第三十六話 「弔花」
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Tea time.36
In God’s Arms, She Rests.
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「はぁ……」
ペンを置き、ため息をつくのは何度目か。
今、少女の後ろに、執事はいない。
一年に一度、曜日に関係なく彼が館を離れる日がある。
それが今日だ。
「それにしても、ちょっと意外でした」
「どうして?」
「絶対に、知りたがると思いました」
執事に代わり、後ろに立つのは、少女が慕っているメイドの彼女。
青年が、何故この日に館を離れるのか、このメイドは判っている――
――ということを、少女は今日知った。
やらなければならないたくさんの事を忘れて、『誰か』の事だけを考えたい日が、彼にもあるんですよ、と。
そうとだけ告げた彼女の言葉。
もっとも、彼女にしても彼に直接教えてもらったわけではなく、以前に彼の私物を見てなんとなく、ということだが。
「知りたいに決まってるわ。でも……それは、裏切りになる気がするから」
それとも、聞いたら教えてくれた?
――少し試すように問う少女に、女は慌てて首を振る。
「わたしは、館にいる彼しか知らない。それだって、ただ勝手に『知っているつもり』になってるだけかもしれない」
「……」
「でも、館での彼の姿は偽りじゃないって信じているから」
だから、今日、館を出る彼に向かって、一言だけ伝えたのだから。
「貴方が、話すべきだと、そして話したいと思ったら、聞かせてね」
――と。
そして執事は、少し困ったように、「失礼します」とだけ答え、館を後にした。
きっと、それが――彼との距離。
「でも、貴方がわたしの知らないあの人を知っているのは――少し、悔しい」
責めている訳でなく、少女は、ただ寂しそうに窓の外に顔を向ける。
その横顔を見ながら、女はメイド服の裾を掴み、あの懐中時計にそっと触れて――無意識に「ごめんなさい」と呟いていた。
それは、いったい誰に対する謝罪だったのだろう。
赤く染まった丘の上で、一人の男が佇んでいる。
風が強く吹きぬけ、墓石の前の花束が大きく震えた。
「……また、くるよ」
呟きを残して、男が墓石に背を向ける。
花は、風を受けながら、一枚の花弁も散ることなく、優しく揺れていた。




