幕間2 「接吻けの値段」
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Intermission.2
These memories bind you and me together.
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薄汚れた路地裏で、薄汚れた肌着。
ついで出るのは空虚な言葉。
下を向いて歩く自分にはお似合いだ。
「また…やっちゃった」
客を取って、抱かれて、いくらかの紙切れをもらう。
いつものこと。
そして、条件もいつもと同じだ。
――接吻けだけはしない。
そういう契約だったのに。
行為に及んでしばらくたってから、客の男はそれを求め始めた。
拒んだことで、かえって男の征服欲を刺激したのか、金を追加するからと言われたが……そもそも金銭の問題ではないのだ。
拒み続けたことで次第に苛立った男は強行しようとして――
「あの店で、もう商売できないなあ……」
殴って、窓から逃げ出してしまった。
かろうじて下着とシャツ一枚はつかめたのは幸いだったが。
初めての接吻けは、どうしたって特別でありたい。
身体はすでに売っているというのに……つまらない意地だ。
でも、女である最後の意地だ。
「でも、このあとどうしよう…」
この姿のまま表通りは歩けない。
かといって、この裏通りを行くのは、襲ってくださいというようなものだ。
いっそどこかの家に潜り込んで服を失敬しようかと思い始め――
そのとき。
「逃げないで、欲しい。何も、しない」
足音に気づき、警戒するように身体を隠す彼女に、一人の男がそう声をかけた。
暗くてわかりづらいが、異国の男のようだ。
「確認を、取りたいのだが、君の名は――」
男から出た女の名前。
なぜ、知っているのか、と、彼女はますます警戒の色を強める。
「君が、部屋から飛び出した、と聞いて、探していた。
最初は、客取りをしている、と聞いて、店で待っていたのだが――」
待つ手間が省けたな、と。
異国の男は、まだこの国の言葉に慣れぬようにたどたどしく音を区切りながら、コートを脱いで彼女にかける。
それは少しよれてはいたが、暖かかった。
「あの……なんで、あたしを?」
男は、懐から何かを取り出す。
ロケットの付いたペンダントだ。見覚えがある。
確か昨日、店の前で落ちていたそれを、客の誰かの落し物だろうとマスターに預けたのだ。
金の鎖に、修飾の見事なロケットが付いていて、一目で高価なものだとわかる。
始めは自分の物にしてしまう事も考えたのだが――
「君が、届けてくれたと、店の主人から聞いた。この界隈で、誰かに拾われたら、間違いなく酒に変わってしまうと、落胆していたのだが」
そんなことはできない。
あたしにできるわけがない。
だって――
中身を、見てしまったのだから。
「君に、感謝する。それが言いたくて、君を探していた。本当はこれに見合った金銭があれば良いのだが――あいにく、私も貧民街の住人らしく素寒貧だ。だから、こんなものでしか礼ができない」
私物で悪いが、と、男が礼の品を渡す。
礼が欲しかったわけではない。
だが、断るのも何か悪い気がして、思わず受け取ってしまった。
「それから、早く家に帰ったほうが良い。そのままだと……風邪を引く」
「……えっ?」
それは――客を取るようになってからかけられた、初めての優しい言葉。
あのロケットを開けて、この人の過去に触れてしまったからだろうか。
それを聞いたとたん、肌を晒している自分の姿を、この男に見られていたことが、なぜか急激に恥ずかしくなる。
裸を見られるなんて、慣れているはずなのに。
それは、初めての感覚で――
「あ、あの!」
考えるより、声が先に出た。
彼が止まり、振り返った後も、言葉は止まらない。
「あ、あたしを……あたしを、買ってくれない、かな……?」
震えるように。
すがるように。
初めて、自分という体の売込みを、断られたくないと思った。
男は、しばらくその娼婦の目を見据え、そしてゆっくりと、区切るように答えた。
「君を抱く、値段は?」
「……あなたの接吻けで決める」
二人が、とある館で再び出会うのは、まだしばらく先の話。
その館で、一人のメイドが愛用している男物の時計のことは――
――また、別の機会に。




