なんということでしょう
「いやいやいやいやいや、待て待て待て、タンマタンマ!!」
ひゅう、と風が通り過ぎて行った。空は雲一つない快晴だ。これでお弁当を持って、ピクニックなんかしたら最高だろう。
しかし、今の私に、ピクニックができる、そんな余裕はなかった。
Q、さてさて、今私はどこにいるでしょう。
A、屋根の上でした。
高い位置で後ろに結んだ自慢のポニーテールが、風に煽られ大きく揺れる。
「どうしてこうなった?!」
悲鳴に近い叫び声が大空にこだました。
╳ ╳ ╳
やっと終わった。長かった。
ふう、と大きく息を吐き出しながら、長い廊下を歩く。
先ほどまで、会議が行われていた。隣国との領土問題やら他国の姫君が暗殺されたやらなんやら、物騒な問題までも取り上げたものだったが、はっきり言って、かなりどうでもいい会議だったと思う。結局、今日何かが決まったというわけでもなかったし、自分の意見をとにかく主張したがるおっさん達の話を、ただ聞いてるだけの俺にとっては、つまらなかった、の一言にすぎる。
「しかも眠いし」
口に出すとますます眠気が襲ってきた。早く寝たいのだが、自分の部屋までの道のりが長い。無駄にでかいこの建物を建てた奴がとにかく恨めしい。
のろのろとした動きで足を進めていると、前方から、何やら騒がしい声が聞こえてきた。
「嘘じゃないって! ホントにいたんだって!」
「んなこと言ったって…信じられるわけないだろう」
「俺だって信じらんないけど、隊長だって駆けつけてるらしいし! とにかく行ってみればわかるって――」
「何がわかるんだ」
声をかけてみると、兵士らしき二人が、飛び上がった。そこまで驚くか普通。
「リュ、リューマ様?! なぜここに…? 今日は会議だったはずでは…」
「さっき終わった。で、何の話だ」
「いえ、その…」
仕事をせず廊下でしゃべっていたのを咎められると思っているのか、なかなか話そうとしない。「別に怒ろうとしているわけじゃない」と伝えると、あからさまにほっと息をついた。
「実は、隣のこいつの話なんですが――」
ちらりと『こいつ』と呼ばれた方を見ると、そいつは、
「女の子です!」
と、いきなり変態発言をした。
何言ってんだこいつ、と俺は引き気味になるが、兵士はそんな俺を気にもとめず、いっきにまくし立てた。どうせ、大したことないだろうと、心のどこかで思ってた俺は、その話の内容に凍りつく。
「女の子が、『星芒の塔』の円蓋の上にいるのを、騎士の一人が見つけたらしくて! 今、外で大騒ぎになってるんですよ!!」
そう聞いた瞬間、先ほどまでの眠気が嘘のように、全速力で走り出していた。
『星芒の塔』だと。一体どうやって。
しかも彼の話だと、円蓋の上にいるらしい。円蓋の上ということは、屋根の上、ということになるが、そんなところにどうやって上ったというのだろうか。塔の高さは数十メートルもあるというのに。
とにかく行って、本当かどうかこの目で見ないと。
そう思って、足のスピードをさらに速めた。
塔の周辺は大騒ぎになっていた。
噂を聞きつけたであろう王宮の閣僚やら、使用人やら、騎士やらがすでに集まっており、塔のてっぺんを見上げて皆一様に、驚愕の顔を浮かべていた。
本当だった。
変態兵士の言うことは嘘ではなかったのだ。
――栗色の髪を後ろで束ね、何やら変わった衣服に身に包んだ少女が、塔の屋根の上で立ちすくんでいたのである。
「どういうことだ…」
俺は群がる野次馬どもをかき分け、何やら騎士たちに指示を出している分隊長の元へ駆け寄った。彼は俺の姿を見ると、慌てたように頭を下げる。それを手で制すると、説明を求めた。なぜ、こんなことになっているのか、と。
「それが、私にもさっぱりで…とにかく、あの女性をなんとか確保したいのですが、方法が見つからなくて…」
「しかし、さっさとしないと、あの女、落ちるかもしれないぞ。屋根と言っても、人一人分くらいの空間しかないと思うからな」
「なんと…」
