無理です」
二宮は首をブンブンと振っている。
「正しく評価してくれないと、俺の腕が上がらない」
「でも、お金のことをあたしが決めるのはダメです」
「店長の俺がいいと言ってるんだ」
「ダメです」
意外と強情だな。そういうところもユキに似ている。
「それなら点数だけ言ってくれ。俺の思った点数と合わせて俺が値段を決める。ところで、今日は何時まで店にいられるんだ?」
話の途中で、わざと無関係な質問をした。
「えっと。家事があるので7時くらいなら」
「そうか、わかった。ところでさっき俺が淹れたコーヒーは何点だ? 70点でいいか?」
「あ……はい」
「じゃあ今回の味は70点だ。今後の点数は、今回の出来からどの位100点に近付いたかで決めてくれ」
「……わかりました」
ということで、二宮が点数をつけてくれることになった。
ちなみに、70点の次に俺が淹れたコーヒーは65点だった。
マスターへの道は遠い。
「日払いがいいか? それとも一週間ごとがいいか?」
「何がです?」
「バイト料だ」
「え? 貰えるんですか?」
「何で貰えないと思ったんだ?」
最初に労働条件を決めなかった俺が悪いんだが、まさかタダ働きするつもりだとは思わなかった。
「失礼ですけど、ここ……、その……、コーヒーだけだから」
「確かに儲かってはいない。だが気にするな。それを考えるのは経営者の役目だ」
「コーヒーのみテイクアウトなしって時点で、採算を考えてませんよね」
まあ、安西の言う通りだ。
俺としては、犯人を殺すまでの間だけ手持ちの資金が持てばいい。
店を開けたのは金を稼ぐためじゃない。
「客単価を上げるには、調理できる人間が必要だ。現状では雇えない」
「二宮さんは料理が作れないの?」
「調理師免許がないから、お客様に出す料理は無理です」
「免許はいらない。前にも言ったが、俺が持ってる食品衛生責任者だけでいい」
「サンドイッチとか出してくれるなら、オレもこの店の経営改善に協力できるんだけど」
安西はそう言いながら二宮を見た。
「サンドイッチは、中学校の調理実習でしか作ったことがないの。お父さんが食べないから。他人に食べてもらうなら練習してからでないと」
「じゃあ練習しよう。失敗作はオレが食べるよ。出来が良いのだけ湊河さんに試食してもらって」
「今すぐ? でも、材料とか――」
「オレが買ってくるよ。湊河さん、お金。立て替えておいてもいいけど」
「どこで何を買うつもりだ?」
「オレ、休日はカフェでバイトしてるから、その手の食材を扱ってる業務スーパーも知ってるんですよ。ハム、卵、ツナ、チーズ辺りを、野菜や調味料も合わせて適当に買ってきます」
「そうか。じゃあ頼む」
そう言って俺は一万円札を安西に渡した。
「余ったら朝飯とかで食うから、お前が言った通り適当でいいぞ」
「本当に作るんですか?」
「二宮さん。コーヒー淹れてるだけじゃバイトとして暇でしょ?」
「え……、それは、そうかも」
「じゃあ、さっと行ってくるから」
安西は小走りに店を出て行った。
「えっと。包丁とかは?」
「調理道具なら厨房に色々とある。使ってないが手入れはしている。パン用やチーズ用のナイフもあるはずだ。どれがどれなのかは分からんが」
厨房へ連れて行った二宮に、刃物の収納ラックを見せた。
「……すごい。これ、触っていいんですか?」
「そりゃそうだろ。鍋とかはこっちだ」
「あ、圧力鍋。卵を茹でるのに使ってみてもいいですか?」
「任せる」
二宮が調理道具を見ている間に安西が戻ってきた。まだ30分ほどしか経っていない。
「早かったな」
「知り合いにちょっと手伝ってもらって」
「これは?」
「付け合せのフライドポテトとそれ用の油です。食い盛りの客には、サンドイッチだけじゃボリュームが足りないでしょう」
「一斗缶か。それだけあれば、備え付けの電気フライヤーが使えるな」
「あの……」
「ああ、二宮さん。色々買ってきたから作ってみてよ」
「練習……ですよね。お2人でこんなに食べられるんですか」
「無理だな」