隊長はさっと顔を青ざめた。冗談ではない。いつから屋根の上にいるのかは知らないが、危険だ。一刻もはやくあそこから降ろさないと。
だが、肝心の方法がないのだ。一体どうすればいいのだろうか。
「そういえば…あいつはどこ行った。どうせ、来てるんだろ」
「え? …あぁ、ライ様なら、さっきまでそこに…」
いたはずなんですが、と彼はつぶやき、きょろきょろあたりを見回していると、
「――やあ」
「っうわ!!」
突然後ろから声をかけられた。気配なんてまったく感じられなかったのに。素早くふりかえると、そこにいたのは、今話に出ていたライだった。
「ごめん、びっくりさせちゃった? 悪気はなかったんだよ」
「いや、ウソだろ。驚かす気満々だったろ。白々しい」
冷めた目を向けるとライは「照れるな~」と言いながら頬をかいた。いや、褒めてねえよ。
周りにいた騎士たちも、ライの存在に気づいたのか、一瞬どよめいた。だが、俺たちはそれをスルーして、本題である塔の上のあの少女について、話しだす。
「それにしても、あの女の子は、どうやって登ったんだろうね」
「さあな…よりにもよって星芒の塔だ。何か裏があるとしか…」
「それにこの辺じゃあ、見ない姿をしているように感じますが…。どこの子なのでしょうか」
「いや、というより、この国の人間かどうかも怪しいぞ。こんな馬鹿な真似する奴が、この国にいるとは思えない」
「でも、他国の人間とも、僕は思えないな。根拠はないけれどね」
「じゃあ、一体何者なんでしょうか…」
三人で唸った。
こんなことをしても埒が明かないのは分かっているのだが、考えずにはいられないのである。
「とにかく、今はあの不思議な少女を助けることが先だよ。事情は彼女から直接聞こう」
と、ライは言った。
「助ける」という言葉が正しい使い方なのか疑問に思ったが、俺も分隊長も、とりあえず彼の言葉に頷いた。
その時である。
驚きの声と共に、あたりが急に大きくざわめいた。悲鳴のような声も聞こえる。
はっとなって、視線を塔の上に移すが、その信じられない光景に、俺は自分の目を疑った。
――先ほどまで屋根の上にいた少女が、壁をつたって降りてこようとしていたのである。
やめろ、と思わず叫びそうになった。が、それを口に出す前に、彼女は行動に移していた。
足を引っ掛けるところなんてないはずなのに。
それでも、少女は壁にへばりつくようにしながら、少しずつ体を下へ動かしていたのだ。
ただの女の子が、そんな無謀で野蛮な行動をするとは思えない。
一体、なんなんだ。あの少女は。
ただ、変わっている、の一言で済まされるような子じゃない。まるで未知の生き物に出会ったかのような感覚に襲われた。
しかし、そんなのも束の間。
塔の半分まで到達したところのことであった。
甲高い、耳を覆いたくなるような鳴き声が、響いたのである。
「まさか…っ」
そのまさかだった。
空を飛行中だった二、三羽の鳥が、あろうことか、壁をつたって両手がふさがっている彼女に、近づいていっていたのである。
バサバサと羽を少女の周りを囲むようにして動かし、もうこれは邪魔をしている、としか言いようがない。それだけならまだしも、その鋭いくちばしで、少女をつつきはじめたのだ。
彼女は、しばらくそれに耐えるようにして縮こまっていたが、うっとうしくなったのだろう。壁から片手を離し、鳥に向かってブンブンと腕を振り回しだした。あっち行け! という声がここまで聞こえてきた。少しでも動けば命の危険が高まることを忘れているのだろうか。彼女はまだ尚、鳥を追い払おうと必死になっている。
だが、それが、いけなかったのだ。
「あ…っ」
息を飲むようなこえがあちこちからきこえてくる。
――少女は、大きくバランスを崩した。
その体は宙に投げ出され、りんごが木から落ちるように、彼女も何の抵抗もなく落下してくる。
「リューマ様?!」
「リューマ!!」
気が付いたら、俺は走り出していて、少女が落ちてくるであろう場所に腕をのばしていた――