「……どうするんですか?」
「お前ら。二宮さんの手造りサンドを食いたい奴は手を上げろ。ただし実費は取るからな」
安西の言葉に、奥の2つのテーブル席に座っている客の半分以上が手を上げた。
「これで好きなだけ練習ができるね」
「待ってください。いきなりお客さんに料理は出せません」
「二宮さん。この店の客はあの不味いコーヒーに耐えて常連になったんだ。出しちゃいけないってレベルはすごく低いから大丈夫」
「まず作ってみてくれ。客に出していいかどうかは俺が決める」
俺がそう言うと、二宮はあきらめたように厨房に向かった。
棚から取り出した鍋に卵を入れようとする。
「二宮。ゆで卵には圧力鍋を使うんじゃなかったのか」
「あたし、使ったことがないんです。いくらなんでもお客さんの――」
「いいからいいから。二宮さん。練習練習」
二宮が下ごしらえをしている間に、俺はフライヤーの準備をする。
一斗缶の油はおよそ半分ほどが入った。
そこにフライドポテトを入れるバスケットをセットする。
スイッチを入れて二宮を見ると、彼女はトマトを切っているところだった。
「思ってた以上に手際がいいな」
「包丁がいいんです。これ、気持ちよくスパスパ切れます」
食材を切っている二宮は楽しそうだった。
「何か手伝うことはないか。パンにバターを塗るぐらいならできるぞ」
「それじゃあ、お願いします」
8枚切り食パンの3斤分ほどにバターを塗った俺は、二宮が鍋から出した卵の殻をむこうとしているのに気付いた。
「それも俺がやろう」
「すごく簡単にむけるんです。この鍋を使うと」
「それなら、卵を潰すのを手伝おう。マッシャーを使えばいいんだな」
「じゃあこれ。お願いします」
「安西が食べるのは失敗作だったな。最初からこの出来だとお前が食べる分はないぞ」
「ひどいよ、二宮さん」
リアクションに困っている二宮を横目に、サンドイッチを一つ取った。
卵、ハム、チーズ、トマト、レタス、胡瓜などが入ったミックスサンドだ。
「カットした部分で、中の具が崩れずに切れていて見栄えはいいな」
「使ったナイフが良く切れたんです。前に実習で切った時はもっと中身が潰れてました」
一口食べてみる。
「普通に旨いな」
「本当ですか?」
褒め言葉かどうか微妙な表現だったが、二宮は俺の言葉に嬉しそうな顔をした。
「パンの端までバランスよく具が入ってるから、一口目から食感がいい。安西も食べてみろ」
「いただきます。……確かに、これなら店のメニューとして十分出せますね」
「……いや。最初でこれなら、工夫したらもっと旨くなるだろう」
二宮の表情は、パアッという効果音をつけたくなるほど明るくなっていた。
そこまで喜ぶようなことは言っていないはずだが。
「思った以上に貴重な人材だな、二宮は。他のメニューも復活させてみたくなる」
「あ、でも、それは」
「無理を言うつもりはない。学業に差し障りのない範囲で協力してもらうだけだ。高校生バイトの都合に依存した品ぞろえのメニューだと、客の方も困るだろう」
「オレも含めてこの店の今の客なら、あるとき限りのメニューでも文句は出ないと思いますよ」
「客に気を使わせるような店にはしたくないな。……まあ、その話は後にしよう。今は残りのサンドイッチを仕上げて、空腹の客に提供するのが先だ」
二宮は残りのサンドイッチを手早く仕上げていった。
同じ皿に付け合せのフライドポテトを載せる。
量はハンバーガーショップのMサイズ程度だ。
1人前のつもりで出した皿に、複数の客から手が伸びた。
そこで次は、より大きな皿にまとめて盛り付けることにした。
食べた客からは次々と好評の声が上がった。
それを聞いた二宮は、俺がもっと見たくなるような笑顔になった。
「次は誰の分だ」
「う~ん。トマトが入ってるのはちょっと……」
「トマトだけこっちで貰うよ」
「給食じゃないんだ。好きな食材を選んで頼めばいい」
ツナ、アボガド、たまねぎなども加えて、選んだ具材で注文を受けることにした。
用意した材料は、調味料の類を除いて全て売り切れた。




